第一章 その2

 中学生活も残りわずかと言ったタイミングで始まった、義姉さんたちとの新しい生活。どっかのアニメか漫画、もしくはラノベでそんな展開見たなーって思ってたけど、やはり二次元同様に、その生活が順風満帆にいくわけもなかった。日々ドタバタとトラブル続き。

 本当、受験が終わってからでよかったよ。一番ナイーブな時期にこんなことになってたら、絶対にテンパってた自信がある。

 だって考えてもみてくれよ。

 これまで親父と二人きり、男だけで生活していた我が家が、たった一日で男ひとりに女三人の空間と化したんだぞ? そんな簡単に上手くいくはずがないって。

 しかも相手は美人三姉妹。

 それこそ、どこのハーレムものだよってツッコみたくなるような設定だ。

 なんて言うかこうね、まず匂いが変わった。これまで全然そんなところ意識しなかったけど、なんか華やかになった。それだけでこっちはドキドキの緊張もんだって話だよ!!

 それでも俺は可能な限り、そういうことを意識しないように心に誓ったんだ。

義姉さんたちとは普通の家族として接していこうって。誰に言うでもなく俺は決めた。

 だってそうだろ? 親父が再婚して、これからまた幸せな人生を送ろうとしてるんだ。その邪魔を俺がするのは、ここまで俺を育ててくれた恩に背くことになる。

 それは、絶対にしたくない。

 ……後は、このシチュエーションにちょっと期待してるのもある。

 年上の美人三姉妹との共同生活。これから高校に上がろうって年頃の童貞男子にとってこれほど魅力的なワードはそうそうないぞ。

 まあ、現実にそうそううまいことなんてあるはずないって、その時の俺はそう思ってたんだよ。三次元は二次元ほど優しくないってさ。

 だからさ、だからだよ。こんな状況が発生するなんて夢にも思わなかったんだッ!!

「は、春斗君」

「……冬華姉さん」

 トイレの扉を開けたら、そこにはパンツを脱ごうとしている義姉がいたッ!! 何を言っているのかわからねーって、俺だってわからんわ!! なんだこの状況ッ!?

「──ッ!? トイレの鍵は閉めてってば!!」

 ぶち壊す勢いで扉を閉める。

「すす、すみません──ッ。きゃあッ」

 と、中からもすごい音がした。え、何? 何なの今の?

「冬華姉さん!?」

「だだ、大丈夫です。大丈夫ですよー」

 本当かよ……。スっ転んだじゃないかってぐらい、すげぇ音が響き渡ったぞ。

「あはは。ご心配をおかけしました」

「あ、うん。いや、なんかごめん」

 誤魔化し笑いと共にトイレから出てきた冬華姉さんは、さすがにちゃんと服を着ていた。

「あう……。こちらこそ。つい癖で。前は家に女しかいなかったものですから」

「ああ、うん。だよね。お互い気を付けよう」

「はい」

「……」

 って、気まず!!

 いや、そりゃそうだろ。今回はギリギリセーフだったけど、タイミングが悪かったらその、『してる』とこに遭遇してたわけで、いやいや考えるのはよそう。それはダメだ。倫理的に。

「えっと、いいんですか?」

「え?」

「トイレ。そのために来たんですよね」

「あ、ああ。うん、そう。そうなんだ」

「ではその、どうぞ」

「……ありがとう」

 何、このやりとり。

 なんでトイレ入るのにこんな妙な心持にならなきゃいけないの!?

 冬華姉さんが悪いって言いたくはないけど、せめてもう少し気を付けて欲しい。これまで女四人で生活してたからってのは、わかるけどさ。

 というか、俺ももうちょっと気を付けないとな。義姉さんたちとの生活を初めて数日、ところどころでこうしたトラブルというか、事故が発生している。……その大半が冬華姉さんってところに、少しばかり思わないでもないけど。

 志木冬華。27歳、長女。なんと驚きなことに、俺が入学予定の高校で教師をやってるらしい。

 男子が妄想する“美人な女教師”を絵に描いたような人だ。きれいで優しい顔立ちに丁寧な言葉使い。派手にならない程度に明るく染めた長い髪。そして服の上からでもわかるスタイルの良さ。正直なところ、冬華姉さんの授業を受けてる奴が羨ましい。

 ただ、家では冗談でしょってぐらいポンコツだけど!! 今のだけじゃない。ウチで何かしらやらかすとすれば、それは大抵が冬華姉さんだ。

「あ、春斗君。どうでした? ちゃんと出来ましたか?」

 何を、とは聞かないぞ俺は!! デリカシーって言葉を知らないのかな、この人は!?

「ていうか、なんでトイレの前の待ってるのさ!?」

「そんな言い方しなくてもいいじゃないですか。もっと春斗君とお話したいって思っただけなんですから」

「あ、そっすか」

 その見た目でその言い方はズルいでしょ。ほっぺた膨らませたりなんかしてさ。歳、考えましょう? あざといですよ、それは。

「お話って、なんかあったの?」

「? いえ。春斗君のことをもっと知りたいと思っただけです。趣味とかないんですか?」

 家の中でこんな質問をされる新鮮さよ。

「趣味ねえ。家事かな」

 嘘。アニメ、漫画、ゲームにラノベ。二次元大好き。でもさ、初対面に近いような女性にそれを言うのって、ちと照れ臭くない? それがこんな美人なら尚更。別にオタク趣味がどうこうってわけじゃないけど、多少はさ、かっこよく思われたい的なアレもあるわけで……。

「それはダメです」

「まさかのダメ出し!?」

「だって私は家事苦手なんですもん」

「もんって言われても……。聞いてきたの冬華姉さんだよね?」

「私が一緒に楽しめるような趣味はないんですか?」

 いや、ないんですか? って聞かれても。何その図々しい質問。

「逆に聞くけど、冬華姉さんの趣味は?」

「私ですか? 私はゲームが好きです」

「へえ」

 ヤバい。ちょっとニヤけた。あれ、もしかして冬華姉さんってこっち側の人?

「……興味ないんですか?」

「え、ああいや、そんなことはないよ」

 ただこう人間関係的な距離感を考えた時にね。あんまりがっつくのもみっともないかなってさ。ね?

「ゲームはするよ。まあ、その普通に」

 この場合、“普通”がなんなのかはよくわからない。

「え、え。本当ですか? 春斗君もゲームするんですか?」

「ああ、うん。友達の家とか、あと家にもゲームぐらいなら普通にあるし」

「そうですか。安心しました。それじゃあ、早速私の部屋に行きましょう」

「え、なんで?」

 話が飛び過ぎててついていけない。

「何を隠そう私はゲーマーですからね。部屋にたくさんゲームがあります。一緒に遊びましょう」

「ああ、うん。そういうことなら」

 せっかくだし。冬華姉さんと仲良くもなれるかもだし。いや、別に何かを期待してってことはないからね!? 本当なんだからね!?

「そうと決まれば、さあ行きましょう」

「あ、手」

「? どうかしましたか?」

「や、何でもない」

 手を握られて驚いただけです。なんて情けないことは言えない。これは姉弟として当たり前のスキンシップなんだ。こんなのにいちいちドギマギなんかしてられない。

「どうぞー」

「お邪魔します」

 自分の家でこんなセリフを言う日が来ようとは……。

「荷ほどき、まだ終わってないんだ」

「お恥ずかしながら。でも大丈夫です。テレビとゲームは真っ先にセッティングしましたから!!」

「そこは胸を張るとこじゃないと思う」

「でもでも、これがないと私、生活出来ません」

「生活に必要なものって他にもっとあるよね!?」

 すげぇ、クローゼットが全開な上に、まだ空っぽだ。え、待って。そしたら冬華姉さんってこっちに越してきてから今日までの服ってどうしてたの?

「さあ春斗君。何からやりましょうか?」

 うわー、聞きてー。めっちゃ聞きてー。毎日違う服を着てるから、そこまでズボラではないはずだけど、まさか毎朝ダンボールから引っ張り出してるの?

「冬華姉さん、服の整理って終わってるの?」

 聞いてみた。

「もちろんです。ちゃんとタンスの中に仕舞ってます。あ、下着も入ってるから開けちゃダメですよ」

「余計な情報までありがとう」

 くそ。さっきまで普通に見れてたタンスが、急に見ちゃいけないもののように感じてきたぞ。どうしてくれる。

「そんなことより春斗君。ほら、こっちに座ってください」

「あ、うん」

「まずは簡単なゲームからやりましょう。大丈夫ですよ、ちゃんと手加減してあげますからね。よいしょっと」

「!?」

「? どうしました?」

「え、いや、近いなって思って」

「ああ。すみません手狭で。やっぱりちゃんと荷ほどきをしないとダメですね」

 ぜひそうしてください。まさかこんなにぴったり寄り添うなんて夢にも思いませんでした。……嘘です。ちょっとだけそういう妄想はしました。

「いいですか、春斗君。始めますよ」

「うん」

 正直こっちはゲームどころじゃないけど。なんか冬華姉さんからめっちゃいい匂いがするし、肩とか腕とか当たってるし。

「あ、やっぱり有名どころは抑えてるんだ」

「当然です。これは初期から相当やりこんでるシリーズです。ふふふ、春斗君。手加減はしませんからね」

「わかった。お、ちゃんと全キャラ出てる」

「全キャラ解放は基本です。それよりいいんですか? そんな悠長なことを言っていて。これから始まるのは戦いでよ?」

 冬華姉さんってゲームする時、こんなテンションになるんだ。楽しくてしょうがないって感じが子どもっぽくて可愛い。

「それでは春斗君のお手並み拝見です」

「お手柔らかにお願いします」

 と言ってゲームを始めたのが三十分前。その時は自信満々だった冬華姉さんだけど、

「ああ、春斗君!? ダメ! ダメですそれは!!」

「いやいや、勝負の世界に慈悲はない」

「そんな!? なんでそんなことするんですかぁ!?」

「弱肉強食」

「ダメ! やめて!! ああ、春斗君がいじめます!!!」

「これでとどめ」

「いやーーーーーっっっ!!! うぅ、また負けたぁ」

 画面に表示されるのは『YOU WIN』という文字と、俺が操作していたキャラの得意げな表情。そしてその横では、冬華姉さんが操作していたキャラが勝利を称えるように拍手をしている。

「春斗君。騙しましたね。なんでこんなにゲームが上手いんですかぁ!?」

「そんな涙目になられても」

「相当やり込んでますよね? ね?」

「いや、全然そんなことはないけど」

「嘘です! あの動きはやりこんだゲーマーのやつです。私をオンラインでボコボコにした人と同じでしたもん! は!? まさかあの時のプレイヤーが春斗君……?」

「被害妄想激し過ぎない?」

 そんな偶然あってたまるか。

「悔しいですー!! 春斗君、何とかしてください!!」

 ……いや、俺にどうしろと?

「勝つまでやりますよ」

「それは勘弁して」

「じゃあ、私のこの気持ちをどうしろって言うんですか!?」

「特訓してください」

 次、冬華姉さんとゲームをする時はもうちょっと手加減しよう。めんどくさい。

「わかりました。特訓します。そしていつか春斗君にリベンジします!!」

「頑張って。じゃあ、冬華姉さん。俺は夕飯の準備とかあるから、また今度ね」

「次は負けませんからね!!」

 そんなセリフを聞きながら、冬華姉さんの部屋を後にする。最初はあんなに緊張していたにも関わらず、最後の方はすっかり楽しんでしまっていた。

 なんて言うか、やっぱり冬華姉さんって親しみやすい人なんだろう。黙っていればクールな美人なのに、喋ればあれだけ感情豊かなんだもんなぁ。

「あ、春斗! ちょうどよかった」

 階段を降りて一階にあるキッチンに顔を出したタイミングで、夏希姉ちゃんから声がかけられた。

「夏希姉ちゃん。どうしたの?」

「夕飯の準備をしようと思ったんだけど、お醤油がなくなっちゃってるみたいで。春斗、場所わかる?」

「確か切らしてたな、醤油。必要?」

「今日、餃子にしようと思ってたから」

「あ、夏希姉ちゃんたちって餃子に醤油つけるんだ」

「春斗は違うの?」

「うちはラー油とお酢だけ」

 こういうのって、結構各家庭で別れるよね。

「え、じゃあどうしよう。お醤油いらない?」

「いいよ、買ってくるから。どうせその内必要になるし」

「うん。それじゃあ、一緒に行こう」

「え、夏希姉ちゃんも行くの?」

「? うん」

 おお。ものすごい自然に『当たり前でしょ』って反応をされた。別々のことした方が効率はいいけど、まあ、いいか。ここ数日は義姉さんたちの引っ越しの片付けでバタバタしてたし、夏希姉ちゃんと話すいい機会だ。

「財布取ってくるから、ちょっと待ってて」

「りょーかい。私も準備するね!」

 そう言ってパタパタ駆けていく夏希姉ちゃんと別れ部屋に戻る。生活費を入れている財布とスマホを取り玄関に戻ると、そこには上着を着た夏希姉ちゃんが待っていた。

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