第一話 男子校は男子校なので女子はいない その3
俺は今、全裸の美少女を視界に収めている。
いや、その表現も少し正しくないな。全裸と言ってもタオルを肩から下げているし、汗でぐっしょり気味のパンツは足元で留まっているから、完全に全裸というわけじゃない。
概念的にはまだ着衣状態といえる。つまり着エロだ。
もっとも、大事なところは丸見えなので、本質的には全裸、つまり半裸と全裸の境界線、シュレディンガーの全裸なわけだが――っていうか誰だよこれ!? ここ男子校だぞ!?
なんで先生以外の女がいるんだよ!?
「え、嘘? 傑? な、なんで……?」
「その声、まさか伊織!?」
伊織の声だ。間違いない。
顔より身体のほうに意識が行ってて気づかなかったが、よく見れば顔のパーツが伊織だし、髪形や声も完全に伊織だった。
違うのは俺の記憶にある性別だけだ。
「なんで、いるの……? もうとっくに放課後なのに……」
「あ、その、心配だったからお見舞いして帰ろうと思って……」
「大丈夫だって言ったんだからさっさと帰れっての……って、それオレの荷物じゃん! なんで傑が持ってるの!?」
「こ、これはお前キツそうだったから、すぐに帰れるようにと思って……」
「そ、そう、わざわざありがとう……」
「ま、まあ気にするなよ。え、えーと、伊織。それよりさ、その……」
「な、なに?」
「寒くないのか? その恰好」
「――っ!?」
伊織がカーテンで身体を隠した。
「み、見るな!」
「み、見てないわ! さっきから気を遣って目をそらしてたわ! ……なるべく」
「じゃあやっぱり見てたじゃん! このエッチ! スケベ! スケベニンゲン!」
「誰が有名イタリアンレストランだ! とりあえず服を着ろ!」
持っていたリュックサックを伊織の前に差し出した。
だがしかし、この行動がいけなかった。
「っ! か、返してっ!」
「ば、馬鹿! こっちくんな!」
羞恥心に負けた伊織が、俺からリュックを奪おうと、オーバースピードで突っ込んできた。
その結果、俺は伊織に抱き着かれる形となった。
チックショウ! めっちゃ柔らかくていいにおいじゃねえか!
目の錯覚なんかじゃなくて、マジでこいつ女だよ!
「さっさと渡せ!」
「渡す! 渡すから一回離れてくれ!」
必死の伊織に俺の声が届くはずもなく、伊織は俺に密着したまま大暴れだ。
小さい割にめちゃめちゃ育った身体が、俺の身体と激しく接触し、もにゅもにゅと歪む。すごく、柔らかい。そう、柔らか……まずい!
「伊織、お願いだ! 目をつむるから今すぐ俺から離れてくれ!」
「で、できるわけないでしょそんなこと! っていうか、絶対薄目開けるやつじゃんそれ!」
「しねーよ! どんだけ俺信用ねえんだよ!? 友達だろうが!」
「うっさい! いいから早くそれ渡してってば!」
「うわっ!?」
さらに激しく伊織が暴れる。
荷物を奪い取ろうとする伊織の身体がさらに激しくぶつかり、歪み、俺は――。
「早く、今すぐ俺からどけ! 離れろ! じゃないと、じゃないと――」
俺の意識は――。
「お前が欲しくて、止まらなくなるだろう?」
俺は、暴走する。
女性アレルギーで理性が飛び、抑圧された本能が動き出す。
「こんなにアツくさせやがって。もうどうなっても知らないからな」
* * *
限定的A10神経過敏症候群――それが、俺の女性アレルギーの名前だそうだ。
恋愛対象となりうる異性に直接触れると、神経パルスが過剰反応を起こし、脳幹の神経核が異常作動。
その結果、情動をつかさどるA10神経系が暴走してしまい、理性と本能が切り離され、普段抑圧されている本能のままに行動してしまう病気――と言うとわかりづらいので、端的に『性欲に身体を支配される病気』と言えば、わかりやすいかもしれない。それで大体あってる。
と言っても無理やり襲い掛かるといった犯罪的なものじゃないので、そこは勘違いしないでほしい。
ただ、襲い掛からないというだけで、何もアクションを起こさないわけじゃない。
個人差は色々あるそうだが、俺の場合は女子を口説いてしまう。
自分の意志とは無関係に、触れた相手を、彼氏の存在とか関係なく、友情の有無も関係なく、片思い相手がいても関係なく、人間関係完全無視で、自動的に、口説いてしまうのだ。
この病気のせいで俺は中学時代、モッチーを除く全ての友達を失った。
友達の彼女を口説きまくり、フリーの女子も片っ端から口説いた結果、男女から嫌われ孤立したのだ。
そりゃ友達なくすよな。客観的に見て、この状態の俺がやっていることって人間のクズだもん。彼氏いるって知ってるのに口説くって相当なクズだもん。
しかも同時並行で他の女子も口説き始めたりするあたり、さらに最低だと思う。
俺にできる唯一の抵抗は、暴走する前に距離を取るだけ。
女子に近づかないことだけが、唯一の抵抗であり予防策なのだ。
女子がいる共学校では、常に近くに女子がいる。
そんな環境下では、なにかしらのアクシデントが起こった時、再び暴走してしまいかねない。
新しくできた友達を、再び失ってしまいかねない。
だから俺は男子校を進学先に選んだのだが、どういうわけか、再び友達を失ってしまいそうな事態に陥っている。
友達の彼女を口説くどころか、友達そのものを思いっきり口説いてしまっている。
実は美少女だった友達を壁ドンし、ゆっくりと顔を近づけている。
キスまで、およそあと三十センチの距離だ。
「ほら、俺のココ、触ってみろよ伊織。お前のことを思ってこんなになってるんだ」
「え? ちょ、待って!?」
「待たない。……ほら、どうだ?」
「す、すごく、ドクンドクンいってる……」
「お前が魅力的だから、こんなになっているんだよ」
「す、傑! 待って、ホントに待って! い、一回離れるからぁ!」
「もう、止まらないんだ」
聞きようによっては完全にセクハラまがいのR指定なセリフをはきつつ、暴走状態の俺は伊織の手を取ると、自身の胸に手を当てさせる。
心臓の鼓動に意識を集中させ、その隙に伊織との距離を近づけている。
キスまでもう、十センチもない。
「なあ伊織、俺のこと嫌いか?」
「嫌いじゃない! 嫌いじゃないよ! むしろ……」
「むしろ? なに?」
「むしろ…………好き」
その言葉を聞いた瞬間、俺の身体はキスまであと五センチの距離まで迫った。
まずい! 早くなんとかしないと!?
「そう、ならいいじゃないか。俺も、伊織のこと好きだよ」
なんとかできなかった。
中学時代と同じように、俺の意思は全く身体に届かない。
「実は、少し前から気づいていたんだ。お前が、女だってことにさ」
超嘘ついてる……
俺の身体はこんなこと言ってるけど、当然こんなの嘘っぱちだ。
口説き落とすための最低な嘘だと俺は知っているが、当然伊織はそれを知らない。
身体を隠したカーテンの向こうで、赤くなりつつモジモジしている。
はっきり言って、すげえかわいい。
「嘘……そんなの、嘘だもん」
「嘘じゃない。なんなら証拠を見せてやるよ」
「あ……」
ゆっくりと顔が、伊織の顔へと近づいていく。
「目、閉じてくれ。それとも、開けたままがいいのか?」
「あ、あうぅ……」
「何も言わなくていい。今からその口、塞ぐから」
伊織の顔がさらに近づく。
キスまでもう五センチもない。
俺は必死にやめろと命令を出すが、アレルギーで暴走中の俺の身体は止まらない。
もう一つの手を使い、形の良い伊織の顎に当て、クイッと上を向かせる。
こいつ、顎クイだと!? どこまでやれば気が済むんだ?
伊織はもう完全に真っ赤だ。
やっているのはフツメンの俺だが、行動自体が少女マンガのイケメンムーブなので、女子にはそれなりに効果があるらしい。
女の子はシチュエーションに弱いというのは本当だったようだ。
頼む伊織、落ち着いてくれ!
そして冷静に拒否ってくれ!
ムーブはイケメンでもやっているのは俺だ!
千尋や忍みたいな、少女マンガに出てきそうなイケメンじゃないんだ!
俺はどうなってもいい!
だから、お前の貞操だけは守ってくれ!
「伊織」
「や、やっぱダメーッ!」
――ドンッ!
「うごっ!?」
祈りが届いた。
突き飛ばされ、後頭部に強い衝撃を感じた俺の意識が急速に薄れていく。
これならもう、
目が覚めたときには元の俺に戻っていることだろう。
ああ、神様、もしもできることならば……。
関係のほうも元に戻っていますように――がくっ。
* * *
「傑、大丈夫?」
「あ、あれ? 千尋?」
目覚めたら目の前に千尋の顔があった。
千尋は心配そうな顔で俺を見下ろしている。
「こんなところで何してたの? っていうか、床なんかで寝たら風邪引くよ?」
「あ、ああ、そうだな。ところで千尋は何でここに?」
「家の仕事さ。おじいさまに頼まれた書類整理をしていたんだ」
「今日の用事はそれだったのか」
「うん。で、休憩がてらに伊織の様子でも見ようかと思ってここに来たんだけど、傑が倒れてたからびっくりしちゃったよ」
「そうか、それは驚かせて悪かったな……っと」
「あ、まだ無理に起きないほうがいいよ。頭の後ろにコブができてるし」
本当だ。気づかなかったが頭の後ろがちょっと腫れている気がする。
これは触ると痛そうだ。
けど、今は柔らかいものが当たっていて、そんなに痛くないな。
この柔らかいものはなんだろう?
「もう少し横になっていたほうがいい。ボクの膝を遠慮なく使っていいから」
「…………………………………………いや、もう大丈夫だ」
柔らかいものの正体に気づいた俺は、ゆっくりと起き上がった。
どうやら俺は気絶している間、千尋に膝枕されていたらしい。
男にしては非常にむちっとしている上に柔らかく、いつまでも使っていたい衝動に駆られなくもなかったけど、さすがにダメなので起き上がった。
千尋は休憩がてらと言っていたので、まだ仕事が終わっていない。
なら、邪魔はするべきじゃない。
あと、親切心でやってくれているのはわかるんだけど、男同士で膝枕ってのもな。
「俺も用事があるし、そろそろ帰るよ」
「そう、気を付けてね。頭打ってるみたいだし」
「スッキリしたいからシャワー浴びていくわ。今の時間、まだ空いてるよな?」
「空いてるけど、長時間浴びちゃだめだよ? 頭に血が上るからね」
「わかった。忙しいのに色々ありがとうな、千尋」
「うん、気をつけて帰って」
千尋とのやり取りを終えた俺は、保健室を出る。
自分のスマホで時間を確認すると、時刻は午後六時を回っていた。
いつもならとっくに帰って、夕飯の支度をしているところだが、本日はその心配はない。親父と外食なのだ。もちろん、再婚相手の方も一緒に。
近いうち家族になるわけだし、お互い早めに馴染むためにも、こういうイベントはやっておいたほうがいい。
「さて」
本校舎から渡り廊下を挟んだ場所にある部活棟、そこの隅にあるシャワールームへと、俺は足を運ぶ。
本来は運動部が部活終わりに使う場所だが、今はまだ部活中、中から気配は感じない。全室使用可能のようだ。
入り口にある備え付けのタオルを手に取ると、適当な個室に俺は入った。
シャワールームも更衣室と同じく、全部個室形式なのが、すごく金がかかっていると思う。
個室のロッカーに服を入れ、全裸になってから温めのシャワーを浴びる。
あぁ、サッパリするな。
「それにしても……」
頭がスッキリし始めたところで、徐々に記憶が蘇る。
「伊織が女だとかマジかよ。ここって男子校なのにどういうことだ?」
気絶直前に見たあの光景は、夢でも妄想でもない。
暴走し、欲望に支配された身体が、それを外から見ていた俺が、ハッキリと記憶している。
親しい友達を口説き、壁ドンし、顎クイまでやってしまったことを。
「うあああぁぁぁぁ…………明日からどんな顔して会えばいいんだ」
間違いなく友達にしていい行為じゃない。
「本気でどうしよう? 俺嫌だぞ、またこれで友達なくすの……」
考えても考えても答えは出ない上、考えるだけ気分が落ち込んでしまう。
今日は大事な人に会うというのに、こんな気分だと心配をかけてしまいかねない。
「考え、切り替えないと――ん?」
そろそろ上がろうとシャワーを閉めたところで、不意に人の気配を感じた。
どうやら個室に鍵をかけ忘れたらしく、誰か入ってきたらしい。
早めに終わった運動部員かもしれない。
こいつは俺の服に気づかなかったのだろうか?
このままでは全裸VS全裸、もしくは全裸VS半裸による、男のプライドをかけた真剣勝負(意味深)が始まってしまいかねない。まあいいか、そこそこ自信はあるし。
そう思い、特に気にすることなくシャワールームのドアを開けた。
本日二回目の最大衝撃である。
「すぐ、る?」
「ああ、忍だったの……か?」
下着姿の忍が登場した。
忍は一糸まとわぬ全裸状態の俺に驚愕した後、徐々に視線を下げてある一点で止めた。
さて、男ならこの後の展開は想像できるだろう。
そう、オス同士による真剣勝負(意味深)の始まりである。
だがしかし、それはあくまで自分の身体に刀を持つオス同士ならばの話だ。刀がなければ勝負は成り立たない。
なので、忍との対面は勝負が発生しなかった。
忍の身体に刀はなく、代わりにあったのは二つのミサイル――つまりおっぱいである。
シャワー室から出た湯気の向こう側に、二基のミサイルを搭載したスレンダー女子の肢体があった。刀VSミサイルな状況。おいおい、俺の勝ち目ゼロだな。
そこまで大きくはないが、体形に合ったいい形をしていると思う。
「い、いやあああぁぁぁっ!?」
「す、すまん!」
俺はとっさにドアを閉め、視界から忍を追い出した。
気配がしなくなった時点でドアを開け、室内を確認してみると忍の服はなかった。
俺は身体を拭き、着替えて帰宅後、親父と一緒に食事に出かけた。
出かけた先では将来の母親となる人が、笑顔で俺たちを出迎えてくれる。
そこで親父の再婚相手――ナツキさんという――にも娘がいるという話を聞き、本日三度目の大事件が発生する。
どうやら俺に姉か妹ができるらしい。
ずっと一人っ子だった俺なので、女兄妹ができるのは大歓迎だ。
本来であればそのことを聞いて、仲良くできるかなとか、友達に自慢してくれるかなとか、心躍らせるところではあるのだが、あいにくとこの日の俺はそうはならなかった。
一度目と二度目の事件――友達二人が実は女――男のフリをした男装女子であることのほうが衝撃的で、仲良くするべき家族の存在が完全にかすんでいたのだ。
友達の性別が女だったということは、女性アレルギーの俺にとって、それほど大きな事件だったわけで。
三人での表面上は和気あいあいとした夕食後、親父と一緒に帰宅した俺はベッドに顔を押し付け、大声でこう叫んだ。
「なんで、忍も女なんだよおおおおおおぉぉぉぉぉっ!」