第三章 可愛い教え子 その2

 翌日から、カムイは精力的に働いた。

 校内の備品や、警備システムの詳細を把握し、整備、点検をする。

 長期にわたって教員を欠いた校舎だったせいか、あちこちに設備に不具合が生じていたので、それを修理する。

 電子機器の扱いに詳しくは無かったが、一度見たマニュアルを一瞬で覚えられる体質が役に立った。

 そして、割れた窓ガラスや、蛍光灯の交換。

 生徒がサボっている所為で行き届いていなかった教室の掃除など、探してみればやる事は山積みだった。

 その間、授業をサボっている生徒を注意したり、些細な事で異能を使った喧嘩をしている学生をしこたまブチのめしたりもしたが、カムイにとってソレはどうでも良かった。

 今になって、白銀校長の「仕事は言われる前にやれ」「何をすればいいのか解らないなら自分で考えろ」という言葉の意味が解る。

 仕事はいくらでもあったのだ。

 学校は、生徒を囚人として捕らえる牢獄ではない。

 生徒を民衆として保護する城なのだ。

 そしてその城は、教師が管理し、守らなければならない。


 初日の大暴れが衝撃的だったのか、さすがにもう、カムイに喧嘩を売る男子生徒の姿は無い。

 ただ、校内を徘徊し、当たり前のように連日行われていた学生同士の喧嘩を強制的に止め、カツアゲやイジメを目撃した瞬間に鉄拳制裁するカムイを、学校の生徒達は戦々恐々としながら見つめていた。

 その為、今の所カムイに平然と話しかけるのは、雪姫しかいなかった。

「先生……張り切ってますね」

「まあな」

「やる気になったのは結構ですけど、今日は私と一緒に来てください」

「ん? 何か勉強で解らない所でも?」

 教師らしい事が出来ると思ったのか、モップを持ちながらカムイは顔を綻ばせる。

 だってこの学校に来てから一回も勉強を教えてない。全然、教育してない。

 他の生徒に向かって平気で異能を使って暴力を振るう生徒を殴ってるだけだった。

 もう、誰でもいいから教育したかったのだ。

「違います。忠告をしに来たんですよ私は」

「忠告?」

「まさか初日からやらかすとは思わなかったから後回しにしてたんですけどね。この学校には絶対に手を出しちゃいけない生徒がいるんです。その生徒を教えてあげます」

 やらかした、という雪姫の単語に、カムイは眼をそらした。

「いや、忠告はありがたいけど……それに関してはもう手遅れというか……」

「今さら何言ってるんですか。ここじゃ異能学生の暴力事件なんか日常茶飯事です。先生がこの間やった事も正当防衛で済みます。明らかに相手の人数多すぎだし」

 雪姫はカムイの鼻先に人差し指を向ける。

「私が心配してるのは生徒の事じゃなくて先生の事です。いいですか? この学校には先生より強い男子生徒がいます。その男子生徒には絶対に手を出さないでください」

「……」

 この学校に、自分より強い男子生徒がいると聞いて、カムイは無言になった。

「まあ、先生が驚くのも解りますよ。でも、どんな世代にも天才はいるんです」

「別に驚いてはいないよ。ていうか、俺より強い生徒なんかいくらでもいるだろ」

 瞬間、雪姫は廊下でズッコケた。

「先輩……いや先生って未だに自分を過小評価してるんですか? 先生って強さだけならマジで異能者の中で十指に入りますよ?」

「無理無理。絶対無いから。お前は世界の広さが解ってないなあ。俺より強い異能者なんかいくらでもいるよ」

「いませんよ!」

 とうとう雪姫はキレ気味になりながら吐き捨てると、カムイの手を引いて廊下を歩きだす。

「いいからついてきてください。その男子生徒を教えますから」


 雪姫に引っ張られた先は、学校の敷地内にある花壇だった。

 校舎と運動場の間にあるその花壇は、校舎全体を包み込む程に広く、色とりどりの花を咲かせていた。

 カムイには、花や野菜を育てる家庭菜園等に微塵も興味や関心が無かったから、一目見ただけでは気付かなかった。

 その広大な花壇は、非常に手入れが行き届いている。

 教員が自分以外にいない以上、生徒の誰かが手入れをしているという事だが、見るからに素人の域を超えているように感じた。

「ほら、先生。あそこで花に水を上げている男子です」

「……」

 その男子は、比較的小柄だった。

 『瞬間記憶』という異能の副産物によって、観察眼が養われているカムイの見立てでは、身長は一六五センチ前後。体重は五〇キロ前後だろう。

 黒髪を長く伸ばし、前髪で眼を隠している。

 体格に恵まれているわけでもなさそうだし、表情や態度も穏やかに見える。

 しかし、異能者の実力と見た目は全く一致しないので、こういうヒョロヒョロした学生が、実はものすごく強いというのはありがちな話だった。

「あの男子です。名前はゆめ日向ひなた。この学園で、間違い無く最強の異能者です」

「異能のランクは?」

「Aです」

 学園島に所属している学生は、異能の評価をランク付けされている。

『超人化』と『具現化』の二種類に大別されている異能を使用した際の効力を、破壊力、耐久力、機動力、持続力、射程距離、身体能力の六項目に分け、評価される。

 異能学生は評価が高ければ高い程、住む事になる寮や、支給される生活費などで優遇されるようになる。

 最低ランクのEは人間と大差ないという評価であり、Cで普通。Bは優秀とされているが、最高ランクのAともなれば、一学年に一人いるかどうかというくらい希少だ。

「……お前でも勝てないか?」

「無理ですよ。足元にも及びません」

「……」

 それはかなり衝撃的な話だった。

 氷室雪姫は、カムイが知る限り、最強クラスの異能者の一人だ。

 小学生の段階で異能に対する評価が、最高ランクであるAに到達していた。

 それだけ雪姫は強い。

 その雪姫が、足元にも及ばないとは。

「アイツは今、何をしているんだ?」

「見れば解るでしょ。花壇の世話をしてるんです。彼、園芸部ですから」

 園芸部で、花の世話をしている男子。

 ますます強そうに見えない。

「……」

 カムイは腕を組み、眉間に皺を寄せて男子生徒を観察する。

 人を見る眼には自信がある。

 見ただけで、相手の身長と体重、骨格や筋肉量を把握し、『超人化』や『具現化』の類を眼の前で使用された時は、相手の持つ異能も推測できる。

 にも拘らず、カムイの眼で見ても強そうに見えないのだ。

 疑問に思っていると、校舎の陰で死角になっていた場所から、セーラー服姿の女子が現れる。

「……!」

 その女子は、金髪碧眼で、小柄だが全身から剣気を発している。

 見れば解る。かなり強力な力を持った存在だ。

「……?」

 いや、強力すぎる。

 異能者として、間違い無くトップレベル。

 ランク付けするなら、Aに相当するレベルの威圧感を覚える。

 あの金髪碧眼の女子こそ、警戒すべきではないのか?

 カムイの疑念に気付いたのか、隣にいた雪姫が口を開く。

「あの金髪の可愛い子は、西洋剣の形をした武器を『具現化』して戦います。その剣戟の速度は軽く音速を超えます。そのあまりの強さから、『閃光の剣姫』の異名がある、という設定です」

「そうか……え? 設定?」

 妙な言い方をする雪姫を怪訝に思っていると、今度は黒髪の女子が現れた。

「あの黒い髪の女の子は日向君の義理の妹で、幼い頃から日向君に想いを寄せています。小柄ですが、恐ろしい魔力を持ち、あらゆる魔術を使いこなす、という設定です」

「は? 設定って何だよ。ていうかちょっと待て。魔力とか魔術って何だ? 異能者の異能は『超人化』と『具現化』の二種類だろ? 変な言い方するなよ」

「あ、先生、今現れた緑色の髪をした女子はエルフです。弓の達人で、数キロ離れた相手を狙撃出来る腕前、という設定です」

「いや、設定って何だよ……ってエルフ!?」

 雪姫から、新たに現れた緑髪の少女の方に視線を移してみると、本当にエルフだった。

 人間としては有り得ないくらいに、耳が長くてとがっている。

「ちょっと待って! ちょっと待ってくれ! この世界って俺が知らない間に異世界と繋がってたの!? 中世ファンタジー世界の住人が行き来するようになってたの!?」

 まあ、異能者という荒唐無稽な存在が生まれているわけだから、有り得なくもないのか、とカムイは無理矢理自分を納得させようとしたのだが、

「あ、あの金髪で赤い目をした女の子は吸血鬼です。人間と吸血鬼のハーフだから吸血衝動が無くて、日光も平気な体質になっている、という設定です」

「吸……血……鬼」

 カムイはもう、失神しかねない程に愕然としていた。

 まさか、我が校にエルフや吸血鬼が在籍しているとは思わなかったのだ。

 異能者の学生を指導する覚悟はあったが、本当に人外の存在を教え子に持つ事になるとは思わなかった。

「彼女達に共通している設定は、日向君に想いを寄せているという事です。全員が日向君に恋をして、彼に対して愛情を持ち、彼を全身全霊で守り抜こうとしています」

「なるほどなあ……強い女の異能者にモテモテなハーレム体質って事か。まさか、全員で園芸部に所属してるのか?」

「そういう設定もありますね」

「だから設定って何だよ。変な言い方するなあ……」

 カムイは溜息を吐きながら、夢野日向という男子を見つめる。

「ふうん。まるでラブコメマンガとかラノベに出てくる主人公みたいなヤツだな。自分以外全員が女子部員の部活動やってるのか。羨ましいヤツだ……」

「は? 本気ですか先生。現実逃避は止めてくださいよ。そういう設定ってだけなんですよ?」

「……何度も言うが設定って何だ? お前も解りにくい言い方するよなあ」

「……先生。『竜眼』で見てください。あの女子達を」

「だあああ! 『竜眼』とか言うな! 『瞬間記憶』だよ!」

 カムイは雪姫に怒鳴りながら、言われた通り異能を発動する。

 その時、カムイの両眼が赤く発光し、まるで蛇の眼のように瞳孔が縦長になる。

『竜眼』と呼んで差し支えの無い眼だった。

 しかし、学生時代ならいざ知らず、成人してから自分の異能名を『竜眼』と呼ばれるのは、カムイにとっては気恥かしい。

 カムイの眼は、赤く発光している間は見た物を全て『瞬間記憶』する。

 視力、動体視力も際限無く上昇し、あらゆる動きがスローに見える。

 それ故に、あらゆる知識や技能を見ただけで覚えられる。

 見ただけで理解出来るが故に、覚えられるのだ。

 その眼で日向の周囲にいる女子を見た時、

「……!?」

 一瞬で理解出来た。

 彼女達の身体的特徴を、全て完璧に掌握できた。

 全員が強い。

 全員が、まさしく人外の怪物だった。

 しかし、それはどうでもいい。

 文字通り、彼女達は、全員人間では無かった。

 いや、異能者でもないし、生物ですらない。

「あ、あれは……まさか……!」

「あの女の子は、みんな日向君が『具現化』した存在です」

「……!?」

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