20 英雄を名乗りし愚者よ、絶望の海で眠るがよい
最後の5・56㎜弾が夜気を裂く。
『グギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!?』
赤い竜が溜め込んだブレスを撒き散らしながら、夜の闇に仰け反った。
――ヒットしたのは狙い通り、竜の背中。翼と翼のやわらかい狭間だ。
巨体の後ろと前から、大量の鮮血が噴き出した。弾頭が体内を貫通した証か。
ふ。まさに詠み通り。
英雄ナナは魔竜であった「我」の力を奪い取った。故に弱点も引き継いでいたのだ。
【
月光の注ぐ半壊した塔の最上階で、俺は立ち上がった。まだ
消耗しすぎてふらつきながらも、石段を降りて外に出る。
すべてが終わりを迎えた証に、街を囲んでいた赤い毒霧の渦が崩れ、夜風に吹き飛ばされていった。
砕けた石畳を踏みしめ、通りを行けば――瓦礫の山に横たわる赤竜の姿があった。
否。もうそれは、竜とは呼べない有様だ。
『アアアあ……ワタシの、完璧ナ、カラダがあああアアアああああ~~~~……!』
胸と背中の傷口から漏れ出たのは、取り込んだヒトの血肉だけではない。俺にはわかった。大量の魔力が噴出し、夜の闇に消えていく――。
そのせいで竜の巨体が維持できない。全身の赤い鱗が崩れ落ち、残されたのは……しゅうしゅうと湯気を立てる、蠢く黒い肉塊だけ。
魔竜の「我」が絶命したときと同じだ。
決定的なクリティカル・ヒットは、魔力で紡いだ核に直接ダメージを与える。
今回は直撃した5・56㎜弾が、核を体内から抉り取ったか。
「魔王さま、こちらです!」
誰よりも早く駆けつけていたのは、下級魔族たちとともにいた従魔のオズだ。
傍らには、黒く煌めく石板の破片が浮かんでいる。
かつてのオズの片割れだ。奪われ、取り込まれていた――魔王の力の一部。
オズが恍惚の表情で、再会した自分の欠片を眺める。
「さすがの一言です魔王さま! 本当に……一撃で決められたのですね!」
俺の持つSR-16を預かって、従魔が傅いた。取り巻く他の魔族たちも続く。
翼の破れたランタン蝙蝠が、抱える明かりをそっと掲げた。
寄り添うのは消耗し、炎の消えた焔鼠だ。
足を何本かなくした土蜘蛛はもう、一体しか残っていない。
完全にいなくなったのは、爆裂岩だ。焦げ跡だけが大通りの石畳に残っている。
その痕跡を、這い寄る蔓がそっと覆った。
「勝った……の? ほんとに、あんな大きなドラゴン、倒しちゃったよおぉ!」
そこに混ざる、場違いな者が一人。
穴だらけの汚れたローブを着たまま、呆けた顔で立ち尽くすウサギ娘だ。
まだいたのか? ふ、よく生き残れたものだな。
「皆、大義だった」
「……わたくしたちは、忠義を果たしただけです。もったいないお言葉かと」
下級魔族は言葉を操れないため、従魔のオズが代弁した。
しかし魔王である俺には十分伝わっているぞ。下級魔族たちの興奮冷めやらぬ、魔力の揺らぎがな。
「では魔王さま。奪われ続けた、ほんの一欠片を取り戻したに過ぎませんが……いえ! これこそが魔王さまの、偉大なる反撃の第一歩となりましょう! どうぞ、御身に」
「ふ。違いない」
『……アア、アアァァァ……やめロ、やめロオオオオォ』
腐臭を放ち、どんどんと小さくなっていくだけの肉塊から、弱々しい声が届いた。
「まだ死んでいないのですか、此奴は!」
オズが下級魔族たちとともに、改めて肉塊を取り巻いた。
「確かに、
「オズ」
「魔王さま? 警戒の必要はないということですか。さすがです!」
然り。どう見ても、もう呻くのが精一杯なようだ。
ぐずぐずに腐っていく体で必死に、浮かぶ黒い欠片へと向かおうとするが――。
『こん、ナ……魔王にイ、イ……このワタシが、破れル、なんてエエェ……』
「違うな。竜と化した貴様を射貫いたのは、スライムの残した力だ」
『ナ、アァ!?』
「忘れたか? 貴様が今宵弄んだ、あのスライムだ」
俺は空中に浮かんでいた、石板の欠片を掴み取った。
瞬間、力が――奪われていた魔王の一部が、俺の中に流れ込む。
――蠢く肉塊に残っていた、わずかな魔力の余韻をも奪い取って。
肉塊の動きが止まった。呻きも消える。
【KILL 1000】
【冒険者生存数 0/1000】
【掃討完了――魔王の勝利です】
「魔王さま!!」
オズが胸元に出した表示に、笑顔を咲かせた。
俺は腰のポーチに、石板の欠片を持っていない方の左手で触れる。そこに入っているのは水晶色の
約束は果たしたぞ、イム……。もう聞こえてはいないだろうがな。
「皆、勝ち鬨を! 魔王さまの勝利を祝って!!」
従魔が生き残った下級魔族たちを促した。
オオオオオオオオオオーーーーー! 夜空に昇る三つの月に向かい、魔族が唸る。
多くの犠牲が出てしまった。それでも勝ちは勝ちだ。
ウサギ娘が一匹残ってはいるが、この地からすべての冒険者を排除することができた。今はそれに酔いしれよう。
「ま……だ、だぁあアアア!!」
「なに?」
「魔王さま!? 此奴めが!」
オズが反射的に俺を庇う。睨み付ける視線の先には、あの腐った肉塊があった。
その中を掻き分けて、這い出る者がいたのだ。
赤毛のヒトだ。英雄ナナの頭が、裸体が、ずるりと肉から抜け出してくる。
「あり得ません!! 冒険者はすべて死んだと
確かにオズの言うとおり、【冒険者生存数】は0のはず――。
しかし……これはもう。
「……冒険者どころか、ヒトでもないか」
「ひいぃ! いやああああああああああぁ!!」
ウサギ娘が絶叫していた。
英雄ナナの形は異様だった。頭の向きに対して、乳房と背骨のつく位置が裏返っていた。腕は二カ所三カ所と、余計に関節が増えている。
腰から下に至っては太股が一つなのに、足首が六つも七つも生えている。
「返せえぇえ! ワタシのォ、チカラああをヲヲ……美しカッたカラダををヲヲヲ!」
執念だけで動いているのか? 取り込んだ血肉で、歪な命を繋ぎ止めている印象だ。
まともに這うこともできず、もう血で渦も作れない。ただただ両腕を俺へと虚しく伸ばした。
「否。貴様のものではないだろう」
俺は右手の中にある、取り戻した石板の欠片を強く握る。
二度と奪われるつもりはない。
「そこですべてを失ったまま、醜く枯れて果てていけ。英雄よ」
「う、嘘ぉ!?」
赤い目を丸くしたのはウサギ娘だ。
「英雄? なんでぇ? というか、じゃああのドラゴンって、英雄が化けてたのおー!?」
「今頃気付いたのですか? 呆れた」
オズがふんと鼻で笑った。
「英雄の化けの皮が剥がれただけ。騒ぐほどでもないことでしょうに」
……化けの皮?
ドクン!
俺の中で
――奪われていた力を取り戻したせいだろう。記憶の一部が鮮明になった。
『ようやく辿り着いたぞ! 魔王セプテム!』
地下に造られた魔王の寝所に、凜とした女の声が放たれた。
白銀の全身鎧を着込む集団の先頭に立った、女騎士だ。
これまで記憶の中で、闇色に塗り潰されていた顔が今――はっきりとする。
『七水の聖騎士ナオが率いる、この誇り高き聖ミト王国白百合騎士団が……今日こそ貴様を討伐してみせよう!』
操る七つの水柱で、七本の剣を漂わせた女騎士。その髪は赤毛ではなく、澄んだ青色をしていた。
他の騎士たちも本数は少なけれど、同じく水で剣を掴んで魔竜の「我」と相対する。
ただし最後尾にいた赤毛の小娘だけは、腰の鞘から抜剣していた。
『足手まといにはなるな、ナナ! お前は我らの予備の剣を用意しておけ!』
『魔王の前よ! 半人前の従者は下がっていなさい!』
その小娘は明らかに、他の者たちから格下に扱われていた。
だから「我」は迂闊にも見逃したのだ。よもやこの小娘が、他の仲間が倒れていくのを無視して、「我」の玉座の後ろに隠れていたとは。
そして青髪の聖騎士の、最後の剣を弾き飛ばし、ブレスでトドメを刺したはずが……剣を拾った小娘に背後から襲われたのだ。
『グギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!』
思い出した。あのときのすべてを――。
「そうか、貴様は……!」
「魔王さま、わたくしにも流れてきました! 取り戻された先代魔王セプテムさまの、最期の記憶が!」
従魔が俺より興奮していた。
変わり果てたナナの伸ばす腕を、オズは細い足で容赦なく踏みつける。
「何が英雄ですか! 七つの水柱を繰る、七水の聖騎士? そんなものですらなかった。此奴は……パーティでただ一人生き残ったのをよいことに、魔王さまのお力で水を操る魔法を真似て、成り代わったんです!!」
「然りだ。どうりで柱と渦、水の操り方が違うわけだな」
「ア? ああァアアアア……!?」
這いずるナナの顔が強ばった。
「なんて卑劣なのでしょう! よもやすべてが騙りだったとは!」
「否。得心がいった。なぜ貴様はこの地にいた?」
俺にはある違和感がずっとあった。
「確かに英雄は、魔王の拠点を我が物とするが……ここは辺境だ」
七代目の魔王が追い込まれた、最後に残った魔族の領地。ヒトにとって住みやすい場所ではない。
故に英雄が居座っても、似つかわしくない規模の街しか作れなかったのだ。
「今ならわかるぞ。貴様には居場所がなかったのだ。真の聖騎士ならば自らの国に堂々凱旋すればいい。だが貴様は帰れなかった!」
「さすがです、魔王さまのおっしゃるとおりかと!」
「ああぁあアアア、ちがう、ちがううぅうう」
否定するナナの表情がすべてを物語っていた。
従魔が侮蔑の眼差しで足を離した。もうなじる価値もない。
「しょせんは紛い物の英雄。この小さな街で魔族をいたぶり、愉悦に浸るしかできない身だったわけですね。なんと矮小な……」
「アアぁあああああああああぁぁぁぁぁ!」
オズだけでなく魔王の俺もナナから離れれば、取り巻く他の下級魔族たちも倣った。
ヒトでもなく――英雄でもなかったなにかに興味はない。
そのまま無様に生き続けるもいいし、どこかで野垂れ死んでもいい。
「どういうことぉ?」
まだ状況が飲み込めていないのはウサギ娘だった。
「ええと、つまり……この英雄は、その、偽物ってことぉ? なんでそんな」
「言うなアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
「きゃああぁ!?」
月夜に向かって叫びを迸らせたのが最後になった。
絶望に歪んだ顔を自分自身で引き千切り、ナナが倒れる。
「ワタ、シが、英雄だァァ……! ナオさ、ま、じゃなイ……このワ、タシ、こそ……」
かはあっ、と一息吐くと――赤毛頭も歪な肢体も腐り果て、溶けた。骨と肉の残骸となって崩れ落ちる。
絶命したのだ。
「え、ええぇ? どーしてえぇ?」
「くだらぬ。自ら死を望んだか」
俺は狼狽えるウサギ娘を見る。
「……ふ。貴様の一言が、ヤツの心を折ったようだな」
「へ? アタシぃ?」
「さすがの洞察力かと、魔王さま。つまりは魔族ではない者にすべてを知られてしまった故、執念でしがみついていた命を手放したのですね」
ふむふむとオズが頷く。
「此奴には相応の、醜い終わり方でしょうね。しかし、これではまるで……いえ」
途切れさせた従魔の言葉の続きが、俺にはわかった。
「『英雄殺し』の誕生だな」
「はい?」
ウサギ娘がきょとんとしていた。
俺とオズの視線が自分に向けられているのに気付き、やがて理解する。
「アタシが? そんな、違う! 違うよおぉ!」
「お黙りなさい! 魔王さまが命名したのです。今宵このときからあなたの二つ名は、英雄殺しに決まりです!」
「そ、そんなムチャだよぉ! まだ借金女王の方がマシで……」
「反論は許していませんが?」
オズがぴしゃりとやり込める。
俺としてはどうでもいいのだが――。
「アタシ、冒険者でもないのにぃ! 英雄殺しとかそんなの……メチャクチャだからあああぁーーーーー!!」
三つの月が浮かぶ