終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか?/枯野 瑛
『市立御翼学園学生寮の一日 -schoollife without school-』
市立御翼学園には、学生寮がある。
親元を離れて就学する学生たちのための、という建前で、ちょっと特殊な事情の子供たちをまとめて住まわせているオンボロ木造建築である。
そして、そもそもその『市立御翼学園』とやらが何であるかの説明については、少々後に回す。
朝、目を覚まして――
少女が最初に考えたのは、どうにも頭が重いということだった。
昨晩、夜更かしでもしていただろうか。思い出せない。
ぼんやりとしたままパジャマを脱いで、制服を着る。
部屋を出て、共同水道で顔を洗って、鏡の中の自分とにらめっこ。うん、何もおかしなところはない。昨日までと同じ自分、明日からも同じ自分……
「ん?」
違和感。
鏡の中、いつもの自分の姿がある。
空の色の髪、それをちょっと深くした色の瞳。
続いて、先ほど自分が着込んだばかりの制服に目をやる。よく知る、市立御翼学園中学部の女子制服である。白いブラウス、ストライプのネクタイ、淡いベージュのブレザー、チェックのスカート。
「ん、んん?」
カーテンを開き、窓の外を見る。見慣れた朝の景色。
小さな庭の向こう、細い路地を挟んで、一軒のコンビニエンスストア。アルバイトの青年が入口前の掃き掃除をしているのが見える。その隣はこじんまりとした古アパートで、さらにその向こうには、色とりどりの一戸建てが並んでいる。
ちりんちりんと小さな音をたてて、一輪の自転車が、通りを走り去ってゆく。
「…………ええと?」
ちょっと待って。
見慣れた景色。でも、見慣れているというその事実そのものに異議を申し立てたい。
なにせ、このクトリ・ノタ・セニオリスは、浮遊大陸群の守護者たる護翼軍に所属する妖精兵器。住まいは68番浮遊島の森の中、オルランドリ商会第四倉庫。
つまり、純度100%の、ファンタジーな世界の住人だったはずなのだ。
♪
「と、いうわけで! 本編の雰囲気を全力デストロイがテーマの『終末なにしてやがんでい』番外編! 今回はいわゆる現代パロディ風味の舞台からお送りいたしま――おんや、どうしたんすかクトリ、いきなり愉快なポーズで床に突っ伏したりなんかして」
「うん……ちょっと、当たってほしくない想像が当たったのがショックで……」
低くうめきながら、クトリは身を起こした。
枯草色の髪の少女、アイセア・マイゼ・ヴァルガリスは首をかしげて、
「そんな驚くほどのことでもないっすよね? 似たようなこと、前にも何度かあったじゃないっすか。ラジオ番組収録とか水着グラビア撮影とか、メタ発言連発上等の無法地帯をくぐりぬけてきたっすよね?」
「……あったけど……」
そういうのがあったのです、と地の文を借りて作者が補足します。限りなく突発に近い番外編なので、そういうのもアリということにさせてください。
「ノリとしちゃ、ああいうのと同じっすよ。開き直ったもん勝ちっす」
「でもあのへんのプチ企画に比べて、今回は導入が悠長っていうか……」
「あー、ふだんはこの手の小ネタは、なんだかんだでコンパクトに書かなきゃいけないんすけど、今回は文字数に余裕があるらしいっすからね。作者的には『プロットすら用意せずに勢いだけで書ききってやる』ってとこだと思うっすよ」
そうなんです、と地の文を再び借りて作者が補足します。
「……うん、まあ、そういうものだっていうなら、受けいれるとして」
「なんだかんだでそういうとこ図太いっすよね、クトリは」
「で、その、現代パロディ? っていうのは、具体的にどういうものなわけ?」
「改まって説明するとなると難しいっすけどね。『現代』たる世界、この場合は21世紀のニホンっすけど、ここにご招待いただいたうえでフツーに生活するっつー企画っすね、大雑把に言えば」
「フツーに生活?」
うい、とアイセアは頷き、
「まあ、それはそれとして、見栄えのする展開は期待されるわけっすけど。ド定番はアレっすね、学校行ってラヴがコメったりとかそういうやつ」
「ふぅん……」
クトリは少し考える。
学校に行って、ラヴが、コメる。
誰が? それはもちろん、自分たちに決まっている。
「…………」
学校、それは同世代の子供たちが集められて共に時間を過ごす場所。
脳裏に巡るのは、数々の愛読書(主に少女漫画である)の中で綴られていた、無数の恋愛シチュエーションたち。
「……そ、そういうことなら」
くるり、足取りも軽く身を翻す。
「ん? どこいくんすか?」
「どこって、もちろん学校よ学校。そういう番外編なら、行かないとでしょ?」
スキップしてしまいそうな足元をなんとか宥めながら数歩を歩き、
「休校中っすよ?」
思いっきりコケた。
がばりと勢いよく起き上がり、
「なんで!?」
「いやまあ、諸事情というか、そういう時期だしというか。せっかくの現代風舞台ならリアルタイム性を重視しないとネ、的なこだわりというか」
「なんで!」
「いやそんな泣きそうな顔をしながら訴えられても」
♪
よく考えてみれば、クトリは中学生であり、お目当ての彼は大学生である。学校に行けていたところで、会えるはずがない。
しかし、そういう理屈はどうでもいいのである。
会いたかった。会えなかった。その時点で悲劇は完結しているし、嘆きは止まらないのである。
「できるだけ外出しちゃダメ、家の中で過ごしましょう、かあ……」
詳しい理由は聞かなかったが、今はそういうご時世であるらしい。となれば、この女子寮を飛び出して直接彼のところにすっ飛んで行くわけにもいかない。
傷心を抱えて、とぼとぼと寮の談話室へ向かう。
先客がいた。
おんぼろのソファに腰かけた、灰色の髪の女の子――ネフレンが、タブレットを片手に、何やら読みふけっている。いつも通りの無表情のまま、その目にはきらきらと、遠目にもそうとわかるくらいの煌めきが宿っている。
なに読んでるだろ、と思う。背後にまわって、覗き込んでみる。クトリの知らない謎の文字が、画面いっぱいにぎっしりと並んでいるのが見えた。
「……なに、これ」
「ん?」
初めてこちらに気づいたという風に、ネフレンが振り返ってくる。
「『特殊状況における社会正義の変遷と歪曲』、フェルツヴェン大学のなんとかいう学者が先週発表した論文」
「……なんでそんなもの読んでるの」
ネフレンは少し考えて、
「楽しい」
親指を立て、輝く笑顔(ただし無表情)で、そう一言だけで答えてくる。
「医学とか社会学とかのえらい人たち、最近急に注目度が上がったからか、ちょっと前までは考えられなかった速さで論文出してる。追いかけてるだけで退屈しない」
「そ、そうなんだ」
「クトリも読むなら、サイト教えるけど」
読むかと問われれば、読めないと答えるしかない――なにせ、画面に映っている文字はアルファベットですらなく、どこの国で使われているものなのかすらわからないのだ。
あいまいな笑顔を浮かべて、クトリはその場を離れる。
ちょっと離れたところで、感心の息を吐く。
「……たくましいなあ」
気の滅入るはずの状況なのに、あの子は、ああも楽しそうに時間を過ごしている。もともとインドア派の子ではあるけれど。
ふと、他のみんなはどうしているんだろうと思う。
♪
「ぁんだ、クトリがあたしに声かけるとか、珍しいな」
言われて、そういえばそうだったと気づく。自分とこの赤毛の娘、ノフト・ケー・デスペラティオとは、もともとそれほど仲がいいわけではない。
ノフトは耳を覆っていたヘッドフォンを首元に下ろして、
「んで、何か用か?」
用というほどのものはなく、ただ部屋を覗いてみただけではあるのだけれど。
「……何、してるの?」
その疑問は、自然に口をついて出た。
ノフトの部屋は、手狭だった。
広さそのものはクトリの部屋と変わらないのだが、とにかくモノが多い。具体的には、ギターにキーボードにクラリネットに、さらにはベッドを押しのけるようにして壁際に陣取った電子ドラムセットまで。そう大きくもない机の上にも、素人のクトリには名前のわからない、何やら複雑そうな機械がいくつも陣取っている。
「んー、何ってほどのこともねーかな。だらだら弾いてる。うるさかったか?」
「あ、ううん、そういうんじゃなくて」
この寮の壁はさほど厚くない。ノフトの手持ちはほとんど電子楽器のようだが、それでも多少の演奏音は出る。彼女なりに気にしているところではあるのだろうが、もちろんそういう話をしているわけではなく。
「ヒマだし、リクエストあったら演るぞ?」
予備のヘッドフォンをあごで示しつつ、ノフトは言ってくる。
「ついでに歌ってくか、とは言えねーのがつらいとこだな、このボロ屋じゃ」
「そう? じゃあ、ええと、」
「ああ、ただし、権利関係が複雑じゃなさそうなやつに限定な。番外編だからって勝手に歌詞を出したらあとで怒られました、なんてオチはつけたくねーし」
「……何の話?」
結局、イギリスの古いバラッドだという、しっとりした曲を弾いてもらった。
カバーは多いけど原曲が古典だから特定のどこかに許可を申請しなくても大丈夫なんだ、という説明も受けたが、これはちょっと意味がわからなかった。
♪
「とあー!」
「うりゃー!」
と、玄関先で楽し気に踊っている(ように見える)のは、それぞれ九つの少女、パニバルとコロンである。
一見して、だいたいいつも通りの光景であるように見える。が、よく見ると何やら様子が違う。片方が何やら複雑なポーズを決めて、それを見てもう片方が別のポーズを決めて、さらにそれを受けてポーズを変えて、を繰り返しているのだ。
「……ヒーローの変身ポーズを使った、後だしじゃんけんごっこなんです」
すぐそばで、目を回してへたりこんでいるラキシュが、説明してくれた。
「変身ヒーロー、たくさんいるじゃないですか。で、それぞれ強さに相性とかもありそうだからって、相手のヒーローに勝てそうなヒーローに次々変身するんです。ポーズを間違えたり思いつかなかったりしたら負け。同じヒーローは一度まで」
「……で、きみは、なんでそんなに疲れてるの?」
「コロンたちの好きな特撮のヒーローにくらべて、アニメの変身ヒロインは動きが大きいし、ひとつひとつのシーンが長いんです……すごく大変で……」
ああ、そんな理由。
「ティアットは? いっしょじゃないの?」
「ずっと部屋にこもって映画見てましたけど、ナイグラートさんにタブレット取り上げられてからは、屋上で落ち込んでます。さっきヴァレシィが様子見に行ってましたけど、へのへのもへじみたいな顔で空を見てたって」
「へのへのもへじ」
それは何というか、浮遊大陸群では見られなさそうな表情だ。ある意味、今のこの世界を最高に堪能していると言えなくもないのかもしれない。
「だー!」
そうこうしているうちに、パニバルとコロンの勝負に決着がついたらしい。コロンがその場にひっくり返り、パニバルがガッツポーズを決めている。
「ふふふ、やはりニンジャは強い」
「むうう、恐竜のつよさをひきだしきれなかった」
「鍛錬あるのみだな」
「うむ」
何やらよくわからないことを頷き合いながら、拳をぶつけあっている。
なんというかまあ、楽しそうで、なによりではある。
♪
ラーントルクは、難しい顔をして、ノートパソコンの画面を睨んでいた。
「どうしたの?」
クトリが尋ねると、ちらりとだけこちらを見て、
「……苦戦中です」
すぐにまた画面に集中する。
見てもいいってことかなと解釈、後ろに回って覗き込む。
「チェス?」
「はい」
ステータスはオンライン、対戦相手の名前は「stray cat」とある。
「知り合いの娘さんに、教えてくれと頼まれたんですよ。なんでも、幼なじみのお兄さんと遊びたいから、基礎的な戦術だけでも使えるようになりたいと」
「へえ……」
素敵な話だなと思った。
好きな人と一緒にいたいから、相手と共通の趣味を持ちたい。気持ちはわかるし応援したい。幸せになってくれたらいいなーと、顔も名前も知らない相手のことながら、無責任に思ってしまう。
そんなことを考えているとアイセア辺りに知られたら、また「恋愛脳っすねえ」などとからかわれるのだろうけれど。
「そして、もう私では手も足も出ない強さに成長しました」
「……え?」
「もともと私だってそんなに上手いわけではありませんが、それにしたって少しは容赦してほしい成長速度です。あまりに悔しいので、その『お兄さん』とやらも完膚なきまでに叩きのめしてもらうべく、さらなる高みまで育ってもらっている最中です」
「あの、ラーン? もしもし?」
「だって認められますか、この子、ティアットたちよりも年下なんですよ? そんな子に数日で追いつかれて追い抜かれて突き放されて、そろそろ背中も見えないくらい差が開いているんですよ? 意地悪のひとつもしたくなるのも人情というものではありませんか。あと素直な好奇心として、この才能がどこまで伸びるか見たいというのもあります」
「……順番が逆だったら、いい話として聞けたかなぁ……」
そんなことを言っている間にも盤面は進み、そして『チェックメイト』の機械音声が対戦の終わりを告げる。
脱力したラーントルクが、液状化したかのように、ずるずると椅子からずり落ちる。
「うーん……なんだかんだでみんな、楽しそうにやってるなあ……」
なんの気もなく、ぽつりそうつぶやいたら、
「何の話です?」
ようやく立ち直ったラーントルクが、澄ました顔で訊いてくる。
「ん、充実してるみたいで、ちょっとうらやましいなって」
「ふぅん?」
ラーントルクの瞳が、じっとクトリの目を――その奥を覗き込んでくる。
「な、なに?」
「いえ。その発言の真意はどこかなと。察するにあれですね、あの家庭教師の彼と会えない日々に滅入っているというところでしょうか」
「う」
家庭教師。そうか、ここでは彼はそういう役どころか……などと納得している場合ではないくらいに、ド直球ド真ん中で正鵠を射抜かれた。
「だってぇ」
一度、期待してしまったのがまずかった。目の前にぶら下げられた幸せを取り上げられたような気分、これはちょっと、どうしようもない。
「そんなに顔が見たいなら、ビデオ通話でもすればいいじゃないですか」
「えっ」
と、言われてみれば、確かにその通りなのである。ここは浮遊大陸群ではないのだ、個人の持つ道具でそういう芸当が可能な時代だ。
「でも、それって、こっちの格好、向こうに見えちゃうんでしょ?」
「それはまあ、そのためのものですから。何か問題でも?」
「ええと、もうちょっとおしゃれしなきゃとか、いきなりだと呆れられちゃったりしないかなとか、迷惑だったりしないかなとか」
「手のかかる子供だとは、もうバレているんでしょう? いまさら取り繕う必要があるとも思えませんが」
「うん、このやりとり、なんだかどこかで聞いたような、って誰が子供よ!」
顔を熱くして反論するも、ラーントルクは呆れたように溜息を吐くだけ。そのまま無言でぽちぽちとパソコンに打ち込んで、
「はい、呼び出しておきましたよ」
心の準備もなにもしていないクトリに、そんな容赦のないことを言い放った。
♪
――おうどうした、ずいぶんと久しぶりだけどそっちはどうだみんな元気でやってるか、「おとーさんなにやってるのー」ああこらあっち行ってろ「おとーさんあそぼー」いま話してるから後でな「おとーさんトイレー」いや待てちょっと我慢「がまんできないー」うわああこらナネッテもうちょっとがんばれすまん少し席を外す「おとーさんおやつー」何でいきなり群がってくるんだよすまんアルちょっと手伝ってくれナネッテが「何やってんの、騒がしいったら」「あーリーリァおねえちゃんあそぼー」リーリァお前でもいいからちょいと手ぇ貸してくれナネッテが大変なことに痛ェホレスお前いま関節技はやめてくれ後にしろって――
どたばたとした時間が、嵐のように過ぎ去って。
「……………………すまん、見苦しいものを見せた」
「う、ううん、こちらこそ忙しい時に呼び出しちゃってごめんなさい。もう、話してても大丈夫なの?」
「まあ、そうだな」
ノートパソコンの画面の向こう、黒髪の青年が穏やかな声で言う。
(……そっか。わたしの知ってる彼と、この彼は、ちょっと違うのか)
クトリの知るヴィレム・クメシュ青年は、故郷も家族も、戦う理由もすべてを失った、独りぼっちの迷い子だった。そして自分も、数日のうちに自ら命を擲つことが確定していた、使い捨ての兵器だった。
それがすべてだったとは思いたくないけれど、彼が自分にかまってくれるようになった理由に、そういう背景があったことは間違いない。そして、自分が彼を想うようになった経緯にも、同じものが含まれていたのは事実だ。
だから、そう。
この世界のクトリ・ノタ・セニオリスには、ただの家庭教師の青年であるヴィレム・クメシュに対し、命懸けの想いを寄せる必然がない。そしてもちろん、ヴィレム側にも、その想いに応える理由など、ありはしないのだ。
画面の向こうにいるのは、確かに、会いたかった相手であり、話したかった相手だ。なのにどうしてか、実際以上に、距離があるように感じてしまう。
「えと、ね。あのね」
「おう」
「……どうしてるかなって。元気してるかな、とか、気になって」
うまく言葉が出てこない。
「まあ、さっき見た通りだな。なんとかかんとかやってるさ。大学のほうも休みだし、まわりに元気を分けられてるっていうか無理やり注入されてるっていうか」
まいったまいった、とぼやきながら首を振る。
その穏やかな表情を見て、あ、と気づく。
(同じじゃないけど、それでもやっぱりこの人、ヴィレムなんだ……)
「ん、どうした?」
「なんでもない。ちょっと、自分の気持ち、再確認しただけ」
「なんだそりゃ」
「きみのこと、大好きだなって」
「……またそれか」
小声で呟いて、ヴィレムはほんの少し赤い顔を横に向ける。
「そういうのはもうちょい年の近いやつに言え、中学生。大学生相手にその手のモーションは、軽く三年早い」
「いいじゃない三年くらい。何が悪いっていうのよ」
「主に世間体が悪い」
それはまあそうかなと思う。成年近い男が中学生の女の子と恋人関係になる――まるでゴシップ記事の見出しのような、人聞きの悪さだ。そこまで気にするほどのことかとも思うが、それはそれとして、気にする者はいくらでもいるだろう。
「じゃあ、三年後なら。三年分、年をとった後なら、聞き入れてくれるの?」
「いやお前、そういう意味じゃなくてな、ていうかわかってて言ってんだろう」
「えへへえ」
困ったようなヴィレムの顔。それを見ているだけで、どうにも、満たされてしまう。
通話を終えて。ぴぽ、という短い電子音を聞いて。
「はぁ……」
これ見よがしに、ラーントルクが溜息を吐いて。
「ひゃ!? ラ、ラーン、いたの!?」
「いましたよ、ええ、誰のPCでお話していたのかきれいに忘れているようなのでここで自己主張しておきますけど、先ほどからずっとここにいましたよ」
「ひゃあああ、忘れて、忘れて!」
「ええまあ、できることならそうしたい気持ちでいっぱいです」
こめかみを指で押さえて首を振るラーントルクの頭を、クトリは手近にあったクッションでぽすぽすと何度も叩く。
♪
そんな、賑やかな一日の末。
「それじゃ、おやすみ、アイセア」
夜の挨拶を終えて、部屋に戻ろうとしたところで、「クトリ」呼び止められた。
「なぁに?」
「その……言いにくいんすけどね。今日のこれ、しょせんはメタの徒花の番外編、全部、夢オチになると思うんすよ。それもたぶん、起きたらすぐに曖昧になって思い出せなくなるくらいの、おぼろげな」
「ん」
頷く。
「そんなところかなって思ってた」
「……いい顔してるっすけど、いい夢だったんすか?」
「ん」
「そすか。そりゃあ……うん、よかったっす、心から」
そこでアイセアは、にっ、と歯を見せて明るく笑う。
「おやすみ、クトリ。よい朝を」
「うん。おやすみ、アイセア。よい朝を」
互いにひらりと手を振って、互いに背を向ける。
部屋に入って、扉を閉める。
†
――――そして。
まるで違う世界、まるで違う時間、まるで違う場所で。
ふわあああ。
目覚めてすぐに、特大のあくびをひとつ。
「んー……」
夢をみたような気がする。それも、とびきり楽しいやつだ。
内容を思い出せないのが残念だが、それはそれ。楽しい夢から始まる一日は、楽しい気分から始められる。だからそれは、とても良いことだ。
パジャマを脱いで、私服に着替えて、部屋を出る。
妖精倉庫。『使い捨ての兵器』である自分たちを保管するためにある、森の中のオンボロ宿舎。顔を洗うために、その廊下を歩いて水場へ向かう。
その途中、
「びれむ、おはやー!」
朝から元気なコロンに飛びつかれ、なんとも名状しがたい形の立ち関節技を決められた、黒髪の青年の姿を見つけた。
「あーこらこらコロン、新技の実験は、顔を洗ってきてからにしろ。寝ぼけたままの関節技は危ないからな」
「うむう、わかった」
素直に技を解き、コロンは廊下を走り去る。
寝ぼけてなくても不意打ちの関節技は危ないんじゃないかな、という思いはあったが、まあ本人たちが特に気にしていないようなので、指摘はしないことにする。
それよりも、
「おはよ」
自分も、声をかける。
「おう。おはよう、クトリ」
青年がこちらを見て、そして、なぜか眉を小さくひそめる。
「ん、どうかした?」
「いや……何がどうってわけじゃないんだが。お前こそ、何かあったりしたか?」
「え?」
問い返されても、特にこれといったものは思い浮かばない。強いて挙げるなら、なんとなく夢見がよかったような気がするが、夢は夢でしかないし。
ああ、それでもひとつだけ、いつもと違う自分を自覚できそうなことがある。
「ただいま」
「……なんだよ、いきなり」
「ん、わからないけど、言ってみたくなっただけ」
それこそなんなんだよ、とヴィレムは頬を掻く。その顔を見ているだけで嬉しくなり、クトリは小さく笑った。
そこから少し離れた物陰で、
「いい話っぽくすればオチがつくとか思ってないっすかね、この作者」
やれやれという顔のアイセアがぼやき、
「そういうのは思っても言っちゃだめ」
その頭をネフレンが軽く叩いた。