第一章 その2
広い廊下でお嬢様を待つ。
まだ早朝だってのに、結構な頻度でメイドさん達が通っていく。
その都度、会釈しつつ「おはようございます!」と挨拶。
名前も分からねぇけど、同僚になるわけだし。メイドさん達はみんな満面の笑みで『おはようございます♪』と答えてくれた。
ただ、一部の人には頭を撫でられた。あと、みんな背が高過ぎだと思う!
に、しても……男性の使用人は誰も通らないのな。不思議だ。
言えるのは、
「ほんと、広い御屋敷だわなぁ……」
廊下の先は遥か遠く、窓が小さく見える。
「そうでもございませんよ。七大侯爵家や他の侯爵家はもっと広い御屋敷を構えております。我がロードランド侯爵家は武門でございますので、本来、このような建物は必要ないのですが……ここは帝都。体面というものもございますれば」
「あー……そうなんですね。大貴族様も大変――……え?」
後方から女性の声。
慌てて振り返ると、そこにいたのは、さっきお嬢様から『カエデ』と呼ばれていた黒髪メイドなお姉さん。
すらりとした長身で誰がどう言おうと、美人。思わず見惚れてしまう。瞳も綺麗な漆黒だ。
人差し指を唇に乗せ、注意。
「ジャック様、あまり女性の顔をまじまじと見つめるのはいけませんよ? 思わぬ事故が起こるかもしれません。……何かついていますか?」
「あ、す、すいません……そ、その…………き、綺麗だな、って、思って……」
「まぁ――……うふふ♪」
黒髪メイドさんは口元を押さえてはにかんだ。
こうして見ると幼く見える。下手するとまだ十代かもしれない。
近付いて来て笑顔を浮かべ、スカートの裾を両手で持ち挨拶をしてくれる。
「ロードランド侯爵家メイド長を務めております、カエデと申します。先程、東方の侯爵領より帰って参りまして、昨日はご挨拶出来ず、申し訳ありませんでした」
「あ、いえ、ご丁寧に。ジャック・アークライトです。えっと、エミリア・ロードランド様の専属執事……らしい、です」
慌てて俺も頭を下げる。嬉しそうな声。
「はい、お待ちしておりました。分からないことがあったらすぐにお教えしますね♪」
「? え、えっと……俺の他にあいつ……お嬢様の執事って」
「ジャック様、喋り辛いのであれば、普段の口調で構いません。むしろ、そちらの方がより親しく見えるので、是非!」
「は、はぁ……」
カエデさんが勢い込んで右拳を握りしめた。
有難いので従う。
「話を戻しますね。あいつって侯爵令嬢なわけですし、執事の一人や二人、いると思うんですけど……」
「まさか! 今まで、エミリア御嬢様の御傍にいますのは私共だけでございました。また、御部屋も基本的に男子禁制。今後は『ジャック様だけ許可』と承っております。けれど、先程のようなことはいけませんよ?」
手を合わせ、ニコニコしながら教えと注意。
そこにあるのは、姉貴が俺を見ている時のような、年下に対する純粋な好意。
……妙に気恥ずかしい。
頬を掻き、気になっていることを告げる。
「さ、さっきのは本当に事故なんで……。お、俺にも『様』とかいらないですよ。呼び捨てでお願いします。俺はメイド長って呼び」
黒髪メイド長が距離を詰めてきた。
「カエデ、と。もしくは――お姉ちゃん、でも良いですよ?」
「な、ならカエデさん、で。俺のこともジャックと呼び捨てにしてください」
「それは出来ません。ジャック様は、次期ロードランド侯爵となられるエミリア御嬢様の、唯一人しかいない専属執事です。立場的には私よりも上になるかと」
「い、いや、でも……お、俺が教えを乞う立場だと思うんですが……」
「ん~そうでございますねぇ」
小首を傾げながらカエデさんが更に前進。
もう、俺との間は殆どない。
手が伸びてきて、自然と頭を撫でられる。
「では――……二人きりの時は、『ジャック君』と呼ぶね? いい??」
「え? そ、それは、子供っぽいかな、と……」
「ダメ?」
「あ……い、いえ……いいですけど……」
「やったぁ。ありがとう♪」
満面の笑みを浮かべ、両手を合わせその場で跳ねる。
……何故だろう、この人に逆らえる気がしない。
頭上から黒髪メイド長さんの心から嬉しそうな笑い声が降って来る。
「うふふ♪ ジャック君、可愛い☆ ……また、会えてほんとに、ほんとに嬉しい……私のこと忘れちゃってるのは仕方ないよね。小さかったもん……」
「え?」
今、何て言ったんだ?
カエデさんは少しだけ頬を赤らめ、周囲を確認。
「誰もいない……ジャック君♪」
「わぷっ」
いきなり抱きしめられた。
や、柔らか――……い、いけねぇ。お、俺は紳士、紳士だ。冷静に対処しないと。
抜け出そうとするも、ぴくり、とも動かず。俺を抱きしめる力を強め、カエデさんは呟いた。
「…………大きくなったねぇ」
「? お、俺、会ったこと、ありましたっけ??」
「うふふ~♪ な・い・しょ☆」
片目を瞑り、悪戯っ子の表情。
あ、今の姉貴にちょっと似て――ゾクリ、背筋が震えた。
「……ジャック様、カエデ、何を、しているの、かしら……?」
着替え終わったエミリア・ロードランドが腕組みをし、微笑を浮かべながら立っていた。清楚さを感じさせる白の長袖シャツと薄翠色のスカート姿。とてもよく似合っている。
周囲には着替えを手伝っていたのだろう、メイドさん達の姿。興味深げに俺とお嬢様を見ている。
ようやく黒髪メイド長さんが放してくれた。
すぐさまお嬢様が距離を詰め、俺を自分の背中へ回し、カエデさんを威嚇。
「……カエデ! ジャック様は執事である前に、私の婚約者なのよ?」
黒髪メイド長は余裕な表情で返答。
「エミリア御嬢様、これは事故です♪」
「……事故、ですって?」
「はい☆ 先程の御嬢様と同じでございます。ジャック様が転びそうになられたのでやむを得ず。……あれは事故。『不敗』のロードランドを継がれる御方であっても、体勢を立て直せなかった。そうでございますよね?」
「なっ!? ……カ、カエデ、貴女……!」
侯爵令嬢は黒髪メイド長へ鋭い眼光を向けるも、効果無し。
わざとだったのか?? 純白のリボンを見つめる。
お嬢様が振り返った。
「ち、違いますからっ! わ、わざとじゃないんですからっ!!」
俺は頷く。
「お、おぅ。大丈夫だって。端からそんなこと思ってねぇし」
「…………少しは思いなさいよぉ、バカ。鈍感ジャック…………」
お嬢様は俯きぶつぶつ。
隣の部屋から出てきた数名のメイドさん達が、カエデさんの後方で口元を押さえたり、硬直したり、面白がっている。「あ、あの、エミリア御嬢様が……」「照れていらっしゃっる!?」「お、お可愛い……」「むふふ~面白くなりそうですね~」……この人達にも姉貴と同種の気配を感じる。気を付けよう。
黒髪メイド長が嬉しそうに手を叩いた。
「さ、ジャック様、女の子が着替えてきましたよ? こういう時に言うこと、分かっておられますね?」
「! カ、カエデ!? わ、わ、私は別に……」
お嬢様が言葉に動転し慌てるも、じー、と俺を見てきた。
瞳には期待と不安。両手でスカートを握りしめている。
俺は頬を掻き、素直に答える。
「――凄く似合ってる」
「! ~~~っ! そ、そ、そう、ですか…………あ、ありがとう……」
侯爵令嬢は大きな目を更に大きくし、驚いた表情になった。
直後、俯き、左手を伸ばし俺の袖を摘み小さく感謝を呟いた。翡翠色の魔力が漏れ、綺麗な光を放っている。
メイド長とメイドさん達を見やると、みんな笑顔。少しばかり照れる。でも、似合ってるのは本当だ。嘘じゃない。
袖を引かれた。
「ち、朝食まではまだ時間があります。少し散歩しましょう。……ふ、二人で」
「お、おう」
カエデさん達に会釈。お嬢様に見えないよう、揃って親指を突き出し、片目を瞑ってくる。このメイドさん達とは、何だかんだうまくやれそうな予感。
お嬢様は依然として俯いたまま。「……似合ってるって、ジャックが似合ってる、って言ってくれた! ……えへへ」呟いているものの、内容は聞こえず。しかし機嫌は良さそうだ。
にしても、カエデさんは俺のことを知っているみたいだったけど、会ったことあったっけか? あの黒髪は帝国じゃ目立つし、以前会ったなら記憶に残っていると思うんだが。
お嬢様が覗き込んできた。少しだけ心配そうだ。小声で、
「……どうかした?」
「あ、いや……今日の朝食は何だろうなーってさ」
取り繕うと、少女は途端に安心し、軽口を叩いてくる。
「内容は分からないけど、基本的に朝夕はみんなで食べるわ。ただし、当面、昼は私と貴方だけね。貴方は私の執事。食事の作法も追々、身につけてもらわないと困るから! 私がつきっきりで教えてあげる。感謝しなさいよね?」
「うへぇ……やっぱり、そういう店にも行かないとなのな。……あれ? でもよ」
「何です?」
「屋敷内はともかく、お前と一緒にそういう店へ行く場合って、俺はお前の後ろに控えるもんなんじゃねーの? 執事って、そういうもんだろ?? 本で読んだぞ???」
「……そんな無駄知識は忘れること。私が食事に行く時は、貴方も一緒。忘れないでね?」
「――了解しました。エミリア・ロードランド御嬢様」
立ち止まり、自分の胸に左手を置き演技っぽく頭を下げる。
少女は微笑む。
「よろしい! ふふふ、お昼が楽しみ♪」
「まだ、朝も食べてねぇぞ? ……お手柔らかにな」