第二幕 その1

 ゴーレムが学院を襲撃した翌日。

 半壊した校舎の前に、全校生徒が整列していた。その前に立つのは一人の老人。

「昨夜は突如出現した北方魔族テンペストのせいで、校舎の一部が半壊されたのは知っての通りじゃ。しかし、負傷者が一人もおらぬというのは、不幸中の幸い。なによりじゃ」

 長い白髪と白い髭。背筋が伸びた長身に、長いローブを身にまとっている。長い杖をついている姿は、まさに魔法使いのイメージそのもの。

 グランマギア魔法魔術学院の校長――アーネスト・グリーンウッド。

 この学院設立の発起人である。

「被害が最小限に抑えられたのも、いち早く駆けつけ、たった二人でゴーレムを倒した、ブレイズのハルト、アブソリュートのイリスの両筆頭のおかげじゃ。学院を代表して、礼を言わせてもらうぞ」

 生徒たちからも、惜しみない拍手が二人に送られた。

「別に、大したことはしてねーよ」

「当然のことをしたまでです」

 と謙虚に答える二人だが、内心は違う。

 あの北方魔族テンペストは、ハルトたちが呼び寄せたようなものなのだ。しかも転生婚礼ネクロマンスによる、えっちなアクシデントによってである。

 正直、褒められるのは気が引けた。

 だが、そんな二人の気も知らず、周りの生徒たちは口々に褒めそやした。

「やっぱり凄いわ……あれだけのことをしていながら、なんて奥ゆかしいのかしら」

「俺だったら自慢しまくるのに……すげえクール」

 そんな声が聞こえてくる度に、罪悪感が胸を突き刺す。

「校舎の修理を行うこともあり、今日は課外授業じゃ。良い機会なので、討伐競技会を執り行いたいと思う!」

「討伐……競技会だと?」

 ハルトが眉を寄せると、後ろにいたクロードが耳打ちする。

「決められたフィールド内にいる魔族を、制限時間内にどれだけ倒せるか、という競技会ですよ。当然、ブレイズとしてはアブソリュートには負けられませんね」

「……そうだな」

 それから生徒たちは移動を開始。学院の側を流れる運河に、船着き場がある。そこから国ごとに別れて船に分り、大運河カナル・グランデに出た。

 湖の上に浮かぶ町グランディアは、水上交通が盛んだ。カナル・グランデには、各水路から荷物や人を積んで出てくる船で、ごった返している。

 水路を出て、広い湖面に出ると急に船の数が少なくなる。向かう先は、対岸のブレイズ領。そこにある広い草原と森が、今回のフィールドだ。

 船着き場から上陸した生徒たちは、草原を歩いて行く。

 遠くからだと分からなかったが、足下に石畳が続いていることに気付く。

「あれ? ここって昔、人が住んでたのかしら?」

 ブレイズの女子が意外そうにつぶやくと、

「ああ。十一年前までな」

 と、ハルトが答えた。

「へー詳しいのね、ハルト」

「住んでたからな」

「えっ……それって」

 女子は申し訳なさそうに、口をつぐんだ。

 皆、ハルトの両親がアブソリュートの襲撃で死んだことを知っている。ただ、まさかここがその場所だとは思わなかった。

 クロードが心配そうに、ハルトに声をかける。

「ハルト……」

「別に気にしちゃいない。それよりも、この討伐競技会勝つぞ! アブソリュートを叩きのめす!! いいなお前ら!!」

 ハルトが活を入れると、ブレイズの生徒は全員「おおっ!!」と声を上げた。

「まったく。被害者気取りか」

 と冷笑を浮かべるのは、一人だけメイド服を着たアブソリュートの女子。

 ブレイズの会話を、耳聡く聞いていたフランセットである。

「その戦いは、ブレイズが帝国に侵略しようとするのを未然に防いだものだ。それに、我らの兵も全滅している。誰かさんのおかげでな」

 ハルトは無視するように黙っていたが、他の生徒がいきり立った。

「そんなもん、てめぇらのでっち上げだろうが! このアマぁ!!」

「ふん。魔族の前に、お前を叩っ切ってやろうか?」

「やめなさい、フランセット」

 イリスが静かにたしなめる。

 メイド服のエプロンから剣を抜きかけたフランセットは、大人しく剣を納めた。

「過去の事よ。人によって真実が異なってしまう程に、時が過ぎてしまったわ。議論に勝つことより、討伐競技会で勝つことを考えましょう」

 そう言いながら、ブレイズに囲まれたハルトにちらりと視線を送る。

 本当は、申し訳ないという思いを伝えたい。

 しかしその気持ちを顔に出すわけにはいかない。イリスは冷たい目でハルトを見つめ、同じようなまなざしをハルトも返す。

 突然、前の方でアデリーナの突き抜けるような声がした。

「あっれーっ!? あれあれ、もう誰かいますよーっ!?」

 確かに、行く手の草原に黒い服を着た女性が立っている。

 黒髪に褐色の肌。呪術的なアクセサリーを身に着けていて、占い師のような神秘的な雰囲気をまとっている。しかし、着ている服は露出度が高く、そこだけ見ると妖しげな店で働く踊り子のようでもある。

 胸元も大きく開いていて、谷間どころか、丸みを帯びた胸の半分近くが露出してしまっている。足もスカートに深いスリットが入り、太ももどころか腰の辺りまで褐色の肌が覗いていた。

 どう見ても学院には相応しくないその女性に向かって、校長が挨拶をするように杖を上げた。

「おお、ファティマ先生。準備はよろしいかな?」

 生徒たちは全員「これが先生!?」と、驚いた。

 全員揃ったところで整列。前には、アーネスト校長と、エルリック先生。そして、ファティマ先生と呼ばれた、見たことのない美人。

「みな、驚いたじゃろう。こちらの先生は、新たに着任したファティマ・ネフェル先生。担当は闇の魔法じゃ」

 ――闇の魔法!?

 生徒たちが、一斉に抜刀しようとする。

「待て待て! 落ち着くのじゃ。彼女は怪しい者ではない。れっきとした勇者ギルドのメンバーじゃ」

 勇者ギルドとは――百年前の魔王討伐の生き残りが中心となって結成されたギルドである。その目的は、魔族の侵略を防ぐこと。そして、魔王の復活を阻止すること。

 各国の個人から支援は受けてはいるが、特定の国には属さない独立したギルドだ。

 グランマギア魔法魔術学院は、この勇者ギルドによって設立され、教師も勇者ギルドのメンバーから選ばれている。

 クロードがメガネの位置を直しながら質問をした。

「しかし、なぜ勇者ギルドに闇の魔法使いが?」

「ブレイズのクロードよ。戦うには、まず敵を知らねばならん。闇の魔法は、魔王の眷属が使う邪法。我々、真っ当な人間には、なかなか知る機会がない。しかし、それでは実戦は戦えん。のう? エルリック先生」

 エルリック先生は、いつも通りの爽やかな笑顔でうなずく。

「仰るとおりです。相手の情報がまったくない状態で実戦に挑んでも、犠牲者が増えるだけ。私は教え子が、無駄に犠牲になるのは耐えられません」

「そこでじゃ、我々勇者ギルドでは独自に闇の魔法を研究していたのじゃ。その第一人者が、このファティマ先生。ゆえに――」

 アーネスト校長のしわが深くなり、険しい表情になった。

「北方魔族とも、闇の魔術結社とも無縁じゃ」

 ――闇の、魔術結社だと?

 ハルトは問いかける視線をクロードに向ける。

 しかしクロードも肩をすくめるだけだった。

「おい、その闇の――」

 ハルトが質問しようとしたとき、

「なるほどなのです」

 ルミナスのクララが、ファティマ先生に向かって、祈るように指を組み合わせ、目を閉じた。

「私たちのことを想って頂いてのご配慮。感謝するのです」

 しかしファティマ先生は一言も発することなく、じっとクララを見つめていた。

 やはり、どこか神秘的――悪く言えば不気味。

 そして、妖艶だった。


   ◯   ◯   ◯


 討伐競技会が始まった。

 指定されたフィールドは、約一キロ四方の範囲。草原、森、川が含まれるなど、変化に富んだ環境で、様々な魔族が潜んでいる可能性がある。

 とはいえ、その魔族は本物ではない。

 ファティマ先生の闇の魔法によるものだ。

 ――召喚魔法。

 魔族を出現させて使役する魔法で、ハルトも見るのは初めてだった。

 ファティマ先生が作り出す黒い魔法陣から、次々と現れる魔族の姿――スライムやウィル・オー・ウィスプ、ゴブリンに、生徒たちは驚きを隠せなかった。

 しかし、その魔族たちは現実に存在するわけではない。

 一種の幻術に近いと言えるだろう。見た目や生態、戦い方は本物そっくりだが、実際に攻撃を食らったときのダメージは術者のコントロール次第。

 すなわち安全な訓練が可能だ。

 ファティマ先生が、本当にダメージを低くしてくれていれば、だが。

 ハルトはそんなことを考えながら、目の前に現れたゴブリンを無意識に斬り倒していた。

 今回はレベル3までの魔族しか召喚されていない。正直、まったく手応えがないのだが、周りを見渡すと、

「くっそぉ! ゴブリンのくせに、けっこー強ええぞ!?」

「いやぁあっ! スライム弱いの知ってるけど、気持ち悪くってアタシいやあぁあ! 誰か代わってぇえ!!」

 ブレイズの生徒たちは阿鼻叫喚のるつぼだ。

 クロードも、その様子を頭が痛そうな顔で見つめている。

「どうやら、うちの連中は魔族に慣れるところからですね」

「そうだな。でも、こいつらだって選ばれた実力者だ。慣れれば、すぐに戦えるようになる。今日のところは、他の国も似たようなもんだろ」

「……と思いたいところですが」

 クロードは少し離れた小高い丘を指さした。

 そこに、金色に輝く光の壁が屹立している。

 四方を光の壁に囲まれた中に、ルミナスの生徒たちが整列し、指を組み合わせている。

「あれは……ルミナスの防御魔法か?」

 守りを固めたところで、敵を倒さなければ点にならない。ルミナスは臆病者の集まりなのか?

 整列した生徒の中心に立つのは、筆頭魔術師クララ・シュトラール。

「さあ、皆さん。声を合わせて歌うのです。迷える子羊たちを、ルミナスの光の聖堂へといざないましょう――ルークス」

「「ルークス」」

 祈りの言葉を口にすると、ルミナスの生徒たちは声を合わせて歌い出した。賛美歌のような、厳かで美しい調べがフィールドに響き渡る。

 その歌声に呼ばれるように、魔獣は次々と向きを変え、光の聖堂を目指し始めた。

 だが――、

 光の教会に辿り着いた魔獣は、断末魔の叫び声を上げ、ことごとく消滅してゆく。

 クララは慈愛に満ちた微笑みを浮かべた。

「歌の誘いには逆らえないのです。そして悪しきものが光の聖堂に触れれば、消滅するのが運命なのです。悪しき魂を救い、来世に送り出すことこそ、我らの使命なのです」

 自分からは動かず、罠を仕掛けて相手をおびき寄せる。そして、自ら死ぬように仕向けている。

「言ってることは聞こえはいいが、やってることはえげつねえな……」

 吐き捨てるようにつぶやくハルトだが、クロードはメガネの奥で目を光らせる。

「しかし効率良く点を稼いでいます。ここはハルトには申しわけないのですが――」

「出稼ぎしてこいってんだろ」

「さすが。以心伝心ですね」

「ったく……こいつらの面倒は頼んだぞ」

 ハルトは走り出すと、丘を駆け上がる。そして、ルミナスに集まってくる魔族の中に飛び込んだ。

「ああっ!? ハルトさん、何をするのです!?」

 自分たちの周りに集まってくる魔族を、次々と斬り倒してゆくハルトに、クララが慌てた声を上げた。

「ありがとよクララ! 稼ぎやすいぜ!!」

 光りの壁に激突する前に、集まってくる魔族を倒す。

「まったくもうっ! ずるいのです!!」

 ぷんすか顔をされても、可愛いだけで全然恐くない。

 ハルトは数十匹の魔族をあっという間に葬った。

 しかし、歌が止まってしまったので、魔族が集まってくることもなくなった。

 見ると、すっかりへそを曲げたクララは、そっぽを向いてしまった。

 ハルトがここにいる限り、歌ってはくれなさそうだ。

 このままだと、アブソリュートとホライズンに後れを取るかも知れない。そう考えたハルトは、丘を下り森の中へ入って行った。

 しかし、嫌な予感がした。

 闇雲に走っているつもりでも、自然と転生婚礼ネクロマンスがイリスと自分を引き寄せているのではないかと不安になる。そして、少し期待もしていた。

 深い森の中で、二人っきりで出逢えたなら……

「もーしもーし、ハールトさーん♪」

「うおぁあああっ!?」

 ハルトが急に立ち止まった。

「この脳天気な声はアデリーナか!? どこだ!?」

「こーこでーすよー」

 見上げると、木の上にアデリーナが立っていた。フリルのついたピンクのパンツが丸見えだが、本人は気付いていないのだろうか。

 樹木に絡んでいたツタが急に伸びて、アデリーナの体に絡みつく。そして、ゆっくりとアデリーナの体を地面の上に下ろした。

 ――ホライズンの土属性魔法か。

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