第二幕 その3

「……素晴らしい」

 そうつぶやいた人影は、奇妙な仮面を付けていた。

 右半分が笑顔で、左半分が怒りの表情。

 まるでカーニバルの仮装で使うような派手なデザイン。目の部分には黒いガラスがはめられていて、相貌はまったく分からない。

 頭からフードを被り、髪の色も分からなかった。そして葬式のような黒い衣装。

 その胸には、見たことのない不気味なペンダントを下げている。逆さになった五芒の星で、中央には目が描かれていた。

 そいつはまるで感動したかのように、大袈裟に両手を広げた。

「素晴らしい!! これぞまさに転生婚礼ネクロマンス! 『魔王ジユリエツト』復活の時、ここに来たれり!!」

「「!?」」

 イリスも愛用の青い剣ストレプトペリアを抜き、ハルトの横に並ぶ。

「あの男、私たちのことを……」

「ああ……どうやら、ただの大道芸人じゃねえらしいな……」

 ハルトとイリスの殺気を受けてなお、その男は感動に打ち震えていた。

「祝祭! ああ、素晴らしい。ついに来るのだ! 新世界が!!」

 喜びを表すその声は、どこか奇妙な響きを持っている。地声ではなく、明らかに魔法で変化させている声だった。

「おい、季節外れのお祭り野郎」

「ふふ、洒落た呼び名をありがとう。ブレイズの筆頭魔術師」

「詳しいな。ってことは元々、俺たちを狙っていたってワケか……ここに転移させたのも、テメーの仕業か」

「その通り。ベッドを用意したのも、君をベッドに釘付けしたのもね。しかし、発情したのは私のせいじゃないよ。あれは君たち自身の中にあるモノの仕業だ」

「……何モンだ。テメー」

「これは申し遅れました! 私の名はサザーク。闇の魔術結社『プロスペロウ』の末端に籍を置く者にして伝道師。以後お見知りおきを」

「闇の……魔術結社だと?」

「ハルトくん、それって校長先生の言っていた……」

 ハルトはアーネスト校長の険しい表情を思い出した。どうやら、勇者ギルドと仲良しというわけではなさそうだ。

「で、プロスペロウのサザークとやら。俺たちに、何の用だ」

「ははは、それはもちろん。君たちの愛を成就させるお手伝いをしにですよ!」

「……な」

 冷めかけたイリスの頬が、再び熱くなる。

「テメー……ふざけてんのか?」

「……は?」

 サザークの頭が、かくっと傾いた。

「いま、なんて言った?」

「……ふざけんじゃねえ、っつ――」

「はぁああああああああああ!? ふざけてなんかねえよ!! マジだよ! 大マジなんだっつーんだよ、こっちはよぉオオオオオオオ!?」

 突然、サザークが絶叫した。

「ざけてんのはテメーらだろーが、クソガキどもがっぁああ!! こんなんふざけて出来っかってんだよコノヤロウ!! こっちはなぁあああ! 命かけてんだよ!! 全てをかけてんだよ! あぁああああああ!?」

 急変したサザークの態度に、二人は不気味なものを感じ、思わず後ずさる。

「何だコイツ……イカレてんのか?」

 そう怪しんだとき、サザークが急に静かになった。

「――……取り乱してしまいました。謝罪します」

 傾いた頭を真っ直ぐにすると、サザークはうやうやしく礼をする。

「さて、落ち着いたところで……さっそくですが、セックスして頂けませんか?」

「「……は!?」」

 あまりにも想像を絶する要求に、二人は固まった。

 イリスとハルトの頬が、赤く染まる。

 ――こ……こいつ、何を言っていやがるんだ!?

「おや? 意味が分からない? アレですよ、性交です。エッチです。最後までやっちゃうやつです。すなわち子作りです」

「ンなこと訊いてねえよ!! 何でテメーに言われて、そんなモンやらなきゃなんねーんだっつてんだよ!!」

「ああ、もしかして勘違いなさってます? 私はしませんよ。愛し合うあなた方二人が、するのです。愛の儀式。そう、そして愛の結晶を生み出すのです」

 こいつ、マジで頭がおかしいのか? そうハルトが呆れたとき――、

「愛の結晶……『魔王ジユリエツト』を」

「!!」

 サザークは両手を交互に回転させると、魔法陣を同時に二つ起動した。

「なーに、またちょっとイチャイチャすれば、転生婚礼ネクロマンスで発情出来ますよ。そしたらもう、相手とつながること以外、考えられなくなります。ステキですね」

 黒い魔法陣から、触手のようなムチが伸びる。

「ちっ!」

 ハルトはムチを避け、床を蹴って飛び出した。その瞬間、既に魔法の準備は完了している。剣に沿って指を走らせ、叫ぶ。

「『フレイム』!」

 剣が炎をまとった。

「はぁっ!!」

 裂帛の気合いと共に、ハルトの剣がサザークの体を斬り付ける。

 金属音が響き、火の粉が舞った。

 いつの間に抜刀したのか、サザークの手にも剣が握られている。

「剣の腕も素晴らしい。『魔王ジユリエツト』の仮住まいには、ふさわしいですね」

「ちっ!」

 ハルトがサザークの剣を弾き、一歩下がる。

 追い打ちをかけようとサザークが前に出たとき、ハルトを飛び越え、イリスが宙に舞った。

「『フロスト』!!」

 イリスの剣が冷気をまとい、青い剣身に霜が降りる。

 空中で踊るように体を回転させ、その勢いを乗せてイリスが剣を振るう。

 白い軌跡が美しい曲線を描いた。

 サザークの脳天で鈍い音が響き、剣と剣がぶつかった。

 イリスの必殺の一撃を受け、サザークの動きが止まる。

「『ヴァルカン』!!」

 この隙にハルトが剣を振り抜き、炎を打ち出す。

 サザークはイリスの剣をいなすように弾くと、瞬間的に物質移動の魔法を起動。自分の体を大きく後ろへ飛び退かせた。

 しかしハルトもその動きを読んでいる。

 ヴァルカンを続けて放ち、サザークが着地する場所を狙って着弾させた。

 炎の爆発が起こり、火柱が立つ。

 ハルトは不敵な笑みを浮かべ、その炎を見つめた。

「ただのお祭り野郎かと思ったが、やるじゃねえか」

 炎の中から、サザークが姿を現した。

 その前に浮かぶのは、黒い魔法陣。

「……闇属性の防御魔法か」

「ええ。我々プロスペロウは、偉大なる指導者よりこの力……魔王の魂を授かりました」

「なに?」

 ――魔王の魂、だと?

 魔王は半身となり、俺とイリスの中にいる。それなのに?

「……どうやら、テメーには訊くことが色々ありそうだな」

 炎が消えると、闇の防御魔法も姿を消す。そしてサザークは、体の前で両手をゆっくりと回転させた。

 新たな魔法陣が描かれる。一瞬置いて、それは教会の天井に付きそうなほど広がった。

 ――でかい。

「来たれり! ネロ・ベヒーモス!!」

 巨大な魔方陣から、その大きさに見合った北方魔族テンペストが出現する。

 全高はゆうに五メートル。体の長さは十メートルを楽に越える。姿を形容するなら、異常に筋肉が発達した、肉食の巨牛。

 顔は大きく、口には鋭い牙が百本以上も並んでいる。顔の側面から、岩をも砕きそうな巨大なツノが二本、前に突き出ていた。

 漆黒の体は、岩のような筋肉の鎧に覆われ、その体に秘めた破壊力を伝えている。

 危険レベル12。ベヒーモス種の中でも、特に凶暴な奴だ。

「大した召喚魔法だけどな、幻じゃ俺は倒せないぜ」

「ふふふ、本物の召喚魔法は、幻などではありませんよ」

 ベヒーモスが向かって来た。

 巨体が踏みならす足音は、地震のように教会を揺らした。

「イリス! 教会を出るぞ!」

 ハルトとイリスはネロ・ベヒーモスに背を向け、出口へ走った。

 開け放たれていた扉から外へ飛び出す。

 外は草原で、遠くに森と山が見えた。

 その風景から察するに、ここは討伐競技会のフィールドからそれほど離れていない。

 しかし、のんびりと検証している余裕はなかった。

 背後の教会の前面が、爆発したように吹き飛んだ。

 その中から、ネロ・ベヒーモスが突進してくる。

 二人との距離が、みるみる近づき――、

「ハルトくん!」

「おう! 『ムーブメント』!!」

 二人はネロ・ベヒーモスをギリギリまで引きつけてから、左右に分かれる。

 移動魔法を使い、体を真横へ飛ばす。その速度は足で走るより、はるかに速い。

 ハルトとイリスの背後数メートルを、ネロ・ベヒーモスが地響きと共に通り過ぎた。その振動は、まるで地震だ。

 ネロ・ベヒーモスは、しばらく行ってから向きを変える。そして、二人を威嚇するように咆哮を上げた。

 通り過ぎた地面は、草が踏み固められた地面が凹み、ハッキリ足跡が残っている。

「ハルトくん……あれ、実体です……」

 遠くから笑い声が聞こえた。

「ははは! これぞ闇の魔法の深淵!! 闇の魔法こそ奇跡!」

 倒壊し、瓦礫の山と化した教会の上で、サザークが語る。

「これが本物の召喚魔法です! 勇者ギルドのまがい物とはひと味もふた味も違いますよ! 魔王の魂でこそ成し得る魔王の奇跡! その体に刻むといい!」

「ワケのわかんねーこと言ってんじゃねーぞ! その魔王の魂ってのは、何だ!?」

 サザークはわざとらしく、口元を押さえるような仕草をした。

「少し喋りすぎましたね。あなた方は少しやんちゃが過ぎます。運びやすいよう、腕の二、三本でもネロ・ベヒーモスに喰わせてから連れて行くとしましょう」

 サザークが指を鳴らすと、ネロ・ベヒーモスが再び二人に襲いかかった。

「どうしますか? ハルトくん。逃げるだけなら簡単そうですが……」

「いや、あのサザークってヤローをとっ捕まえて、吐かせたいことがある。ネロ・ベヒーモスは俺がる」

「でしたら、私が動きを止めます」

 イリスはネロ・ベヒーモスに、剣の切っ先を向ける。

「気を付けろよ、イリス。お前が危ない目に遭ったら、集中出来ねえからな」

「――そんなに、私が信用出来ませんか?」

「そうじゃねえ。お前には傷一つ付けたくないだけだ」

「……」

 イリスの方が集中出来なくなりそうだった。

 もうっ……こんなときに、ハルトくんったら!?

 自分の事を大切に思っている気持ちが伝わり、頬は熱く、動悸も激しくなる。

 イリスは頬の熱を冷ますように、両手で押さえた。

 集中しないと魔法式は上手く作れない。それは、頭の中で思考することにより作られるものだからだ。

 体の中から生み出される魔力は燃料。魔法式は、その燃料を利用する機械のようなもの。精神力で作った設計図――すなわち魔法式に沿って魔力流すことで、魔法は起動する。

 そして魔力を生み出す方法は、それぞれ異なる。

 魔神と呼ばれる存在と契約を結ぶことであったり、光の神を信仰することで神の奇跡を利用することが出来たり等だ。

 そしてイリスは氷の精霊と、そして体の中に潜む魔王の半身――『魔王ジユリエツト』。

 史上最強の魔力の供給元である。

 ハルトとイチャついたおかげで、今は魔王の半身が潜む扉が少し開き、強大な魔力が流れ出ている。

「『フリージング』!!」

 剣の先に魔法陣が展開し、そこから白い煙を上げ、冷気の塊が発射された。

 甲高い金属音のような音が響き、噴き出した煙が地面の草を凍らせる。

 そして、発射された冷気の弾丸はネロ・ベヒーモス体を冷却し、体を覆う毛に白い霜が下りてゆく。

 動きの鈍ったネロ・ベヒーモスに向かって、イリスが駆ける。

「『フロスト』!!」

 ネロ・ベヒーモスの太い足を斬り付ける。抜群の防御力に深手は負わせられないが、叩き付けた冷気が足を地面に凍り付かせる。

 その間、ハルトは炎の上級魔法に必要な呪文を詠唱していた。

「――炎の精霊、火炎の魔神、我は求め訴える」

 ハルトの周りに熱気が渦巻き、突風が吹き荒れた。

「――爆炎、烈火、灼熱、業火、形あるものを灰に、形亡きものを塵に」

 ネロ・ベヒーモスの足下に、真っ赤に燃える魔法陣が出現する。

 それが炎の地獄への入り口。

「『メルトダウン』!!」

 真っ赤な閃光が天に向かって伸びる。

 それはまるで火山の噴火か、噴き上がった溶鉱炉。

 ネロ・ベヒーモスが断末魔の叫び声を上げる。

 魔法耐性のあるはずの毛皮も、どんな攻撃も跳ね返すはずの岩のような肉体も、まったく役に立たない。

 暴力そのものの炎と熱が、容赦なくその身を焼いた。

 メルトダウンの柱は徐々に細くなり、やがて一本の線となって、消えた。

 その跡には、何も残っていない。

 そこに存在したはずのネロ・ベヒーモスは跡形もなかった。

 場違いに呑気な拍手が響く。

「これはこれは! 見事なものですね。炎の上級魔法を見たのは久しぶりです。しかし、これほど強力なものは見たことがない! まさかネロ・ベヒーモスを一撃とは! さすがは魔王の半身をその身に宿す者!!」

 大はしゃぎで手を叩くサザークに、ハルトは険呑な目つきを向ける。

「次は、テメーの番だぜ」

「いやいや、楽しみは取っておきましょう。ただ、誤解して頂きたくないのは、我々はあなた方の味方だということです」

「ふざけないで! 襲撃して来て、何が味方よ!」

「ふざけ……?」

 サザークの首が、かくっと傾いた。

「ンアァアあああっ!? っざけてねーよ!! ざけんじゃねーよ!! あぁアぁあァ!? 何でこっちの気持ちがわかんねーんだよ!? ……失礼、取り乱しました。謝罪します」

 ハルトは眉を寄せて、サザークを睨む。

「あのヤロウ……どこまでがマジなんだ」

 サザークの首が真っ直ぐに戻った。

「はははマジですよ。全て、まるっとオール・パーフェクト・マジ。我々はあなた方の愛の成就、幸せを願っているのです」

 イリスの目が鋭く絞られる。

「……幸せ、ですって?」

「詳しくはまたの機会に。では、お二人が結ばれる未来を祈って!!」

 サザークの足下で魔法陣が光った。

「くっ!!」

 咄嗟に投げたハルトの剣が、地面に突き刺さる。

 しかし、その時には既に、サザークの姿は消えていた。

「転移魔法か……用意のいい奴だ」

 サザークの消えた辺りを足で探ると、黒く光る丸い石が見つかった。

 宝石のようにきれいな石だったが、ヒビが入り、今にも砕けそうだ。

 ハルトの剣を拾って、イリスがやって来る。

「魔法石ですか……これにあらかじめ転移の魔法式を仕込んでいたのですね」

「ああ。だから何の予兆もなく、突然魔法を起動させていたんだ。俺たちがここに連れて来られたのも、恐らく同じだろう」

 ハルトがイリスから剣を受け取ったとき、ちょうど魔法石も砕けて消滅した。

「ハルトくん……あの男は、一体何者なんでしょう?」

「さあな……だが、俺たちのことを知っている。そして、俺たちが知らないこともな」

「では……ハルトくん」

「ああ。奴をとっ捕まえる。奴が口走った、魔王の魂ってのも気になるしな」

「でも、どうやって探したら……」

「それはこれから考える」

 イリスは困ったような笑顔を浮かべた。

「良い方法が思い付くと、いいのですけど」

「楽勝だ」

 ――と、そのとき、

 聞き覚えのある声に呼び掛けられた。

「あれ? そこにいるのは、ハルトさんとイリスさん!?」

 森の中から姿を現したのは、ルミナスの筆頭魔術師、クララ・シュトラールだった。

「クララ!? お前こそ、何でこんなところに」

「私はここに古いルミナスの教会があると聞いて……せっかくブレイズ領に来たので、見学をしてから帰ろうかと思ったのです」

「帰る……って、討伐競技会はどうなったの?」

「はい? とっくに終わったのです。我がルミナスが一位、二位は同率でブレイズとアブソリュートなのです」

「……」

 まずい。

 一体、何て言い訳したらいいのだろうかと、二人は冷や汗をかいた。

「それよりも、お二人はどうしてこんなところに?」

「あー……」

「そ、それは……」

 クララは、ぽんと手を打った。

「分かったのです!」

 ハルトとイリスの心臓が、どきりと跳ね上がり――、

「お二人も古い教会に興味があるのですね!?」

 ――脱力するように着地した。

「あ、ああ……まあ、そんなところだ」

 やむを得ず話を合わせるハルトに、クララは目を輝かせた。

「そうなのです! そうなのです! ブレイズにおける古いルミナス建築としては、他になかなか例のない貴重なものらしいのです! これは絶対に見ておかなければ、そう思うのも当然なのです!!」

 クララはわくわくした目で、辺りを見回した。

「この辺りにあるはずなのです。でも見当たらないのです?」

 近くにある瓦礫の山がそうだとは、二人はなかなか言い出せなかった。


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試し読みは以上です。


続きは2020年2月20日(木)発売

『転生魔王のジュリエット』

でお楽しみください!



※本ページ内の文章は制作中のものです。実際の商品と一部異なる場合があります。

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