第二章 男と女、あからさまな女>男 4

「よかろう。……じゃが、なるべくわらわの手をわずらわせるではないぞ?」

 にひっと笑ったジャマリエールは、鞍を蹴ってふわりと空に飛び上がった。

「──わらわはこのまま町に入って兵の指揮をる! おぬしが自分でゆったのじゃ、見事にやりげて見せよ!」

「自慢じゃないが、生まれてこの方、俺は女性の期待を裏切ったことがないんだ。決して自慢じゃないけどね」

 すでに馬はブルームレイクの東側の城壁を右手に見ながら南へ向けて走っている。ふわふわと飛んでいくジャマリエールを見送り、ハルドールはさらに馬の速度を上げた。しかし、ハルドールとジャマリエールが二手に分かれても、なぜかクロたちはハルドールのほうについてくる。

「……きみたちはどうして俺についてくるんだ? じゃじゃさまといっしょに町に入ったってよかったのに」

「だから……ハルくんから離れると雷が飛んでくるでしょう?」

 シロが首をすくめてハルドールの手もとを見つめる。

「大丈夫だよ。そのへんはさっき調整した。……こいつの使い方はきのうのうちにみっちりレクチャーしてもらってるんでね」

 ナルグレイブをはめた両の拳を打ち鳴らし、ハルドールはいった。

「今は〝鎖〟の長さを一キロくらいにしてある。だから、俺から一キロ以上離れなければどこにいようと問題ないよ」

「え? その長さって……もしかして、ハルくんが好きなように調整できるの?」

「ある程度はね」

「じゃあ……たとえば今は一キロのところを、一気に一○○万キロくらいに──」

「……いや、それはさすがに無理」

「そんな……ぬか喜びさせないで!」

 シロは半泣きでくちびるめたが、少々離れても問題ないといったにもかかわらず、ふたりはそのままハルドールのあとをついてくる。ハルドールが賊軍と戦っているすきをついてナルグレイブをごうだつする気なのかもしれない。だとすればやつかいだが、ともあれ、今は町の救援を最優先に考えるべきだった。

「……実戦経験はなくても訓練はしっかりやっていると見えて、なかなか統制の取れた動きをするじゃないか」

 ハルドールがブルームレイクの南側へと回り込んできた時、川の対岸に向けて断続的に矢を放っていたグリエバルト軍は、すでに八割がたが城門から町の内部に退却をすませていた。一方、グリエバルト軍の退却に気づいた賊軍も、岸辺に無数の小舟を浮かべていっせいに渡河を開始している。

「──これでよいのじゃな、我が勇者よ!」

 振り返ると、城壁の上におうちするジャマリエールの姿があった。その真下で、兵士たちを収容した巨大な門がゆっくりと閉まっていく。

「ああ、見たところ連中に攻城兵器はないようだし、門に火をかけられることだけ気をつけておけばいいよ。……で、きみたちはどうする? 俺を手伝ってくれてもかまわないんだけど?」

 馬から飛び下り、ハルドールはクロとシロにたずねた。

「──あの町の人々を救うためのすうこうな戦いだよ。きみたちもそこにひと役買いたいとは思わない?」

「思わないね」

「……そんなに俺が嫌いかい? それはそれでショックだな」

「あんたがどうのってことじゃないよ。気に入らないのは事実だけどね。……わたしはわたしをしたがえられるほどの強さを持つ相手にしかしたがわない、単にそれだけの話さ。さっきもいったろ?」

「わたしもその……怖いのは嫌いだから……」

「じゃあどうしてここまで来たわけ?」

「もしあんたが戦死したら、すぐにそのをいただいて逃げるためさ」

「……ああ、そう」

 あくまでそっけないクロに、ハルドールは溜息とともに肩をすくめた。

「じゃじゃさまに聞いたんだが、この国は極端に女性人口の割合が高いらしい」

「いきなり何の話?」

「あの町の二万人を超える非戦闘員も、八割以上はかよわい女性や子供だそうだ。……ここを守り切れなければ、おそらく彼女たちはひどい目にうだろうな」

「それがわたしたちに何か関係があるのかい? ……女神がお決めになった乱世って、そういうものなんだろ?」

「……かもね」

 ハルドールは肩をすくめ、ブルーム川に向かっておもむろに走り出した。

 結局、賊軍の総数は聞いていないが、大規模な傭兵団がそのまま寝返ったのだとすれば多くて三○○○──実数は二○○○ほどだろう。その二○○○の兵が、数百の小舟に分乗して川を渡ろうとしている。

「けっこういいよろいを着てる連中もいるみたいじゃないか。それだけりがいい、つまりは何度も仕事に成功している強い傭兵団てことか──」

 ハルドールに気づいた船上の傭兵たちが弓を持ち出して矢を射かけてきたが、ハルドールは姿勢を低くしてその射線の下をかいくぐり、川岸のぎりぎりのところからジャンプした。

「うお!?」

 賊軍の驚きの声を飛び越え、いつそうの舟の上に降り立ったハルドールは、剣を抜こうとする目の前の傭兵を蹴り飛ばし、舟底を殴りつけて大きな穴を開けた。

「う、わ──」

 たちまち舟底から浸水が始まり、激しく舟が揺れる。それを見た傭兵たちは慌ててふなべりを摑み、川に落ちないように身体をささえた。軽装の革鎧ならまだしも、金属製の胸当やかぶとを身に着けた状態では、とても川岸まで泳ぎきることはできまい。

できしたくなければ鎧を捨てたほうがいいんじゃないかな?」

 敵が捨てた剣を両手に持ち、ハルドールはすぐさま次の舟へと移動した。

 勇者としてのハルドールの最大の武器は、持って生まれた〝勇者力ヘルトーラ〟である。勇者力は魔力に似ているが、魔法として使うものではない。ハルドールだけが持つ勇者力は、ハルドールの意志に応じて腕力や脚力のような単純なパワーにもなるし、場合によっては防御力にも変換できる。とにかくハルドールはこの力をその場その場の局面に合わせて自在に使いこなし、体格を超越した強さを発揮することができるのである。

「……さて」

 一○○艘以上の舟底に穴を開けて岸辺へと戻ってきたハルドールは、剣のみねで肩を叩きながら溜息をもらした。

 無事に川を渡り終えた者、沈みかけの舟をどうにかもたせて渡りきった者、いったん向こう岸へ戻った者、そしてあえなく川底に沈んだ者──ハルドールのねらどおり、賊軍の渡河には時間的に大きなばらつきが出ている。この時間差を利用すれば、敵を各個撃破することができるだろう。真っ先に渡りきった第一陣を目指し、ハルドールは両手に剣を持って突っ込んでいった。

「!? なっ、何だ、貴様!?」

 賊軍の意識は、ブルームレイクの町とそこを守るグリエバルト軍に向けられている。当然、鎧らしき鎧も身につけていない少年──にしか見えない異世界の勇者が、単身突っ込んでくることなど夢にも思っていまい。敵の集団に対する作戦オプションはあっても、たったひとりで切り込んでくる敵に対しての備えなどあるはずもなかった。

「……金と命とどっちが大切か、よく考えて行動することをオススメするよ」

 ハルドールは敵のただなかに飛び込むと、両手の剣を縦横無尽にひらめかせた。幸か不幸か周囲にいるのはすべて敵──同士討ちの心配はない。

「ぐぎゃあ!」

「うぐぉっ」

「こ、こいつ……!」

「何なんだよ、このガキ!?」

「くそっ!」

 傭兵たちはハルドールを取り囲み、押し包んでひと息に始末しようと仕掛けてきた。だが、いくら戦闘に慣れているとはいえ、ひとりひとりはあくまで凡人──勇者の敵ではない。

「……さっさと逃げてくれないと、こっちが弱い者いじめをしてるような気分になってくるな」

 突っかかってくる敵を次々に返り討ちにしながら、ハルドールはまた重い溜息をついて背後を振り返った。

「──そこのお嬢さんがた!」

 ハルドールのぐんふんとうをよそに、クロとシロは城門のそばに馬を止め、何をするでもなくぼんやり戦況を眺めている。その周囲に血みどろで倒れているのは、おそらく、彼女たちのぼうに目がくらみ、戦いも忘れてついつい手を出そうとした傭兵たちのなれの果てだろう。

「やっぱり俺を手伝おうって気にはならない?」

「ならないね」

 あんじようであぐらをかき、クロは自分の長い赤毛をいじっている。すぐ目の前で繰り広げられている戦いになど興味はないといわんばかりだった。

「ちょっと、クロちゃん……ね? もっとソフトなリアクションを心がけて?」

 つっけんどんなクロの肩を揺さぶり、シロがうろたえ気味の表情でふたもないことをいい始めた。

「──ほ、ほら、ここは一応協力するフリだけでもしておいて、何となく恩を売ったような感じにしておけばいいじゃない。そうすれば、あとの交渉を有利に進められると思うんだけど……」

「そんな小細工する必要ないだろ? わたしがあのおチビくんに一騎討ちで勝てばいいだけなんだから」

「あくまで一騎討ちにこだわるあたりは正々堂々としてるんだけどね」

 またひとり、たがいの実力差も判らない傭兵をせたハルドールは、その場に剣を突き刺し、ナルグレイブをはめた右手をクロのほうへ突き出した。

「──だったら、さっさとこの戦いを終わらせるために、俺も少し〝お道具〟を使わせてもらうことにするよ。きみにとってもじゃじゃさまへの恩を返すいい機会だろ?」

 ハルドールが人差し指と中指でクロ──の首輪を指さすと、手の甲から彼女の首輪の間を赤い光がつないだ。

「──え!?」

 きのうシロをえた稲妻とは違う、まっすぐに伸びるしやつこうだった。驚いたクロが思わず身を引くのに合わせて、その光がどちゃりと重い音を立てる。

「これ……く、鎖!?」

 ふたりをつないだ光が一瞬で実体化し、頑丈な鎖に変わった。

 その瞬間、ハルドールは思い切り右手を引いた。

「くっ、クロちゃん!?」

「ま……っ!」

 ハルドールが鎖でつながれたクロを力任せに振り回し始めると、彼女の言葉がぶつっとれた。

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