8 覗き見るは逃走の記憶
青いメススライムはへたり込んだままだ。呆然としている。
現れた俺たちを見ても、まだ状況が飲み込めずにいるようだ。
「? ……? ……!?」
長い髪の先端がくにゃりと曲がり、たくさんの【?】を形作っていた。
それがスライム種にできる精一杯の表現だ。
――下級魔族はスライムに限らず、うまく言葉を操れない。魔力で紡ぐ肉体に発声器官を仕込む余力がないためだ。
それが、なんだ? 言語にさして意味はない。
だからこそ魔王の俺も、ヒトの言葉を適当に使う。
言の葉などただの戯れ言。魔族どうしの心情は、魔力の波動で十分に伝わるものだ。
メススライムは今……怯え、痛みに震えていた。
「む。足か?」
「挟まっていますね、魔王さま!」
俺とオズは、スライムがこの場から動けなかった理由に気付く。
側に転がる太い倒木。彼女の片足が、その下敷きとなっていた。
まだ救えていなかったということか。
「自力では無理そうだな」
屈み込んで確かめれば、倒木の幹ごと地面にめり込んでいる。
倒木をオズとともに押してみたが、びくともしない。かなりの重量だ。
破壊するしかないが、ここは「深き石森」。その名の通り、倒れた樹木は硬い石の肌で覆われていた。
手持ちの9㎜弾では威力が足りない。そもそも銃弾はピンポイントで肉や骨を穿つには適しているが、これだけ硬いものが相手では、表面に食い込むだけで終わるだろう。
スライムの足を撃ち抜き、引き千切る方がたやすいが――彼女の残りHPはたった2。
これ以上のダメージはさすがに魔族でも致命傷となる。……ならば。
「オズ」
「はい、ぜひともこのオズめにお任せください」
俺の意図を察した従魔が、幼女の姿から石板の欠片となった。
ころりと倒木の下に落ちると――。
『いきます!』
瞬時に肉体を再構築し、横倒しの樹木を下から押し上げた。
無論、一瞬のこと。太い幹の重さに耐えきれずオズはべしゃりと潰れてしまった。
黒い石板の欠片に戻り、『きゅう』と地面でへばる。
その隙にメススライムを引っ張って、うまく足を引き抜かせた。
「……! ……!!」
動けるようになったスライムが歓喜する。
言葉を紡げないぶん、感情が素直に体に出る性格らしい。大きな胸を弾ませ微笑み、長い髪をふよふよと躍らせた。
勢いよく立ち上がり、俺に飛びついてこようとするが……彼女は慌てて踏み留まった。口元を両手で隠し、水晶色の瞳を曇らせる。
魔王である俺に、安易に抱きつこうとしたのを恥じたか。
否、これは……。
「どけてみろ」
俺は彼女に強く命じた。
下級魔族に逆らう術などありはしない。メススライムはおずおずと両手を下げる。
改めて露わになったのは、ぷっくりとした唇だ。そこにはなんの痕跡もないが――彼女の体が、心が覚えている。
小汚い亜人種に無理矢理穢されたことを。
だからスライムの瞳から、堪えきれない感情の滴がぽろりとこぼれた。
「違うな。気にするな」
「……! ……!!」
俺が慰めてもスライムは長い髪をわななかせた。
この一度だけではないのかもしれない。それほどまでに下級魔族は弱く、ヒトどもに弄ばれることも多いのだ。
「だから? 俺は気にするなと言ったぞ」
「!?」
「貴様は美しい。汚らしくなどあるものか」
言葉よりもなによりも、俺はスライムに触れた。つややかな髪を撫で、たわわな胸を無造作に掴む。
ほう……なんとやわらかく、あたたかいのだろう。極上の感触を楽しみつつ俺は、そのまま青い体にずぶりと指をめり込ませた。
粘液で肉体を構成するスライム相手だからこそ、できる行為だ。
「……! ……!」
内側から大きな乳を、くびれた腰を、丸い尻を堪能すれば――彼女の全身が身悶える。
「ふ。貴様の
見つけるのはスライムの股の付け根に浮かんでいた、青い体に紛れ込むもの。
瞳と同じ、透き通った煌めきだった。
こつんと指先でつつけば――。
「……~~~~~!!」
少し刺激が強すぎたか。大きく仰け反った後、スライムはくたりと俺に身を預けた。
この程度で果てるとは……まったく、本当に可愛らしい女だな。
「下級魔族の分際で、魔王さまにお手つきしていただけるとは……うらやましい!」
幼女の姿に戻ったオズが騒ぐ。
「やはり乳袋は無駄に大きい方がよいというのですね。くっ……」
まだそこを気にしているのか。困った従魔だ。
確かに
だが弄んだわけではない。ちゃんと意図がある。
俺は青い体内から腕を抜かず、スライムの
突然見えたのは、この森の風景ではなかった。
魔族繁栄時代の遺跡の中か。
灰色の石で塗り固められた、真っ暗な――心落ち着く闇に染まったダンジョンだ。
しかし、その奥から魔法の光が追いかけてくる。
「魔王さま? これは……!」
俺の従魔であるオズも同じものが見えたらしい。
「このスライムの、記憶ですか? そういうわけだったのですね。さすがです!」
然り。なにがあったのか……言葉で訊くよりも、直接こうして覗き見る方が早い。
魔族の
触れられるのは表面に刻まれた、最近の記憶のみだが――。
どうやらダンジョンの中で、冒険者どもに追われ続けていたらしい。
それはスライムだけに限らない。ダンジョン内にはたくさんの魔族がいた。
色の違うスライムもいれば、キノコの姿に擬態する「マタンゴ」や、燃えさかる毛並みを持つ「焔鼠」もいる。
闇の中、揺らめく明かりを抱えながら飛ぶのは「ランタン蝙蝠」で、転がりながら群れで逃げる「爆裂岩」がいた。
大半が下級魔族ばかりか。ダンジョンのどこに身を隠しても、冒険者どもは容赦なくやってくる。
そして強力な魔法で、ときにダンジョンの一部ごと魔族を消し飛ばし――スキルで武器を振り回しては刻み、砕き、潰すのだ。
だからスライムはダンジョンを飛び出した。
外に繋がる、わずかな隙間を粘液の体ですり抜けて。
「今の、なんだ?」
俺は記憶のヴィジョンの中に違和感を抱いた。
スライムが必死に這い出た隙間は、何者かの手によって板で塞がれた場所だった。
表面には大きく【×】とマーキングされていた。
「ヒトが……意図的に封鎖したダンジョン、ですか?」
オズが俺と同じ結論に辿り着く。こくん、と頷いたのは俺に抱きつくスライムだ。
――スライムの記憶はまだ続いていた。
夜に紛れてダンジョンから逃亡したスライムは、必死に地を走りながらも振り返る。
サーガイアの三つの月が照らす中――浮かび上がるのはダンジョンの外観。
地上に残る四角い塔の大半が崩れ、今は地下にしか遺跡の形を残さない、それは……。
「もしや『地下廃城』か!?」
俺に遺る、欠けた記憶がそう告げていた。
オズも大きく目を見張る。
「はい、間違いないかと! あれは先代である魔王セプテムさまが降り立ち、拠点とされた地下廃城……前回の、魔王軍最後の砦です!」
そして魔竜である「我」が倒された場所。
そこで今、なにが起きている?
スライムが水晶色の瞳を潤ませ訴えていた。
触れた
封鎖された地下廃城で毎日のように、魔族たちは大勢の冒険者どもに狩られていた。
いかに繁殖力に優れる魔族といえども、これでは駆逐されてしまう。
だから……定期的に新たな魔族がダンジョン内に放り込まれた。
捕らえられ、金で売買され、この地で殺されるためだけに。
「EXPを得るための施設にされたのか! 俺のかつての拠点が!!」
もういい。状況はすべてわかった。俺はスライムの体内から腕を抜く。
……これまで彼女以外の魔族と遭遇できなかったのも、理解できた。冒険者どもに捕獲され、あのダンジョンに売り飛ばされていたせいだ。
この周辺から一体もいなくなるほど、徹底的に……!
「なんという卑劣な! わたくしたち魔族をただ殺すだけでは飽き足らず、戯れのために生かして閉じ込めるだなんて!」
オズが憤怒し、俺の代わりに青いスライムを優しく抱いた。
「そこからあなたは逃げてきたのですね? 命からがら」
「……! ……!」
「大丈夫。わかっています。あなた、逃げるとき……何度も何度も振り返っていましたから。地下廃城に残した他の魔族のこと、気にかけているのですね」
俺の中にもスライムの見た光景がまだ残っている。
それに、逃げ出せたのは彼女の力だけではない。
スライムが這い出るだけの隙間を作ったのは、手先が器用な「土蜘蛛」だ。
封鎖する板には魔族を感知する魔法がかけられていたが、「這い寄る蔓」が浸食し、うまく誤魔化した。そして他の魔族が騒ぎ、冒険者どもの注意を惹き付けているうちにスライムは逃げたのだ。
愛されている女だな。無垢で、美しく――誰よりもか弱いからか。
俺は彼女の潤んだ水晶色の瞳に触れる。
「貴様は幸運だな。逃げた先でこの俺と出会えたのだから……。オズ!」
「はい、魔王さま。こちらに!」
オズがスライムに抱きついたまま、胸元に地図を表示した。
スライムの記憶を覗き見たことで、そこには情報が追加されている。
俺の忘れていた地下廃城の位置が記されていた。それはこの、深き石森を抜けた先に存在する。
……徒歩で向かうにはかなりの距離があるが。
「ふ。試してみるか」
得られた素材は十分なはず。だから。
「さあ。新たなる俺の足よ、出でてみせよ!」
【ビークル
俺の呼びかけに、黒き魔力の輝きが収束して――。