第四章 三年後、覚醒 その2
「ふざけるなよ?」
と、口にしたシオンの声が響き渡る。
三年間、幾度となく魔物との戦闘が繰り広げられてきた闘技場で、シオンは自分を戒めてきた所長に対して明確な敵意を向けた。
「ふざけるなよ、だと? くひっ、くひひひっ。おい、誰に向かってそんな口をきいている?」
所長は愉快そうに笑うと、手にした杖をかざしてシオンを戒める首輪の力を発動させようとする。
シオンは所長が杖の先に魔法陣を展開させたのを捉えた。
その瞬間――、
――解析する。
シオンの魔眼が……いや、三対六枚翼の文様が浮かんだ神眼が発動する。シオンがその力を発動させたのだ。
使い方はスキルを獲得した時点で既に理解している。それは魔眼のように半透明な枠が浮かび上がって可視化された情報を文字として閲覧できるだけではない。
文字として理解しにくいものは眼が視るだけで解析し、情報が直に頭の中に入り込んできて理解することもできる。すなわち、今のシオンの神眼は、魔眼よりもさらに多くの情報を得ることができるのだ。
――閲覧する。
シオンは所長が展開した魔法陣を解析し、所長がシオンを戒める首輪のマジックアイテムを発動させようとしていることを理解した。
シオンの首輪には所長の魔力の波長が登録されていて、所長以外の魔力の波長は受け付けないようになっている。
結果、シオンに嵌められた首輪は、所長の魔力が込められた魔法陣だけに反応して効果が発動するのだが――、
「……………………は?」
首輪が発動しない。所長が展開した魔法陣に反応して、シオンの首輪に魔法陣が浮かび上がらない。
所長は間の抜けた声を出す。
「………………」
シオンが痛がる様子はない。無感動に所長を見つめている。所長の一挙手一投足を見逃さないように、注視している。
「な、なぜだ!? お、おい! なぜ首輪が発動しない!?」
所長はハッと我に返ると、手にした杖を振るって、シオンに装着させた首輪を発動させようと展開した魔法陣にさらに魔力を流し込んだ。
しかし、シオンの手元にも所長が展開している複雑な文様の魔法陣とまったく同じ魔法陣が浮かんでいて――、
「もうこの首輪では俺を拘束することはできない」
シオンがそう言って首輪に触れると、首輪は外れ、ゴトリと音を立てて地面に落下した。
「っ……、馬鹿な! な、何をした!?」
所長はその光景を目の当たりにすると、顔を引きつらせて疑問を口にする。
「あんたの魔力の波長と、その魔法陣の構成をこの眼で読み取った。つまりは、同じ波長の魔力を練り上げて、指示を上書きした。首輪の効果が発動しないように、そして首輪が外れるようにな」
シオンは何が起きたのかを丁寧に説明してやった。
要は、解析した所長の魔力の波長と自分の魔力を同調させたことで、首輪を誤作動させて外したのだ。
「ま、魔力の波長を読み解いて、魔法陣の構成を読み取って、しかも同じ波長の魔力を練り上げて指示を上書きした……、だと? よしんば魔力の波長を読み解いたとして、人の数だけ魔力の波長はあるんだぞ。まったく同じ波長の魔力を練り上げるなど、そんなこと……」
ありえない。そう言わんばかりに、所長の顔が引きつる。実際、いずれもシオンの魔眼でもできなかったことだ。
「ありえないなんて、ありえない。かつてお前が俺に言った言葉だ」
シオンは淡々と言う。
「ひっ!」
所長の顔が恐怖に歪む。
――そうだ、恐怖しろ。
――そして絶望を味わわせてやる。
――自分がこの三年間で味わい続けてきた以上の絶望を。
――モニカが味わったであろう絶望以上の絶望を。
シオンは神眼を発動させたまま、所長の動きを冷たい眼差しで見つめている。神眼を発動させた今のシオンの鑑定対象は魔法に限定されない。
対象を認識して鑑定したいことを思い浮かべさえすれば、視界内のものをすべて鑑定できる。相手が何をしようとしているのか、表情や微細な身体の動きから意思を読み取り、相手の次の行動をも鑑定して予測……いいや未来を予知して視てしまう。
だから、所長が次にどんな行動に出るのか、シオンは理解していた。すなわち、所長がこれから魔法を詠唱するために杖を身構えるということを。
そして、魔法陣が浮かび上がった瞬間に、所長がどんな魔法が発動させようとしているのかも先読みした。
「その魔法では俺を傷つけることはできない」
と、シオンは所長が魔法陣を構築している最中に言い放つ。
その瞳は――、
【四級攻撃魔法:対物魔弾】
【八秒後に発動可能】
という情報を読み取っていた。ただ、ここまでの情報ならば『魔眼・魔導王の眼』でも読み取ることができた情報だ。
今のシオンは所長が発動させようとしている魔法について、より深い情報をも読み取っている。
すなわち、対物魔弾のサイズは直径数センチであること。
一点突破の威力に限れば五級魔法を上回る危険な魔法であり、人間の胴体に直撃すれば全身が粉砕して吹き飛んでしまうほどの威力があるということ。
対物魔弾は射出と同時に音速を超える速度に到達するため強力なソニックブームが発生するが、その制御は魔法が処理してくれるので使用者に反動はないということ。
などなど……。
そういった情報のすべてを、シオンは神眼で解析して閲覧していた。
そして、『魔の隷属』というスキルの効果によって、今この瞬間に「対物魔弾」という魔法を習得していた。
「そんな魔法を使うのにあと七秒もかかるのか。まあいい。撃ちたいなら撃てばいい」
と、シオンは所長に向けて右手を向けて、蔑むように言い放つ。
所長とシオンの距離はほんの十メートル足らず。この距離なら事前に所長の行動を封じることもできるが、シオンはそれをしなかった。
「っ……、く、くひっ、くひひっ。馬鹿めっ。余裕を見せつけているつもりか?」
所長は屈辱と恐怖、そして焦りが混ざった複雑な表情になる。魔法は使用者の技量によって発動までの時間が異なるが、発動にかかる時間が遅いと指摘されることは魔道士にとって屈辱的なことなのだ。
それから、シオンが告げた通りきっちり八秒が経つと――、
「対物魔弾」
所長は呪文を詠唱した。
直後、対物魔弾は文字通り目にも留まらぬ速度で射出される。発動と同時にシオンの身体を粉砕しようとする。
しかし、シオンがかざした手の前に魔法陣が浮かび上がった。所長の対物魔弾はシオンの魔法陣にぶつかるとはじけて消えてしまい――、
「……あっ。な、何を?」
所長はその光景に絶句した。
魔法の射出イコール必中の距離だったがゆえに、絶望した。シオンが何をしたのか理解もできず、呆気にとられた顔をしている。
と――、
「どうした? もっと強い魔法を使えよ。また発動するまで待っていてやるから」
シオンが所長を煽る。
「くぅうううう!」
所長はそれで容易く激昂したのか、怒りの形相を浮かべ、先ほどよりも大きな魔法陣を杖の先端に展開した。
すると、所長が構築している魔法陣の傍に、シオンの目にだけ見える半透明な長方形状の枠が浮かび上がり――、
【五級攻撃魔法:対物魔砲】
【十五秒後に発動可能】
と、表記される。
(挑発に乗ったか。なら、この魔法も解析して習得させてもらう)
シオンは自分の手持ち魔法を増やすべく、したたかに所長を見据えていた。胸の内が怒りで焼き切れそうでも、頭の中は冷静だった。
それから、きっちり時間が経つと――、
「アッ、対物魔砲」
所長の杖から半物質化した強大な魔力の砲弾が射出された。発動した対物魔砲の直径は一メートル近くある。
本来は巨大な敵や対城戦闘で使うような魔法であるが――、
「くひっ、くひゅ。大型の高位エラーでも一撃で仕留める五級魔法なんだぞ。なんだ、なんなんだ、その魔法陣は……」
所長が放った魔力の砲弾は先ほどと同じように、シオンに到達する前に浮かび上がった魔法陣にぶつかり霧散してしまう。
あらゆる魔法を分解し、純粋な魔力へと変換してしまう。
シオンが獲得した新たなスキル『魔の隷属』の効果である。
しかし、所長はシオンがどういう原理で自分の魔法を無効化したのかがわからず、恐怖と卑屈が入り交じった笑いを漏らす。
「そうなのか」
シオンは所長に向けていた右手を、誰もいない頭上へと向けた。すると、シオンの頭上に魔法陣が無数に浮かび上がっていく。
それらはすべて所長が使用した対物魔砲の魔法陣だった。
「こ、これだけの数の魔法を並列して、しかも遠隔で展開しているだと……。あ、ありえない。そんなのありえない!」
所長は目の前の光景を見上げながら、恐怖で顔を歪めている。
「ありえないなんて、ありえない。何度言わせる?」
シオンは冷たく言い放つ。直後――、
「ひっ……ま、守れ! そこの出来損ないの天使の女! 俺を守れ!」
所長はモニカの姿をした少女めがけて、脱兎のごとく逃げ出した。
――この所長は、俺とモニカを戦わせるつもりなのか?
「ふざけるな」
シオンの中で怒りがさらに膨れ上がる。瞬間、シオンは所長の背中めがけて、頭上に展開した対物魔砲を一斉に射出した。
「ひっ」
所長とモニカは二十メートル以上離れた位置にいる。シオンが射出した対物魔砲の速度を踏まえれば間に合うはずがない。
間に合わないはず、なのだが――、
「なにっ?」
モニカの姿をした少女が、シオンが魔法を発動させるよりも先に所長とシオンの間へと一瞬で割り込んだ。
並行して、巨大な魔法陣を展開していて――、
「天使の障壁」
少女の前に、超巨大な光の障壁が出現する。
果たして――、
「……六級魔法? 神聖属性、だと?」