「不殺の不死王の済世記」 笹木さくま
【食の不死王】
伝染病によって大人達が亡くなってしまい、子供達だけが残された田舎の小さな村。
そこで暮らす白髪の少女・ミラは、台所でハチミツの瓶と睨めっこしていた。
「たまにはちょっとくらい……でも……」
「何やらお悩みのようですが、どうしたのですか?」
「あっ、先生!」
背後から男性の声が響いてきて、ミラは笑顔で振り返る。
そこに立っていたのは、黒いローブを身にまとった動く骸骨。強力な魔術を操る
彼は魔物でありながら、伝染病からミラ達を救い、餓えないように食料を与えてくれて、さらに算数や読み書きまで教えてくれた、感謝しきれないほどの恩人だった。
「お昼のパンにハチミツを塗ろうかと思ったんですけど、病気やお祭りの時でもないのに食べるのは、やっぱり贅沢すぎるかなって」
ミラはハチミツが大好物である。だからこそ、我慢しようとする彼女のイジらしさに、テリオスは青い炎のような目を思わず細める。
「気にせず使ってください。特別高級なハチミツというわけでもありませんし」
「私にはハチミツというだけで贅沢な高級品なんですけど……」
まだ遠慮するミラに向かって、テリオスはちょっと意地悪な笑みを浮かべた。
「おやおや、高級品を食べるくらいでは贅沢とは言いませんよ。より沢山食べるために高級品を吐き出すくらいでないと」
「えぇっ!?」
ミラは驚愕のあまり目を丸くする。
「た、食べた物を吐き出すんですか……?」
「はい。自ら嘔吐して腹の中を空にし、何度でも美食を楽しむというのが、貴族の間で流行した事がありました」
「…………」
ミラは絶句してしまう。粗末なパンでもお腹一杯食べられれば贅沢という、一般的な村人には想像もつかない世界であった。
「とはいえ、嘔吐する姿が美しくありませんし、喉や胃の健康によろしくないですから、今はもう廃れたようですが」
「食べ物が勿体ないから、ではないんですね」
ミラはもう驚き疲れて、げんなりとした顔をしてしまう。
そんな彼女の頭を、テリオスは優しく撫でた。
「命の糧を無駄に吐き捨ててきた、美食家気取りの貴族達に比べれば、ハチミツなんて可愛い物ですよ。だから気にせず使ってください」
「はい!」
何やら上手く丸め込まれたような気がしつつも、ミラは笑って瓶の蓋に手をかける。
それから、ふと思いついて尋ねてみた。
「先生は何が好きだったんですか?」
「食べ物ですか?」
「はい。私はハチミツが大好きですけど……」
田舎生まれで他に美味しい物を知らなかった、というだけである。
だが、そんな彼女と違って、不死者になる前は偉い人だったらしい彼ならば、様々な美食を口にしてきたのだろう。
そんなミラの問いに対して、テリオスは少し考えてから答えた。
「う~ん、あまり食に拘る方ではなかったのですが、強いて言えば卵ですね」
「卵、ですか?」
あまりにも素朴な食材が出てきて、ミラはまた目を丸くしてしまう。
そんな彼女に向かって、テリオスは深く頷き返した。
「元々は味が好きというよりも、体作りのために食べていたのですよ」
生命のスープとも言える卵が体に良いのは、昔から良く知られた事実である。
そして、大軍を率いる者として、彼は健康で頑強な肉体を求めていた。
「卵は体に良い。特にロック鳥やドラゴンの卵を食べれば、とてつもない怪力が得られると言われていました」
ただの迷信、ではなかった。
この世界はあらゆる存在の認識によって創られている。そのため、魔術師や魔物といった一部の者には、ドラゴンを倒したらドラゴンより強くなった、といった不可思議な現象が実際に起こる。
それと同じように、強大な生命を食らえば相応の力が得られるのだ。
もっとも、生前のテリオスは魔術師ではなかったし、流石にドラゴンの卵を食べる機会はなかったので、そこまで大きな力は得られなかったが。
「仲間を引き連れて森や洞窟を探し回り、巨大な蛇や亀の卵まで食べていたら、気がつくと『卵王』と陰口を叩かれていました」
「あははっ」
珍妙な渾名に、ミラはつい吹き出してしまう。
それから、テリオスの顔を見上げて微笑んだ。
「いつか、先生が食べた色々な卵を、私も食べてみたいです」
「はい、そうしましょう」
テリオスも笑って頷き返しながら、ミラと共に卵を味わえない骸骨の体を、少しだけ寂しく思うのだった。