一億年ボタンを連打した俺は、気付いたら最強になっていた ～落第剣士の学院無双～

　この異界に来てから早十年。俺は毎日毎日ずっと素振りを続けた。十年も剣を振り続けていれば、『剣（けん）術（じゆつ）の理（り）』というものがわかるようになった。

（最適化されたとでも言えばいいのだろうか……）

　剣を縦に振り下ろすとき、どのタイミングで力を入れるのか、逆にどのタイミングで力を抜くのか。曖（あい）昧（まい）な感覚ではなく、はっきりとした実感をもってわかるようになった。

　百年後。

　この頃には、様々な技（わざ）を身に付けていた。例えばこんな風に、

「一の太刀──飛（ひ）影（えい）ッ！」

　飛ぶ斬（ざん）撃（げき）まで撃（う）てるようになった。

　自分で編み出した様々な技に、名前を付けてみたりもした。まるで流派の開祖になったような気がして、とても楽しかった。

　千年後。

　……少し、疲（つか）れてきた。肉体的な疲れではない。多分、精神的なものだ。

　毎日毎日同じことの繰（く）り返し。剣を振って、ご飯を食べて、寝る。千年もの間、ただずーっとそれだけをして過ごしてきた。新たな刺（し）激（げき）のない、無味乾（かん）燥（そう）で単調な毎日。来る日も来る日も同じことの繰り返し。その生活に心が疲れてしまった。

　ある日、俺はちょっとした気晴らしにと思って散歩してみた。

　すると驚（おどろ）いたことに、この異界は思っていたよりもずっと狭かった。

　結論から言えば、ここは小さな球体だ。家を出てしばらく真（ま）っ直（す）ぐ歩けば、すぐ家の裏口につく。ここはグラン剣術学院の校庭よりも遥（はる）かに狭い、とても小さな世界だった。何というか、このとき初めて『寂（さび）しい』と思った。

「母さん、元気にしてるかなぁ……」

　そうして俺は、今日も一人剣を振り続ける。

　一万年後。

　人間というのは不思議なもので、この環（かん）境（きよう）にもすっかり適応することができた。

（思い返してみれば、五千年あたりが一番きつかったな……）

　あのときは肉も魚も野菜も──どれを食べても全く同じ、味のないゴムを嚙（か）んでいるようだった。ドアノブに挨（あい）拶（さつ）をするのが日課になったあたりで、これはさすがにまずいと心底思いつめた。

　しかし、そんな危機的状（じよう）況（きよう）は、案外簡単に乗り越（こ）えることができた。

　人がいない孤（こ）独（どく）な環境を『当たり前』だと認識したその瞬間、心がスッと軽くなった。空を飛べないことに対し、誰（だれ）も不思議がったりはしない。鳥みたく翼（つばさ）がないんだから、それは『当たり前』のことだ。つまり──この誰もいない孤独な環境を『当たり前』と認識できれば、それはもうただの日常であり常識と化す。

　まぁ早い話が『心の殺し方』を覚えたというわけだ。

「──ふっ！　はっ！　せいっ！」

　そうして俺は剣を振り続ける。誰もいない孤独で、それが『当たり前』な世界で。

　十万年後。

　最近、剣術以外のことにも目を向けるようになった。特に熱を入れているのは──料理だ。これが中々どうして奥が深い。刃（は）の入れ方一つで、食材は様々な顔を見せてくれる。

　俺はまな板の前に立ち、静かに意識を集中する。

「八の太（た）刀（ち）──八（や）咫（た）烏（がらす）ッ！」

　刹（せつ）那（な）、八つの斬撃が宙を舞（ま）い──まな板の魚を八枚におろす。

　捌（さば）き立てで鮮（せん）度（ど）抜（ばつ）群（ぐん）のお刺（さし）身（み）に軽く醬（しよう）油（ゆ）をつけ、そのまま口へ運び込む。

「──うん、おいしい！」

　その後、書庫にあった料理本を参考にして様々な技を覚えた。半月切り、乱切り、短冊切り。そこには俺の知らない様々な斬撃が載（の）っていた。

（これを昇（しよう）華（か）させれば、きっととんでもない技になるぞ……！）

　そんな期待と興奮に胸を膨（ふく）らませながら、俺は厳しい修（しゆ）業（ぎよう）に臨（のぞ）んだ。

　百万年後。

　結論から言えば、期待ハズレだった。

　料理は料理、剣術は剣術──こんな簡単なこと、冷静に考えれば誰にだってわかる。

　いくら千切りが早くなったところで、それはどこまでいっても千切りの域を出ない。

　俺が倒（たお）すべきは、天才剣士ドドリエルであって、肉厚のキャベツではない。

（ぐっ、なんて時間の無駄をしてしまったんだ……っ）

　どうやら俺の頭は、少しばかりおかしくなっていたようだ。

　しかし、それも無理のない話だろう。なにせこの誰もいない何もない世界で、心を殺しながらずっと一人で剣を振っているのだから。

「ふー……っ」

　大きく深呼吸をして、心と体を落ち着けた。

（……大（だい）丈（じよう）夫（ぶ）、まだ慌（あわ）てるような時間じゃない）

　なんと言っても、俺にはまだ九千九百万年もの時間が残されている。

（よし……とりあえず、今できる最善をやり続けよう！）

　そうしてしっかり気持ちを切り替（か）えた俺は、再び『剣術の道』を邁（まい）進（しん）し始めたのだった。

　一千万年後。

　俺は新たな修業法として、『自分自身と戦う』術（すべ）を身に付けた。

　意識を集中させ、ゆっくりと目を閉じれば──瞼（まぶた）の裏に自分の姿が浮（う）かび上がる。

　もう一人の俺とも呼べるその存在は、凄（すさ）まじい殺気を放ちながら正（せい）眼（がん）の構えを取った。

　どこまでも基本に忠実なそれは、全くと言っていいほどに隙（すき）がない。

　それに対して俺は、鏡合わせのように正眼の構えを取る。

　そうして互（たが）いの視線が交（こう）錯（さく）した瞬（しゆん）間（かん）──まるで取り決めがあったかのように、俺たちは同時に駆け出した。

「「ハァ……ッ！」」

　剣と剣が激しくぶつかり合い、甲（かん）高（だか）い音と共に火花が舞い散る。

　両者の技量は、当然ながら完全に互（ご）角（かく）だ。互いが互いの剣術を熟知し、その弱点をも知り尽（つ）くす。いつまでも終わらない、果てのない剣（けん）戟（げき）。

　俺の剣術は、今まさに『灼（しやく）熱（ねつ）の時』を迎（むか）えていた。

　五千万年後。

　ちょうど『一億年の半分』が過ぎたあたりで、フツフツと焦（しよう）燥（そう）感が湧（わ）き上がってきた。

　五千万年という途（と）方（ほう）もない時間、ただひたすら剣を振り続けた結果──才能のない俺も少しは強くなれた……と思う。

（だけど、今のままで本当にあの天才剣士に勝てるのか……？）

　ドドリエル＝バートンは、百年に一度の天才だ。あいつは都でも有名な時雨（しぐれ）流（りゆう）の門（もん）弟（てい）であり、その中でも一、二を争うほどの実力だと聞く。

　あの細身からは想像もできない圧（あつ）倒（とう）的な身体能力。様々な剣をまるで手足のように扱（あつか）う器用さ。一目見ただけで、ありとあらゆる技を模（も）倣（ほう）する剣術の才能。ここら一帯でドドリエルの名を知らない者はない。まさしくグラン剣術学院『最強の剣士』だ。

（……このままじゃ駄（だ）目（め）だ）

　俺の剣には『ナニカ』が足りていない。

　気持ち・経験・凄（すご）み──それがいったいなんなのか、今はまだよくわからない。

（だけど、ドドリエルを倒すような『特別なナニカ』が欠けている……っ）

　残り時間は『まだ』五千万年……いや『もう』五千万年しかない。

　ふと思い返してみれば、本当にあっという間の出来事だった。

　一億年ボタンを押したことが、つい昨日のことのように思い出される。

（とにかく、急がないと……っ）

　そんな焦（あせ）りに心を焼かれながら、

「──ふっ、はっ、せい！」

　俺は一心不乱に今日も今日とて素（す）振（ぶ）りを続けた。鬼（き）気（き）迫（せま）る勢いで修業に励（はげ）み、朝昼夜の区別なく全（すべ）ての時間を剣術へ注ぎ込んだ。

（くそ、速いな……っ）

　時間というのは不思議なもので、集中すれば集中するほどにその『速度』を増していく。

　楽しいことをしているときの時間は、一瞬で過ぎてしまうというあの現象だ。

『惜（お）しい』『短い』『もう少し』──そう思った瞬間、時間は加速してしまう。

　そうしてひたすら剣を振り続けていると、気付けばもう『終わり』がきてしまった。

　空中に浮かぶ時計はついに０９９９９９９９９年12月31日23時59分59秒となり──その一秒後、この世界はゆっくりと崩（ほう）壊（かい）し始めた。

「終わっ、た……」

　大きな白い家と役目を終えた時計は、白い粒（りゆう）子（し）となってゆっくり消えていく。

　俺という存在が、現実世界へ引き戻（もど）されていく。

（後もう一度だけ、もう一周だけ──『一億年』が欲（ほ）しい……っ）

　ドドリエルに勝つための『特別なナニカ』は、きっともうすぐそこだ。手を伸（の）ばせば、指が掛（か）かりそうなところまできているはずだ。

（くそ、後ほんの少しなのに……っ）

　俺はそんな歯がゆい思いを嚙み締（し）めながら、世界の崩壊に吞（の）まれていった。