第一話 男子校は男子校なので女子はいない その2

 健全な男子高校生らしい話題で盛り上がっていた俺たちも、昼を過ぎればその元気にも陰りが見える。

 他のクラスメイトも俺たち同様、目をぐしぐしとこすったり、机で猫みたいに丸まったりと、半分以上がダウンしている。

 昼飯の後だし、このように眠くなっても仕方ないと思う。

 その上、次の時間は体育ときている。飯の後の運動とか、かったるいことこの上ないぜ――と、授業終了だ。

 チャイムの音を目覚まし代わりに起きたやつらと同じく、すぐに動く気力がなかった俺は、手足を投げ出しボーッとする。

 そんな中、千尋だけはいつも通りだった。

 千尋は授業が終わるなり着替えを持って、更衣室へ行く準備を完了している。

「傑、行かないのかい?」

「ああ、悪いけど先に行ってくれ。後から行く」

「はいはい。でも、あんまり遅いと先生に怒られるよ?」

 そう言って千尋は、伊織と忍にも声をかけて教室を出た。

 忍は一緒に出て行ったが、伊織は全く反応せず、自分の席で突っ伏したままだ。

「おーい、伊織。そろそろ行かないとまずいぞ。起きろ」

 時間ギリギリになったので、更衣室に移動する前に伊織に声をかける。

 反応がない。ただの屍のようだ。

「おい伊織、いい加減起きろ――って、お前大丈夫か?」

 全く動こうとしない伊織を揺すったところで俺は気づいた。

 こいつ、顔色がめちゃめちゃ悪い。

「な、なにがだよ?」

「体調に決まってるだろ。見た感じすごく辛そうだし、顔から血の気が引いてるぞ。休まないでいいのか?」

「へ、へーきへーき! これくらいどうってことないってば!」

 そう言って伊織は立ち上がるが、明らかに膝がガクガクしている。

 一歩歩くごとにフラフラするので、俺は荷物を代わりに持ってやろうとしたのだが、

「いい! これくらい自分で持つから!」

 と、激しく拒否られてしまったため、仕方なく隣をキープするだけにとどめた。

 これなら倒れそうになった時、いつでも支えてやれるからな。

 幸いなことに、そんな俺の気遣いは結果的に無用だったようで、伊織は倒れることなく更衣室に移動した。

「なあ伊織、お前マジで休まなくていいのか?」

「しつこいな。大丈夫って言ってるだろ」

「大丈夫そうじゃないから言ってるんだよ」

「大きなお世話だって。オレ本人が大丈夫って言ってるんだから大丈夫なの!」

 肩を怒らせ、強い口調で伊織が言う。

 これは、何を言っても無駄なヤツだな。

「そこまで言うなら止めないけど、やばくなったら誰かに言えよ?」

「わかってるわかってる。大丈夫大丈夫」

「一人で着替えられるか? なんなら手伝うけど」

「な……」

 俺が親切心から申し出たその提案を聞いたとき、伊織の顔が真っ赤になった。

 さっきまで青白かった顔に、一瞬で血色が戻る。

「何を、言ってるの?」

「何って、お前休む気なさそうだから、少しでも手伝ってやろうと思ったんだけど」

「いい! 絶対遠慮する!」

 噛みつかんばかりの勢いで伊織は吠えて、

「傑のえっち!」

 そう言って個室に入ってしまった。

「えっちって、男同士なのに?」

 プールとかで上半身裸になるし、その際の着替えでフルオープンするやつだっているのにこの反応、なんか釈然としないな。

 だがまあ、このあたりのことは個人差もあるからなあ。

 他人に肌を見せたくない人もいるし、そう納得するとしよう。

「たぶんあいつ、銭湯で前を隠す派だな」

 とりあえず時間もいい加減押しているので、俺も隣の個室に入って鍵をかける。

 改めて思うけど、ホントうちの学校の施設って、すごい充実しているよな。

 人数割れを起こしたからとか、まだ上級生がいないからとかを差し引いても、生徒個人に与えられるサービスがやはりものすごい。

 更衣室が教室二個ぶんの広さだとか、その広さを使って大量の個室を作ってるとか、更衣室以外にも運動部が使うシャワーやトイレも全部個室とか、本当に金をかけている。

 理事長孫の千尋曰く、盗難防止とプライバシー保護のためにそうしたらしいが、こうまでしなくてもと思わなくもない。

 備え付けのハンガーに制服をひっかけ、俺はサクッと着替えを終えた。

 外に出て、個室の鍵をかけるところで隣の個室から伊織が、そして更衣室の外から千尋が現れた。

 なかなか来ない俺たちの様子を確認しにきたらしい。

「遅いよ二人とも。先生が――って、伊織大丈夫!?」

「やっぱそう思うよな?」

 伊織の姿を見るなり、千尋が思わず声を上げる。

 血の気がまた引いているし、右手が額の位置にある。

 その上呼吸が荒いとなれば、心配して当たり前だ。

「なあ、やっぱり休めよ。意地張っても良いことないぞ?」

「しつこい! オレなら平気だって言って――」

「伊織!」

 突然倒れそうになった伊織を千尋が支えた。

 俺も素早く駆け寄り逆から支える。

「大丈夫か?」

「ちょっと待って……うん、熱はそんなにないみたいだ。けど、倒れるくらいだし、今日は保健室で休んだほうがいいよ」

「先生には俺たちが言っておくから、今日はおとなしくしておけ。な?」

「……わかった」

 渋々といった感じで伊織が折れる。

「保健室、一人で行けるか?」

「バカにすんな、それくらい…………」

 うん、無理そうだな。

 足に力が入っていない。

「どうやら無理そうだね。伊織、ちょっと失礼。よい、しょっと」

「う、うわっ!?」

 歩けそうにない伊織を、千尋が抱えて持ち上げた。

 いわゆる『お姫さま抱っこ』というヤツである。

「このままボクが保健室に連れていく。傑は先生への報告を頼めるかな?」

「ああ、任せてくれ」

「というわけだから伊織、おとなしくしてくれるかい?」

「う、うん……あの、さ、千尋」

「うん、なに?」

「オレ、さ……重くない?」

「全然軽いよ。だから遠慮せず頼ってくれないか?」

「……ありがと」

 ようやく観念したのか、伊織は千尋に運ばれていった。

 伊織のことは心配だが、千尋に任せておけばたぶん大丈夫だろう。


 と思っていたのだが、結局のところ伊織は戻ってこなかった。

 体育も終わり、今は放課後。ホームルームを終えたクラスメイトたちが部活に帰宅に、思い思いの行動に移っている。

 俺たちもそのご多分に漏れず、帰り支度をして教室を出る。

 伊織のことが少し心配だった俺は、千尋と忍を誘って様子を見に行こうとしたのだが、二人は意外にもこれを断った。

 千尋は家の、忍は部活の用事があり、一緒に見舞うのは無理とのことだ。

 まあ、そういうことなら仕方ないよな。

 二人の分も合わせて見舞ってやるかと、俺は一人保健室を訪れた。

「おーい、伊織ー大丈夫かー?」

「……………………(スヤァ)」

「よかった、大丈夫みたいだ」

 カーテンで仕切られたベッドの向こうから規則的な寝息が聞こえてくる。

 戻ってこなかったのは、どうも寝ていたからのようだった。

「まったく、心配させやがって」

 伊織が平気そうでホッとした。

 だがしかし、寝る前までかなり辛そうだったのも事実。

 寝て体力回復ができたとはいえ、一人で帰宅できるかどうかは怪しいところだと思う。

 伊織の家は同じ方向だし、途中まで一緒に帰ってやったほうがいいかもしれない。

「すぐ帰れるようにしといてやるか」

 そう思った俺はカーテンを開ける。

「伊織、ロッカーの鍵持っていくぞ」

 中のテーブルにあったロッカーの鍵を拝借して、俺は保健室を出る。

 伊織の使っていたロッカーから、服と財布、スマホを回収してやるためだ。

 プライバシー保護のことも一瞬頭をよぎりはしたけど、友達だし、あくまで親切心でやることだから別にいいだろう。盗もうとか思ってないし。

 俺が伊織の立場なら、やってもらえるならありがたいと思うし、もし怒られたら謝ればいいだけのことだしな。

 そうこう考えているうちに教室に到着した俺は、伊織のカバンを回収して更衣室へと向かう。

 放課後になり、誰もいなくなった更衣室の中から、伊織の使っていた個室の前に立ち、鍵を開けた。

 貴重品と制服が散乱している。

「全く、しょうがねえなアイツは。こんなふうに脱ぎ捨てたらシワになるのに」

 とりあえず脱ぎっぱなしの制服をキレイにたたんだ後、小物入れの中にあったスマホと財布を回収。もちろん中身は見ない。

「えーと、あとは……」

 必要最低限のものは回収できたので、他に忘れているものはないか、個室の中をチェックすると、あった。

 個室にある三段ラック――その一番下にリュックサックが隠されていた。持ってやろうとしたら、俺が激しく伊織に拒否られた荷物だ。

 これを置いていったら次の人が使う時に困るので、これも合わせて回収する。

「あれ? 中身あるっぽいな?」

 移動時に持ち歩いたところからみて、これはおそらくジャージ入れだろう。

 ジャージは現在、伊織が着ている。

 制服は俺がたたんだのがここにある。

 となれば中身があるのはちょっとおかしい。

「となると、スペア用の下着なのか?」

 俺はめったにすることはないが、体育など運動をする日に、下着を含めた着替え類を持ち込むヤツは一定数存在する。

 モッチーなんかもその一人で、体育があるたび、Yシャツと上下下着一式持ち込んでいたものだ。

 本人曰く、「汗臭いと女の子に嫌われるからな」とのことだったが、言動と性格のせいで、女子からそういう目で見られていなかったため、その心遣いは無駄だったように思えなくもない。

「ちょうどいいし、制服はこの中に入れとくか」

 俺はリュックの口を開けると、中に入っていたものをいったん取り出し、制服を入れようと試みた。

 もう授業はないのでジャージのまま帰ればいいし、寝汗をかいていたら着替えるだろうという、俺なりの友達への気遣いである。

 だがしかし、この気遣いが本日最大の事件の一つを引き起こしてしまう。

「こ、これは!?」

 制服を入れようと、リュックの中身を取り出した時だ。

「な、なんでこんなものが……!?」

 俺は中身を握りしめてそう呟く。

 ちなみに中身は予想通り下着だった。

 下着以外の何物でもなかった。

 女性用の。

「なんで女物なんだよ!?」

 おかしいだろ!?

 替えの下着が女物のパンツとブラジャーっておかしいだろ!?

 百歩、いや千歩譲ってパンツはいいよ!

 全然良くないけどいいってことにするよ!

 男も女も共通して履くし、使おうと思えば使えなくもないからさあ!

 だけどブラはダメだろう!

 こっちはどうやっても言い訳が利かないほどダメなヤツだろう!

 男性用ブラジャーがあるのは知ってるけど、これ明らかに女性用だろう! 納めるスペース結構あるし!

「え? なにこれどういうこと? なんで伊織が女物の下着を上下セットで持ち込んでるの?」

 友達が着替えに男物ではなく、女物の下着を持ち込んでいる理由。

 朱希原伊織という一人の少年について考えた結果、俺は一つの結論に至った。

「まさか伊織が、女装に興味あったなんてな……」

 伊織の見た目は中性的な美少年だが、それだけに、服を変えれば中性的な美少女に見えなくもない。

 これはつまり、女子の服が似合うということに他ならない。

 背丈も女子の平均くらいだし、伊織なら違和感なく着こなすだろうさ。

 強気な性格はこの趣味を隠すための裏返し。

 あの時、俺が持つのを拒んだのは、これを見られることを恐れてのこと。

 もしかしたら、この前の『女物パンツ事件』の真犯人は伊織なのかもしれない。

 そう考えれば全てつじつまが合う。

 状況と物証が、全てを物語っている。

「……見なかったことにしてやろう」

 少し考えた結果、今後の友情のためにもそうすることにした。

 俺の親しき友達は女装マニア。女物のパンツとブラジャーを愛用する男――だが、それがなんだ? どうしたというんだ?

 男が女装しちゃいけないという法律は日本に存在していないじゃないか。

 つまり、伊織はなんら法を犯してはいないわけだ。

 女装をこっそり楽しむことで、誰に迷惑をかけるわけじゃない。むしろいいまである。

 学校でそれをするのはどうかと思うけど、別にいいじゃないか。似合うだろうしいいじゃないか。いちいち大げさに騒ぐようなことじゃないだろ?

 人には、誰にも言えないものの一つや二つが必ずある。

 もちろん俺にも。具体的にはアレルギーのこととか。

 女性アレルギーのことなんて誰も信じてくれないし、信じたら信じたで敬遠される。

 他人に言えないものがある俺には、伊織の気持ちはよくわかる。

 だから俺は――、

「俺は何も見なかった」

 こうすることが一番いい。

 そう思って俺は全てを終え、伊織の待つ保健室へと戻った。

 今見た全てを忘却し、何食わぬ顔でドアを開ける。


「えっ?」

「え?」


 保健室のドアを開けたとき、俺はありえない光景を目撃して自身の脳を疑った。

 十回ほどまばたきをしてみる……まだ見えてる。

 十回ほど頬を叩いてみる……まだ見えてる。

 十回ほど顔面を殴ってみる……まだ見えてる。

 ならば十回ほど頭を打ち付けてみる……全然見える。PANK☆TO☆MAUL☆MEHEEパンツ丸見え!である。

 嘘だ。見えているのはパンツじゃない。

 俺が見ている光景はパンツではなく――全裸だった。

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