第一章 シロとクロ、逃げる女たち 5
もともとこのあたりは雨が少ない。加えてこの時季はよく晴れた
この町ではあまり見かけることのない
「もしあの者どもが暴動でも起こしたら、それがしどもに制圧できるかどうか……」
「何です、いきなりそのような不吉なことをおっしゃって……」
ガラバーニュ卿の弱音を聞きつけたリアーネ・ユリエンネが、望遠鏡を覗いたまま、その溜息の理由を問うた。
「ユリエンネ卿とて、きのうの我が騎士団の
「堂々というようなことか? 情けない……」
ユリエンネ卿の肩ほどの背丈しかないクロシュ・ハクバードが、ガラバーニュ卿をぎろりと
「確かに情けない話ですが、しかし、それが現実なのです! それがしども、それを嫌というほど思い知り申した!」
額の汗をぬぐって
「──そもそも、あの男たちの中によその魔王国の
「やれやれ……パンダやら
クロシュは今年で七二歳になるという。すっかり腰の曲がりきった小柄な
「ガラバーニュ卿のご
望遠鏡のレンズから手もとの資料に視線を移し、ユリエンネ卿が呟く。国の
「……そろそろ城に戻ろうかい」
ガラバーニュ卿とユリエンネ卿をしたがえて灌漑工事現場の視察を終えたクロシュは、待たせていた馬車に乗り込み、ほっとしたように自分の肩を叩いた。
「よいか、若造」
「は……」
「今回の工事は、用水路の整備を目的としておるのは無論じゃが、町の東西を流れる川を有事の際に
大規模な工事を前に、ジャマリエールはランマドーラや周辺の町のあちこちに高札をかかげ、男女を問わず広く労働力を募集した。その結果、三日とかからずに集まった労働力の大半は男性であり、そのおかげで効率よく工事が進んでいるのも事実である。
だが、いざという時には町の治安も守らなければならない立場のガラバーニュ卿としては、よその土地から何百人もの力自慢の男たちがやってきているという状況は、決して楽観視できるものではなかった。
「現場ではたらいている男どもがすべて他国のスパイじゃというならまだしも、ひとりふたり
「それがしにもそのあたりは判るつもりですが……」
伝統的に女性を優遇するグリエバルト魔王国では、こうした公共事業に一定期間従事しなければ、男性に定住権はあたえられない。工事の間、男たちは町の外で簡易宿舎暮らしをすることになる。町に出入りするのは自由だが、もし何かしらの犯罪を起こせば即座に
「……確かに男手は必要ですな。これからの時代は特に」
馬車の窓から目にする庶民の暮らしには活気がある。ガラバーニュ卿は他国の日常をあまりよく知らないが、この町が大陸でも有数の、豊かで平和な町だという確信が揺らぐことはない。
しかし、乱世で国を守っていくためには、戦力の拡充は必須だった。今後も男女比が二対八のままでは、軍隊を強くすることもままならず、せっかく手厚く保護してきた女たちを守ることすらできないかもしれない。
「……乱世に突入した以上、これからは軍事関係の工事の数も増えるじゃろう。労働力としても戦力としても男手は多いほうがよいし、男がたくさんおらねば子供も生まれぬしな。あたしらが女たちのためにしてやれるのは、なるべく性根のまっすぐな男たちを選び出し、この国に受け入れることくらいじゃ」
「いずれにしても、これは陛下のお決めになられたこと、もうくつがえすことはできません。ガラバーニュ卿には、引き続き治安維持のためにご尽力いただきたく──」
「はあ……ユリエンネ卿がそうおっしゃるのであれば……」
「何じゃ、若造?」
クロシュはふたたびガラバーニュをぎろりと睨んだ。
「──おぬし、リアーネのいうことには異を唱えんのじゃな? あたしのいうことにばかり混ぜ返してくるのはどうしたわけじゃ?」
「い、いえ、ばばさまのお言葉に逆らうつもりなど、決してそれがしには……ユリエンネ卿からも、何かいってくだされまいか?」
「それはわたしの職務ではないので」
かつて〝ランマドーラの花〟と呼ばれたユリエンネ卿は、じきに五○になる年だというのに、いまだに若かりし頃の
馬車の中でもすでに別の仕事をしているらしいユリエンネ卿は、帳面にさらさらとペンを走らせながら、思い出したようにいった。
「……ところで、デルビル商会から届くはずの荷が遅れているのですが、ガラバーニュ卿は何かご存じではありませんか?」
「は? な、なぜそれがしにお尋ねに?」
「最近、街道沿いに大規模な盗賊団が出没し、隊商が襲撃される事件が
「た、確かにそういった報告は聞いておりますが、デルビル商会の荷が襲撃されたという報告は受けておりません」
「デルビル商会か……あそこの先代は誠実な男じゃったがのう。三代目はどうにも
クロシュは静かに溜息をついた。
「あそこが古くからこの国に地盤を築き、今も手広くやっておるのは事実じゃが、ひとつの取引先に依存しすぎるのは危険かもしれぬ。陛下にもすでに
「ですが、まずは街道沿いに出没する賊の問題を解決しなければ、いずれ商人たちがこの都での商売を嫌って寄りつかなくなるということも──」
ユリエンネ卿のペンが不意に止まる。上目遣いの彼女の視線が、老婆の視線と静かに絡み合った。
「若造」
「は、はい?」
「これからは商人たちの護衛に軍の力を借りなければならぬやもしれぬ。そのつもりでおれ。──盗賊が相手でも実戦には違いない。おぬしらの訓練にもなるじゃろう」
「は……」
生まれた時代がそうだったから仕方がないとはいえ、