【プロローグ/血色の夕焼け、濁った涙】


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 高校からの帰り道、大通りを逸れて進むと、錆びついた遊具だらけの公園がある。

 そこは猫たちの溜まり場になっていて、彼らがじゃれあっているのを見るのが、僕の唯一の楽しみだった。

「よい、しょ」

 僕はいつものベンチに座って、遠巻きに猫たちを眺めていた。黒猫、白猫、茶虎に三毛、野良たちは思い思いに、彼らだけの満ち足りた空間を楽しんでいる。

 知らず、溜息がこぼれていた。ふと、このまま時間が止まればいいと、いや、いっそ今の穏やかな心地のまま――。

 ――そんな願いを、どうやら、神様が聞いてくれたらしかった。

のうたつ

 声は突然に、背後から、耳元で囁かれた。

 僕は、振り返ろうとして、できなかった。

「呪うなら、この世に生まれた間違いを呪え」

 鋭い刃物で喉を掻き切られ、傷口は痛みよりもただ熱い。倒れかけた身体を支えられ、音がしないようそっとベンチに寝かされる。

 血のような夕焼けの逆光で、相手が見えない。

 赤い赤い光の中、僕は“二度目の死”に際し、一度目の死を思い返す。


    ◇◇◇◇◇


『はじめまして、安納辰巳君。私は、君のお祖父さんの遣いの者だ』


 七年前、僕が八歳の時、雪の降り積もった寒い日のことだ。

 祖母の葬式に、高級な喪服を着たイタリア人がやってきた。

 彼は、僕がなぜ金色の髪と青い瞳をしているのか、祖母の、写真の一枚もない"夫”が誰だったのかなど、親切に教えてくれた。

 僕の祖父は、イタリアのシチリア島を根城とするマフィアの、伝説的なゴッドファーザーなのだという。若き日に旅行で訪れた祖母と知り合い、当時はまだ下っぱの構成員だった祖父の素性も知らぬまま、一時の熱烈な恋に落ち……その結果母が生まれ、僕がここにいる。

『ドンは生涯君と関わるつもりはなかったが、そうも言っていられない状況になってね。いや、実に不運なことインフェリチタだった』

 買い物帰りの祖母が、路地で冷たくなって見つかる数日前、シチリアのドンも体調を大きく崩していた。

 ドンは辣腕を奮い組織を拡大した傑物だったが、病で身体と心を乱し……“最も情熱的に愛した女”の忘れ形見が気にかかり、これまで『平穏に生きて欲しい』との思いから近寄ろうとしなかった極東の島国に、遣いをよこしたのだという。

『状況は把握している。ドンの立場上、君と直接関わるのは多くの問題を招くため、私が今日から君の後見人となる。残念だが、ここに拒否権は存在しない』

 両親を交通事故で亡くしており、身寄りのなかった僕は、祖母の葬式の日にマフィアの庇護下に入ることが決まった。

 つまり、安納辰巳はそうして一度、死んだのだ。


 祖母と住んでいた家を引き払い、僕は高層マンションの最上階に引っ越し、夜毎様々なことを学習させられた。

 一口に言うならば【歴史】と【手口】だ。マフィアの思想、在り方、技術、手法……そういうものを、これまで積み上げてきた常識より優先するものとして刻み込まれる。

『ドンは、君を決して闇に巻き込まないと考えておられた。

 病に倒れたドンは、ファミリーの今後について考えた。彼らが住まう世界では、『血』の継承、偉大なる人物の続きであるという証がものを言う。ドンの家族は事故や抗争で失われ、唯一残っているのが当時八歳だった僕と、そして、生まれたばかりの孫娘だけだったという。

 幾人もの名医が手を尽くしドンの体調は小康状態にまで持ち直したが、その決定は撤回されはしなかった。

 思い出したくもない、けれど忘れられない七年間が過ぎる。僕の血と四肢には、人を屈服させる方法が染み込んでいく。

『ドンの命が尽きる前、次の誕生日には正式な継承を済ませていただきたい。その為に必要なものは、実際の経験も含めて学んでもらったからね』

 淡々と突きつけられた宣告を、頷いて受け入れる。反論を飲み込むことにも、とっくの昔に慣れきっている。

 そんな折だった。僕が、猫の公園を見つけたのは。


 カモフラージュで通っているだけだった高校からの帰り道、大通りから逸れた路地に、駆けていく猫の背中を僕は見た。

 ……その姿に、祖母と小さな家に住んでいたころ、縁側に来ていた猫を思い出した。

 自然と僕の足は、それを追って動いていた。角を一つ曲がり、ふたつ曲がり……その先に公園があり、そして、彼女がいた。

『ん~、にゃぁ~~ん』

 鮮やかな菫の、花の紋様をあしらった着物を着た女の人だった。彼女は赤錆びたベンチに腰掛け、膝の上で香箱座りをしている猫のあごをうりうりと掻いていた。その腿にも、左右別の猫がもたれかかっている。

 そんな様子が無性に羨ましくて、公園に一歩踏み込む。

『……あ』

 じゃり、と音が鳴った瞬間、猫たちは一斉に反応し、離れた位置の砂場まで逃げてしまった。全員が警戒するように、僕を睨んでいる。何と謝っていいのかもわからず、僕は背中を向けて去っていこうとしたところで、『ねえ』と女性が口を開いた。

『こっち来れば。見るだけなら、大丈夫だと思うよ』

 断らなかったのは、結局、はねのける気力もなかったからだと思う。僕はその人の隣に座る。離れた場所にもかかわらず、猫たちは今にも駆け出しそうな姿勢になった。

『見すぎちゃだめ。目は合わせないで。意識も集中させないの』

 言われた通りにすると、視界の端に映っている猫たちが、やがて警戒を解いて、砂場で遊び始めた。――腹の底から、安堵の吐息が漏れた。

『邪魔をして、すみません』

『なんの。お邪魔をしてるのは、こっちのほうさ』

 女の人は、よくわからないことを言って『いしし』と笑った。僕は五分ほどその場にいて、それから帰った。


 その人とは、その後何度か出くわした。

 彼女にじゃれている猫たちが、僕が来るとすぐ逃げる。『やっぱり寂しい?』と聞かれ、同じ場所にいられるだけで十分ですと答えると、彼女は『殊勝だねえ』と笑う。

『わかるけどさ。自分が関わることで、何かが壊れるよりずっといい、っていう気持ちはさ』

 その言葉が嘘ではないとわかったのは、教育の成果だった。表情、随意筋の動き、言葉のトーン。自分と同じ考えをしてくれている、という喜びと、本来わかってはいけないところまで勝手に覗き込んでしまったことに対する嫌悪感がない交ぜになって、うまく喋れない。

 女の人の、黒と栗色の混ざった瞳が僕を見た。

『君は、色々なことを我慢しているね』

 彼女の指した先には、プールに投げ入れられ、水浸しになった僕の鞄がある。

『できることも、したいこともあるだろうに。何故、それをやらないのかな』

『嫌、なんです。居場所が、無くなるのが』

 口をついて出たのは、僕自身さえ、それまで一度も形にしたことのなかった、きっと、心の底からの本音だった。

『意地、なんだと思います。できるとしても、そんなことをしてやるもんか、っていう』

 思春期の、よくある反抗のような……それでも僕が自分で取り決めた、たった一つのことだった。女の人は『そっか』とだけ言った。

 彼女は立ち上がり、大きく伸びをして、もう一つ聞いてきた。

『君、死にたい?』

『はい、たまに』

 桜吹雪の道を遠ざかる、背中を見送ったのが最後だった。

 公園に来るたびに背を探すも、彼女とはそれっきり会うことはなく――過去をなぞる走馬燈の風景は急速に、血塗れの現実に帰るように赤く赤く塗り潰され――。


        『やあ、ひさしぶり』


 ――とうに散った桜吹雪の中、記憶の彼女が振り返って、僕の知らないことを言った。

『まあ、こういう末路に行き着くとは、出会った時からわかっていたのさ。何しろ君の運命ってば、赤黒い、血の壁みたいなどん詰まりだった』

 走馬燈の記憶、桜吹雪の公園と、今の現実、血塗れの夕暮れが重なっている。

 ああ、死に際の幻覚だ。絶対に見えるはずのないもの――ベンチに横たわり首から血を流している自分と、端末を取り出して、どこかに連絡をしている人物……暗殺者を見て、その会話を聞いている。

「はい。問題はありません。レニーが育成を進めていた少年は始末しました。後継は、ファミリーを最も支えたドンの片腕である貴方です、フェリポ」

『支配権の奪い合い――君がそこに座っていたら困る誰かが、そこからどかせるように取り計らった、か。どこでも似たようなものだね、人のやることは』

 猫のお姉さんは、うんざりしたふうに首を振る。

『さて、何て言うべきかな。君が君の、不本意に押しつけられた大っ嫌いな技能を、使わずにすんでおめでとう? それとも――くだらない生涯から、いち抜けできておめでとうかな?』

 にやにや笑いは明らかに、特定の反応を期待している。

 ……まあ、構わないだろう。

 死に際の幻覚の中でくらい、本当に思っていることを言ったって。

「――これで終わりは、いやだなあ。本当は、ちゃんと……おばあちゃんと二人きりだった時みたいな、のどかで、やさしい生活をしたかった」

『はい、言ったね』

 猫のお姉さんが、ぱちん、と指を弾いた。

 瞬間、僕と彼女以外のすべてが、七色に輝く光の渦に飲まれた。

『君が口にした迂闊な願い、確かに聞き遂げた。ではでは、運が良ければ行ってらっしゃい――君が君らしくあれるかもしれない、新たなる運命の地に』

 笑顔で手を振られ、そして一瞬で彼方まで遠ざかる。

 わけもわからぬまま、僕は今までとまったく違う別の『流れ』に翻弄されて――。

 ――地面に、思い切り叩きつけられていた。 


    ◇◇◇◇◇


 何が起こっているのかわからない。落下の衝撃は背中から全身に伝達したようで、満足に手足も動かせない。それでも、かろうじてぼやける視界から情報を拾う。

 いつの間にか、僕がいるのは猫の公園ではなくなっていた。寺や社の趣――何がしかの存在を祀っているらしきほらにいること、丁寧に敷き詰められた、草の祭壇のようなものの上にいること。

(――なんだ、これ)

 これも、死に際の幻覚の続き……なのだろうか。

 湿った空気、苔の匂い、頭上のり貫かれるように開いた天井から落ちてくる細かな破片が頭にぶつかる刺激と、差し込む陽の眩しさが痛い。

 込み上げてくるものを抑えきれず、血を吐いた。僕の喉は、依然、ばっくりと裂けている。

(……まあ、何が、どうなってるとしても……)

 これから起こることは何一つ変わっていない。

 安納辰巳はまもなく死ぬ。世界一の名医がいたとして、手の施しようなどないだろう。いや、それ以前に、僕なんかを生かしたところで――。

 ――思考を中断させたのは、何かがどさどさと、取り落とされた音だった。

「あなた……」

 静かに、しかし驚きが深く染みている声がした。

 焦点の合わない眼球が捉えるのは、曖昧な輪郭線シルエットだけだ。……誰かが、どうやら、そこにいる。

 声からして、幼い少女で背は小柄――突然に死にかけの人間なんて発見した動揺で、きっとこの後、すぐにも逃げ出すだろう。申し訳ないな、不吉なものを見せてしまって。

「……そうか。きっとこれが――わたしの運命、なのですね」

 予想は外れた。彼女は逃げず立ち止まり、深呼吸の吐息、それから、懐から取り出された……鈴、だろうか。そういったものが鳴る、澄んだ音がした。

「少しだけ、我慢してください。そのまま、目を開けていて。耳を澄ませて、聞いていて」

 ……え?

「あなたは助かります。これからわたしが、助けます」

 そうして、“それ”が始まる。僕は彼女に言われた通り、見て、聞いていた。不確かな目と胡乱な耳を、精一杯に集中して。

 始まったものは、舞と、うただった。縦横無尽に、広く自由に、横にした8の字を描くようにぐるりくるりと足取りは弾み、喉を通り溢れるのは、僕の知らない言語、僕の知らない意味で表現される、伸びやかな祝福だった。

 僕は連想する。今行われているのはまるで、大地と共に生きることを選んだ民が、自然への畏敬と礼賛を唱える……神に捧げる原始の儀式のようだ。

 足が地面を踏みしめて跳ぶ。口が生命を言祝ぐ。鈴の音が彩を添える。身体が動けば拍手を送りたかった感動は、しかし、驚きで塗り替えられた。

(……な……!?)

 彼女が描く、舞踊の軌跡……横8の字の中心に、それがあった。

 ここに訪れた時、僕を見て取り落としていたらしい木籠……ひっくり返っていたそれが、下から持ち上げられた。

 籠の下で、植物が育っていた。

(ありえない……)

 常識を総動員しても、マトモな理解も分析もできない。まるで早回しのビデオみたいに、植物が芽を出し、幹を作り、木へと生育していく光景など。

 鈴を七度鳴らして、舞踊は終わった。その時にはもう、ついさっきまで影も形もなかったはずの大樹がそこにあって、まるで、彼女に対して拍手を送るように葉が鳴り、枝がしなり、何か、それなりに重いものが落ちた音がした。

「感謝します。この地に住まいます精霊よ」

 拾い上げたそれを持ち、彼女は祭壇に横たわる、死に体の僕の元へとやってきた。

 そして彼女は、どうやらそれを齧ったらしい。僕はそろそろ目を開けているのも困難で、耳と、動作の気配でかろうじて行動を感じ取っている。音からして、林檎と桃を合わせたような、歯ごたえがありながら柔らかくもある肉質で、たっぷり水気を含んだ果実……丁寧に咀嚼する雰囲気の後、小さくも温かな指が、僕の唇を割り開いていく。

「――――ん」

 そこに彼女は、自らの唇を合わせてきた。

 甘みのある、ぬるりとした感触が口から口に移ってくる。次いで入ってきたのは彼女の舌で、口腔内に与えられた刺激が、流し込まれたものの嚥下を促す。

 それが十回ほど繰り返された。よく噛み砕き、ペースト状になったそれらがすっかり僕の腹に収まった時にはもう、明らかな変化が起こっている。

 目が見える。身体を起こし、動かせる腕で喉に触れる。そこには、横一文字に裂けた傷などない。僕は改めて、周囲の洞穴……自分が置かれている状況を見渡し、それからようやく、最初にすべきことをする。

「…………えっと。その、ありがとう」

「御無事でなによりです、使

 褐色の肌、白銀しろがねの髪、よく熟れた蜜柑のような橙の瞳。首には、紐で巻かれた鈴飾り。

「ヤーフィラ地界ちかいへの御光臨、心より歓迎申し上げます。天使さまの御世話は居合わせましたる迎人むかえびとが御役目にて、わたしシーパ・アトゥルルルハに、これよりの所用一切をお申し付けくださいませ」

 ――そうして。

 僕の命を救ってくれたらしい相手は丁寧に頭を下げて、それからはたと気付いたようにまばたきをした。

「失礼いたします」

 着ていた衣服の胸の部分をつまみ上げ、それでこちらの口元を拭う。

 白いワンピースが血と涎と果汁の混ざりあったものでべったりと汚れてしまうが、彼女はそのことを気にしたふうもなく、僕の顔だけを見て嬉しそうに微笑む。

「おきれいになられました。もう大丈夫ですよ。では、参りましょう。これからのことについても、皆に説明せねばなりません」

 自分よりも背の低い少女に手を引かれ、血痕や果樹を残したまま祭壇を離れる。土と岩の通路を抜けて外へ出て……外に踏み出した一歩目で、広がる景色に息を飲んだ。

 一面に広がる緑、広大な自然。

 山中の開けた広場から「あそこです」と指を差された山間に、小さな村が見えた。

「天使さま」

 振り返り、青空を背負いながら、少女が言う。

「わたしも、このあたりの生まれではありません。ずっと小さなころ、おじいさまに、砂の国で拾われたらしいのです」

 そこには気負いや嘘がない。自然な、ありのままの気持ちを述べている。

「けれど、毎日が満ち足りています。村の皆は優しくて、温かくて……ですから、天使さまも存分に、この世界で傷をお癒しくださいませ」

 心の底から、こちらを気遣い、幸福を願う声。

 それがじんわりと胸に染みる。繋がれた手に、きゅっと力が籠められる。

「……天使さま、じゃありません。僕は、安納、辰巳です……アトゥルルルハ、さん」

「かしこまりました。では、地界にてすごす間、タツミさまとお呼びさせていただきます、天使さま。わたしのことは、どうぞシーパとお呼びください」

 ……そういうことじゃないんだけど、とも伝えきれず、手を引かれて丘を下る。

 ここは何なのか、これから自分はどうなるのか、相変わらず全然わからないけれど、とりあえず、一つ気付いた。

 見渡す視界に壁はなく、空が青くて、どこまでも高い。

 ただそれだけのことが、泣きたくなるほど気持ちいい。

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