第一話.探偵と象⑦

 思いはゆきも同じだったのかもしれない。昼までのどこか距離を感じるよそよそしさも影を潜めて、テンポ良く返してくれる。

「この字は、元は人間の子供を食べて殺すあくじんだったじんが、改心して角を失った事を表していると聞いたことがあります。

 そして、改心した鬼子母神は主に安産や子供の守り神とされています」

「そういうお守りを持ち歩いてるってことは、近いうちに子供を産むか産んだかの可能性が高いってことか」

 ここまでくると、いとぐち先輩の会っていた女性が同一人物だったという説にはそれなりに説得力が出てくる。ちゃんとしたカノジョのいる高校生が、友達にも気付かせずにさらに三人の女性をとっかえひっかえしているというよりは現実的だろう。

 しかし……と、見ると、雪音も同じことに思い至ったのか、いたたまれないような顔をしている。

「え……でも、それじゃ……糸口先輩と付き合ってる女の人が、妊娠してるってことにならないか?」

 そもそも、浮気相手は減っただけで消えてはいない。それが身重となると、はむしろ悪化してはいないだろうか。

ことはしさんが知ったら気絶しかねないぞ」

 あまは唇に手を当てて首をかしげた。

「ぁー……それも面白そうだけど」

「おい……」

「じょーだんじょーだん。最初に言ったじゃん。浮気相手なんていなかったんじゃないの、って」

 そうだ。たしかに雨恵はそう言った。自堕落で気だるげで、いつもどこかに寄りかかっているようなやる気のない仕草はそのままに、不思議のような知性をに宿して。

 そんな、ふにゃふにゃとつかみ所のない少女は、俺の机に腰かけたまま脚を伸ばした。どこかネコ科の生き物を思わせる、肉付きが薄くしなやかな脚だった。

 そんな自分の爪先を見つめながら、雨恵は続ける。

「この女の人が家族なんだとすれば、浮気相手ではないよね……まぁ、フツーは」

「そりゃそうだ。結婚してるなら名字が違ってもおかしくない。けど……」

 俺は記憶を探った。先輩の家族については、たしか琴ノ橋さんが言っていたはずだ。

「糸口先輩の家は四人家族で、その女性は妹さんじゃないんだ。まさかお母さんってこともないだろうし」

 写真を確認しても、いくらなんでもそんなとしには見えない。どう見積もっても、せいぜい二十代半ばに見える。

「だいたい、他に家族がいるなら、ことはしさんやいとぐち先輩の友達だっていう人は話くらい聞いてるんじゃないの?」

 ゆきも疑問を呈する。あまはなにか記憶あたまの中を眺めるように天井を仰いだ。

「糸口先輩がこっちに引っ越してきたのは三年前……だっけ?」

「ぇ? ああ……うん。たしかそうだ」

 その時に乗った飛行機でた映画に感動して、映像関係の仕事に就きたがっているという話があった。

「問題の女の人が三年以上前に糸口家を出てたなら、中学からの友達でも知らなくて不思議じゃない。ンでもって、新しい家には居たことがないんだから、マリーが『うちは四人家族』と紹介されたとしてもそうおかしくないでしょ」

「それじゃ、糸口先輩の……お姉さん、になるのか? その人は」

「たぶんね。あたしがそう思う理由はもう一つあるんだ。

 糸口先輩の友達がその女の人を見た時、直前に会ってたのに糸口先輩の妹と見間違えたって話、あったよね? そばに糸口先輩がいたから、っていうのもあるだろうけど、先輩の妹と似た服を着てたっていうのも理由だった。

 それが、その物ずばり、妹の服だったとしたら?」

 それなら、ついさっき顔を合わせた相手を見慣れた別人と見間違えるのもわかる。経済的な事情などで楽な服を用意できなかったお姉さんが、妹さんから服を借りたのかもしれない。ひょっとしたら、そもそもお姉さんのお古だったのかもしれない。

「で、その時には先輩の妹さんは合宿を終えて家に戻ってるわけで、勝手に服を借りられる状況じゃない」

 琴ノ橋さんが見た時、女性はまだゆったりした服を着ていなかった。その後から体が変調して、それをやわらげるために服や下着が必要になったのだろう。

 そうなると──と、思い当たったことが、口を突いて出た。

「あ、そうか。もし問題の女性が先輩の浮気相手だったなら……」

「琴ノ橋さんと仲がいいという妹さんは、服を貸したりしない。逆に、相手がお姉さんなら自分の服を提供することに抵抗もない」

 言いかけた言葉の続きは、雪音が拾ってくれた。向こうもなかば無意識に考えを言葉にしてしまったのだろう。なんとなく目を見合わせて、雪音はちょっとうろたえたようだった。口を「ぁ」の形にして、でも声にはせずに、頬を赤くする。

 なぜだかこっちまで照れくさくなってできたに、机に四つんいになって乗り出してきた雨恵が入り込んできた。

「そう! だから、あたしの結論として──」

 そして遠吠えするおおかみのように天井を見上げ、人差し指を突き上げながら宣言する。

「そもそもこの浮気事件、


 ──あまがそう締めくくった後、しばらく誰も口を開かなかった。

 その考えに欠陥がないか、黒板に書いた内容を確認したりして検討してみる──結果、少なくとも俺には問題は見つからなかった。

 ゆきも同じように黒板をにらんでいるが、なんだか不服そうな顔をしている。なにか悔しそうな様子にも見えた。

 気付けば教室にはもう誰も残っていない。春の夕日は真っ赤に染まっていて、やま姉妹のもともと明るい色の髪を強火で燃やしていた。校庭から聞こえてくる運動部の野太いかけ声が、まるで別世界からの呼び声に感じられた。

 そんな中、雨恵はにこにこして俺たちの反応を待っている。授業中のやる気のない態度とはまるで別人だ。眠そうで、だるそうで、何事もテキトーだった目が、フル回転した頭のスパークを映してでもいるかのように輝いている。

 そんな彼女は、ひかえめに言って……魅力的だった。


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