『西方守護伯付き魔女』
その大陸において、魔女は長い間、酷い迫害を受けていた。
だが現在、大陸には魔女の国がある。
魔女が人と生きる国がある。
長きに亘り、隣国より侵攻を受けながら、一度として国を明け渡したことのないその国の名を、ウイザリテという。
凄まじい力を持った、女王レオリカ・リーテ・ウイザリテ。
彼女の統治の元、ウイザリテは今日も大陸唯一の魔女の国としてあり続けた。
魔女の国でありながら、様々な事情から魔女が居着かない西方守護地に、一人の魔女が配属されたのはついこの間の話だ。
ミル・ヴァリテ、十六歳。
この度、中央から西方守護地に配属された少年魔女である。
少年だが魔女である。
男に魔女という呼び名はおかしいのではと、毎年議題に上がっているものの、まあ今までずっとこれだからという理由でなんとなく流され続けてきた結果であった。それでも、大きな問題なくなんとなくやってきたので、これからも一律魔女と呼ばれるのではないかと、みんな思っている。
それは穏やかな昼下がり。昼食の混雑は過ぎ、されど帰宅の渋滞にはまだ余裕がある時間。
この辺り一帯の台所を支えていると言っても過言ではない大通りも、この時間帯は落ち着いたものである。
いつ戦端が開かれるか分からぬ西方守護地においても、日々の生活はある。天気のいい昼下がりに、のんびりとした時間が流れるのはどこも変わらないのだ。
西方守護伯付き魔女のミルは、銀青色の髪を機嫌良く揺らし、揚げたての菓子を大事に抱えていた。丸い頭と、ちょこちょこ進む足は、どこか小動物を思わせる。
大事に大事に抱えている菓子は、元は子どものおやつ。袋いっぱい買ったところで昼食代ほどもかからない。さらに、ミルが抱えているのはたった一個だ。子どもの小遣いより安い菓子を、嬉しそうに抱えている姿はそれこそ幼子のようだった。
その様子を横目で見つつ、西方守護伯のガウェインは苦笑した。
西方守護伯付き魔女も、平時はのんびりしたものである。元より、まだ配属されたばかりの新米魔女だ。ガウェインについて出かける以外は、これといって仕事がないのが現状だった。
ガウェインも、今日の仕事は大体の目処が立っていた。今日は珍しく、午前中であらかたのけりがついていたのだ。だから外回り帰りに、のんびり買い食いとしゃれ込んでいるわけである。
背が高く、どこか狼を思わせる黒髪の男と、儚げな容姿の小動物を思わせる少年が歩いていると、ぎょっと視線を向けられる場合もあった。
しかし、黒髪の男が西方守護伯と分かると、みな警戒を解き、軽く帽子を上げて礼をする。それ以上話しかけてはこない。仕事中であれ、休憩中であれ、必要以上の邪魔はしない適度な距離感は、この地でガウェインが培ってきた信頼でもあった。
弱冠二十四歳でありながら、西方守護伯として、幾度となく開かれる隣国との戦端を見事にまとめきる手腕も、西方を治める実力も、民からの信頼を集めるには充分だ。
「お前は本当に、甘いものがあると嬉しそうだなぁ」
座って食べられる場所をうきうき探している姿をのんびり眺めていたガウェインは、苦笑した。
買い与えた側としては、喜んでもらえて光栄な気持ちと、そんなに喜ぶのならもう少しいいものを買ってあげたかった気持ちがせめぎ合うというものだ。
ガウェインの言葉で、浮かれていた自分に気が付いたミルは、瞬時に頬を染めた。
「す、すみません……僕、その、子どもみたいですよね。は、恥ずかしい……」
恥じ入る姿は可愛らしいが、ガウェインは少し緊張した。この小動物のような魔女は、時に思いも寄らぬ行動に出るのだ。
その予感は的中した。
うきうきと揺れていた銀青色の髪が、次第に激しく揺れ始める。
薄ら染まっていた頬が、今度は凄まじい早さで青褪めていく。
「あんまり幼い振る舞いをしてしまったら隊長にもご迷惑を申し訳ございません消えます」
「消えるな消えるな消えるな!」
流れるようにこの場から姿を消そうとしたミルの腕を、ガウェインは慌てて掴んだ。
「今のは俺の言い方が悪かった! 微笑ましいと言いたかったんだ! いいか、手を離すが、消えるな、消えるなよ?」
「は、はい……」
この場から飛び去ろうとする様子がないか確認しながら、ガウェインはそぉっと手を離した。
この魔女は、大人しく、丁寧で、長らく魔女とは縁遠いこの地においても諍いを起こさず過ごせるほど、西方守護地にとって願ってもない性質をしていたのだが、一つ問題があった。
それは、自分に自信がなさ過ぎるあまり、何かあればすぐに消えようとするのである。
ミルの母親は、それは偉大な魔女だという。その母親と幼いころから比べられた結果、ミルは自分を信じる力を根こそぎ失った。
そんなミルを心配……解呪に失敗すれば魔物も可愛く見える形相の何かが飛び出してきて凄まじい音量の怒声が飛んでくるが、心配……恐らく、心配、して。
ミルの母親はミルに呪いをかけた。
どのような呪いか、ガウェインは知らない。呪いとは往々にして人には話せないようになっている為、知りようがないのだ。ミル自身、話そうとすると急に呂律が回らなくなるのでどうしようもない。
何にせよ、この地で呪いを解いてこい。ついでに強くなってこいということなのだろうと、ガウェインは解釈している。
菓子を大事そうに抱きしめながら、不安げに視線を揺らしている小動物を見て、ガウェインは再度苦笑した。隙あらば消えようとするし、隙がなくても消えようとするので油断はできないが、その様は微笑ましいと言えるものだ。
西方守護地において念願だったはずの魔女だが、どうにも庇護欲が先立つ。菓子は買い与えたくなるし、他の軍人にもみちゃくちゃにされていれば救出したくなるし、からかわれていれば助け船を出したくなる。
「ほら、冷める前にとっとと食べてしまえ」
「は、はい!」
頭をぐしゃぐしゃと掻き混ぜてやれば、無意識なのだろうが、嬉しそうに微笑む。
そして、慌てて座れる場所を探すのだ。
ミルは、どう考えても魔女と縁遠かった西方に配属されていいような身分ではないと、ガウェインは思っている。
身分証明書などは全て本物だったので、偽造は疑っていない。しかし、恐らくは良家の子息であろうと、予測を立てている。何せ、屋台の菓子を買い与えても、座らなければ食べられず、しかも齧り付くのではなく千切って食べるのだ。どう考えても、育ちがいい。
「隊長、向こうに座れそうな場所があります。あちらでよろしいですか?」
呪いが解ければ、この小動物は西方を去るのだろう。西方守護伯として、それを前提に動かなければならない。
本当は、西方の為には魔女がこの地にいたほうがいい。しかし、ミル個人の為には、呪いが解け、自信を持った一人前の魔女として中央へ帰ったほうがいいに決まっている。
「隊長?」
「何でもない。ミル、俺にも一口くれ」
「隊長が買ってくださったのですから、その場合、一口は僕なのではないかと思うのですが」
「それだと買った意味がないだろ」
声を上げて笑うガウェインは知らない。
目の前にいる少年魔女にかけられた呪いを、そして素性を。
ミルの本名は、ミルレオ・リーテ・ウイザリテ。
偉大なる母、レオリカ・リーテ・ウイザリテ王により、少年になる呪いをかけられた姫魔女。
ウイザリテの、第一王女である。
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角川ビーンズ文庫
『西方守護伯付き魔女の初陣』
守野伊音 イラスト/椎名咲月
2020年5月1日発売!
【あらすじ】
WEB掲載作品を大幅加筆修正! 落ちこぼれ魔女は恋を知って最強に!?
魔法がうまく使えず引きこもっていた王女ミルレオは、母に呪いをかけられ男の姿に!
しかも西方守護軍で少年魔女(!?)として働け、自力で呪いが解けなきゃ即結婚って……お母様、いくらなんでもあんまりです!?
※くわしくはコチラから!
https://beans.kadokawa.co.jp/product/322003000265.html