第一章 その5

 それからの義姉さんたちとの日々も、俺にとっては嬉しい時間の連続だった。

「夏希姉ちゃん。出る時に一緒にゴミ出しちゃうよ。これで全部?」

「あ、待って! 私も一緒に出る!」

「え、こんなに早く? 俺は今日、日直だから早く出ようと思っただけなんだけど」

「いいでしょ? 私も春斗と一緒に登校したいの」

 そんな風に言われて、嫌だなんて言えるはずもなく。俺は玄関で夏希姉ちゃんの準備が終わるのを待つ。

「ごめーん! お待たせ」

 お世辞でも何でもなく、この瞬間に立ち会える俺は最高レベルに幸せなんじゃないだろうかと思う。

 だってさ、だって、よく考えてもみろよ。

 あの夏希姉ちゃんが制服姿で俺に駆け寄ってくるんだぞ? ただでさえ美少女な夏希姉ちゃんがブレザーを着て、完璧な美少女女子高生として隣に立つんだぞ。最高じゃないか。

「あ、春斗。また学ランの第一ボタン外してる。もー! 毎朝毎朝、注意してるでしょー?」

「いいじゃん、これぐらい。苦しいんだよ、上まで締めてると」

「ダメ! その制服着るのもあとちょっとなんだから、最後ぐらいしっかり着てあげなきゃ、可哀そうだよ」

「いやいや、卒業間近だからってこれまでのスタイルを崩す方が裏切りじゃない?」

「なんでそんなに屁理屈ばっかり言うかな。ほらぁ、ちょっとしゃがんで」

 なんで毎朝注意されてるのに第一ボタンを開けるかって言われればそりゃあ、こうやって夏希姉ちゃんが締めてくれるからに決まってる。

 身長の低い夏希姉ちゃんが一生懸命手を伸ばして、ボタンを閉めてくれる。朝一でこんなことをしてもらえれば、その日一日楽しくなるに決まってる。

 まあ、そんなこと本人に言えないから、俺は今日も適当な言い訳をして第一ボタンを開けてるんだけどな。

「出来たよ! うん。男前だ。カッコいい!」

「そう? ボタン閉めてると野暮ったくない?」

「全然そんなことないよ! 絶対ちゃんとしてる方がカッコいいって。だから明日からもちゃんと閉めてよ?」

「それは約束出来ませーん。行ってきまーす!」

「あ、こら春斗! 待っててばー」

 家の近くにあるごみ捨て場にゴミ袋を放り投げる。そうして夏希姉ちゃんと別れるまでの短い道のりを一緒に歩く。

「あーあ、早く春斗の入学式が来ないなかなぁ」

「高校まで一緒に登校できるから?」

「うん! さすが春斗。よくわかってるね!」

「あはは、まあね」

 さすがにそこまで真正面から肯定されるとは思わなかった。もうちょっと照れるか何かするかと思ったのに。強いな、夏希姉ちゃん。

「でもそっか。来月からは俺も電車通学か。めんどくさいなー」

「え、何で?」

「だって満員電車でしょ? 辛そう」

「そりゃしんどいけど。でも、それだけじゃないんだよ?」

「満員電車にどんな楽しみがあるってのさ」

「春斗ともっと一緒にいられる、とか。えへへ」

 おい、それは反則だ。

 なんだその照れくさそうな笑みは。見てるこっちまで恥ずかしくなってくるじゃないか。

「なんてね。じゃあ、春斗。今日も一日頑張ってね!」

「頑張るようなことなんて何もないけどね」

 何しろこっちは受験も終えた中学三年生だ。三月の半ばに差し掛かった今、学校に行ってやることなんて、卒業式の練習か友達とのトランプぐらいしかない。

 駅へと向かう夏希姉ちゃんの背中を見て思う。もう少しで卒業式で、俺はあとちょっとで高校生になるのだと。

「ま、なんて言ったって何がどうなるわけでもないんだけどな」

 別に湿っぽい雰囲気に浸りたいわけじゃない。現に義姉さんたちと一緒に暮らしていれば、どうしたってそんな雰囲気になりようがないのだから。


「春斗君、聞いれますか?」

「あーはいはい。聞いてる。聞いてますよー」

「本当れすかぁ? さっきから返事がテキトーれすよ?」

 そりゃそうもなるさ。

 中学生活最後の卒業式。その前日の深夜一時にこんな愚痴塗れの晩酌に付き合わされてるんだから。

「ていうか、冬華姉さんは明日も仕事だよね? いいの? こんな時間まで飲んでて」

「いいんれすー。私は大人だからいいんれすー」

「大人だって言うなら、そこまでベロベロに酔っぱらった姿を子どもに見せないで欲しい」

 これが27歳か。なんか色々考えさせられる。

「大体何があったからそんなに飲んでるのさ」

「よっくぞ、聞いてくれました!」

 あ、聞かなきゃよかった。

「それが酷いんですよ、あの副校長」

「そうなんだ」

「そうなんれす。これは酷い。職場内いじめれす。私は断固として抗議します!」

「そっかそっか。それは大変だね。ところでもう遅い時間だから静かにしようか」

 くっそー、夏希姉ちゃんも秋ねえも上手く逃げたからなぁ。だからと言ってこんな状態の冬華姉さんをひとりにしとくわけにもいかないし。

「聞いれますか、春斗君!」

「あーうん。聞いてる聞いてる。ばっちり聞いてる。で、何だっけ?」

「あの副校長のことれすよ!」

 頼むから静かにしてくれ。これじゃご近所にも迷惑になる──って、だからそんなに大きな音でグラスを置かないでってば!

「で、冬華姉さんがこんなになるほど不満を溜めたって、一体何があったのさ」

「春斗君のクラス担任にしてもらえなかったんれす!」

「あー」

 って、いや。それでこんなに荒れるの!?

「酷いんれすよ。本っ当に酷いんれす! 私は何回も今年は一年生の担任がいいって、春斗君のクラス担任になりたいって言ったのに、副校長は『身内のクラス担任は出来ない決まりになっている』って。そんなこと言うんれすよ!?」

「いや、それは副校長先生が正しいと思うけど……」

「なんれれすか!?」

「いや、なんでって聞かれても。身内だからって贔屓したりとか、そういうことがあるからじゃない?」

「私がそんなことするって言うんれすか!?」

「いや、そうは言ってないけど……」

 あーもう、めんどくさいな。さっさと酔いつぶれてくれ。

「私は春斗君のクラス担任になりたかったらけなんれすよー。そうすれば体育祭も文化祭も春斗君と一緒に楽しめたんれすよ!?」

「いや、それだけ私情が入ってたらアウトじゃない?」

「もー! なんれ副校長と同じこと言うんれすかぁ」

「え、待って。今の副校長に言ったの?」

「言いましたよー。春斗君と一緒に学校生活を楽しみたいからクラス担任にしてくれって。そう言いましたよー」

「……冗談でしょ?」

 そんなこと言われたら副校長じゃなくても、ダメだって言うに決まってるって。

「なんれれすかぁ。なんれ、らめなんれすかぁ」

 ていうか、これアレだ。冬華姉さんの気が済まないと終わらないやつだ。親父も極々稀にこんな感じになる時がある。大人ってみんなこうなんだろうか?

「春斗君。聞いてますからー?」

「聞いてる聞いてる」

 そして、こんな感じになった時、親父を治める時にすることといえば、

「……ありがとう。冬華姉さん」

 お礼を言う事だ。

「なにがれすかぁ?」

「俺と一緒に学校生活を楽しみたいって言ってくれて」

「? それれなんれお礼を言われるんれすか?」

「うん? いや、俺が嬉しいなって思ったから」

 冬華姉さんのことだろうから、きっと何の悪気もなく、純粋にそうなったらいいなって思ってそういうことをしたんじゃないかと思う。裏表なさそうだからな、この人。

 だから、そういう気持ちが嬉しかったんだと、そう伝えるんだ。少なくとも親父はこうすれば納得してそのまま寝落ちしてくれたし。

「そうれすよー。私は春斗君に高校生を楽しんれ貰いたいんれす」

「うん。ありがとう」

「頑張ったんれすよー? 春斗君の高校生活が楽しくなるように、私が一番側で見守っていこうって、そう思ったんれすからー」

 お酒に酔ってなきゃ、いいセリフなんだけどな。

「春斗君―」

「何?」

「私、頑張ったんれすよー?」

「うん」

「なのれー、ご褒美をくらさい」

「ご褒美?」

「頭を、撫でてくらさい」

「……わかった」

「えへへー」

 待って。ちょっと待って!? 27歳だよね!? 長女だよね!? 

 それが何で12歳も年下の男子に頭を撫でられてこんなに嬉しそうにしてるの!?

 ヤバい。なんか不意打ちで冬華姉さんのことがとてつもなく可愛く思えてしまった……。

「すぅ、すぅ……」

「って、寝んのかい」

 や、いいんだけどさ、それで。ただその、俺が冬華姉さんに抱いてしまったこの感情はどうすればいいんでしょうか?

「んっ……、すぅ……」

「はあ、仕方ない」

 とりあえず部屋に連れて行くだけ連れて行こう。このままリビングで寝かしてたら風邪を引いてしまう。

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