第三章 研究所 その1
シオンが生まれ育ったターコイズ王国のどこかで。
「ん……」
シオンの意識が再び覚醒していく。
ぼんやりと目を開ける。
ぱちぱちと瞬きをして、どうやら自分が眠っていたらしいことを認識した。
しかし、前後の記憶があまり定かではない。
とりあえず、半身を起こそうとするが――、
(うっ。頭が、痛い……)
嫌な頭痛がして、そのまま仰向けの状態を維持する。
(なんなんだ? どこだ、ここは?)
ぼんやりと思案し、じっくりと石造りの天井を見上げた。
見覚えのない天井だ。
おもむろに首を動かし、室内を見回してみる。
(……牢屋なのか、ここは?)
堅牢な鉄格子が目に入って、ギョッとしたシオン。壁も石造りで、窓一つない。場所は地下室なのだろうか? 薄暗くて、湿っぽくて……。
(いったい何が起きた?)
シオンは意識を失う前の記憶を掘り起こす。
(確か、城の演習場でクリフォードと手合わせをして、やりすぎて妹のイリナに怒られて、許嫁のエステルと手合わせをしようとして……)
天啓が下ったのだ。
おそらく、アレは天啓だった。
(そうだ、俺は何かのスキルを授かったんだ。魔眼がどうとか……)
スキルとは天啓を授かった者達が獲得するとされている様々な特殊能力の総称だ。
属人的な能力でそのスキルの持ち主以外には決して扱うことができず、魔法と異なり、闘気とも異なる、天から与えられし超常の力とされている。
(……ステータスを確認してみるか)
ステータスとはレベルやランクや基礎パラメーターにスキルなど、その者の能力値を示す個人情報のことだ。
特殊なスキルでもない限り第三者のステータスを知ることはできないが、自分のそれを知ることは何も難しくない。『ステータス』と念じることで、頭の中に情報が浮かび上がるのだ。物心がついたばかりの子供にでもできる。この世界の常識だ。
(……確かにある。魔眼・魔導王の眼。試しに発動させてみるか)
シオンはステータスを思い浮かべ、新たに獲得した魔眼がスキル欄に存在するのを確認した。成長した人間が当たり前のように身体の動かし方を知っているように、スキルを獲得した者はその使用方法を感覚で理解する。
なので、シオンは魔眼を発動させてみようとするが――、
「があああああっ!」
首筋にいきなり激痛が走り、ひどく悶絶した。
熱い、熱い、熱い。
「い、痛いっ! 痛い! な、なんだ、これはっ!?」
外聞もなく喚き散らし、転げ回る。どうやらベッドの上で仰向けになっていたらしく、シオンは勢いよく落下してしまう。
しかし、落下の痛みどころではない。慌てて首筋に手を伸ばすと、そこには金属製の首輪が嵌められていた。位置的にシオンの眼には見えないが、首輪の前には小さな魔法陣が浮かび上がっている。
この首輪が激痛をもたらしているのだ。シオンはそう直感すると、魔眼を発動させようとするのを停止する。
すると、次第に首の痛みが治まっていく。だが、吐き気を催すほどの不快感が残り、全身に嫌な汗が流れる。
「がはっ、がはっ……。あはっ、はっ、はあ、はっ……」
シオンは石畳の地面にうずくまり、必死に息を整えた。かつて感じたことがないほどの痛みだ。二度と体験したくない。そう思ってしまうほどに……。
「くっ……」
シオンはしばらく時間を置いてから、ベッドによじ登ろうとした。
すると、その時のことだった。
「おはようございまーす」
牢屋の外から、場違いとも言えるような明るい男の声が聞こえてきた。
「………………」
シオンはいきなり現れた不審な男に警戒の眼差しを向ける。
男の年齢は四十歳前後だろうか。研究を専門とする魔道士が好んで着用するようなローブを身につけている。
「あれ? 今、外は夜でしたっけ? だとすると、こんばんはですかねえ?」
男はきょとんと首を傾げて、近くに立つ武装した兵隊らしき人物に尋ねた。兵隊から「夜です」と答えが戻ってくると――、
「こんばんは~」
魔道士の男はにこやかに挨拶をして、シオンに手を振ってきた。
「誰だ?」
シオンが胡散臭そうに尋ねる。
「……誰、だ? くひっ、くひひひ!」
「………………」
気色の悪い笑い方をする男を、シオンは胡乱げに見つめた。
「育ちの良い第一王子のお坊ちゃんは立場がわかっていないようだ! こんな牢獄に、そんな首輪までつけられて監禁されているというのに!」
男はシオンを小馬鹿にするように語る。
「……ここはどこだ? 城の地下牢か?」
シオンは男を睨んで訊く。
「城! 城!? くはっ、くはははははっ!」
「何がおかしい?」
「くふっ、くふふふ。はあー、良いことを教えてあげましょうか」
男はひとしきり笑ってから、声量を抑えると――、
「貴方、拉致されたんですよ」
と、悪意を込めて告げた。
「……拉致?」
「んん~? お利口なおつむでは理解ができませんかあ? 拉致、ですよ、拉致。貴方、悪い悪い人間達に誘拐されたんです。そしてここは貴方が暮らしていた王都から離れたどこかの研究所」
と、男は部分部分強調して、シオンに説明する。
「……ありえない」
シオンは呆気にとられ、然る後、そう言った。
「ありえないぃ?」
男は芝居がかった口調で、大げさにリアクションして訊き返す。
「俺は、城の中にいたんだぞ」
警備は厳重だ。
賊が入ってこられるわけがない。
なのに、どうやって拉致したというのか。
「はああああっ。これだから、凡人は……」
男は大仰に溜息をつき、嘆かわしそうに首を横に振る。
「…………?」
シオンは薄気味悪さを覚えて、男を見つめた。
「ありえないなんて、ありえない。なにせ天使が存在して、天啓なんて呪いみたいなシステムまであるイカレタ世界ですからねえ。現に貴方もこうしてここにいる」
男はニイッと口許を歪める。
「………………」
やはり男が何を言っているのか、シオンにはさっぱり理解できなかった。
「城から誰にも気づかれないで第一王子を連れてくることくらい簡単にできるってことですよ。それに、それだけじゃ……。ま、いいや。状況説明おしまい。お前、今日から実験動物だから。王族として接してあげるのももうおしまい」
男は途中から口調を変えた。
声色も途端に冷たくなり、シオンをビシッと指さす。
すると――、
「ぐああああっ!?」
シオンの首輪に魔法陣が浮かぶ。
首筋に激痛が走り、シオンが悶絶する。苦しみながら必死に両手で首輪を外そうとするが、外れない。ゴロゴロと無様に石畳の上を転げ回る。
しかし、すぐに痛みは治まって――、
「その首輪はお前がスキルや魔法を使用しようとすると発動するアイテムだ。あと、俺が念じても発動する。効果は……痛いほどわかっただろう?」
男がシオンに首輪の効果を説明した。アイテムというのは何かしらの効果が秘められた道具の総称である。
「そ、そんなアイテム……、聞いたことがっああああ!」
シオンは魔法もスキルも使用しようとしていないのに、さらに激痛が走った。男が首輪の効果を発動させていることは明らかだ。
「この世にはアイテムがごまんとあるんだ。自分が使わないものなんて知らなくて当然だろ。現にあるんだから、思考を停止してそれで理解しておけって。実験動物なんだからいちいち質問しなくていいし、聞かれたことにだけ答えていればいいんだ。わかったか?」
男は首輪の効果を停止させると、鉄格子の外から問いかける。
「ぐっ……」
シオンは苦しそうに息を整えながら、男を睨む。
「反抗的な眼だなあ」
「ぐあああああああっ!」
それから、シオンは事あるごとに難癖をつけられて、首輪の効果で苦しめられる。そのうち男は牢屋の中に入ってきて――、
「ああああ、気持ちいいなあ! 俺の研究を碌に評価しなかった国の王子様を甚振るのはっ! なあ、おい! 聞いているのか、おおい!」
もがき苦しむシオンの頭をげしげしと足蹴にしながら、愉快そうに哄笑した。今この瞬間、シオンは王族どころか、人としての尊厳を奪われている。
王子として生まれ育った十三年間で、一度たりとて誰かに頭を踏まれたことなんてなかった。
「あ、うっ……」
痛すぎて気絶することすらできず、シオンはパクパクと口を動かしている。それから、シオンの痛みが治まり、身動きが取れなくなっているところで――、
「立場ってものを少しは理解できたか? お前はもう第一王子のシオン・ターコイズじゃあない。名無しの実験動物だ。死ぬまで実験に付き合ってもらうぞ。お前の魂も、その魔眼も調べ尽くしてやる」
男はシオンの髪を掴んで、顔を覗き込んだ。そして、パッと手を放す。
「がぁっ」
シオンは自らの頭を支えることすらできず、石畳に顔面をぶつけた。
「ま、従順にしていればそこまで痛い目には遭わせないでやるよ」
「………………」
石畳にキスをするシオン。
屈辱は感じている。怒りも抱いている。
だが、意識が焼き切れそうなほどの激痛を堪えながら、シオンは今の自分がどういう状況に置かれているのかを冷静に理解し、その上で何をどうするべきなのか必死に考えていた。
目の前にいる魔道士の男はこの研究所が王都の外にあると言っていた。なら、これはチャンスなのではないだろうか? モニカを探すために、ずっと城の外に出てみたいと思っていたのだ。
だから――、
「というわけで早速、実験動物としてのお前の従順さをテストする。スキルを獲得したんなら、その魔眼の使い方はもうわかるんだろ? どんな効果があるのか教えろよ」
今はまだ、死ぬわけにはいかない。
生きてやる。絶対に生きてやる。
ここから抜け出すのだ。
そのためなら、プライドなんて捨ててやる。
この男の気まぐれで殺されないように、従順なフリをしてやる。
シオンはこの状況の中で、そう決意した。
「……お、俺の魔眼は、相手が発動しようとしている魔法の魔法陣を見るだけで、その魔法がどんな魔法なのかを知ることができる。普通なら目に見えない魔力も可視化して見ることができる。五級までの魔法の詠唱を破棄して、魔法を発動させることができる。魔眼の発動中は魔法陣の構築速度が上がる。魔力の消費効率が良くなる」
シオンはさも痛みに臆してしまったかのように、自分の魔眼の能力を語る。
「ほう。素直になったじゃないか。聞いていた内容と大差はないな。嘘はついていないようだ」
と、男は感心したように目をみはって言う。
「え……?」
シオンの目に驚きの色が灯る。この男はなぜ俺が嘘をついていないとわかったのだろうか? そう思ったのだ。
「テストだと言っただろう。嘘をついていたら激痛が走っていたところだったんだが、とりあえずは合格にしてやる」
男はふふんとしたり顔で言う。
「は、はい」
「しかし、流石は天使固有の希少能力だ。素晴らしい恩恵だなあ。そんなスキルがあったら対魔道士戦ではほぼ無敵じゃないか。そのスキル、欲しいなあ。お前の目を刳り抜いて移植すれば、俺にもそのスキルが使えるのかなあ」
「っ……」
耳許で物騒なことを囁かれ、シオンは息を呑む。
「なーんてな。嘘、嘘。仮にお前の目を奪っても俺にスキルは移動しないんだ。それに、従順にしていれば痛い目に遭わせないって言ったろ?」
男は上機嫌に嘲笑して、シオンをからかった。
「はは……」
シオンはこびへつらうように笑う。
「早速だが、その眼の性能をテストするとしようか。雇い主から早い内にとせっつかれているんでね。くひっ、くひひひっ、楽しみだなあ。来いよ」
いったい何をさせるつもりなのか、男は心底愉快そうにシオンを牢獄の外へと連れ出したのだった。