第二幕 その2
それぞれの国に異なる文化があるように、魔法にもそれぞれの国で特徴がある。
ブレイズ共和国は炎属性。
アブソリュート帝国は氷属性。
ルミナス教国は光属性。
ホライズン王国は土属性、というようにである。
土属性の魔法は、大地と自然の植物を利用した魔法に特化している。それはこの世界のどこにでもあるものだ。一見地味のように見えて、恐るべき実力を備えている。
しかし、ホライズンの問題は他にある。
「どうしたアデリーナ。こんなところで油を売ってていいのか?」
「いーやー。みんな好き勝手に動くもんですから、どーしよーもないです。多分、半分は今頃どっかでお茶してるんじゃないですかねー?」
北方から一番遠い南の国という土地柄か、気候のせいか、呑気な奴が多い。良く言えば自由、悪く言えば適当。
「まーそもそもホライズン王国は、自分で一番になろうって感じゃないですし。商売でのし上がった国ですからね。皆さんのお手伝いをするのが、あたしたちの役割ですよ!」
なぜか得意そうに胸を反らし、大きなおっぱいがぶるんと上下に弾んだ。
「そ、そうか。しかし、今は特に用はないな」
「そーですかぁー? アデリーナちゃんがご入り用ではありませんかー?」
甘えるような声で、ハルトにすり寄る。
「だから必要ねえって言ってんだろ」
「イリスさんと二人っきりになれるように、手引きしますよ?」
「……っ!?」
アデリーナは、ニマニマとした笑みを浮かべ、見上げていた。
こいつ……一体、何を知っている!?
「何が言いたいのか、分からねーな」
「えーでも、昨夜は二人っきりで会ってたじゃないですかー」
「会っていたわけじゃない。偶然、出っくわしたんだ」
「あんな場所でですかー? よっぽど気が合うんですねー」
ハルトの中で、警戒心がどんどん上がってゆく。
今までただのアホだと思っていた相手が、恐ろしく狡猾な策士に思えてくる。
猫を被って、密かに弱みを探っていたのか?
「そんな恐い顔しないでくださいよーぅ。アデリーナちゃんは、ハルトさんの味方なんですからー」
「昨夜のことだがな、誰が何と言おうと、ただの偶然だ。イリスは俺の宿敵。そして俺の目的はアブソリュート帝国を倒すことだ。今は
アデリーナは腕を組み、眉を八の字にして首を傾げる。
「うーん、そーなんですかぁー。ちょっとアデリーナちゃん、読み違えましたかねー?」
「盛大な誤読だな」
「まーでも、ハルるんの味方であることは確かなんで! 何かあったら、アデリーナちゃんを頼って下さいね!」
くるっと表情が変わり、大輪の花のような笑顔でアデリーナは自分の胸を叩いた。その衝撃で、おっぱいがぶるると揺れる。
「じゃっ!」
と、手を挙げると、再びツタがアデリーナの体に絡みつき、その体を木の上へと引き上げる。そして、木から木へ、ブランコを乗り継ぐようにして、去って行った。
アデリーナ。奴は一体、何者なんだ?
森の奥へ進みながら、ハルトはホライズンの筆頭魔術師について考えていた。
強者に肩入れすることで勝ち馬に乗る、というのはホライズンらしい。もし本当にイリスとの関係を進めるのに協力してくれるのであれば、それに越したことはない。
しかし、いつ裏切られるか分かったものではない。やはり、秘密を明かすわけにはいかないだろう。
そう結論づけたとき、前方で唸り声が聞こえた。
あの鳴き声はゴブリンだ。
声が重ねて聞こえるということは、一匹ではなく、群れか。
ハルトは赤い剣を構えると、走り出した。
目の前に背の高い茂み。あの向こうだ。
「『フレイム』」
愛用の赤い剣、フェニックスに炎を走らせ、一気に茂みに飛び込む。
背の高い草のせいで、向こう側は見えないが問題ない。草の壁を抜けた瞬間に襲われても、対応は可能。
草を突き抜けた瞬間、鋭い剣戟が襲った。
「!?」
赤と青の軌跡がぶつかり、火花と氷の結晶が散る。
「えっ!? は、ハルトくんっ!?」
慌ててイリスが剣を引く。
不用意に離れようとして、足をもつらせ倒れそうになった。
咄嗟に助けようとしたハルトも、イリスの強烈な一撃を受けてバランスを崩していた。二人でもつれ合うようにして倒れる。
――危なかった。
ハルトは冷や汗を流した。
あとほんの一瞬遅かったら、イリスの剣に貫かれていただろう。
それに比べれば、転んだくらい安いもの……?
顔に妙に柔らかい感触。
今まで感じたことのない感覚だった。いかにも上質そうな薄布越しに、柔らかく温かいものが口をふさいでいる。
目に映るのは、その布が食い込む肌色の谷間。
顔の両側を、ふかふかの太ももが挟んでいる。
つまり目の前に見えるのは、イリスのお尻と食い込んだパンツ越しの青空。
「!?!?」
慌てて起きようと首を起こすと、イリスの股の間に顔を押し付ける結果になった。
「あぁんっ?」
イリスの悩ましい声が、ハルトの股間に響いた。
どうすりゃこんな体勢になるんだよ!?
誰にツッコんでいいのか分からず、ハルトは超至近距離にあるイリスの股の間に話しかける。
「お、起き上がれるか? イリス」
体の上で、イリスがビクッと震えるのが分かった。
「あ?……ご! ごめんなさいっ!!」
イリスは飛び上がるようにして起き上がった。ハルトも照れ隠しに不機嫌そうな顔をして立ち上がる。
「あ、あの、ハルトくん、ケガはありませんか?」
「……イリスこそ、大丈夫だったか?」
足下を見ると、ゴブリンの死体が十ほど転がっている。先を越されたようだった。
「はい、お気遣いありがとうございます」
心配されたのが嬉しいらしく、胸に手を当ててぽっと頬を染める。
「今の、
「でなきゃ、あんな器用に倒れられるかってんだ」
「……ですよね」
イリスは引きつった笑顔を浮かべた。
「あー……まあ、そのおかげでこの広いフィールドで偶然会えた」
「ふふ、そこだけは
口をつぐみ、耳を澄ます。聞こえてくるのは、風が草木を揺らす音のみ。辺りの気配を探っても、生き物の気配はない。
「せっかく、二人っきりですから……」
つつ……と近寄ると、イリスはハルトの袖の、肘の辺りをつまんだ。
恥ずかしそうに顔を伏せ気味にしているが、耳が少し赤らんでいるのが分かる。
ハルトは心の中で「やべえ、可愛い」と繰り返した。
背後に草の壁はあるが、目の前は遮蔽物がない。森の中に、ぽっかり出来た広場のようになっている
「ここは隠れる場所がない。もう少し先の、森の中に入るか」
イリスは、黙ってこくりとうなずいた。
ハルトの袖をつまんだまま、森の中へ入ろうとした。
「――なに!?」
「……っ!? これは!?」
森の中に入ったはずだった。
しかし、いつの間にか、朽ち果て教会の中にいた。
「どこだ……ここは?」
かつては参列者が座ったであろうベンチはなく、壁も天井も穴だらけ。奥にある祭壇には、放射状に伸びる光を模したルミナスのシンボルが、半分に砕けている。
「ルミナスの、教会でしょうか?」
確かに森の中を歩いていたはずだ。それが、瞬きする間に違う場所へ来ていた。
足下を見ると、消えゆく魔法陣がわずかに見えた。
「転移の魔法か……一体、何でこんなものが」
「何かあったときの、緊急避難用とかでしょうか?」
「……分からねえ」
一番分からないものが、祭壇の前にあった。
ハルトとイリスは、それに近付いた。
「……ベッドですね」
見るからに新品のベッドだった。
この廃墟と化した教会の中で、あらゆる意味で浮いている。
「魔法的な仕掛けは、特にされていないようだな……」
イリスはベッドの感触を確かめるように、マットレスに両手をついた。
「そうですね……質も悪くありません。でも、なぜここに?」
「さあな。ここをねぐらにしている宿無しが、どこかから盗んで来たのか、討伐競技会の準備をしてた教師がサボるために使ってたのか」
そう言うハルト自身も、その答えには全く納得していなかった。
「まさか、これも
ハルトとイリスはベッドに並んで腰をかけた。
「その可能性が一番高いな」
「ですよね……いえ、そうです。たぶん、きっと。間違いなく」
「イリス?」
「そうでなければ……私がこんなはしたない気持ちになるはずが……」
ハルトの肩に頭を乗せ、体を預けてくる。
その重みが、とても気持ち良かった。
俺だって同じ気持ちだと答えたかった。行動で、イリスの気持ちに応えたい。
だが、それは出来ない。
それと引き換えに、世界が崩壊してしまうから。
「イリス……そろそろ戻ろう。ここがどこか分からないが、そう遠くないはずだ。あの転移魔法の魔法陣なら、近場のはず――」
突然、イリスがハルトに覆い被さった。
「な……!?」
イリスは馬乗りになり、ハルトをベッドに組み伏せた。
「どうしたんだ、イリス!?」
「ごめんなさい……実は、ハルトくんの上に倒れたときから……もう、その……」
申し訳なさそうにつぶやくイリスの瞳に、ハート形の光が妖しく浮かんでいる。
――
「しっかりしろ、イリス!」
「今まで我慢してたんですけど……もう、無理?」
襟のタイを解き、シャツのホックを一つずつ外してゆく。
その隙間から、イリスの白い肌と、白い下着がちらりと覗く。
それを見ていると、ハルトの頭もぼんやりと霞がかかったようになり、イリスへの欲望が高まってゆく。
「ねえ……もうガマンするのはやめて……ひとつに?なろ?」
くそ! 正気を保て!! 俺がしっかりしないと、誰がイリスを守るんだ!!
イリスをはね除けようとした。が――、
「くっ!? うごか……ね」
背中がベッドに張り付いたように動かなかった。
これは……魔法で俺をベッドに貼り付けている!?
イリスがやったのか?
いや、そんな素振りは見せなかった。
しかし、仮にイリスの魔法だとしても、これはイリスの本意ではない。
あくまで
お互いの中に魔王の半身がいると分かってから、二人は古文書や古い魔導書を片っ端から調べた。
そして見つけた古い記述の中に、
『魔王の半身はお互いを引き寄せ合うもの。そして二人の宿主を一つにするよう、自然の摂理に干渉し、催淫効果を発揮する。いわゆる闇の魔法である性魔術である。二つの体が合一することにより成就する性魔術の力で、「
「イリス! このまま一つになったら、世界が滅ぶんだぞ!?」
しかしイリスは淫らな笑みを浮かべた。それはいつもの凜々しい顔とも、二人きりの時の可憐な顔とも違う、妖艶で背筋がぞくぞくと震えるような笑顔だった。
「く……」
ハルトは右手でポケットから剣を抜いた。
背中はベッドに張り付いているが、腕は動かすことが出来る。
このままでは、いずれ自分も正気を失う。そうしたら、世界は滅ぶ。
それだけは――
ハルトはイリスを、そして右手に握る赤い剣――フェニックスを見つめた。
「『ヴァルカン』!!」
ハルトはその剣を、刺すように突き出す。
その切っ先に赤い魔法陣が浮かび、炎の弾丸が発射された。
その炎は、教会の最奥の祭壇に向かって走る。
祭壇の前に立つ人影に、直撃。激しい火柱が燃え上がった。
その瞬間、ハルトの背中がベッドから剥がれた。
「イリス!!」
肩を掴んで、前後に激しく揺さぶる。
「あ……は、ハルト……くん」
正気に返ったように、目を瞬かせた。そして一瞬で茹で上がったように、顔が真っ赤に染まる。
「わ、わた……私……い、いい、いまのはっ」
「今はいい! それより!!」
ハルトはイリスを背中に庇うようにして、燃える祭壇を見つめた。
「あの程度じゃ痛くもかゆくもねーか」
炎の中から、ゆらりと人影が現れた。