第一章 その3
「ごめん。お待たせ」
「ううん。私も今ちょうど靴を履いたとこだから。ふふっ」
「? どうしたの?」
「あ、ううん! 何だかデートの待ち合わせみたいなやりとりだなって思って」
え、何その可愛い感想。清純そうな見た目と言い、絶対モテる。
「家の玄関じゃなければそうだったかもね」
「家の玄関でも好きな人との待ち合わせなら、ちゃんとデートになるんだよ?」
「経験豊富そうなセリフだ」
やっぱり彼氏とかいるのかなって、
「なんで赤くなってるの?」
「春斗が変な事言うからでしょー!」
「え、なになに。なんで叩かれてるの!?」
全然痛くないけど。むしろ可愛い。
「私、誰とも付き合ったことなんかないから」
「意外。モテそうなのに」
「……そりゃ、告白されたことはあるけど」
「やっぱり」
そりゃそうだ。この見た目、性格でモテないはずがない。
志木夏希。三女、17歳。俺とは一番歳が近く、なんと入学予定の高校で生徒会長を務めているらしい。
明るく元気で気さく。おまけに長い黒髪が清楚な印象を与える、誰もがイメージする“美少女女子高生”を地で行っている。校内にファンクラブのひとつやふたつはありそうって言うのが、オタクとしての俺の勘だ。妄想とも言うけど。
「告白されたことはあるけど、誰とも付き合ったことはないから! 本当だから!!」
「わかった。わかったって」
なんでそんなに必死になるのさ。
「本当に? 私、春斗には誤解されたくないんだから」
「大丈夫だって。ちゃんとわかったって。ほら、早く買い物に行こう。夕飯の準備する時間なくなるよ」
「あ、うん。えへへ。初めてだね、一緒に出掛けるの!」
「ここ数日はバタバタしてたからなぁ。冬華姉さんはまだ荷ほどき終わってなかったし」
「え、嘘!? 今朝聞いたら、『ちゃんと終わらせましたよ』って言ってたのに」
なんでそんな見栄を張ってるんだ、あの長女は。
「終わってなかったよ。まだ部屋にダンボールが積み上がってた」
「む。なんで春斗が冬華姉さんの部屋の中を知ってるの?」
「さっき一緒にゲームしたから」
「えー、ズルいよそれぇ!」
夏希姉ちゃんもゲーム好きなのか?
「今度は誘うよ。一緒にゲームやろう」
「絶対! 絶対だからね!!」
「わかったって」
「やった」
ガッツポーズするほどにゲーム好きなのか。もしかして秋ねえもそうなのか? そしたら姉妹揃ってゲーム好きか。そうだったらいいな。
「日も長くなったよね」
「うん。もう17時前なのに、まだ明るい」
「ちょっと前はすぐ暗くなっちゃったもんね。安心出来るなぁ」
あ、そっか。男子と女子じゃそのへんの感覚も違うんだ。
「夏希姉ちゃんって夜遅いの?」
「その聞き方、ちょっとイヤらしい」
「え、そんなことなくない!?」
「冗談ー。生徒会のことがある時は遅くなっちゃうかな。もちろん下校時間にはちゃんと帰るけど。でも暗くなるとちょっとね」
そりゃそうだろう。これだけ可愛い女子が歩いてたら、変な奴に目を着けられてもおかしくない。
「特にうちは女しかいないから。夜も不安な時は不安なんだ」
「確かに。大丈夫だったの?」
「あはは、大丈夫だよー。ありがとう、心配してくれて。でも、これからは安心だよ。家には春斗がいてくれるし」
「うわ、プレッシャーが」
「頼りにしてるよ、男の子。でも遅くなる時は一緒に下校もしてくると嬉しいかなー、なんて……、言ってみたりして」
「……」
夏希姉ちゃん。その上目遣いは反則です。
うっわ、なんだろこれ。なんかムズムズする。こう、今にも走り出した衝動っていうの? なんかそんな感じ。
「どうしたの、ソワソワして」
「別に。どうもしない」
「本当にー? なんか隠してるんじゃないのー?」
「そんなことないから。ほら、スーパーに着いたよ」
「あー、誤魔化したー。ねえねえ、何? 何考えてたの?」
「言わない」
ていうか、言えるわけない。夏希姉ちゃんが可愛すぎたなんて、そんなこと。
「お醤油以外にも必要なものって何かあるかな?」
「どうだろう。俺と親父の2人だけじゃないからなぁ。消耗品は多めに買っといてもいいかも。あ、洗剤はそろそろ無くなる」
「じゃあついでに買っていかないとね。でも、偉いね春斗は」
「? 何さ、いきなり」
「ちゃんと家事してるんだもん」
あー、そういうこと。
「だって、俺がやらないと他にやる人いないし。家が荒れちゃう」
「それでちゃんとやってるから偉いんだよ。他にいないよ? そこまでしっかり家事してる男子なんて」
「確かに。タイムセールあるから今日は遊びに行けないって言ったら、キョトンとした顔されたことあったしなぁ」
「あはは。友達を誘ってそんな断られ方したら、確かにそうなっちゃうかも」
特に男子なら尚更って話だ。
「夏希姉ちゃんはそういう経験ないの? 家事、ずっとやってたんでしょ?」
ここ数日見ていたからわかる。冬華姉さんと秋ねえは、引っ越してきて自分の分だけ荷ほどきをして終えたけれど、夏希姉ちゃんはそれ以外の家のものもちゃんと整理をしていた。
「うーん。私はあんまりないなぁ。お母さんと分担してやってたし」
「そう言えば遥香さんって何してる人なの?」
「気になるー?」
「そりゃ、まあ」
「大好きなお父さんの奥さんだから?」
「その言い方は気持ち悪いからやめて。鳥肌たった」
ぞわっと来たぞわっと。『大好きなお父さん』とか、この年になってそれはない。
「本当は再婚反対だったり、しない?」
「それはない。むしろ安心した。親父が自分の人生を取り戻そうとしてるみたいで」
これまではずっと俺のために働いてた人だったんだ。それが遥香さんと出会って、結婚して、今また自分の幸せを掴もうとしてるなら、それは大歓迎だ。
「ふふ、よかった」
「? なんで?」
「だって、本当は反対だーって言われたら、私たちもまた元の生活に戻らなきゃいけなくなっちゃうし」
「それ、地味にプレッシャーになるやつだから」
「そうー?」
「そうです」
何しろ、君の選択で私たちの人生も変わるんだよって言われてるのと変わらないし。
「あ、春斗。お醤油発見! どれにする? ちなみにうちはいつもこれ」
「うちもだ」
「一緒だ。じゃあ、これね。はい」
「重っ」
「頑張れ男の子。ふぁいと」
また、そういう可愛いことをする。まさか他の男子にもしてないだろうな? だとしたら、間違いなく勘違いする奴が出てくるぞ。
俺だって、“家族”って関係がなかったらどうなってたか分からないし。
「よーし、それじゃあサクサク行こうー」
「他にも買うなら、醤油は最後でよくない? 重い」
「ダーメ。頼りにしてるんだから」
クソっ。夏希姉ちゃんにこんなことを言われたら、頑張るざるを得ないじゃないか。卑怯だぞ!?
「で、結局こんなに買うんだもんな」
「あははー。ごめんね、つい」
「疲れたー」
どさりと玄関に置くのは、パンパンになったレジ袋。しかも二個も。スーパーを回るうちにあれもこれもとカゴの中に放り込んでいたら、気づいたらこんなことになっていた。
ちくしょう。こんなことになるなら、ちゃんと買い物袋を持っていくんだった。レジ袋二枚分、余計な出費になったじゃないか。
「あとは私がやっておくから、春斗は休んでていいよ」
「キッチンに運ぶぐらいはするよ。その後は、お任せします」
「任されました」
スチャ、と敬礼をするその姿が、また様になっているからズルい。冬華姉さんの親しみやすさとは違う、もっと等身大の可愛さが夏希姉ちゃんの魅力だ。
すでに、ちょっとしたワガママならこれから先も許しちゃうんだろうな、と予感している自分がいる。
「ふう。疲れたー、っと!」
「お~?」
「え?」
え、何この感触。いつものソファと違う。
「って、秋ねえ!?」
「わ~、はる君が降ってきた~」
「え、いや。ごめん! ついいつものクセで──ッ」
いつもしてるみたいに、ソファの背もたれを軸に横転して寝転がろうとしたら、そこにはすでに秋ねえが寝転がっていた。
って、冷静に解説してる場合じゃないよね!? だって今これ、秋ねえの上に覆いかぶさってるって言うか、うっわすげぇおっぱい。
「抱っこして欲しいの~?」
「違います!」
本心からそう言い切れないけど、少なくともそう言わなくてはいけない。シュバっと、おっぱいに名残惜しさを感じつつ身を起こす。
「一緒にゴロゴロしててもいいのに~」
「いえ、ダメです。それはダメです。絶対ダメ」
そんなことをしたら自分がどうなるかわからない。だって秋ねえってば、ただでさえ美人なのに、ものすごいおっぱいだし!!
志木秋奈。次女、23歳。俺が入学予定の高校の附属大学で准教授を務めている才女。
しかしそんな肩書とは反対に、家での秋ねえは何て言うか、目に毒だ。引っ越してきてまだ数日だとは思えないくつろぎっぷり。ソファで横になっているだけではない。服装もルーズで色んなところが緩い。おかげで秋ねえと話している時は、鉄の意志でもって視線を顔に固定するしかない。でもってその顔も反則かってぐらいに美人。
つまり一言でいえば、対男性最強生物。それが秋ねえだ。童貞特攻もあるから、俺にはさらに効く。
「なっちゃんとお出かけしてたの~?」
「ああ、うん。醤油が切れててその買い出しに」
「ふ~ん。ところでさ~、なんで顔を背けてるの~?」
「い、いや。そんなことないよ? ちょっとそこの汚れが気になって」
「え~、どこ~?」
「!?」
せ、背中ッ。背中になんかその、男子を刺激する重さと柔らかさが!?
「ん~? どれのこと言ってるの~?」
ああ、しかも耳元で吐息と、ついでに言えばなんかいい匂いが!!
「ね~ね~、はる君~。どれ~?」
「ちょ、秋ねえ動かないで! マジでッ。俺が悪かったから!!」
「ん~? なんのこと~?」
自分の胸に聞いてください。というか、自分の胸に自覚を持ってください。
「はる君はかわいいな~」
「それ、褒め言葉じゃないからね!?」
年頃の男子は可愛いより、カッコイイを欲するものだ。