一章 千年後 その7

◇ ◇ ◇


「それで、結局どうしたって?」

 クロはまた呑気にコーヒーを飲みながら俺に話の続きを促す。

 昨日のグリフォンの件を、俺は掻い摘んで話す。

「――で、俺が魔術でグリフォンを殺して、一件落着だよ」

「ふうん……。それにしても、ギルをダシに私をおびき出そうなんて、人間にしてはゲスいこと考える奴だな。場合によっては肉片すら残さず粉々に処分するところだった」

 笑ってはいるが、クロの眼の奥の光がすーっと消える。ガチのやつだこれ。

 本当よかったよ、未遂で終わってくれて。サイラスが死んでるところだった。

「まあその点は同感……。仮にも今俺は子供だし、それを自分の部下に襲わせて吸血鬼をおびき寄せる餌にするとか、非人道的だよ、戦時中じゃあるまいし」

「くっくっく、その点に関して言えば生ぬるいくらいだがな。私だったらまず囮なんて言わず真っ先に殺して街の中に貼り付けにするがね。そうすりゃ嫌でも出てくるだろうさ」

 クロは冗談なのか本気なのか分からないトーンで語る。

 おいおい……頼むから証拠が揃って確実な時だけにしてくれよ……。

 でも俺には分かっている。クロはそんなことはしない。というより、する必要がない。

 クロの前に並べば、どの命も平等に脆い。小細工なんてする必要がないんだから。

 ただサイラスのあの徹底ぶり……。性格からしてもそこまで人道的にどうかと思う作戦を軽々しくやるようには思えない。余程吸血鬼に恨みでもあるのか……。

「まあ、結局サイラスとかいう魔術師は空振りだったわけだ。君の背後にいると思われていた魔術師はそもそも君自身の実力だったということが露見したし、もう君の周りを嗅ぎまわる必要もないだろう」

「だといいんだけどな……。今度は俺を徹底的に調べつくすとか言い出しそうだ。そもそもお前自身が吸血鬼と繋がっている! とか言い出しかねないからなあ」

「ふふふ、現に事実だからな。ま、そうなったらそうなったさ。ここは惜しいが、捨てて別のところに行けばいいだけだ。……と普段の私なら言うところだが――」

 クロは微妙な表情で溜息をつく。珍しい光景だ。

「……なんかあったのか?」

「いやあ、昨日久しぶりの集会があってね」

「吸血鬼の?」

 クロは頷く。

「まあ不定期に行われている情報交換の場みたいなもんなんだけどね、昨日の話し合いでしばらくの間は流血沙汰が禁止になったのさ」

「流血沙汰の禁止……? 吸血鬼全体が? いや待てよ、吸血鬼って上下関係なんてものはないんじゃなかったのか? 誰がそんなことを強制できるんだよ」

「ただの民主主義だよ。吸血鬼界隈もここ千年で様変わりしたからね。もう好き勝手暴れてただでさえ少ない同胞を、粛清何かで減らしたくないのさ」

 クロはやれやれと肩を竦める。

「今までは個々人の采配で好き勝手に活動してきたが、そろそろコミュニティを形成するべきだと声が上がってね……。吸血鬼も一枚岩じゃないって訳さ。数がいればそれだけ諍いも起きるもんさ」

「ふうん……じゃあしばらくは積極的に活動出来ないのか」

「本当に少しの間だけだけどね。それに、自主防衛はその限りじゃない。やりようはいくらでもある」

「クロみたいなのが二人以上いればそりゃ意見もぶつかるだろうな……」

 コンコン――――。

「!」

 不意に、扉が叩かれる。

 この感じ……サイラスか?

「さっそくお出ましのようだね。さて、何がお望みだろうね」

「昨日の今日だ……頼むから余計なことはするなよ」

 俺はゆっくりとドアに近づき、そっと開ける。

 玄関には、営業スマイルをしたサイラスが立っていた。

「やあ。……お邪魔していいかな?」

「どうせ断っても入ってくる気でしょ……どうぞ」

「ははは、失礼するよ」

 サイラスは悪びれる様子もなくゆっくりと部屋へと入ってくる。

 どうやら今日はユフィは一緒じゃないらしい。

「えっとあなたはたしか……」

「クローディアだ。ギルの――まあ親代わりみたいなものさ」

「そうでしたか。昨日はすいません、息子さんを危ない目に併せてしまって」

「いやいや、あれくらいこの子には日常茶飯事さ、気にしないでくれ」

「そう言っていただけると助かります」

 サイラスは申し訳なさそうに頭を下げる。

「それで、今日は何かようなのか? 謝りにきたわけじゃないんだろ」

「おっとそうだった。―――これを君に」

 サイラスは何かを取り出そうとローブの内側に手を入れる。

 その動作に、クロは瞬時に反応し、臨戦態勢に入る。

 ――変異の発現……ッ!!

 眼光が鋭くなり、手も効率的に人を殺せるよう鋭利な形へと変貌する。

 おいおいおい、よせって!! 流血沙汰はやめろ!

 さっそく掟破りかよ!

 俺は慌ててクロに目配せする。

 問題ないから! ちょっと落ち着け!

「今日来たのは――――あった、これだこれ」

 ローブから抜き出した手には、一枚の丸められた紙が握られていた。

「……これは?」

「君にはぜひ来てもらいたいと思ってね。まあ、まだ歳ではないだろうから、何年か後の話にはなるが……」

 紙は、ロンドール魔術学校のパンフレットだった。

 ロンドール……聞いたことのない名だ。

 あ、いや待て。確かここより北の方にそんな名前の小さな交易都市があったような……。

「これは……?」

「ロンドール魔術学校って言ってね、王国でも屈指の魔術学校だ。君なら、入試試験も難なく合格できると思ってね。何より――」

 サイラスの眼が光る。

「君は絶対に受けるべきだ。そして魔術学校卒業というキャリアを積み、世界に貢献する魔術師となる。それが出来る才能が君にはある!!」

「は……はあ!? 俺が学校!? 冗談! なんで今更そんな――」

「今更? 以前にも通っていたことが?」

 やばっ――

「いや、えーっと、ほら。もう十歳にもなるし、そこそこ魔術も使えるじゃん? 行っても意味ないかなって……」

「そんなことはないさ。ロンドールなら名家からも沢山の魔術師見習いがやってくる。そういった同世代の子たちと共に学ぶのは今後の大きな糧になるよ。それに、魔術師というのは横のつながりも重要だからね。コネを作っておいても損はない」

 むむ……確かに損はないけど……。

「先日の君の魔術……本当に見事だった。僕はあれほどスムーズな魔術の発動を見たことがない。僕でもあれほどの練度の魔術を放てるかどうか……」

「いや、大げさだから……」

「ははは、そうかもね。だが、間違いなく同世代なら敵はいない。それだけ見事だったんだよ。君は他人と比較してこなかっただろうから分からないだろうけどね。……この家に眠る魔術書と独学でそこまでいけるなんて、君はまさに天才だよ。もし、しっかりとした設備の整った学校で学んだとしたら、一体どんな魔術師が生まれるのか……僕はそれがとても気になるんだ」

「まあ確かに魔術は好きだけど…………でもうち学費なんて払えないぜ?」

 サイラスはクロの方を見る。

 クロは肩を竦める。

「確かにないねえ。学費ともなればそれなりにかかるんだろ? 確かにうちのギルは天才も超天才。私はギルが何をやっているのかさっぱりわからないけど、無知なりにギルがとんでもないことをしているというのは肌でわかるよ」

 こいつ、何てきとうなこと抜かしてんだ。話がややこしくなる!

「もちろん、そういう事情があるであろうことは想定していたさ。だけど安心して欲しい」

「?」

「――――学費は私が出す」

「はぁ!? いやいや、なんで見ず知らずのあんたが……」

「ここで会ったのも何かの縁だからね。何よりこんな才能を埋もれさせるのは心苦しい」

「いやいや、あんたそんな玉かよ。怪しすぎるんだけど……」

 サイラスに俺を思いやる気持ちなんてあるんだろうか。

 明らかに胡散臭いにおいがプンプンするけど……。

「それだけじゃないさ、君みたいな有望な子が私の門下として良い成績を出してくれれば私の評価も上がるしね」

「優秀な魔術師を発掘したという実績があんたの評価を上げるって訳か。……まあ、あんたにとっては多少はメリットのある話しかもしれないけど、だからってなあ」

 これも理解しがたい。

 数日しか一緒に居なかったが、こいつがそんな回りくどいことをしてまで評価を求めようとするタイプには見えなかった。

「魔術は反応の学問だ。人と人も同じだろう? 優秀な存在が一人集団に居れば、その集団のレベルを底上げしてくれる。成長の一番の栄養は競争心だからね」

「言いたいことはわかるけど……」

 自分の成績が上がるだの、周囲のレベルが上がるだの言っているが、俺にはどちらも本心ではないように感じられる。もちろん、ゼロではないのだろうが。

 いや、もしかすると、サイラスは純粋に魔術の未来について考えているのかもしれない。

 魔術界に身を置く義務感と言うべきか……そうだとしたら相当変わったやつだ。

 それとも……同じような境遇に自分を重ねているのか?

 努力だけでここまで上り詰めたサイラスと、独学で学んできた俺。

 そこに、何とも言えない縁を感じたというのだろうか。

「……お金、本当に大丈夫なのか?」

「私の仕事は身体を張ることが多くてね。報酬はかなりいいんだ。君一人の学費を肩代わりするくらいわけないのさ。――もちろん、後で返してもらうけどね。出世払いさ」

「――はあ。あんたの情熱はわかったよ。とりあえず……考えておく」

「そうしてくれるとありがたい。君は今十歳だったかな? 入学は十五歳からだから、後五年ある。のんびり考えてみてくれ。絶対に悪い話ではないさ」

「考えるだけだからな! 行くとは決めてないぞ」

「ははは、それで十分さ」

 俺は受け取ったパンフレットをクロに渡す。

 クロは俺が思っているより乗り気のようで、パンフレットをまじまじと眺めている。

「――ところで、その吸血鬼とかいうのは見つかったのか?」

 これを聞いておかないと、安心して考えることもできない。

「……いや、残念ながら無駄足だったようだ。各地の被害状況を見ながら東の方からこの村へ流れてきたんだが、そのルートはグリフォンとも一致する。吸血鬼被害は基本的に骨も残らないことが多いからね……恐らくほとんどがグリフォンによるものだったんだろう。私の釣りにも引っ掛からなかったし、当てが外れたよ」

「釣り? 俺を襲おうとしたやつか?」

「いや、もう一つあってね。三か月程前に吸血鬼のいざこざに巻き込まれた魔術師が居てね。その時現場に残っていた吸血鬼の血痕を衣類に染み込ませていたんだ。もう乾いて匂いなんてないが、吸血鬼たちは敏感だからね。乾いていようと同胞の血の匂いなら釣られると思ったんだが……そう単純でもないらしい。まだまだ吸血鬼については研究が必要みたいだし、一度王都に戻って出直しだよ」

 なるほど……。

 実際にグリフォンの被害だけだったかは不明なところだが、サイラスとしてもこれ以上は無駄だと踏んだんだろう。

「じゃあもう戻るんだな、王都に」

「ああ。もうすぐ立つよ。ユフィちゃんにはお別れを先に済ませてあるからね。外で部下たちが待ってる」

「あの二人か」

「ああ。彼女たちは許してやってくれ、私の命令だからね。きっと魔術学校に来れば会うこともあるだろう」

「ま、考えておくよ」

「じゃあね、ギル君。時々使いのカラスを送るよ、入学する気になったら知らせてくれ」

 そういってサイラスは外へと出る。

 外には馬車が止まっており、言っていた通り二人の部下が待っていた。

 サイラスは馬車に乗り込むと、窓から手を振り、俺たちの森を去っていった。

 とりあえず、一段落というところか。吸血鬼狩りの件も片付いたし、一件落着だ。

 部屋に戻ると、クロはまださっきのパンフレットを眺めていた。

「おいおい、そんな学校興味があるのか? 自分が行ってきたらいいじゃないか。確か吸血鬼って姿変えられるだろ、若返ったり、老けたり」

「いやいや、私自身は露ほども興味がない。――ギルこそ行ってきたらいいじゃないか」

「はあ? 今更学校行ってどうするんだよ、学ぶことなんてねえよ」

 クロは俺の横に来ると、そっと肩を組む。

「な、なんだよ」

「なあギル。君は前の時代も、殆ど戦争に明け暮れて、まともな少年時代青年時代を送ってこなかったろう?」

「余計なお世話だ」

「まあ聞け。いいじゃないか、平和になった世の中だぞ? お前も普通の子供たちみたいに青春を謳歌してきたらいいじゃないか。何も学校で学ぶことは魔術だけじゃないだろ?」

「何を知った風なことを……」

 仮に学校に行ったところで、どうだというのだ。

 それに……死んでいった仲間たちは許してくれるだろうか。

 俺だけが、幸せな生を受け入れることを。

「ま、私は何も知らないが、知識くらいはある。失った十代を、今取り返しても誰も文句は言うまいさ。死んでいった仲間だってそれを望んでいるんじゃないか?」

「……吸血鬼のくせにわかるのかよそんな人間の心理なんか」

「勘だ。少なくとも私は、君に対してはそう思っているよ」

「……」

 クロなりに、俺のことを心配してくれているのか。

 学校……学校か。確かに前はいかなかったな。そんなこと考えている時間すらなかった。

 でも今なら……。

「――はあ、わかったよ。行ってみるか、学校」

「そうこなくっちゃ! ――ま、まずは試験の合格が先決だがね」

「俺なら楽勝でしょ」

「くっくっく、どうだか。その名の通り、英雄ギルフォードの生まれ変わりだ! とかなったら大変だな」

「それは厄介すぎるな……過剰に持ち上げられても困る。多少は力を隠しておいた方が良さそうだな……」

 こうして、俺は魔術学校への入学を決めることにした。

 もちろん、試験に受かってからの話だが。

 後五年……。少しの気だるさと、少しのワクワクが、俺の心を二分していた。


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試し読みは以上です。


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※本ページ内の文章は制作中のものです。実際の商品と一部異なる場合があります。

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