【第二章/結成、タツィアーノ・ファミリー】その3

「運命は、つまらない。けれど、生きるというのは楽しいとかつまらないとかじゃない。あの頃のヴィエーナには、それがわかっていなかった」

 ヴィエーナ商会の貴賓室は地下にある。時に他国の客を招くこともあるその場所は、見本閲覧の性格を持つからだ。

 広いフロアは、二重の壁に包まれた構造となっている。硝子で区切られた空間は、植物園。魔法を用いた人工の光に、適度な栄養と魔力を含んだ土、常に新鮮なものと入れ替えられる空気は温度や湿度までも徹底的に管理される。

「人も植物も同じ。その場に不適切な生き方をしようとすれば、あっけなく枯れるだけ。そんなのは御免でしょう?」

 フロアの植物を見渡せるよう、机も座席も円形だ。入り口から奥の側には、セーラー服を纏った少女のヴィエーナと、その隣にはスーツを纏った大人のヴィエーナが意識を失った状態で座っている。彼女は対面に座っている賓客シーパに、成果を見せつけるよう手を広げた。

「夢は、叶う範囲で見るものよ。あなたにも、それをわかっていただきたいの。これから一緒に商売をする仲間として、レジスタンスなんて危ない連中とは、手を切ってもらえないかしら」

「嫌です、と断ったら?」

「大丈夫」

 シーパの否定を包み込むように、少女ヴィエーナは柔らかに笑う。

「嫌だなんて、思わなくなるから」

 ヴィエーナ商会地下貴賓室は、貴重な植物の生育を見学するだけの場所ではない。実際に、サンプルを使用するための場所でもある。

 魔法技術で自動化された生産ラインに乗り、乾燥した環境で育った一本の植物が採集され、傷つけられた幹から白く粘性を持つ汁が零れる。多くの時間と手間を要する作業が、魔法によって工程を早められてでき上がっていく。

「七支王が治める七国家のうち、イスサナ帝国を含む六つの国で製造も使用も、原料となる植物の所蔵や製法を記すことさえも禁じられているポーションよ。名前はこれを発明した錬金術師にちなんで、ザワール・ポーション。別名は【神の血液】」

 白かったはずの粘液は、黒々とした赤色に変わる。

 フラスコの中にぽたり、ぽたり、と溜まっていく。

「激しい多幸感と全能感に包まれ、身体能力の向上や傷の治癒まで見込めるのだけれど、強烈な副作用と依存性があるの。効果の終了後、服用者が最も敬意を抱く存在からの激しい罵倒や叱責を受ける幻覚に襲われ、抗い難い罪悪感と虚無感に苛まれるわ。それを逃れる手段はザワール・ポーションの再服用だけ。一度でも服用し、使用を継続できなくなった者は例外なく自死を迎える」

 その様は呪いだと、少女ヴィエーナは言う。神の血を飲んだ者の末路、禁じられた領域に踏み込んだ者に下される、あたりまえの厳罰だと。

「繋がりましょう、結びましょう。共に抱える罪こそ、この世で一番強固な絆。自分ヴィエーナがあなたのこと、とろけるように飼ってあげるわ」

「……ッ!」

 シーパは身をよじるが、椅子を揺らすことさえできない。椅子は、表面にびっしりと書かれた文字により、対象を拘束するよう固定されている。

 文字、言葉……“意味を内包するかたち”をもって、対応する現象を引き起こす。それがヴィエーナ・ショートッカの修めた《書記魔法》だ。

「抵抗は無駄よ。自分ヴィエーナの《編集》は、現象として現れることに特化しているの。形のないものは変えられないけれど、形があるものを縛るのは得意。意思や心は、別のもので操ればいいだけだから」

「……それが、あなたの信条なのですね。“自分には、心は変えられない”……だから、抱いていてはいけない気持ちを、分けてしまうことにしたのですね」

 ぴくり、と少女ヴィエーナの目が動く。

「夢を捨てられないあなたと、夢を諦めたあなた。どうあるのが正しいかわかっているけれど、時々それを、見失ってしまいかける瞬間がある。それがとてもこわいから――自分を叱ってくれる自分を、自分の外側に置いておくことにしたのですね」

 シーパの声には確信があった。そこにあるものを、見たままに言っている口調だった。

「随分と、知ったふうな口を利くわね」

「わかります。わたしも悪い子ですから。絶対にやってはいけないことほど、気持ちよさそうで、思いっきりやりたくなるものですよね」

 ヴィエーナ・ショートッカは知る由もない。タィラート族の少女、血定リレイション》を持つ者に芽生える衝動のことも、彼女が苛まれていた葛藤も。

 しかし、シーパ・アトゥルルルハは知っている。だから彼女は微笑む。恐怖より、その確信が勝っている。

「大丈夫ですよ、ヴィエーナさま」

「は?」

「わたしも、最近ようやく知ったのですけれど……わたしたちは必ずしも、全部が全部、よい子でいようとしなくても、よいらしいのです」

「……ちょっと待って。待ちなさい」

 困惑からの制止も、シーパは意に介さない。何を思い出しているのか、その頬をかすかに上気させながら、言葉を続ける。

「あの朝、おじいさまたちや、領主さまたちと戻ってきたとき。わたしは驚いて、自分がこんなことをさせてしまった、危ない目に遭わせてしまった、と怖くて泣いてしまったのです。そうしたら、あの方は、わたしの涙を拭い、こう言ってくださいました。『何がいのか、悪いのか。自分で考えて、どうするべきか決めたんだ』、と」

「あなた、何の話をしているの?」

「もちろん。わたしが、心から信じている――わたしが受け入れたふりをしていた運命を、従うしかないと思っていた諦めを壊してくださった、天使さまのおはなしです」

 その単語を聞いても、ヴィエーナは反応しない。それは本当の無反応ではなく、努めて反応をしなかったようにも見える。

「あの方はきっと、ヴィエーナさまも、解き放ってくださいます。そうしたらぜひ、ミハテ村でいっしょにごはんを食べましょうね。わたし、腕によりをかけて、おいしいスープを作りますから」

「それは素敵ね。期待しているわ」

 工程を終え、生成された【神の血液】が卓上へ運ばれてきた。フラスコを軽く振り、少女ヴィエーナはその品質を確かめる。

自分ヴィエーナは夢を見ない。見させないし、信じない。あの天使は、今頃落陽区で泥にまみれて八つ裂きよ。それとも、帝都に戻って来ようとして串刺しかも。お詫びに、あなたにはとってもおいしいポーションをあげる」

 赤い液体の入ったフラスコを手に、少女ヴィエーナがシーパに近づく。

「ねぇ、タィラート族。頭の幸せな小娘。自分ヴィエーナを勝手に、わかったつもりにならないで。自分ヴィエーナは、ヴィエーナ以外に心を覗く真似をされるのが、何より不愉快極まりないのよ」

 瞳は静かに、激情は確かに。少女ヴィエーナはポーションとは名ばかりの破滅を飲ませようとし、シーパはそれでも、相手から目を逸らさずに見つめ続け――。


 ――突然の激しい揺れにフラスコが取り落とされ、床に赤い液体がばらまかれた。

 

「な――何事!?」

 少女ヴィエーナが困惑をあらわにする。中空に指で描いた軌跡は四角、その“窓”は簡易通信の魔法となって、上層階へと繋がった。

「応答しなさい、警備室。この騒ぎは一体――」

『失礼。お邪魔しているよ、ミス・ヴィエーナ』

 通信に映ったものを見て、二人は対照的な反応を示した。「わあ」と目を輝かせたのがシーパ、「なっ!?」と愕然としたのが少女ヴィエーナだ。

『確認だ、僕の身内は元気だね? もしそうでないのなら、交渉の余地はない。非常に残念だが、ヴィエーナ商会、徹底的に潰させてもらう』

 通信の窓に映っているのは、誰あろう天使の少年だ。ただし、先程とは違う部分がいくらかある。

 まず一点、右の瞳から垂れ落ちる血液。植物から精製され、綽名がそうであるだけの【神の血液】とは、その生々しさも、おぞましさも違う。

 もう一点は、彼が纏う衣服だ。いつの間にどうやってか、大人のヴィエーナが好んで着る、異世界の正装、スーツに身を包んでいた。

 シーパは「天使さまー、とってもお似合いですー」などと呑気なことを言っているが、少女ヴィエーナの思考には“ありえない”という言葉が荒れ狂う。

『シーパは無事みたいだね。この格好については、あれだよ。色々と冒険をして汚れたもので、挨拶の前には着替えておこうと思って。同じものを何着も持っているだろうとは思っていたけれど、僕にピッタリのサイズまで用意してくれていて助かった』

「……どうやって、ヴィエーナのクローゼットに入ったの。あそこには、本人以外絶対に入れないよう、何重にも結界の術式が――!」

 少女ヴィエーナは、開いている通信の“窓”を、左右十指を用いて複製し拡張する。そうして商会本部を確認した少女ヴィエーナは、明らかになった現状に「……は?」と漏らすことしかできなかった。

「け、結界が――結界が、ないっ!?」

 それは、ヴィエーナ・ショートッカの研究と趣味を兼ねる更衣室に留まらなかった。

 商会本部の各所が、防護・隠蔽・遮断術式セキュリティを剥ぎ取られ、虫食い状態になっている。

「な、何よこれ! ヴィエーナ・ショートッカが、最高の素材で入念に張り巡らせた、書記魔法の極致よ!? それがこんな、いっぺんに、あっさりと、知らないうちに破られるなんて……! いえ、そもそも、どうやってあなた、落陽区から出てこられたの!?」

『運が良かったよ。あの飛び出す杭の罠は、百分の一の大当たりをたまたま何度も引いてくれてね。いやはや――

 思い出す。少女ヴィエーナもその知識は共有している。

 異世界より来たりし天使は、《魔法マジック》でも《技能スキル》でも《血定リレイション》でもない能力――それらすべての上位に存在する、ヤーフィラから失われたとされる神域の現象、《祝福ギフト》を宿す。その前ではどんな不条理も起こり得るし、人間がたかだが二百年程度研鑽した魔法など、薄紙にも等しい脆さで――。

「……百分の一の大当たりを……?」

『にーーちゃーーーーん!』

「ひゃぁっ!?」

 通信の向こうから聴こえた、場違いで能天気に明るい叫びに、思わず少女ヴィエーナの身体が跳ねてしまった。

 通信の窓に映ったのは……少女ヴィエーナの基準からすれば、薄汚れた、ずたぼろの服を着た、平均的な落陽区の児童たちだった。

『ここすごいね! おもしろいのがいっぱい!』『こんなきれいなの、はじめて……』『もっとタンケンしていい?』『おみやげ、もって帰ってもいい?』

 苦しんで生き、泣いて死ぬ……恵まれないということを体現するために、環境を整備され、そこから一歩も出ないように閉じ込められる命が、天使の少年に向かって瞳を輝かせている。

『遠慮はいらないよ、色々と見てくるといい。僕は君たちに、楽しんでもらうために連れてきたんだからね』

 少年からの許可に、児童たちが歓声をあげる。すりきれた素足で、今まで一度も味わったこともなかったであろう、柔らかい絨毯の上を走っていく。

「――あ……あ……!?」

 それを見て、ヴィエーナは知った。商会本部に起きた激変のわけを。

 児童たちが駆けていった足跡、持った道具や、握ったドアノブ……触れた端から、魔法が無効化される。書記の文字が浮かび上がり、掻き消えていく。

『ここに連れてきた子供たちは、僕と“盟約”を交わしている。ここで、心の赴くままに遊んで、楽しんでもいい――そういう“運命”のもとにある。だから、何にも拒まれることはない』

 ヴィエーナは推測する。かの少年が持つ《祝福》……[血涙の盟約リ・ブラッド]と呼んでいたものは、おそらく、彼が命じたように、願ったように、対象の運命を捻じ曲げる。それが可能になる、圧倒的な力を纏わせている。

 力の規模も純度も次元が違うのだ。あんな現象に、一介の人間程度が練り上げた魔力が巻き込まれれば、ただ根こそぎにされるだけ。

「これが、天使……神獣の一端を下した能力……」

 緊迫と戦慄が冷汗となって少女ヴィエーナの頬を伝う。

『さて。強硬な手段が通じない、と実感してくれたところで、交渉に戻れそうだ』

 少年が笑う警備室では、本来なら確かな実力の手練れが集っているはずだが、その人員は影も形もない……どころか、ヴィエーナ商会本部という、帝都でも有数の巨大ギルドが見舞われた異常事態が外に漏れている形跡すらない。

『安心してほしい。僕らはあなたたちの敵ではないし、あなたが苦労して積み上げたものを根こそぎにしたいわけでもないんだよ』

 ヴィエーナ・ショートッカは、地獄を見てきた。帝都におけるポーション販路の元締めの座につくまで、いくつの苦難が、障害が、敵対があったことか。えげつない手を使い、使われてきた。

 その中でも、今、この通信の向こうにいる相手はとびきりだった。

『要求は明快だ、ミス・ヴィエーナ。手を取り合い、互いの活動にさらなる利を。同盟は対等であり、得るものは分かち合い、失うものは補い合う。仲良くしよう。共に進もう。僕らの道は、重なれる』

 そうでない場合はどうなるのか。

 少年は、相手がそれを想像できると知っていて笑っている。

『あなたが協力したくなる材料として、こちらも一枚手札を明かそう。僕たちは先だって、ある大領主との懇意な繋がりコネクションを獲得している。彼等の力もまた、来たる戦いの大きな助けになってくれるよ』

 ぬけぬけとよく言った。“懇意な繋がり”とやらは、帝罰……剣帝より賜った抜殻を失うという大罪に付け込み、口止めとして強制的に結んだものに違いあるまい。

「大領主との懇意な繋がり……ああ、そんなものがあってしまえば、たとえばこんなこともできるわね。……隠蔽魔術を剥がしきられた丸裸のギルド本部に調査員を派遣し、不正の証拠を握らせたり」

 探られて痛い腹、後ろ暗いところなど、あるに決まっていた。他国の要人との取引の場たる地下貴賓室しかり、世を乱す元とされる天使の研究しかり、商会はその膨れ上がった図体に等しい分の、闇と罪を抱えている。

『もう一度だけ言おう。僕はあなたと仲良くしたい。ただしどうしてもあなたがそれを拒むなら、その時は仕方ない』

 少年は笑顔で。最初からずっと、笑顔のまま。

 自分の中で決定された事実だけを述べる。

『あなたはいらない。あなたが積み上げたものだけもらっていくよ』

 少女ヴィエーナは、悟る。どうやら、自分に残された道は二つだと。

 一つ。今の自分が持つ、あの少年の姿をした怪物に対して唯一優位性を取れるモノをうまく使う。シーパ・アトゥルルルハの身柄、打開の切り札でありながら、使い方を間違えればそのまま何もかもが終わってしまう爆発物を。

 もう一つは、彼の要求を飲み、手を貸すこと。……レジスタンス活動、支配体制の転覆、その先に待つ――調停を成す秩序との戦いに。

『決断を、ミス・ヴィエーナ。目先の感情に流されない、聡明な回答を期待します』

 なんて皮肉に満ちた言葉だろう。どちらを選ぼうと崖っぷち、選び得ない選択肢に少女ヴィエーナは「う、うううう……」と呻くことしかできず――。

「あーーーーっはっはっはっはっはっは! はははははははっ!」

 横合いから突如あがった大笑いに、飛び上がらんばかりに驚いた。

「いやいや、なんて追い詰め方だ! 研究で調査した限りでは、その性質は常に被害者側で、物事に波風立たぬ平穏を求めるものと思っていたが……中々どうして! それこそ、寝物語の悪魔そのものじゃあないか、天使よ!」

 スーツを纏った大人ヴィエーナが、いつの間に目を覚ましていた。彼女は通信窓の向こうの少年と、もう一人の自分の話を聞いており、そして活力に満ち充ちていた。

「自分で自分が恥ずかしい。なあ、自分ヴィエーナ。実物も知らぬまま、勝手な空想で創り上げていた幻像は脆く儚く砕かれた。あるいは、彼が天使としては極めて例外的な存在なのかもな」

「ヴィ、ヴィエーナ……」

「すまない。ここは、吾に決めさせろ。いつもそちらにばかり決断を押し付けてきた臆病者が、随分と虫がいいことを言っているとわかってはいるのだがな」

「……いいえ。任せるわ、ヴィエーナ。あなたが自分に、そう言える日が来るのを、きっと、ずっと待っていたから」

 少女と大人、二人のヴィエーナが手を繋ぐ。

 すると、少女ヴィエーナは光に包まれた。その輪郭が崩れ、縮み、一本の羽ペンとなってもう一人の自分の手に戻る。スーツのヴィーエナはそれを手の中で二度、三度と回し、指になじませる。

 そうしてヴィエーナは、少年が映る通信の窓に向かって、ペン先を振るう。そこに文字が刻まれ、魔法に新たな意味が付与される。

「失礼」

 言うが早いが、ヴィエーナが通信の窓に伸ばした手が……その中へと沈んで、向こう側にいた少年の胸ぐらを掴む。

 抗う暇もなく、もしくはその意志もなく、少年はヴィエーナ商会地下貴賓室へとやってきた。

「書記魔法は、文字を介して意味と現象を刻み込む。二点を繋げる空間転移の術式にはそれなりに向いている種類だよ。ただ、あっけなくやったように見えることほど、事前の準備や後の支払いが必要なのが魔法のつらいところでね」

「よい体験ができたよ。じゃあ、こちらも返礼だ」

 少年の左足の前蹴りが、至近距離からヴィエーナに向かって放たれた。

 引きずり込んだ時点で荒事は予期していたヴィエーナは、掴んでいる手を放し、素早く背後へ跳んで鳩尾への一撃をかわす。もっとも、少年とてそれを当てることが目的ではない。解放された彼は即座に、机を乗り越えて人質のもとへ行こうとする。

「シーパ!」

「さびしいな。目を逸らすなよ、天使」

 少年の指が届く前に、ヴィエーナの羽ペンが机を叩いた。

 瞬間、そこに刻まれ、隠されていた術式が起動する。机の表面に巨大な文字が光り――気が付けば、少年とヴィエーナだけが、深い緑の中にいた。

「――いいところだね。空気が澄んでいる。ひょっとして……」

「ああ。紹介しよう、ここは帝都より離れた東の地、ヴィエーナ商会が二百年をかけてもぎ取った農園ファクトリーだ」

 見上げれば、そこには巨大で半透明な天蓋がある。太陽光が引き入れられ、うっすらと空が見える。ここではポーション原材料の生産が、大規模に行われているのだった。

「広大だと思うかい? けれどね、全然だよ。これだけのものを作るのに、ヴィエーナ商会はしがらみにもまた、捕らわれすぎた」

 色とりどりの花を咲かせる、多種多様な植物に囲まれながら、ヴィエーナの表情に浮かぶのは、深く重たい悔恨だ。

「ここで作られるポーションの三割は非公式で帝国外に流れ、五割は帝都内の上流階級が持っていく。真っ当に市場に流通させられる分なんてごく少量だ。それもまた、一部の帝都民が、娯楽用途の嗜好品としてさらっていく。おかげで、本来届くべきところに届かない。すぐそこに、あんなにも求める者がいるのにな」

 花の中で地獄を語る。帝都において、強大な権力を持つとされたポーション流通の元締めは、あの街の中では決して吐けない怒りを吐く。

「何度、すべてを無視して落陽区にありったけのポーションを流せたら、と思ったかな。落陽区というシステムは、どれだけ表向きの権力を持とうと、帝都民や領主たちの奉仕存在でしかない商会風情には手の出せない領域だった。非公式にポーションを流すこともできないし、それがバレれば、ヴィエーナ商会は簡単に取り潰される」

 社会の仕組みとは、大きな流れだ。いかなる大魚であろうと、状況そのものを満ちる流れに逆らえば、ばらばらになることしかできない。

 ならば、どうするか。その流れに異を唱える時、流れの中では生きることができない者を、それでもどうにかしたいと思った時……諦める以外の方法とは。

「なあ。君は、彼らをどうする。あの行き止まりから、どうやって救う?」

「家族を作る」

 スーツを着た天使は、そのように言った。

「落陽の民と残らず契約を交わし、僕の庇護下へ引き入れる。陽の落ちた生しか許されない、娯楽の命となじる者には全員、自分が口にした通りの運命をお返しする」

 ピクニックに出かけよう、とでも言っているかのような声だった。行くべき先は見えていて、そこに着くと決めている声――彼は、つまり、この国を、落陽民を是として罷り通る、世界の仕組みそのものを覆すと断じている。

「ビヨンドレスに『外では偽名を使え』と言われたんでね。本名をもじってでっちあげた。――タツィアーノ。これからはそういう名前を背負って、やりたいことをやっていくよ」

「タツィアーノ一家ファミリー……」

 ヴィエーナは、これから天使が創ろうとしているものの名前を呟き、そして問う。

「目的は、何だ」

「屈辱には報復を。侵略には赤き血を。我らの掟は是即ち、魂の反逆である」

 天使――タツィアーノが、右目の端から流れ出た血を、左手で掬い取る。

 それが、彼の能力を行使するための手順であろうということに気付いていながらも、ヴィエーナの脳裏にぎっていたのは、過去だった。

 自分が、虐げられし民であったころ――【七の鎖を解く者】が自分の住んでいた箱庭を破壊し、死亡が偽装され、自由の身となれた十歳より以前のこと。

 あの日、自分は何を夢見ただろうか。何を望んだだろうか。

 ――決まっている。

「吾はな、タツィアーノ。本当は、理不尽な支配者から、いつか追い付かれるんじゃないかと怖がりながら逃げ出すより――これで解放されたんだ、と実感ができるくらい、思いっきりぶっ飛ばして進みたかった」

 ヴィエーナの手にした羽ペンが、その願いを肯定するように動いた。

「願うだけの理想は、誰一人として救えない。だから、見せてくれ、お前の力を。信じさせてくれ、お前の言葉を」

 中空に紋様が描かれていく。そこに書かれた文字が、彼女が筆先を離した箇所でも自動的に紡がれて追記される。紋様はどんどんと巨大化し、回転する文字に合わせ、魔力が更に高まっていく。

 これよりヴィエーナ・ショートッカは、魔法使いとしての己が持てる最大の一撃を放つ。それは彼と同時に、自分の運命をも試す。それが失敗したとき、この農園事態を失うことさえも覚悟した決断の一撃だ。

「防いで見せろ。その時こそヴィエーナ商会は、【七の鎖を解く者】に……否、タツィアーノ・ファミリーに、心よりの忠誠を誓おう」

 羽ペンの筆先が紋様に触れる。集約した魔力を撃ち出す、最後の筆記が、今――。


「命じる。{矛を収めろ}」


 ――今、

 羽ペンが手の中で暴れ、筆跡が狂った。極めて繊細な筆記で成り立っている魔法術式は機能不全を起こし、集束していた魔力は革袋に穴が開くように、周囲への風圧に変化した。

「なぁぁぁっ!?」

 間近にいたヴィエーナが、あおりを受けてすっ転ぶ。相当に激しく吹っ飛ばされはしたものの、幸い下が草地ということもあって怪我はない……しかし元より、彼女の心を占めるのは、驚愕が一つに謎が一つだ。

 驚愕は、彼の能力について。ヴィエーナが使おうとしていた魔法は、正常な解放がされなかった場合、風圧だけで事がすむようなものではなかった。周囲に魔力がばらまかれ、汚染された地となって草花が軒並み枯れる事さえありえた。……それが、手元が狂って式を書き加えられたことで一切の危険性を無効化されて消滅するなど、およそありえない偶然だった。

 そして、もう一点の疑問は……。

「どうして……吾はまだ、お前の血に触れてなど……!」

「それは、いつのことかな」

 タツィアーノがヴィエーナを見下ろしながら、答え合わせを始める。

「ねえ、魔法使い。僕が、“敵”だと認識をすませた相手と、決着をつける前に談笑トークを楽しむ馬鹿だとでも?」

 ヴィエーナの眼前に差し出されたのは、タツィアーノの靴先だった。

「……あ……ああ……っ!」

 彼が何故、わざわざスーツに着替えてきたのか。それは相手への威圧のためで、冷静さを剥ぎ取る挑発で、同時にこの状況への布石だった。

 否が応でもヴィエーナの目が行く変化で誤魔化して、彼は、その一点を隠蔽した。服は替えたが靴だけを履き替えていない、ということを。

 ここまで顔を近付けて、ようやく見ることができたが……タツィアーノの靴の先には、半ば乾いた血液が付着していた。

 普通に動いていれば問題はないだろうが、それは、激しい動きをしたならば、衝撃で剥がれて飛んだに違いない。

 ……たとえば。勢いよく、

「黒はいいよね、ミス・ヴィエーナ。特に――返り血が目立ちにくいのがとてもいい」

 タツィアーノは笑い、もって、ここに証明された。

 彼が、力を持つこと。それは魔法使いを退ける武力であり、そして、相手を出し抜く悪辣な知力としても、だ。

「――は、ははは」

 ヴィエーナが笑ったのは、必ずしも清々しさだけではない。

 彼女が抱いたのは、紛れもなく恐怖だ。少年にとっても間違いなく、不測の事態の連続だったはずだろうに……彼は瞬く間に適応し、自分を打ち破ってみせた。

 それが恐ろしくて、それ以上に頼もしくて、笑った。

 この恐ろしいものは、今の世界の在り方を、七支王の暴虐を、憎んでいる。自分と同じ悔しさに、憤っている。こんなに痛快なことが、他にあるだろうか?

「――なあ、タツィアーノ。……いや、違うな。これじゃ足りない。忠誠が示しきれない。何か、つけるものはないか?」

「そうだな。強いて言うなら、ドンだ」

「ドン・タツィアーノ。一つだけ、頼んでもいいか」

「聞こう」

「吾と、吾の築いたすべてを捧ぐ。この世界を、治してくれ」

 仰向けに寝転がるヴィエーナの隣に、タツィアーノが腰を下ろす。

「受け取った」

 朝の食卓で、調味料をとってもらったくらいの一言だった。

 そのくらい何気ない、あたりまえにやることを、あたりまえに言っただけの声だった。

「ありがとう、我が主。この命、我が力、これより永遠に、貴方のために」

 魔法式の消滅に伴った風が、草花を揺らしている。

 綿毛や花弁が中空に舞い、見上げた天蓋の向こうの青に、様々な色を混ぜている。

 その中で最も目立つのは白い花びらで、彼女はその美しさに吐息を漏らした。

「――ああ。まるで、天使が降りてきたみたいな空だ」


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試し読みは以上です。


続きは2020年2月29日(土)発売

『マフィアの落胤、異世界ではのんびり生きたいのでファミリーを創る』

でお楽しみください!


※本ページ内の文章は制作中のものです。実際の商品と一部異なる場合があります。

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