一週間後。俺とイリーナは親への別れの挨拶を済ませ、馬車へと乗り込んだ。
そして数日の旅路を経て、俺達は王都・ディサイアスに到着した。
王都の様相は、やはり古代世界とは大きく異なっている。
まず、壁や門が存在しない。前世の時代では都市=城郭都市という認識であったのだが、この時代は違うらしい。まぁ、この国が特殊なだけかもしれんが。
巨大な都市が平野の只中にドンと配置されていて、それを守るための門や壁がない、という有様は、俺にとって非常に新鮮なものであった。そんな王都ディサイアスの入り口にある馬車降り場で、籠から降りて御者に礼を述べた後、俺達は王都の景観を眺めた。
「ほう……これはこれは、見事なものですね」
まるで異世界に来たような気分だった。王都の景観は、村のそれとはまるで別物だ。
俺もよく知る石造りやレンガ造りの建造物もチラホラ見られるが、しかし、そのほとんどがどういった素材で、どのような建築技術で成り立っているものなのか見当が付かない。あの雲を貫かんとする巨大な建物など、古代世界では想像もつかぬものだ。
こういうのが、転生の醍醐味というやつなのだろうな。
さりとて、いつまでもこの光景に見とれているわけにもいかない。
これから件の魔法学園の長に挨拶をしにいく予定である。まさかそれをすっぽかすわけにもいかないので、俺達は隣並んで歩き出した。
活気溢れる大通りを行く。左右には道を挟み込むように多種多様な建造物が並び、石畳で舗装された道を、人々が陽光を浴びながら踏みしめる。
学園までの道のりは、平穏そのものであった。
……野郎共の下卑た視線が、イリーナちゃんに刺さり続けていることを除けば。
「なんだあの子、すげぇ可愛い……声かけてみようかな?」
「やめとけよ、学園の制服着てるってこたぁ、お貴族様か富豪かのどっちかだぜ」
「まさに高嶺の華ってやつだよなぁ」
野郎共がヒソヒソと話す通り、イリーナと俺は学園の制服を着用している。
まだ入学したわけではないが、内定者ということで学園側から送られてきたのだ。
男子用のそれは特筆する点がどこにもない。ただ、女子用のそれは……
露出度が、高いのである。
ゆえにイリーナちゃんの健康的な太ももや、形の良い巨乳が大胆に露出しており、彼女の最高に愛らしい外見も相まって、一〇人中一二人が視線を送りつけてくるというわけだ。
「ふふん! 皆、あたしに夢中って感じね!」
「えぇ。イリーナさんの美貌に振り向かぬ方が無理というものでしょう」
表向き穏やかに返してはいるが、内面では腸が煮えくりかえりそうだった。
ウチの娘に下劣な情欲を向けるなど、万死に値する重罪である。
こうなればこちらも半裸となり、イリーナに向けられた視線を独占してやろうか。
半ば本気でそう思った矢先。
「るっせぇな! たかだか野良猫ブッ殺しただけだろうが!」
剣吞な声に、俺とイリーナは同時に足を止めた。
何やら面倒事の匂いを感じ取りながら、声の方へと目を向ける。
大通りの隅、建物の壁面に、ガラの悪いオークの男達と……
彼等に囲まれた、一人の美しい少女の姿があった。
年の頃は一八かそこら、だろうか。背丈はイリーナよりは低い。
これといった身体的特徴や雰囲気もないので、人種は俺と同様ヒューマンか。
目を引くのは、やはりその容姿と格好。彼女の顔立ちはまるで人形のように精緻で、欠点がどこにもない。長く美麗なプラチナブロンドの髪が、その容姿に神々しさを加えている。
「……キミ達は、そのたかが猫よりもよっぽど無価値な存在だと思うけどね」
「あぁッ!? んだと、コラァッ!」
殺気立つオーク達。……これはもう、話し合いで解決できる空気ではないな。
「助けなきゃっ!」
前に出ようとしたイリーナを、俺は手で制した。
「お待ちなさい、イリーナさん。貴女はこの場で静観なさい。ここは私が出ます」
この子は俺の友人にして教え子である。ゆえに戦闘の心得がある。とはいえ優れた頑強性を誇るオークを複数相手どって、スマートな決着を付けられるほどのレベルではない。
よって、ここは不肖、元・《魔王》、現・村人の俺が出張ることにした。
イリーナを納得させると、俺は集団のもとへ向かい──
手近なオーク男一人の後頭部に拳を叩き込み、一発で昏倒へと追い込んだ。
不意打ちに対し、相手集団は全員、頭が真っ白になったような顔をする。
そうした隙を突いて、さらに手近な者達へ打撃を加えていく。
顎へ掌打。股間へと前蹴り。二発の打撃で二人を倒す。残りは立ち並んだ三人。
「なんだ、テメェはッ!」
激昂した様子で、彼等はこちらへ接近しようと体に力を入れるが……
それよりも早く、こちらが踏み込んでいた。一瞬で間合いを詰める。そうして立ち並んだ三人の頭部へと次々に打撃を叩き込み、全員を地面に転がした。
「ご無礼」短い一言を彼等に放った後、俺は少女を見やり、声をかける。
「お怪我はありませんか? お嬢さん」
少女は目をぱちくりさせた後。
「あぁ。キミのおかげで、ね。先刻の戦い振り、実に見事だったよ」
ニッコリ微笑む少女。その横に、いつの間にかイリーナが立っていて。
「そうでしょ! 凄いでしょ! アードはあたしのお友達なんだからっ!」
俺が褒められたことを我がことのように喜ぶイリーナちゃん。その姿はマジ天使。
「うん、本当に素晴らしいよ。少年、キミがさっき見せた強化の魔法、アレは本当に大したものだった。相手方を薙ぎ倒すさまを見て、思わず歓声を──」
「畏れながら。私は先ほどのやり取りで魔法の類いを一切使っておりません」
「えっ? ……いやいや、冗談だろ? キミ、ヒューマンだよね? ヒューマンがオークを素手で倒すなんて、そんなの不可能だよ」
信じられない、という顔をする少女に、俺は微笑しつつ首を横に振った。
「力の込め方、打撃を加える場所とタイミング。それらを工夫すれば造作もございません」
「い、いや、でも。さっきの踏み込みなんかは、ヒューマンの限界を超えてるようにしか」
「それもまた、工夫にございます。地面に転がっているこちらの方々は魔法の心得を持たぬ素人と見受けました。そうした手合いに魔法の行使はやや大げさと考えましたので、今回は無手の技術のみで対応させていただきました」
「へぇ……」
少女の瞳が、スゥッと細くなる。瞬間──
ゾクリと、寒気が走った。
なぜ? この相手にそうした感覚を味わう要因はないはずだが。
疑問に思っていると、少女は俺の背中をバシバシ叩きながら、
「ハハッ、キミは実に凄い奴だな。気に入ったよ!」
それから、彼女は別の話題を切り出した。
「ところでキミ達、その制服を着ているということは、魔法学園の生徒かい?」
「いえ、まだ入学前の身です。こちらのイリーナさんも同様、ですね」
「ふむ。あぁ、そういえば。今年は二人、合格内定者がいると聞いたのだけど、キミ達のことだったのか。なるほど、キミ達であればなんの文句も出ないな」
「……貴女は学園の関係者、ですか?」
「その通りさ。今年から講師になったんだ。それも、史上最年少のね」
どんなもんだいとばかりに得意顔となりながら、大きな胸を張る。
それから少女は自己紹介をしてきた。
「ボクはジェシカ。ジェシカ・フォン・ヴェルグ・ラ・メルディース・ド・レインズワース。侯爵家の三女だけれど、肩肘張らずに接してほしいな」
ニコニコと明るい笑みを浮かべながら、積極的に握手を求めてくる。
そんな彼女に応えながら、俺達も自己紹介。
「アードくんに、イリーナくん、だね。ボクも学園に用事があるから、一緒に行こうか」
俺達は並んで目的地へと赴き、学園の門をくぐって校庭へと入った。
ラーヴィル国立魔法学園は国内最大にして最先端の学び舎である。その敷地面積は外見から想像できる以上に広々としており……俺とイリーナは校舎の巨大さや校庭の広さに圧倒された。そんな俺達に、ジェシカがクスリと笑う。
「ま、三日もすりゃ慣れちゃうだろうさ。……ボクは職員室に用があるから、ここでお別れだね。次は生徒と講師として会おう」
じゃあね、と明るく言葉を紡いで、彼女は手を振りながら去って行った。
ジェシカと別れた後、俺達は校庭にいる生徒達を何人か捕まえ、学園長室の場所を聞きつつ歩く。そうした生徒達が纏う制服には、二種のバリエーションがあった。
デザインの違いは身分の違いを表しているとのこと。こうした区別があるところを見ると、貴族と平民にはまだまだ隔絶的な身分差というものがありそうだな。
そんなことを考えつつ、イリーナと共に学園内を歩き回り、ようやっと学園長室に到着。
ドアの前でノックをして、入室する。
「おうおう、よう来た、よう来た」
好々爺然とした調子で迎え入れてくれたこの男が、当学園の長。名をゴルドと言う。
広々とした一室の中央、執務机を前にする彼は既に一〇〇近い老齢とのことだが、その外見は年齢を感じさせぬほどの活気に溢れている。
貴族としての爵位は伯爵であり、《魔導士》としての格は《第六格》。これは最高位の一つ下であり、国内でもここに格付けされる者は一〇に満たぬという。
前世での俺ならばまだしも、今はただの村人でしかない俺ではまずたどり着けぬ境地だ。
そんなゴルド伯爵の横には妙齢の女性が立っていた。おそらくは秘書か何かであろう。
彼女は先程からずっと押し黙り、こちらへ鋭い視線を送っていたのだが。
「……流石、あの三人の子供達といったところでしょうか。両者共に規格外、ですね」
こんなことをポツリと呟いた。この女、人を見る目がないな。俺達のどこが規格外──
「左様。どちらも凄まじい。話に聞いた以上に出来そうだわい」
……どうやら、伯爵の方も審美眼のレベルは低いらしい。
ただの村人と凡人以下な貴族の娘を捕まえて規格外とはこれいかに。
「君達の武勇伝はよく耳にしておるよ。ゆえに実技試験は免除とする。問答無用で満点じゃ。特にアード君。君と試験官を相対させたなら、下手をすると試験官が死んでしまうやもしれぬ。いやはや、まっこと恐ろしい才能じゃわい」
あからさまなリップサービスだな。まぁ、仕方がない。我が両親は歴史に名を残すほどの大英雄であるからして、その子供を無碍に扱うことはできんということだろう。
「しかしのう。すまぬが筆記だけは受けておくれ。君等にとっては簡単な問題集だとは思うが……それすら解けぬようでは、さすがに入学は認められん」
ふむ。筆記は一般教養を試すものなんだろうな。確かに、教養のない人間を学園に入れるわけにはいかんだろう。だから、俺達は素直に頷いた。
「うむ。……少々早いが、言っておこうかの。ようこそ、我がラーヴィル魔法学園へ。君達を迎えられることを、ワシは誇りに思うよ」
なんとも大げさな言い草だな。俺もイリーナも、普通かそれ以下だというのに。
それから数日後。俺達は学園内の一室にて、他の受験生達と共に筆記試験を受けていた。
……おかしい。これは、おかしいぞ。いくらなんでも簡単すぎる。多分、これは引っかけ問題というやつだろう。問題の裏の裏まで読み取って解答を導き出せと、そういうことに違いない。さもなくば、こんな三歳児でも答えられるような問題を出すわけがないのだ。
さすがは、万能な人材を育成すべく国家の誕生と共に創設された、超一流校。
タフな問題を出してくれるじゃないか。実に面白い。
試験を終えた翌日の朝。俺はイリーナと共に学園の前へとやってきていた。
合否発表は学園の門前にある掲示板に掲載される。そこには俺達以外にも多くの受験生が立ち並んでいて、各々泣いたり笑ったりなど、お受験にありがちな光景を作っていた。
「ま! あたし達が落ちるわけないわよねっ! むしろワン・ツーフィニッシュよっ!」
自信満々といった調子で大きな胸を張りながら突き進んでいくイリーナ。
彼女と共に受験生の集団へと近づき、掲示板を見る。
合否確認はすぐに終わった。何せ俺達の名は一番上に記載されていたのだから。
イリーナの筆記テストは満点合格。賢い。ウチのイリーナちゃん賢い。
一方、俺の方はというと……
「ね、ねぇ、アード。なんか、おかしくない?」
「そ、そうですね。ちょっと、意味がわかりません」
困惑の言葉を口にする。それも当然のことだろう。
俺の筆記テストの点数は──
〝〇点〟であった。