……何度見直しても、俺の筆記試験の点数は〇のままであった。
にもかかわらず、俺は主席合格の扱いになっている。
これはどういうことだ? ていうか、〇点の隣に(一〇〇億満点)とかいう、子供じみた数字が並んでいるのだが、これもどういうことなんだ?
わけもわからず、イリーナ共々首を傾げていると、聞き覚えのある声が耳に届いた。
「やぁやぁキミ達。合格おめでとう!」
悲喜こもごもな受験生の集団の中に、プラチナブロンドの美髪が特徴的な少女、ジェシカが立っていた。彼女はニコニコと笑いながら、こちらに手招きをして、
「ついてきなよ。学園長が今回の結果について説明してくれるようだから、さ」
ジェシカに付き従いながら移動し、学園長室に入った、その瞬間。
「アード君! 君は天才だ! いや、天才どころの騒ぎではないっ! もはや怪物、いや、それすらまだ温いっ! 神! そう、君は神だっ!」
入室した矢先、ゴルド伯爵が称賛の言葉を飛ばした。
「……申し訳ありません、学園長。おっしゃることの意図が摑めかねます」
「あ、あぁ。うむ。すまんな、年甲斐なく興奮してしもうて」
恥ずかしそうに頭を搔きながら、ゴルドは言った。
「アード君。君の筆記試験の点数について、じゃが」
「えぇ。〇点、ですよね? 率直に申し上げますと、予想外の結果なのですが」
「ふむ……ちょっと聞いておきたいのじゃが、何を思ってあのような解答を?」
「問題があまりにも簡単すぎましたので、引っかけ問題か何かかと」
「簡単すぎる、か。一応、我が校の筆記は世界的にも最難関と言われているんじゃがのう」
苦笑するゴルドに、俺は首を傾げた。最難関? あんな三歳児でも解けそうなものが?
「まぁ、ともあれ。君の解答は全て間違っておった。全て……本来の解答よりも、遥か先にある答えじゃった」
ゴルドの瞳が、再び輝き出す。
「いったい何をどうすればあのような発想が出てくるのかね!? 特殊魔法陣構築時における魔力増幅回路の改良案など、誰も思いつかんようなアイディアじゃぞ! 魔法術式改変のアイディアに至ってはまさに神の領域じゃっ! その他もろもろ、ワシがあと数百年生きたとしても、とんと出てこんような内容ばかりじゃった!」
そして、ゴルドは興奮したまま結論づけた。
「君の解答はテストとして見れば〇点じゃが、魔法学の論文として見れば満点どころではない! これを学会に発表すれば世界に激震が走る! そんな歴史的な内容ばかりじゃ! ゆえにアード君、君はぶっちぎりの主席合格とするっ! というかもう、教鞭をとってくれっ! 生徒だけでなく教師陣も導いてくれっ!」
俺の両手を握り、涙目になりながら懇願してくる。……なぜ、こんなことを言われるんだ? 俺は極めて平凡な、普通の村人のはず、なのだが。……しかし、まぁ。
「ふっふ~ん! そうよ! アードは凄いのっ! だってあたしのお友達で、先生なんだからっ! この世界にアードより凄い人なんかどこにもいないわっ!」
嬉しそうに微笑むイリーナ。この表情の前に、些細な疑念は吹っ飛んでしまう。
イリーナちゃん、マジ可愛い。
合格が決まってからすぐ、学生寮への移転が完了。その翌日、俺達は入学式に参加した。
俺は主席合格者だが、入学式にて挨拶などはしなくてよいとのこと。
これはありがたいことだった。出る杭は打たれるもの。目立っていいことなど何もない。
下手をすると、前世みたくイジメられかねんしな。
しかし、イリーナにはそれが気に入らなかったらしい。
「なんでアードが壇上に立たないのよ……! カッコいい晴れ姿が見たかったのに……!」
さっきから俺の隣でぶつくさと呟いている。
ともあれ、入学式に集中した。美人な生徒会長の挨拶だとか、四大公爵家の長達による答辞だとか……正直言って、つまらなかった。イリーナなど船を漕ぎ始めている。
そして入学式の最後。学園長・ゴルド伯爵のスピーチが始まった。
「さて、新入生諸君。君達は極めて厳しい試験を突破した、まさしく選ばれし者であるが……しかし、我々からしてみればひよっこも同然である。増長せず、常に精進せよ」
うむ。ゴルドの言うとおり、俺達はひよっこもいいところだ。ゆえに、ここはゴールではなく通過点。ちゃんと気を引き締めて、謙虚な気持ちで学ば──
「しかしながら。今年の新入生には、ひよっこに獅子が一頭、神が一柱混ざっておる。彼等については例外である。まったく、諸君等は極めて運がいい。歴史を変えるであろう天才達を、間近で見続けることができるのだから」
……は? ちょっと待て。どうした学園長? なぜこちらを見る?
「ふふんっ! 学園長も粋なことをしてくれるじゃないのっ!」
いや、イリーナちゃん? なぜテンションを上げて──
「行くわよ、アードっ! あたし達の舞台へっ!」
「はぁっ!?」引っ張られる。イリーナに引っ張られ、俺は無理やり壇上に立たされた。
ゴルドはそんな俺の肩に手を置いて、
「この少年の名は、アード・メテオール! そしてこの少女の名は、イリーナ・リッツ・ド・オールハイド! これだけでも理解できるだろう!? 諸君!」
ゴルドの問いかけに、場がざわついた。
「メテオール?」「オールハイド?」「おい、まさか……」「う、噓だろ?」
「そうっ! この二人は何を隠そう、かの大英雄達のご子息であるっ!」
解答を与えるように叫ぶゴルド。その瞬間、
「マ、マジかよっ!?」
「あの大魔導士様の子供っ!?」
「ま、まさか、大英雄のご一族と共に学べる日が来るだなんて……!」
我が両親は随分と尊敬されているらしい。歓喜に震える者、涙を流す者、果てには感動しすぎたのか失神した者までいる。……だが、それは平民に限っての話。
貴族の子供達は、多くがマイナスの反応を見せた。
「大魔導士といえども、所詮は平民だろうが」
「下賤な血を引く者の分際で、我々を見下ろすとは……!」
これは、非常に不味い。
今の俺は単なる村人であるからして、前世みたくいじめを受けたならどうにもできない。
退学後のお礼参りだって、できはしないのだ。
そして今。あまりにも悪目立ちしまくっている俺は、一部の生徒達に着々と敵視されていることだろう。このままでは転生した意味がなくなってしまう。
危機感を覚えた俺は、ゴルドに対し声をかけたのだが。
「あ、あの、伯爵様。も、もうおやめに──」
「彼は諸君等と違い、本物の天才である! アード君に比べれば諸君等なんかアレだ! 鼻糞みたいなものだ! 皆、彼を目標にして日々精進するといい!」
こんなことを言いくさったもんだから。
「レイル先輩に連絡取ろうぜ。天才狩りだ、天才狩り」
「いや、マーちゃんの方がよくね?」
「なんにせよ、あいつは潰すリストに入ったな」
終わった。俺の学園生活、入学式と同時に終わった。
ゴルドが引き起こした大争乱の中、俺は心の底から思う。
どうしてこうなった?
入学式終了後、クラス分けが発表される。俺とイリーナは同じクラスになった。
それから講師の引率を受け、教室へと足を運び、担当講師が到着するのを待つ。
……大勢の生徒達に、囲まれながら。
イリーナの周りは男子が、俺の周りは女子が固めていて、歯の浮くようなお世辞を述べてくる。これにイリーナは白銀色の髪を「ふぁさっ」と搔き上げながら、
「ふふんっ! まぁ、あたしはあたしだからねっ! 当然よっ!」
その一方で、俺はといえば。
「アード君っ! わ、わたしクレラって言うの!」
「なに抜け駆けしてんのよっ! アード君、こいつのことは無視していいからねっ!」
「結婚を前提に付き合ってくださああああああああああいっ!」
「あぁっ! 先越されたっ!」
「……は、はは」
初めての状況に、困惑している。
前世で学園に入った時はこんなふうにならなかった。教室の隅っこにいるアレとか、なんか薄い奴とか、そういうふうに呼ばれ、後ろ指を差され続けていた。
それが今はどうだ。世に氾濫する青春小説の主人公のようではないか。
……これはおそらく、肩書きが要因であろう。
前世で学園に入学した際は、なんの肩書きも持ってはいなかった。されど、今は大魔導士の息子という肩書きがある。それに人々が群がっている形だろう。
なんにせよ、嬉しいことだ。恐れ戦くわけでなく、見下すわけでなく、一人の生徒として、多くの人々が向き合ってくれている。それは本当に嬉しいことだ。……とはいえ。
「チッ。調子こいてんじゃねぇぞ、平民が」
「死ねばいいのに。マジでウゼぇわ」
少し離れた場所でヒソヒソと話し込む連中を見るに、嬉しいだけの状況ではないらしい。
それもこれも学園長が元凶である。奴がさんざん挑発的なことを言いやがったものだから、特に男子からはかなり嫌われてしまった。
今後、いじめなどにどうやって対応すればいいのだろう。考えれば考えるほど胃が痛くなる。これほどの苦境は、前世にて神々の軍団に追い詰められたとき以来だ……!
これはどうしたものかと本気で悩んだ、そのときだった。
「……ぃ……だなぁ……」
「っ……」
生徒達が生み出す喧噪の中、どうにも不快な音色が聞こえてきた。
まるで、一人の男子が何者かを罵倒しているような。
音が飛んできたと思しき場所を見やる。そこには短いオレンジの髪をオールバックにした爬虫類顔の男子と……桃髪の女子がいた。
制服のデザインからして、両者共貴族の子供か。男子の方はエルフだな。随分と凶暴な顔立ちでエルフらしくないが、イリーナと同様、尖った耳を持っている。
女子の方は……特別な身体的特徴はないが、不可思議な引力を感じる。
肩まで伸びた鮮やかな桃色の髪。白磁のような白い肌。大人びた美貌。
そして、露出度の高い制服から覗く形のいい巨乳と、ムッチリした太腿。
そうした彼女の肉体を見ていると……情欲の炎が勝手に芽生えてくる。
ふむ。彼女はおそらく、サキュバスであろう。極めて希少な人種だ。
そんなサキュバスの女子に、エルフの男子が暴言をぶつけていた。
「無能女でも学園に入学できるたぁ、驚いたぜ。学園長に体でも売ったのかぁ?」
「そ、そんなこと、してません……」
ニヤニヤと笑いながら口撃する男子と、涙目になる女子。胸くその悪い光景であった。
「……皆さん。あのお二人のこと、ご存じですか?」
「えっ? う、うん。男子の方はエラルドね。かなりの有名人よ。名門公爵家、バークスの天才児、だからね。それで……もう片方はジニーね。こっちは逆に才能がないってことで有名。生まれは結構な名門伯爵家なんだけどねぇ」
「彼女の家はエラルド君の家に仕えてる身分で……昔っからあぁして虐めてるみたいよ」
「ほう。それはそれは……見逃せませんね」
眼光を鋭くする。ここで動けばまたもや悪目立ちするのだろうが、それがどうした。
どうせ俺がいじめられることは確定しているのだ。それならばもはや怖いものはない。
ゆえに奴の行為をやめさせるべく、声を放とうとしたのだが──そうするよりも前に。
「やめなさいよ、あんたっ! その子、嫌がってんじゃないのっ!」
イリーナが決然とした怒声を放った。……流石、我が友人である。
エラルドがそんなイリーナに目をやった後。俺もまた奴に近寄り、声を投げた。
「我が友人のおっしゃる通り。貴方はそちらのジニーさんに謝罪すべきですよ」
対し、エラルドは舌打ちを一発かまし、
「英雄男爵のアホ娘に、大魔導士のバカ息子か。やれやれ、随分と調子に乗ってやがるみてぇだな、親の七光りの分際で」
「七光りか否かなど、どうでもよろしい。即刻ジニーさんに謝罪してください。そして、彼女を二度と苦しめないと誓──」
「うっせぇんだよ、バァーカ」
俺の足下に唾を吐くエラルド。この態度に、生徒達が騒然となる。
「流石はエラルドだぜ、もっとやれ」
「大魔導士様のご子息にあの態度……神童に怖いものはなし、か」
彼等の声を聞き流しながら、俺は告げる。
「どうしても、こちらの願いを聞き入れてはくれない、と?」
「そうだなぁ。ま、オレと決闘して勝ったら、聞いてやらなくもねぇよ? お前等にそんな勇気があればの話だがなぁ?」
この言葉に、イリーナが真っ先に反応……しなかった。
意外なことに、彼女は悔しそうな顔をしてエラルドを睨むのみだった。
「どうされました? イリーナさん。貴女のことですから、売られた喧嘩はすぐさま買うものと思っておりましたが」
「あいつは、その……下手に手が出せないのよ……数百年に一人の天才とか、神の子とか呼ばれてて……あたし達と同い年なのに、もう《第四格》の《魔導士》で、だから……」
ふむ。イリーナでさえ恐怖に負けてしまうほどの力量なのか、こいつは。
それならば──と、思った矢先のことだった。
「おい。なんの騒ぎだ」
凜然とした女の声が響き渡り、クラス中に緊張感が走った。それを発したのは、教室の出入り口前に立つ女。種族は獣人か。頭部に猫のような耳と、臀部から長い尾が伸びる。
その漆黒の髪は腰元まで伸びており、肌は透明感ある純白。
背丈は俺と同程度。女性にしては高身長の部類だ。
ツンとすましたような美貌は見る者を否応なしに魅了するほど美しい。
身に纏う衣服は動きやすさを重視しているのか、布面積が小さく……艶めかしい、柔らかそうな太腿が大胆に露出している様が、非常に扇情的であった。
……いや、待て。ちょっと待て。な、なぜ、奴がここにいる?
他人のそら似でなければ、あの女は──
「オ、オリヴィア様っ!?」
「えっ!? あ、あの伝説の使徒様……!?」
「学園の特別講師をやってらっしゃるとは聞いていたが……ま、まさか、入学初日にご尊顔を拝見できるとは……!」
そ、そう。かつての我が右腕にして、武官の頂点たる四天王が一人。
オリヴィア・ヴェル・ヴァイン、その人である……!
ちょ、ちょちょちょ、ちょっと待ってくれ。なぜ、あいつがこんなところにいるのだ?
四天王という経歴からして、てっきりどこぞの国の重鎮にでもなっているかと──
「チッ。担当クラスで初日そうそうに揉め事か。まったく、面倒なことだ」
なん、だと……!? ま、不味い。こ、ここ、これは不味い。
奴は俺の転生に腹を立てているだろう。無責任に王としての職務を放棄した俺を、決して許さんだろう。そんなオリヴィアが俺の正体を知ったなら……そ、想像もしたくない。
だというのに、これから担任になる? 冗談はよしてくれ。そんなことになったら、正体バレのリスクが高まってしまうじゃないか。……いや、そもそも。
「……この騒ぎは、貴様の仕業か。大魔導士の息子」
もう既に、悪目立ちした結果、目を付けられている。
し、しかし、まだ大丈夫だ。当然ながら、奴は俺の正体にまだ気付いてはいない。
ここはしっかりと、アード・メテオールを演じなければ。
「オ、オリヴィア様。本日もご機嫌麗しゅう……」
「本日も? 貴様とは初対面のはずだが?」
し、しまった! ど、動揺しすぎて、つい旧知の仲らしく喋ってしまった!
「……フン。まぁいい。それで、何があったのだ。説明しろ」
黒い猫耳をピクピクさせるオリヴィアに、おっかなびっくり事情を説明した。すると、
「決闘を許可する。さっさと戦れ。一限の授業が始まる前に済ませろ」
「い、いや、まだ私はやると決めたわけでは──」
「やかましい。黙って戦れ。わたしに貴様の力量を見せてみろ」
黒い尻尾を揺らしながら言葉を紡ぐオリヴィア。途端、生徒達が再び騒然となる。
「お、おい、今のって……!」
「オ、オリヴィア様が品定めを……!」
「凄い! さすが大魔導士様のご子息! あのオリヴィア様に興味を持たれるなんて!」
皆が羨望の眼差しで見てくるのだが……
君等、知らんだろ。あれな、人を疑う時の目なんだよ。奴めは誰かを疑うとき、いつもあんなふうにジトっとした目で睨んできて、猫耳と尻尾をピクピクさせるのだ。
……決闘で下手こいたら、俺=《魔王》ということがバレかねない。
神の子と決闘することよりも、そのことのほうが、俺にとっては問題だった。