第一章 発令、竜帝攻略作戦①

 危機がおとずれたら有効なこうりやく法が見つかるまでとにかく逃げろ、というのが戦場におけるジルの部隊の副官の方針だった。ゆうしゆうな副官だった。ラーヴェていこく軍にはさちにされたときも、補給線をたれてりつしたときも、助けてくれた。

 そして今このしゆんかんも、ジルを救ってくれた。

 すなわち──何が起こっているかよくわからないが絶対にこのじようきようは危険なので逃げる、ということである。

「お父様にお母様、わたしちょっと人ごみにってしまったので外に出てます! では失礼」

「あら、あなたの大好きなぶたの丸焼きはいいの? かぶりつくのはいけないけれど」

「胸焼けがするので!」

「なんだと、お前が胸焼け? 悪い病気じゃあないのか?」

 豚の丸焼きが食べられないむすめを心配する両親を置いて、ジルは一目散にテラスに向かう。城内の構造はもちろん覚えていた。そのことが余計に頭を混乱させる。

(落ち着け、落ち着け! これは夢か? それとも、あっちが夢か?)

 テラスに出るところで一瞬足を止めて、もう一度硝子で自分の姿を見た。そっと指先でれてみて、ちがいなくこの子どもが自分であることをかくにんし──それでもやはり落ち着かずに、そのままテラスへと出る。

(わたしが若返った? いや違う、お父様とお母様が生きていらっしゃる。わたしのおくだけがおかしい。ということは、時間がもどった? まさか、時を戻すじゆつなんて、神でもなければ使えるはずがない! それがどうしてこんなことに……)

 口を押さえようとして、その手を見る。すでにこの年でけんにぎっていたはずだが、まだやわらかくて小さな手だった。

 そう、このころはまだ両親が健在で、剣術や武術も『せんとう民族』と呼ばれているサーヴェル家の娘としてたしなむ程度の、ごく普通のご令嬢だった。

 普通のご令嬢が武術を嗜むのかどうかは考えずにおくとして──それでも、そのことはジルに一筋の光明をもたらした。もし、本当に時が戻ったならば、まだ自分は軍神令嬢と呼ばれておらず、ジェラルドのために戦場を駆けてもいない。

 ジェラルドの婚約者にも、なっていない。

「……やり直せる?」

 いったいどうしてこうなったのかはわからない。けれど、そうつぶやいていた。ぎゅっと小さな手を握りしめる。

 戦場では現状をあくできない者から死んでいく。深呼吸した。

(とにかく過去に戻ったのだと想定して動こう。もしジェラルド様にきゆうこんされても、それを受けなければ……いやそれは無理だ、王太子から求婚されて断れるはずがない)

 国境を守る信任厚い辺境はくであろうとも、クレイトス王国の一領だ。そこの娘が下手に第一王子の求婚をこばめば、反意ありとみなされてしまうかもしれない。

 だとしたらいちばんの手段は、求婚されずにこのパーティーをやりすごすことだ。

(だったら、わたしはすでにやりすごしたのでは……?)

 過去が過去のまま進むならば、先ほど、目が合った直後にジェラルドはジルのもとへまっすぐやってきて、求婚した。

 だとしたら、テラスに出た時点で、すでに過去は記憶どおりではなくなっている。

「そこからげたのだからもう解決した!?」

「ジルひめ

「出た───────────────!!」

 思わずぜつきようしたジルに、ジェラルドが──ジルの体感ではほんの十数分前まで青年だったのに今は少年になっている王子様が──首をかしげていた。

「出た?」

「い、い、いえ……なんでも、ございませんですわよ」

 うろたえに加えて、無理に令嬢っぽくしようとした口調が余計におかしい。

 だが、パーティーが始まったばかりだというのに、しゆひんのジェラルドがテラスに出てくるのはどう考えてもおかしい。しかも、その手になぜか一輪のを持っていて、その薔薇にジルは見覚えがあった。

 求婚されたときにもらったのだ。ついでに思い出す。いつぞや求婚の理由をたずねたとき、ジェラルドはがおで答えてくれたのだ──「一目見たとき、君だと思った」と。それを運命だとひそかに喜んだものだが。

(もう目があった時点でおそかったのか!?)

 冷やあせをだらだら背中で流しているジルをどう思ったのか、ジェラルドが目を細めた。

 品物を検分するようだ、と思ってしまう。なぜなら、彼がこの時点で実の妹を愛していると知っているからだ。

「失礼した。私はジェラルド。ジェラルド・デア・クレイトス……この国の王太子だ」

「そ、そうでございますですのね」

「あなたは、サーヴェル家のジル姫だな」

 ジェラルドがいささかきんちようしたように眼鏡をふき、またかけ直す。そう、王女でもない自分を姫と呼んでくれる王子様に、あのとき自分はい上がった──。

「……あなたに大事な話がある」

 星がまたたく夜空の下で、王子様が進み出てくる。シャンデリアがきらめくダンスフロアの真ん中での求婚もてきだったが、これはこれで素敵な光景だった。

 そう、相手がくされシスコンろうでなければ。

(ここで大声でばらしてやるとか!? あ、ださっき知られただけで殺された)

 さけんだ瞬間に色んなものが終わるだろう。彼はもうこの頃から神童と名高かった。

おどろかずに聞いてほしい。私は、あなたを一目見て──」

「あっなんてこと、お父様とお母様が心配しているのにちがいありませんですわ!」

 大声でさえぎって、その場を早足でけ出す。ジェラルドのきょとんとした顔は見物だったが、それどころではない。

(ここは逃げねば! これが夢という可能性もあるが、だからといってこのままでは……今度は知ってる分、余計最悪だ! 人生早期しゆうりようの可能性もある!)

 だからといって、すでに目をつけられてしまったらしい今、どんな手が打てるだろう。ジルは人をかき分け、進みながら考える。

 テラスから出てきたジェラルドの姿がちらと見えた。このままあきらめてくれればと思ったが、やっぱりというかなんというか、ジルの姿を見て叫ぶ。

「ジル姫! どうして逃げる」

 お前はもう捨てた男だからだよ、と言えたらどんなにいいだろう。だが、声をあげた第一王子の姿に注目が集まりつつある。聞こえないふりをして時間をかせげるのもわずかだろう。

(第一王子の求婚を、おん便びんかいする作戦……っもうこいびとがいることにするか!? だめだ、今のわたしは子どもだぞ無理がある! しかも王太子が手を引くお相手じゃないと……ってそんなものそうそう転がってるわけないだろうが! せめてりよくが異常に高くて物理的にも強いとか、それうちの家だしジェラルド王子も強かった!)

 現実とうをややまぜながら必死で逃げる。だが十歳の子どもの体では、どうしても人の波に押し流されてしまう。人が少ない場所をねらって進むが、それはすなわちジェラルドに追いつかれやすいということでもあった。

「ジル姫!」

 どうにか人の輪からけ出たところで、とうとうジェラルドに追いつかれた。

(そうだ、わたしから求婚すれば……巻きこんだ責任は取る! しあわせにする!)

 うでをつかまれそうになったジルの手が、とっさに何かを後ろ手でつかむ。それはみようざわりのいい上質なマントだった。あとずさるジルの背中にあたったのは、おそらくひざ。びくともしないところから、大人の男性だとわかった。

 ならば、子どものれ言ですむかもしれない。

 ジェラルドが息をんだこともジルに勇気をくれた。

 とにかくこの場を逃げ出してしまわなければ──その一心で、叫ぶ。

「わたし、この方にひとれしました! この方とけつこんします──この方を一生かけて、しあわせにします!!」

「ジル!?」

 さわぎを聞きつけたのか、両親の驚く声が聞こえた。周囲がざわめき、ジェラルドが難しい顔でくちびるを引き結ぶ。

 その、子どもの戯れ言と流すにはややじような周囲の反応に、ジルがまばたいたとき──頭上から声が降ってきた。

「わかった。では君を妻に」

 それはジルが望んだような、大人が子どもの戯れ言を受け流す返答ではなかった。

 低くて、みみざわりのいい男性の声だ。やけに色っぽくて、背筋がぞくぞくする。耳元でささやかれたら、こしくだけになってしまいそうなその声。

 一度味わえばもう忘れられなくなるような。

(き、聞き、覚えが……ある)

 戦場で、つい最近──いや六年後か、ややこしい。とにかくこの先の未来で、ラーヴェていこく軍と一戦まじえたときに姿を見せた、その声の持ち主は。

「おじようさん。君の名前は?」

「ジ……ジル・サーヴェル……」

 り向かずに答えたジルに、ほう、と感心したような声が返ってくる。

「サーヴェル辺境伯のひめぎみか。どうりで魔力が高い。何より、幼くとも確かな目をお持ちのようだ。この僕に自ら求婚するなんて」

 こん、とグラスをテーブルに置く音がして、男性が立ちあがる気配がした。同時にふわりとかたうできあげられた。力の抜けたジルの手から、マントが落ちる。

 シャンデリアの光をはじいてつやめくかみまゆの形もりよううすい唇も、ほおりんかくからあごの形まであつとう的な造形美をかたどっている。何よりも目を引くのは、金色の両眼だ。月のようにせいひつで、けもののようなざんにんかがやきをあわせ持ったひとみ

 抱きあげたジルをのぞきこむ仕草はやさしげなのに、のどもとやいばでもきつけられたような緊張がはしる。なのに目をそらすことを許さないほど、美しい。

「どこぞの島国には飛んで火に入る夏の虫、という言葉があるそうだ。ご存じかな?」

 ぶんぶんと首を横に振った。だから、はなしてほしかった。だが相手はいつさい笑顔をくずさない。

「そうか。だがだいじよう、不安に思うことはない。僕は妻にはひざまずくと決めている」

 ジェラルドは何も言わない。これ以上なく険しい顔をして、こぶしふるわせている。

 そういう意味で、ジルが直感的に選んだ相手は非常に正しかった。

 正しいのだが、人生のせんたくとしては、どうしようもなくちがってもいた。

「このハディス・テオス・ラーヴェ、貴女あなたきゆうこんをお受けしよう。──れいな紫水晶の目をした姫君、どうか僕をしあわせにしてくれ」

 そう言ってジルの前にりんごくの若きこうていゆうにひざまずき、毒のように甘ったるい笑みをかべてうやうやしくこうべを垂れた。



 たったいつせんだった。

 白銀のけんへびのようにうねってび、一帯をなぎはらっていく。空と大地を食い散らかす獣のようだ。山がくだかれ、地面がわれ、補給線を分断された。戦線が崩れ、もはやじんけいを整えることもかなわない。やみを照らす戦火が、あっという間に広がっていく。

 空からのようしやのないこうげきに、もはやこちらの敗北は決定的だった。

「ひとり残らず殺せ」

 赤く燃える夜空からこちらを見おろして、敵国の皇帝が感情のない声で命じた。

「子どもも、女も、赤んぼうも関係ない。あの女のけんぞくなど生かす価値もない。ゴミだ。虫けらだ。生きていること、それ自体が罪だ」

 その声は真冬の吹雪ふぶきよりもに、周囲をこおりつかせる。

「だが簡単には殺すな。母親の前で赤ん坊の目をえぐれ。夫の前で妻をなぶれ。兄弟で殺し合わせろ。生まれてきたことをびさせろ、死なせてくれと叫ばせろ。希望も愛も夢もきずなも、すべてじゆうりんしろ。何ひとつ残すな──俺が、そうされたようにだ!」

 それはぎやくさつだ。信じられない命令に、両眼を見開いたジルは頭上をあおぐ。

 せきを切ったように上がるごうと悲鳴に、敵国の皇帝は金色の瞳を見開き、こうしようしていた。

 悪逆非道の、のろわれた皇帝。人を人とも思わず、みつけ、なぶり、その様を楽しむ、きようの王。自分の目で確かめるまでは信じるまいとした現実が、そこにあった。

(──止める!)

 剣をにぎり、ありったけの魔力をこめて地面をり、はるか高みにいる皇帝のもとを目指す。

 戦争とはいえいつぱん人を巻きこんでの虐殺など、許せるはずもない。けれどそれ以上に、許せないものがあった。

 こんな敵ではなかった。

 銀色の魔力がたみを守るためだけに夜空にかける様は、本当にうつくしかった。敵ながられるほどにあざやかに勝敗を決め、せいを最小限にとどめ、ゆうしようを浮かべながらてつ退たいうながすその姿は高潔ですらあった。

 なのに、この皇帝はいつからこんなふうになったのだろう。

 ふと顔をあげた皇帝が、突っこんでくるジルへ向けて虫を振り払うような仕草で魔力のかたまりたたきこんできた。それをジルはりよううでを広げて正面から受け止めて、歯を食いしばる。両腕に力をこめて、気合いといつしよに腕の中で風船をわるようにさんさせた。

 その派手なれつ音に、地上も空も我に返ったように静まり返る。さんげきを命じた皇帝自身も驚いた顔をして、振り向いていた。

 振り向かせてやった。そのことに勢いを得たジルは、あやうく死ぬところだったのも忘れてさけんだ。

「うちの負けだ、認める! だからそちらは早々に兵を引きあげろ!」

 皇帝がたんれいな眉を、わずかにひそめた。

「負けているのに、なぜお前が命じる」

 話ができるじゃないかと、その人並み外れたぼうに向かってジルは胸をはる。

「どうしてもだれかをいたぶりたいなら、わたしだけにしろ。りよになってやる。──だからほかには手を出すな」

 みような生き物でも見るように上から下までジルをながめた皇帝は軍神れいじようとつぶやき、薄い唇にあざけりを浮かべる。

「ご立派なことだ。だがどうせ、最後はどうして自分がとみにくく泣き叫ぶ」

「誰が泣かされるか、お前のような弱い男に」

「弱いだと? この俺が? りゆうていに向かってよく言った。もういい、殺してやる」

「では、お前はわたしより強い男か?」

 くちはじをあげて笑いそこねた皇帝が、こちらを初めてまともに見た。金色のどうもうな瞳に、まっすぐ、ジルはけんさきを突きつけた。

「そうやってさ晴らしをするお前は、本当にわたしより強いか!?」

 金色の瞳がいつしゆんだけ、何かをうつたえるように輝き──そして消える。

「興ががれた。全軍、引け」

 よくようのない声が、とつぜんの命令をくだした。まさか本当に兵を引くと思わなかったジルは、思わず声をかける。

「いいのか。──おい答えろ、わたしをとらえなくていいのか!?」

「お前のような色気のない女をとらえて何が楽しい」

 ぽかんとしたジルを残して、しんろうのように皇帝の姿がかき消えた。

 あとにはりよくざんちようの羽ばたきのようにうだけ。あれだけいたはずのラーヴェ帝国兵の姿も消えていた。あっけない終わりだった。

 だが、ジルの心中がそれでおさまるはずがない。

「わ、わた、わたしに色気がないだと!?」

 いつぱくおいてぶち切れたジルを、部下達が全員でなだめにかかってくれた──それはジェラルドにえんざいをかけられる少し前、つい先日のこと。

 そして、おそらく今から六年後のことでもある。

(ああ、昨日でも六年後でもいい。やっぱり全部夢だ。夢にちがいない……)

 目がさめたら生きているといいな、と思った。

 できれば、せき的に木の枝に引っかかって落ちたとかで、気絶していた展開を望みたい。実は無事だったゆうしゆうな副官が手を回して、運んでくれていたとかだと、なおいい。

 だって今ている場所はこんなにもあたたかくやわらかい──はっと目がさめた。軍でのしようよろしく飛び起きる。

 髪にかざってあった大きな生花が落ち、っていた髪がほどけてかたからこぼれ落ちた。握って開いてみた手のひらは、やはりおくより小さい。金糸のしゆうしようほどこしてあるしんはねとんまっている足も、短い。

 ふと風を感じて、裸足はだししんだいからおりた。分厚いカーテンのすきから日光が差しこむ窓の外を、びをして覗く。見覚えのある中庭だった。

「……ここは王城……の、客間か?」

「ああ、よかった。目がさめたのか」

 続きの奥の部屋から入ってきたのは、先ほど夢に出てきた相手だった。

 ハディス・テオス・ラーヴェ──夢よりもまだ若い。だが見間違うことなどありえない、隣国ラーヴェていこくの美しき皇帝。

 思わず両手でこぶしを作った。今が六年前ならば、まだラーヴェ帝国と開戦していない。だから今は、敵ではない。わかっているが、ジルはこの皇帝のあつとう的な力を戦場での当たりにした記憶が生々しく残っているせいで、けいかいがとけない。

 そんなジルの様子がわかっているのかいないのか、ハディスはつかつかと歩いてきて、目の前にしゃがんだ。

 時計の秒針の音がひびくだけの、ちんもくが部屋中に広がる。人並み外れた美貌にひたすら見つめられ、ほおがつらないようがんっていると、ややあってハディスが言った。

「もう一度求婚してほしい」

「……はい?」

「これが夢じゃないと確かめたい」

 警戒も忘れてほうけてしまった。だがハディスはジルをじっと見つめて視線をそらさず、返事を待っている。そのいちひとみに、実家にいる軍用犬がなぜか思い浮かんだ。

(ろ、六年後とずいぶん印象が違うような……)

 どうしたものか迷っていると、げんそうにハディスがまゆをよせた。

「どうして返事をしない? ……ひょっとして、まだ具合が悪いのか?」

「え……あ……わ、わたしは、どうしてここに……き、記憶があいまいで」

「気絶したんだ。……まだ無理はさせないほうがいいな、失礼」

「へっ!?」

 突然、きあげられた。そのままを言わさず、先ほどの寝台まで運ばれる。

ねむれないかもしれないが、横になっていたほうがいい」

 ていねいにジルを寝台におろすハディスの動作は、づかいに満ちていた。

「それとも、何か軽く食べられるものでも用意したほうがいいかな。ああ、起きているならこれを。足元が冷えるだろう」

 寝台のすぐそばに置いてあった室内ぐつを手に取り、ハディスがひざまずいた。ぎょっとしたジルに、靴をはかせようとあしを取る。さすがに悲鳴をあげそうになった。

 この男はこうていだ。子ども相手でも、たわむれがすぎる。

「こ、皇帝陛下にそこまでしていただかなくても、自分でできます!」

えんりよしなくていい。僕は妻にはひざまずくんだ。じっとして──ほら、できた」

 満足げに下から微笑まれ、かみなりに打たれたようなしようげきが全身をおそった。

 他に類を見ないような美しい男の微笑とくれば、もはやそれはこうげきである。かれた胸をおさえてジルは内心で歯ぎしりする。

(お、男は顔じゃないとはいえ、正直、好みの顔だ……どこにもすきがない! しかも顔だけじゃない、線が細く見えるが筋肉のつき方も姿勢も素晴らしい、全身が強い……! どうしてこんな男がわたしにひざまずいて)

 はっと我に返った。自分はこの男にきゆうこんしたのだ、そして──どうなったのだろう。

「あのっ……」

 だが、乱暴に開かれたとびらの音がジルの質問をさえぎった。よろいの音が響き、両開きの扉をはさんで鎧の兵隊が並ぶ。物々しいふんに、ひざをついていたハディスが立ちあがった。

「向こうも君の目覚めを待ち構えていたようだな」

「え……」

「ジル・サーヴェル! どういうことか話を聞かせてもらおうか」

 あいさつもなく部屋にみこんできたのは、ジェラルドだった。ハディスが目に入っていないのか、あらあらしい歩調でまっすぐこちらへ向かってくる。

「君は何を考えている。私の話も聞かずにげたあげく──」

「ジェラルド王子。こんな小さな子をいきなり質問責めにするなんて、すいだよ」

 横からハディスがわって入った。ジェラルドが冷ややかに応じる。

「失礼。ですが、ラーヴェ帝国には関係のない話です。大体、あなたの客間は別にあるはずですが、なぜこちらに?」

こんやく者がたおれたら心配して見にくるのは当然じゃないか」

「あなたと彼女は婚約などしていない。国王も彼女の両親も認めないだろう。それに、彼女と婚約するのは私だ。そう内々に話が決まっていたのだからな」

 びっくりして顔をあげた。そんな話、聞いた覚えはないのだが──ああでもと両親の顔を思いかべた。

(絶対に忘れてるな、お母様もお父様も……)

 おっとりした両親は政治力にとにかく欠ける。だから、サーヴェルこうしやく家は功績のわりにゆうふくではない。

 しかし、婚約が内々に決まっていたなら、ジルがジェラルドをこばむのは相当困難になる。王太子であるジェラルドの面子メンツつぶしたことになるからだ。

「皇帝だからと知った顔で我が国の事情に踏みこまないでもらいたい。ないせいかんしようだ」

「内政干渉? ただ、君がふられてくやしいという話だろう」

 うすく笑ったハディスに、ジェラルドが眉をりあげた。ぴりぴりした空気に、ジルがはらはらしてしまう。今の時点でジェラルドはすでに武人と名高く、兵も連れている。何かあれば一対複数だ。分が悪いのは目に見えている。だがハディスは落ち着いていた。

「そんなことよりも、もっと大事なことに目を向けるべきだろう。君はいずれ、この国の王になるのだから」

「忠告はありがたく受け取っておこう。のろわれた皇帝陛下のしゆわんでは、参考にできないが」

 いらちとべつをこめた口調でジェラルドがやり返す。

 対するハディスは、あくまで不敵なみをくずさない。

「わかってくれたなら結構。勝てない相手にかうのはおろかだ。君と僕では格が違う」

「言ってくれる。私をじよくする気なら──」

 ふっと目をさましたように、ハディスが金色の瞳を見開く。雰囲気が一変した。

「さがれ」

 しゆんかん、部屋全体の重力が増した。

 がしゃがしゃとこわれるような音が響き、武器を落とした兵士が次々と膝をく。立っていられないのだ。中には気絶したのか、そつとうした者までいる。

(ま、りよくじゃない。ただのあつかんだけで……!)

 圧倒的なだ。正面から圧を受けていないジルでさえ、総毛立ってしまう。

 その場から飛びのきたい思いをこらえながら、ハディスの横顔を見た。あぶらあせをかきながらも立ったままめつけているジェラルドに向けて、ハディスが手をばす。

「後始末は君にまかせるよ」

 ハディスに肩をたたかれたジェラルドが、そのまましりもちをついた。

うわさどおりの、化け物が……っ」

 歯ぎしりするジェラルドに、ハディスはおだやかに微笑ほほえむ。そうすると、空気を吸うことも許さないような重圧がいきなり消えた。ほっと息をき出したジルを、ハディスがかかえあげる。

「すまない、おどろかせた。場所を移そう」

 高鳴りに似たこうようかんをおさえて、ジルはうなずく。

(やっぱりこの男、強い……!)

 さぐるようなジルの視線を受けて、ハディスが破顔した。

「君は平気そうだ。やはり僕の目にくるいはない」

「あれをやりすごせなくては戦場では生き延びられ──」

 今の自分は軍神れいじようではないと思い出し、はっと口をふさぐ。だがハディスは気にしていないようで、るいるいになっている兵士の間をゆうゆうとすり抜け、ろうに出た。

「しかし、ここではゆっくり話もできそうにないな。ジェラルド王子があれであきらめるとも思えない。……しかたないか、愛は困難をともなうって本で読んだ」

「あ、愛……いえ、本?」

だいじようだ、君に手出しはさせない」

 顔がいい男が言うと思わず頷いてしまう。だが、はたと気づいた。

(……今のわたしは、十歳なんだよな?)

 そしてこの男は今、二十歳はたち前後のはずだ。

(政治的な理由もなく大人の男性が十歳の子どもと婚約するなんて、幼女しゆでもない限りありえないんじゃ……!?)

 一気に頭から血の気が引くと同時に、視界が一変した。

「君の魔力が安定していないようだし、移動は船にしよう。念のため持ってきてよかった」

「は!? え!?」

 急いで周囲を見回す。先ほどまで高かったてんじようが一気に低くなっていた。しんだいはひとつ、小さなテーブルともある。決して小さくはないが、広くもない部屋だ。小さな丸い窓がとくちよう的で、板張りのゆかがぎしりときしみ──いや、ゆれた。

 どこかに転移した。ぼうぜんとするジルを置いてけぼりにして、ハディスが微笑む。

「大丈夫だ、魔力で飛ばせば数時間でラーヴェ帝国の領土に入る」

 ええええええとジルがぜつきようしたときは船は海面をすべるように走り始め、丸い窓から見える故国の港はあっという間に小さくなっていった。

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