第一章 その7

 それは去年の秋ごろの話だ。

 進学希望の高校を見学するために、俺は文化祭を見に来ていた。賑やかな校内を練り歩きながら、ただ漠然と『ここに通うのかー』と思っていたのを覚えている。

 どこか他人事のように感じていたのは、それが他人事だったから。

 高校に入って特にやりたいこともない。

 進学するのが当たり前だから進学をする。

 なんとなく楽しくて、なんとなく面白ければそれでいい。

 そんなお気楽な考え。

 だけど、この高校の文化祭に来て、そんな楽観は吹き飛ばされ、確かな決意を抱いた。

『なんとなく入学したい』ではなく、『絶対に入りたい』。

『進学希望校』ではなく、『第一志望校』。

 高校受験が他人事ではなく、自分事へと変わったのだ。

 そのきっかけは、去年の文化祭で見た、とある一本のアニメだった。

 偶々立ち寄ったアニメーション同好会の上映会。

 そこで見たのは、たった30分足らずのアニメ。地上波でようやっと一話分にしかならない短い時間。

 だけどその30分があったからこそ、俺は受験勉強に本気になった。

 この高校に絶対入りたいって、そう思ったんだ。

 たった30分。たった一話分。

 俺の進路を決定づけた30分。

 人生で初めて受けた衝撃、感動、そして衝動。

 思い返すたびに募る思いは、その回数が多くなるたびに強くなっていた。

 高校に入ったら、アニメーション同好会に入ってあんな作品を作りたい。

 それだけをモチベーションに、受験勉強を乗り越えてしまうほどに。


 そして今日、俺は高校の入学式を迎えた。昨夜は緊張して寝つきが悪かったんだから、どんだけ楽しみにしてたんだって話だ。……まあ、そんな話は恥ずかしくて誰にも出来ないけどな。それが例え、どれだけ仲のいい友達であっても。

「『楽しみで仕方ない』って顔してるぞ、春斗」

「ばっ、別にそんな顔してねぇよ!!」

「鏡、見てくるか?」

 そうしてニヤニヤと嫌らしく笑うのは、相葉勇樹だ。中学3年で初めて一緒のクラスになった男子だが、何だかんだ気が合いつるんでた、いわゆる悪友というやつだ。

「まあ、あれだけ『高校に入ったらアニメーション同好会に入るんだー』って言ってればな」

「そんなに言ってねぇだろ」

「一日三回は言ってたぞ」

「それは絶対に嘘だ」

 いや、嘘じゃないかもしれない。受験が近くなればなるほど、その話をしてた気がする。

「んで? どうするんだ? 今日の放課後、早速行くのか?」

「あー、一応、部活の仮入部期間が始まってからで」

「変なとこ真面目だよな、春斗って」

「や、そんな入学初日から行ったら意識高い奴みたいで恥ずいじゃん」

 いや、本当ならすぐにでも部室に行きたい! 行きたいんだけど、なんかそれはそれでダサいと言うか、みっともないと言うか、まあ、そんな感じだ。

「そんなにやりたいんなら、カッコつけなくてもいいじゃねぇか」

「うるせー」

 言われなくても分かってんだよ。でもさ、そういうことじゃないだろ!?

「しかし、まさかまた春斗と同じクラスになるとはな」

「どんな腐れ縁だって話だよな」

 話題が逸れた安心感よ。自分の本気が話題になってるのって、なんであんなに照れ臭いんだろうな。

「それだけ俺らの友情は強かったってことだろ」

「やめろ、気持ち悪い」

 そう言いつつ勇樹と小突き合う。こういうノリは安心出来てホッとする。

「まあ、春斗の場合腐れ縁って言うなら、湊の方なんだろうけどな」

 勇樹が指示した先では、ちょうど一人の女子生徒が教室のドアをくぐったところだった。

 不安そうにキョロキョロと辺りを見渡した後に、俺たちを見つけるとパアッと表情を輝かせ、小走りにこちらへとやってくる。

「おはよ、春斗。相葉君も」

「相変わらず湊の中じゃ、俺は春斗のおまけかー」

「そんなことない、そんなことないから!」

「本当かよー?」

「本当だってば。全然そんなこと思ってないから」

 中学の頃とまるで変わらないやりとりに、一瞬ここが新しい教室だということを忘れそうになる。

「えへへー」

「どうした、優美。気持ち悪い笑い方して」

「ひどい!? 春斗、今のはひどいよ!!」

「悪い悪い。いきなり笑い出すもんだからさ」

「いいでしょ別にー。春斗たちと一緒のクラスになれてよかったなって思ったんだから」

「春斗『たち』じゃなくて、春斗と、だろ。言い間違えてるぜ、湊」

「も、もー。どうして相葉君はいつもいつもそんなこと言うの? そんなんじゃないってば」

「そりゃあ、なあ。中学の卒業式であれだけの勢いで春斗の第二ボタンを強奪していったわけだし? そう思われても仕方なくないか?」

 そう、何を隠そう。この湊優美こそが、俺の第二ボタン強奪事件の主犯だ。

「あ、あれは違くてッ! ……だって緊張したんだもん」

 そこでなぜこっちを見る?

「春斗、あの件って誰かからツッコまれたか?」

「? いや? 学校じゃ特に」

 家で義姉さんたちとはひと悶着あったけど。

「そりゃそうだ」

「な、何!? その意味深な頷き方!? ねえ相葉君! それどういう意味!?」

「どうもこうも、とっくに夫婦認定されてるってことだ」

「ふ、夫婦じゃないから!!」

 うーん。逆にちょっといつも通り過ぎない? せっかく高校に進学したと言うのに、全くもって新鮮味がない。昨夜のドキドキワクワクを返して欲しい。

 周りのクラスメイトたちは、誰も彼もが教室の中を不安そうにキョロキョロと見渡してるってのに、──って、え?

「夏希姉ちゃん!?」

 なんで三年の夏希姉ちゃんが一年の教室に?

「あ、春斗! よかった見つけられたー。危うく一年生の教室を全部回るところだったよ」

「え、いや。何してるの?」

「今日は私たちも午前中だけだから、一緒に帰ろうかなって思って。そのお誘い」

「それはいいけど、わざわざ教室に来なくてもスマホで連絡くれればいいのに」

「あはは。そうも思ったんだけどね。せっかくだし、高校生になった春斗を見たいなーって思って」

「今朝、嫌ってほど見てたじゃん」

 試着した日に散々撮ってたのに、また記念撮影までしてたのはどこの誰ですか……。

「細かいことは気にしないの! じゃあ、放課後になったらまた連絡するから。あ、言っとくけど先に帰ったらダメだからね?」

「わかってるよ」

 アニメーション同好会に行くのも、今日じゃないしな。うん、今日じゃない。

「うん、よし! って、あ。春斗、ネクタイ曲がってるよ。もう、入学早々情けないなー」

「わかった。わかったから! 自分で直すから! だからほら、夏希姉ちゃんも自分の教室に戻りなよ」

 あっぶな。高校生活始まって早々、義姉さんに身だしなみを整えられてる姿をクラスメイトに見られでもしたら、残り一年恥ずかしくてやっていけなくなる。

 っとに、夏希姉ちゃんもちょっとは人目を気にして欲しい。そういうのは家の中だけにしてもらいたいもんだ。

「しっかりとね! 後、学校生活で何か困ったらいつでも相談してね。じゃあ、また後で」

「わかってる。ありがとう。じゃあ、後で」

 そう言って夏希姉ちゃんを見送った教室の中は、すっかり静まり返っていた。

 ま、だよね。

 入学式の在校生代表で挨拶をしてた生徒会長が、いきなり教室に乱入してきたと思ったら、よくわからないクラスメイトと親し気に話して帰っていくんだ。事情がわからない奴からすれば、何事だって話しだろ。

「春斗」

「春斗」

 事情がわかってる奴からしても、何事だって話みたいだけど。

「お、おま、お前! なな、なんだ今のは!? 何なんだ!?」

「だだ、誰!? 今の誰!? 誰なの春斗!?!?」

「あー、はいはいわかった。わかってるから、ちゃんと説明するからそんな鬼気迫る顔を向けてくるな」

 取って食われるかと思っただろうが。

「お前らには話したことあっただろ。親父が再婚して義姉が出来たって。今のがそのうちのひとり。志木夏希さん」

「あ、義姉!? あれが!? あんな美人で生徒会長で可愛い人が、義姉!?」

 勇樹。お前興奮し過ぎだ。

「あああ義姉。そそそそっかぁ。ななな仲いいい良いんだねぇえ」

 優美。お前はどこかぶっ壊れたか?

「聞いてねえぞ、春斗。義姉が出来たってのは聞いたが、それがあの生徒会長だとは一言も聞いてねえ!!」

「そら、言わなかったし」

「なぜ言わなかった!?」

「今みたいにめんどくさいことになると思ったから」

「友情! 俺とお前との間に友情はないのか!?」

「やかましい」

 言ったら絶対にその『友情』で強引に家に遊びに来ようとしただろうが。

「はは春斗。ねえねえ春斗」

「何?」

「えっとその。えとえと」

「いいから落ち着け。ほら、深呼吸」

「あ、うん。す~~~は~~~す~~~は~~~」

 おお、そうすると胸が強調されてすごいな。義姉さんたちほどじゃないけど、優美も結構な物をお持ちで。

「春斗の第二ボタンを貰ったのは私なんだからね!?」

「それ、今絶叫する事か!?」

 やめろよ、変な噂が立つだろうが!! ただでさえ夏希姉ちゃんの襲来で変の視線が送られて来てるって言うのに、これ以上は勘弁してくれ!!

「あ、チャイム」

 ナイスタイミング!

「ほら、優美も勇樹も席に戻れって」

「今の話、後で絶対に聞くからな」

「私も私も! 聞かせてね」

「わかったよ」

 さてと、どうやって逃げようかな。


「ってことがあったから、学校では用がない限りは教室とかに来ないようにして欲しいんだけど」

 その日の夕飯時。入学初日の話をせがむ義姉さんたち三人に対して、俺はあの後の顛末を含めて話をしていた。

 最初は優美と勇樹だけだったのに、おもしろがったクラスメイトたちまで集まってくるんだから、本当に勘弁して欲しい。

「むー、そっかぁ。せっかく春斗と一緒の学校に通えるようになったのになぁ」

「夏希姉ちゃんなら分かるでしょ。今の時期に変に目立つことすると、後が大変なんだって」

「えー、でもぉ」

「家でならいくらでも一緒にいられるじゃん。だからさ、頼むよ」

「……春斗がそこまで言うなら、いいけどぉ」

 うっわ、めっちゃ不承不承。

 でも、こればっかりは俺も譲れない。入学初日から変に浮いていじめられるなんてことになったりしたら、目も当てられないし。

「冬華姉さんもだからね」

「え、私もなんですか!?」

「そりゃそうでしょう」

 むしろ夏希姉ちゃんよりも冬華姉さんの方が心配だ。その辺、空気とか読まなさそうだし。

「今日は色々忙しくて春斗君に会いに行けなかったので、明日からはもっと会いに行こうと思ってたんですけど、ダメですか?」

「ダメ」

 ほらな、予想通りだ。

「でもでも、ちょっとぐらいならいいんじゃないですか?」

「完全にダメです」

「なんでですかぁ!?」

「冬華姉さん、よく考えて。それで俺が周りから『姉弟だからって贔屓されてる』なんて言われたらどうするのさ」

「私はそんなことしませんよ?」

「冬華姉さんはそう言っても、周りが同じようにかんがえてくれるとは限らないだろ」

 少しは周りの目ってものを考えようか。頼むから。

「うー、わかりましたよぉ。でも、そうしたら私は学校でいつ、春斗君に会いに行けばいいんですか?」

「いつって言われても……。変に目立つようなことしなければ別にいいけど」

「教師と生徒の禁断の関係ってやつですね!?」

「違うからね!?」

「あう。はい……」

 なんで残念そうにしてるのさ。冬華姉さんってどうにも子どもっぽいところがある。

「二人ともいいな~。はる君と一緒に学校に行けて~。私も教員免許を取っておけばよかったよ~」

「秋ねえまで何を言い出すのさ」

「だって~、羨ましいんだもん~。それに~、家にひとりでいても暇だし~」

「仕事は?」

「退屈だからサボった~」

「いや、それはダメでしょう!?」

「いいの~。今年度は私~、授業の受け持ちもないし~」

「え、大学の助教授ってそんな感じなの?」

 社会人って働かなきゃいけないものじゃないの?

「春斗君。秋奈は特別なんですよ。そういうところの融通を利かせるから在籍しててくれって言われてるんです」

「めっちゃ特別待遇じゃん」

「えへへ~。尊敬した~?」

「したした。秋ねえってすごいんだな」

 家じゃただのぐうたらお姉さんなのに……。

「それじゃ~、もうひとつ自慢しちゃお~」

 得意げに胸を反らす秋ねえ。そうすると暴力的なおっぱいがさらに強調されて、非情に目に毒、いや眼福ですね。ありがとうございます。

「とあるツテで~、いい宿泊施設を~、ゴールデンウイーク中借りることが出来ました~」

「ん? どいうこと?」

「ゴールデンウイークはみんなで旅行に行こうってこと~。はる君の入学祝いだよ~」

「え、マジで? いいの?」

「大丈夫~。頼んだら快く貸してくれたよ~。私だけの特権~」

「職権乱用って言わない?」

「持ってる権力は使わなきゃもったいないよ~」

 おお、なんかカッコいいセリフだ。

「海の側に立ってるんだけど~、私有地だから誰もいないし~、私たちの貸し切りだよ~。プライベートビーチ~」

 いや、それは違うと思う。意味が違う。

「いいですね! ぜひ行きましょう」

「私も賛成!」

 冬華姉さんと夏希姉ちゃんは乗り気。それなら、

「うん。みんなで行こう」

「決定~」

 秋ねえのその言葉に、賑やかだった食卓がさらにワッと盛り上がる。みんなしてあーでもないこーでもないと、旅行の計画について話し合う。

 そんな中、ふと俺は思ったことを口にした。

「そう言えば、家族旅行ってはじめてだ」

 そうだな。親父と一緒に旅行に行った記憶なんてないし、志木家ではそういうイベントごとってほとんど存在しなかった。

「春斗君、うんと楽しみましょうね!」

「はる君に楽しんでもらえるようにするね~」

「春斗! たくさん思い出作ろうね!」

 でも、今は違う。

 うちには義姉さんたちがいる。

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