二章 赤根凛空 その1
《六月十六日日曜日》
サコの死体は酷い状態になっていた。
腕も足もあらぬ方向に曲がって骨が突き出し、頭は割れている。
これを俺がやったのかと思うと、少し寒気が走った。
「お疲れ、それじゃ指輪を取っていいよ」
ガキがサコを指さす。
「お前が取れよ」
「死体が怖いのかな、君の友人なんだろ? だった、と言う方が正しいか」
俺を馬鹿にするようにガキはサコを指さしたままだ。
「どちらにせよ指輪の獲得は勝者の権利だからね、君がする他ない、なに難しくはないよ、指輪同士を触れ合わせるだけでいい、そうすれば指輪は一つになる」
サコ。
彼がはめている指輪に俺の指輪を近づける。
必然、サコに近づくことになり、彼のにおいとそれをかき消すほどの血のにおいをかぐことになった。
嗅ぎ慣れない臭いに思わず嘔吐く。
悪いな、サコ。でも、俺が死ぬわけにはいかなかったんだ。
ガキの言ったとおりにサコの指にはまっていた指輪は俺のに触れると溶けるように消え、一つになる。不思議な現象だったがいまさら驚きもしない。
「それじゃ帰っていいよ、お疲れ様」
この場に興味がなくなったようにガキは俺に背を向けた。
「おい、サコの死体はどうするんだ」
「そのままでいいさ、警察なんかじゃ真実にはたどり着けない」
《六月二十一日金曜日》
この一週間はあまりいい週とは言えなかった。
サコの死体は月曜日には発見され、土曜日に見つかった別の死体と合わせてこの街を騒がせている。
そっちの方も大会と関係しているのかは知らないが、連続殺人なんて言葉が誰からともなく聞こえてきた。
この先も大会は続くのだから、言葉の通り連続殺人になるだろう。
不安視していた警察はガキの言った通り、手掛かりを掴めていないようでサコのクラスメイトとして軽く話を聞かれた以外は特になにも追求はなかった。
警察と言えば月摘は月曜に早退してから学校を休んでいる。
彼女に関しては仕方ないだろう。あいつがサコを好きだったことは知っていたし、だからこそ、他の女子と違い連んでいて気安かった。
サコはそこら辺全然わかっていなかったみたいだが。
そういう所を含めて俺はサコを気に入っていた。
アニメという触媒があったにせよサコは俺に対等な友達として接してくれていたし、俺もサコを対等な友達だと思っていた。
そんな人間がこの学校に果たしてどれだけいるだろう?
あいつのことで思い出すのは、連み始めて間もない頃の事だ。
「よぉ、サコ」
なんとなく思い付いたあいつのあだ名を呼んだ時。
「どうした、アカ」
すかさず、サコはそう返した。
俺にはそれが嬉しかった。
俺は自分が特別な人間だと自覚している。だからこそ周囲にどう見られるかに関しても自覚的だ。表面上は仲良く連んでくれてた奴らが、内心で俺を疎んでいたりすることを知っている。そういう奴らは、俺が不意に気安い呼び方をすると見下されたと思うらしい。
あからさまに反応しなくても、そういうのは大体わかる。
だが、サコはそうじゃなかった。
あいつが俺の特別さを理解していなかったわけではないだろう。それでも、あいつは俺を赤根凛空ではなく、友人のアカとして扱ってくれていた。
その存在は俺にとって小さくなかった。
特にこういう時にそう感じる。
「ねぇ、赤根君一緒に帰ってもいい?」
練習が終わり、部室前で着替えた俺が出てくるのを待っていた野球部マネージャーの
「ああ、いいよ」
できるだけ爽やかにそう答える。
俺は特別な人間で、だからこそ人当たりも良くなくてはならない。
校門まで歩くと、更に三人の女子グループ、テニス部の
「あっ、凛空君じゃん、私たちも一緒にいい?」「ほら、まだ殺人犯捕まってないし」「怖いよね」
「任せろ、俺が守ってやるよ」
こんなバカみたいな言葉にも女子たちは媚びるような黄色い声を上げる。
内心、冗談じゃないと思っていてもそれを出すようなことはしない。
お前が待ってたのがその殺人犯の一人だと言われたら、こいつらはどんな顔をするのだろう?
正直、内心で俺を疎む奴らよりも、あからさまに気に入られようとしてくる人間の方が苦手だ。
女子たちは俺を囲むようにして、バカに遅い速度で歩く。
会話の内容は、殆どどうでもいいようなことで塗りつぶされていて、これほど不毛な時間もないだろう。
サコと月摘が居た頃は二人が壁になっていたこともあってここまで酷くはなかった。
さらに、道中で他校の女子グループが追加され歩くだけで目立つような大所帯となる。
こんなことが火曜日からずっと続いているのだから最悪だ。
周囲の人間が俺に惹かれるのは多少仕方ないとしても、ここまでくると面倒くさい。
女子一人ひとりを家の近くまで送り、自分の家の近くでようやく一人になれた。
普段ならランニングして帰るので、その分のトレーニングを別枠で組み込まないといけない。睡眠時間がまた短くなるな。
俺は特別な人間だ。
それに気付いたのは物心ついてそれほど経たない頃だった。
息を吐くことで周囲の風を自在に動かすことができる。
俺にとって当たり前の動作が他の人間にとってはそうでないことを知った時、俺は自分が選ばれた特別な人間なんだと自覚した。
思い返せば安直だが、結果としてはそれが始まりだった。
特別な人間が特別であるために、俺はできる限りのことをしてきた。
特別な人間はあらゆる面で特別でなくてはならない。
俺は自分が特別であることの証明を求めた。
勉強もスポーツも全てにおいて手を抜くことなく、限られた時間の中で最大の効率を求めて行う。
日々の計画を綿密に立て、それらを継続する。自身の状態を適切に判断し、不足部分を即座に補う。
並行して行えることはそうして、集中しなければならないことは時間を区切り一気に終わらせる。自由に使える時間、一分一秒が貴重で、それが俺を特別にする。
全てにおいて、他者に劣ることなどあってはならない。それは特別ではないからだ。
「どうしたら、そんなになんでもできるの?」
偶に凡人が俺に訊く。
その度に、俺は心の中で思う。
「できるまでやらないから凡人なんだろう」
当然、面と向かってそう言ったことはないが、それだけが紛れもない事実だ。
特別になろうとしない者が特別になれるわけがない。
《六月二十二日土曜日》
「残念だったね」
ガキがわざとらしく笑う。
今週末のクジはハズレだった。
人を殺したいわけではないが、確かに残念だ。
「それじゃ、また来週」
言葉だけ残してガキは消える。
大会の話を初めて聞いた時、それが俺の特別さを証明することになるだろうと思った。
自分の他に異能を持つ人間がいることは素直な驚きだったが、その中でも俺は特別な存在だと直ぐに思った。
実際、初戦でサコが来たことは驚いたが、結果としてあいつは異能さえ発動できずに俺に負けた。
それは紛れもなく俺と俺の持つ異能が特別であることを証明していた。
他の異能者を倒せば倒すほど俺の特別さが証明されることになる。だからこそ、できるだけ試合には参加したい。
途中で止めていたトレーニングを再開しながら、思った。
《六月二十五日火曜日》
土曜日に一体死体が出て、月曜日には大会のものだと思われる死体が一体出た。
これまでに計四人の人間がこの街で死んだことになる。
大会の存在を知っている俺でさえ、土曜日の方の死体に関しては理由がわからず少し落ち着かない気分になる。
そうじゃない周りは一層落ち着かないらしく、今日ついに放課後の部活が全面停止となった。
部活がなくなった分トレーニングの時間を増やせるのは有り難い。
なにより、部活終わりを待つ女子たちがいないのは大きい。
ホームルーム終了と同時に俺は足早に教室をあとにし、部室でトレーニングウェアに着替えた。
もちろん、女子たちに捕まらない為だ。
正門から出れば、女子に捕まる可能性があるので裏門から出る。
滅多に使われることのない裏門は流石の女子たちもノーマークだったのかスムーズに外に出ることができた。
久しぶりにこの時間にランニングができる。
奴らを完全にまくためにいつもと違う道を通ることにしよう。
先週十分走れなかった分遠くまで行くのも悪くない。そうなると、帰宅後の勉強時間を調整しないといけないが、走りながらそこについては考えることにしよう。
風を切る音、息の音、アスファルトを跳ねる靴音。それだけが響いていた。
いい時間だ。
いつもならまとわりつく湿気も、走っている俺には追いつけない。
走り続けて、随分と遠くまで来ていた。
周囲の景色が見覚えのないものになっている。
走ってきた道は覚えているから迷うことはないだろうが、ここら辺まで来たことはない。
民家が次第に少なくなり、開けた畑が多くなる。
視界の先に、それほど大きくないグラウンドが見えた。
塀に運動公園と書かれたそこに足を踏み入れると、中には誰もおらず、ある程度整備されているらしい芝生が広がっていた。
ちょうどいい、ここでトレーニングをして帰ろう。
息を整えるために、一周グラウンドを歩いてからいつものトレーニングを始める。
六月も終わりが近づき、長くなった陽はまだ暮れる気配はない。
十分にトレーニングをして、休憩がてら小さなコンクリート製の台に腰掛ける。おそらく申し訳程度の表彰台なのだろう。
じっとりとまとわりついた汗は湿度のせいでなかなか消えない。
ピ───。
「うおっ」
いきなり真後ろから大きな音がして俺は飛び上がった。
「わっ」
俺の声に驚いたのか、後ろの方から声が返ってくる。
振り返ると、俺の真後ろに同い年ほどの女子が立っていた。見慣れない制服だが、恐らく高校生だろう。
「あっスミマセン、誰かいると思わなくって」
銀色に輝くフルートを胸の前で抱えた彼女は軽く頭を下げ、それにつられて長い黒髪が翻った。
「こちらこそ驚かせてすまない」
いや、なにかおかしい。
俺が気付かないのはまだしも、俺の後ろに立っていた相手が気付かないことなどあり得ない。
気の引き方としては杜撰すぎる。
こんな所まで来ても、奴らからは逃げられないらしい。
相手が顔を上げるのを待って、冗談交じりにそれを突っ込もうかと思ったが、顔を上げた彼女を見てそれが間違いであると気付いた。
「君、もしかして目が?」
おとなしそうな印象を与える彼女の顔はすまなそうな表情を浮かべていたが、目は開いておらず、顔は微妙に俺の方を向いていない。
「はい」
「いつもここで練習を?」
よく見れば彼女の腕には白杖がかけられていた。
「ええ滅多に人が来ませんので」
どうやら邪魔をしたのは俺の方だったらしい。
「それは本当に悪いことをした、もう俺は帰るから」
「あっ、いえ、構いませんよ、私の場所ではありませんし、えっと、少しうるさいかもしれませんが」
「いや、ちょうどトレーニングも終わって帰ろうと思ってたところだった」
「そうでしたか、あの、驚かせてしまって本当に申し訳ありませんでした」
「そんなに謝られるとこっちまで悪いことをした気になる」
「あっすみません」
「いや、いいよそれじゃ」
手を振って、それが彼女には見えていないことに気付いて一人で苦笑いした。