第一章 その3
「おお~すっげぇ!」
「ほら、はしゃがないの」
朝食を食べ終えた俺とお嬢様は、屋敷内を一通り散策した後、内庭にある、小さな硝子張りの建物へやって来た。
外の庭に花は咲いていない。少しだけ物悲しい。
陽こそ出ているものの、雲の形からして、冷える日は続くだろう。
……と、言っても、俺達自身は寒さを全く感じていない。
むしろ――暖かい。
なんとこの建物、屋敷と繋がっていて、魔石で温められているのだ!
こういう建物があれば、冬でも作物が育てられて――お嬢様が椅子の横で立ち止まり、お澄まし顔で俺に指示。
「ほら、お仕事よ。何をすればいいのか、分かるかしら?」
「?」
置かれているのは、木製の椅子が二脚。それに丸テーブル。
少し考え、お嬢様の椅子を引き、
「――どうぞ、お座りください」
「正解。でも、これは序の口よ」
場にそぐわない不敵な笑み。
それでいて、俺に椅子を引いてもらったのが嬉しかったのか、キラキラと魔力が舞う。
俺は真向いの椅子へ着席。目の前には、ずらっ、とナイフとフォークとスプーンが並んでいる。
おずおずと質問する。
「な、なぁ……もしかして、昼って……」
「ええ、一通りよ。使い方は分かるわよね?」
「…………」
再度、机の上を確認。……自信はない。
確か、ナイフとフォークは外側から使っていくんだよな?
前菜、スープ用、魚用、肉用……左右じゃなく、上に置かれているのはデザート用。
音を立てるのは駄目で、食べ終わったら都度下げてもらう。
その際の置き方は、フォークとナイフを皿の右端に置いて、ナイフの刃は内側――……普通に食べたい、と思うことは、それ程までに罪なんだろうか。
実家でこんな料理が出て来ることは――……何度かあったな。姉貴に作らされた。
カエデさんを先頭にメイドさん達が、料理が載った台車を運んで来る。
お嬢様が楽しそうに俺を見た。
「ふふ♪ そんなに困った顔して。大丈夫よ。分からなかったら、すぐに聞くこと! 私自ら、全部教えてあげるから。光栄に思いなさい」
「…………」
これが新人いびりっていうやつか……姉貴に読まされた小説に出てきたぜ。悪役令嬢? な顔しやがって。
目の前に前菜の皿が置かれた。黒髪メイド長が囁き、応援してくれる。
「(ジャック君、頑張ってっ)」
……いい人だ。テーブルの上を見やる。
料理自体は、とても美味そうだ。美味い物は美味しく食べてやらないと。
この間、悪役で意地悪なお嬢様は余裕綽々。
ふっ、と肩の力を抜き、俺はフォークとナイフを手に取った。
丸テーブルに白磁の受け皿と同じく白磁のカップが置かれる。
皿に載っているのは、見たこともない三角形に切られたタルト。カップの中身は濃い珈琲。芳醇な香りが部屋の中に広がる。
――料理内容は予告通り、前菜から食後の菓子まで一通りだった。
テーブル上に残っているのは小さめのデザート用フォークとナイフだけ。
最初、あれだけの数あったのに、料理が美味いとあっという間だ。
浮き立つ気持ちを抑えつつ、それを握り、
「…………待って」
「何だよ?」
俺の目の前に座るエミリア・ロードランドに止められる。
表情は苦々し気。少女の前には俺とは違う丸くて黒いケーキ。
「私の紅茶がまだよ。御主人様よりも早く食べないの」
「? 『珈琲が冷めない内に』ってカエデさんに言われたぞ??」
「い・い・か・ら! …………なんで、どうして、食事の作法、完璧なのよ!? わざわざ、フルコースにしてもらったのに。出来ないよりは出来た方がいいけど……いいけど……いいけどぉ。『姉貴に仕込まれたんだよ』って、何よっ! バカ。少しは私の気持ちも考えなさいよ……ジャックのバカぁ…………」
「???」
腕組みをしてそっぽを向きつつも、ちらちらと目線で俺を非難している。
所詮は付け焼刃な作法だし、間違っていたんだろうか?
なら、後で聞き出さねぇと。こいつに恥をかかす訳にもいかん。
給仕をしてくれているカエデさんが台車を押してやって来た。
「お待たせいたしました、エミリア御嬢様」
丸テーブルの上に持ってきた物を置いていき「失礼いたします。……ジャック君、偉かったね♪」カエデさんは俺へ耳打ちし、下がっていく。照れ臭い。
ツン、としているお嬢様に話しかける。
「なぁ……」
「さ――紅茶を淹れて。早くしないと冷めてしまうわ」
言葉を遮られ、次の指示。
丸テーブルに置かれたのは、茶葉が入っている硝子瓶とお湯が入った金属製ポットに、透き通った青色の結晶。ティーポットに白磁のカップが二揃いと、可愛らしい犬の形をした砂糖入れとミルク入れ。そして、これまた犬を象った砂時計。
ちらっ、と俺を見たお嬢様が口を開く。
「で、出来ないなら、し、仕方ないから、私が、お、教えてあげても、いいし!」
……仕方ない。立ち上がり、作業手順を思い出す。
お嬢様が目を細めた。
「……何? 自力でする気? 言っておくけど、私、不味い紅茶は飲まないから」
まずはティーポットとカップへお湯を注ぐ。白い湯気が立ち上る。
金属製ポットの下には薄い赤色の板が張り付けられ、微かな魔力反応。沸騰したままなのはそのせいか。少し考えもう一つのカップへもお湯を注ぐ。
お嬢様に尋ねる。
「なぁ? いらないお湯はどうすればいいんだ? 捨てる場所がないんだが」
「…………」
「おーい?」
「……こうするのよ」
侯爵令嬢は不満ありありな表情で立ち上がり、俺の方へ回り込んだ。
そして、ティーポットとカップのお湯を結晶の魔石へかける。
「お、おい」「大丈夫。ほら、見て?」
結晶は青の光を発し、お湯を飲み込んでいく。ほえ~。初めて見たわ。
目を白黒させていると、少女がぶすり。
「……水の魔石。うちの東方領では、風の魔石と並んでよく採れるの。これだけ純度が高い物はそうそう出ないけどね。水を貯めておくことも出来て便利よ。さ、続きをして」
「お、おう」
硝子瓶を開け、茶葉を確認。やや細かいし中盛でいっかな?
ティースプーン二杯分を陶磁器のポットへ。勢いよくお湯を入れ、蓋をして、子犬が描かれているティーコージーを被せて蒸らす。
砂時計をひっくり返し珈琲カップを手に一口。……冷めた。
お嬢様が指摘。
「冷めたなら……魔法で温めればいいじゃない」
「あー……俺、魔法、苦手なんだわ。自分の属性も知らんし」
「? 学校で教えてもらわなかったの??」
「ふ……うちの田舎っぷりを舐めてもらっちゃ困るぜっ! 教えられたのは、魔法よりも何よりも、重要なのは山で何が食えるのか、魔物は何時襲ってくるのか、だったしな!! 基本属性が火・水・土・風・雷だってのは知ってるぜ。稀に光と闇っていう人もいるんだろ?」
「属性の話なんて、今時、小さい子だって知ってるわよ。ふ~ん、意外だけど……ジャック様は落第生だったんですね★」
「うぐっ!」
わざと丁寧な口調に戻し笑う意地悪お嬢。人には向き不向きってものがあるというのに。
死んだ爺ちゃんは凄かったし、姉貴はとんでもない魔法を使う。あの糞親父や、優しい兄貴達もそれなり。なのに俺だけは不得手。
……世の中、不公平だわな。
小さく綺麗な右手が伸びてきて、俺の手ごと珈琲カップに触れた。
「お、おい」
「私が実演してあげる。貴方も魔力を使ってみて。属性を調べてみる」
「……了解。頼むわ」
「っ! い、何時も、そ、それくらい、素直でいてよね。まったくもう………」
綺麗な翡翠色の魔力光が変化し、淡い赤へ。珈琲カップが温まっていくのが分かる。
緑系の魔力は確か『風』属性。なのに、赤――『火』属性も使えるってか。
……複数属性持ちって、そんなにいないんじゃ?
カップを落とす前に丸テーブル上のソーサーへ置く。砂時計が落ちきるまであと少し。
お嬢様は俺の手を握ったまま、にへら。質問してみる。
「俺の属性、分かったか?」
「♪」
「おーい? エミリア・ロードランド侯爵令嬢様??」
「――っ! ……大丈夫よ、分かったわ。ジャック・アークライト、貴方の魔法属性は」
「お、俺の魔法属性は?」
少女が俺の手をにぎにぎ。左の人差し指を自分の唇に当て、片目を瞑ってくる。
「紅茶の後ね」
「お、お前なぁぁ」
「ふふふ♪ ほら、砂が落ちきったわよ?」
「…………」
こいつの性格が分からん。
不機嫌になったり、上機嫌になったり……姉貴も似たようなもんだったか? とにかく、女子の扱いなんて俺には難易度が高ぇ。
茶こしをカップに置き、お嬢様をみやる。
「淹れるから手を放すぞー」
「……え?」
「落としたりしたら、危ないからな」
「……あ」
手を放し、ティーコージーを外す。
ティーポットを握りカップへ最後の一滴まで注いでいく。勿論、最後の一滴はお嬢様へ。
――いい香りだ。少女を促す。
「出来たぞ、飲もうぜ」
「…………」
むすっとしたお嬢様が着席。
ソーサーを引き寄せ、少しの砂糖とミルクをカップへ。一口。
――目を見開いた。
「…………美味しい」
「お、そうか? 久々だったけど覚えてるもんだな」
「……ねぇ」
「んー?」
珈琲を飲み、一息。きちんと熱くなってら。
「紅茶の淹れ方、誰から、習ったの? またお姉さん?」
「当たりだ。理由は聞くな。俺にも分からん。突然、帝都から流行りの小説と手紙、それに大量の茶葉と紅茶を淹れる諸々一式が送られてきて『読んで! 出来るようになって!!』と書かれてて、それでだ。執事物だったな……」
「…………ふ~ん」
お嬢様が荒々しく、ケーキにフォークを突き刺す。
姉貴は、俺が断ると本気で死にそうな顔になって、下手すると泣くので、断れないのだ。
一応、帝都に来ることは手紙で知らせておいたけど、届いたんだろうか。あの人、各地を転々としてるし、まだ知らないかも?
珈琲を飲み終え、紅茶へ移行。考え、砂糖とミルクを少しだけ。
タルトへ垂直にフォークを入れ、丁寧に切り分け頬張る。
――うまっ! これ、中の果実は東方産なのか?
幸せな気分に浸る。少なくともこんな美味いお菓子は、うちの田舎にはないわな。
自然と身体が左右に揺れる。少女が頬杖をつきながら聞いてきた。
「……美味しいの?」
「美味いな!」
即座に回答。美味い物は美味いのだ。
すると、お嬢様は頬を赤らめ、指をくねらせる。
「そ、そう。な、なら……あの……あのね……わ、私のも」
「? あ、俺の属性、教えてくれよ! 何だったんだ??」
いかんいかん、忘れてた。
これから此処でお世話になる以上、魔法の勉強もしないとだしな。今までみたいに知らないってのはまずい。
――おや、この冷気混じりの風は?
恐る恐る前方を見やる。
「貴方の属性は『風』よ。私と同じね。これも少し意外だけど、ふふ……ふふふ……これから、ビシバシ、鍛えてあげるっ! ええ、容赦も加減もしないから、覚悟していなさいっ!!」
「い、いきなり何だよっ!? 甘い物が不足してんのか? 仕方ねぇなぁ……ほら」
予備のデザートフォークでケーキの反対側を切り、お嬢様の口へ運ぶ。
「! な、何を、何をっ!?」
「? 大丈夫だって、予備のだし、こっち側は口つけてねぇよ」
挙動不審な少女は周囲をきょろきょろ。周囲に人影はなし。
両目を瞑り、口を開けたので食べさせる。
「どうだ?」
「……今までで、一番、美味しい……」
「お~。食べ慣れてるお前でもそう思うってことは、これやっぱり珍しいんだな!」
「…………バカ」
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