第二章 一四歳になった少年 4

「地母神に仕える盲目の巫女がなんだってうちのウィルに粉を掛けるんだ?」

 とはローニンの言葉である。

「だからそんなんじゃないよ。彼女はその身を神様に捧げているんだから」

「でも、チューくらいはしたいんだろう?」

 チューという単語に顔を真っ赤にしてしまうが、ルナマリアは平然と言い放つ。

「我が身は神と勇者様に捧げております。ウィル様が望むのならば、せつぷんでもとぎでも」

「こりゃあ、早めに孫をけそうだな」

 にやにやと無精ひげをなで回すローニン。

 なんとか言ってよ、とヴァンダルのほうを見るが、彼も似たようなものであった。

「ウィルの年頃になればせいしよくに興味を覚えるのも無理からぬもの。サキュバスでもしようかんして女体の神秘を教えようかと思っていたが、その身を捧げてくれるものがいるのならば、不要だな」

「…………」

 最後のたのみでミリアを見るが、僕の味方は彼女だけのようだ。

 ミリアはふくよかな胸で僕を抱きしめると、

「うちのウィルにそんなれんなことを教え込んだら、あんたたち、なまづめをはぐからね」

 とローニンとヴァンダルをきようはくしていた。神々の最終戦争がぼつぱつしかねない勢いであるが、万能の神レウスが調停に乗り出す。

「いい加減にするのだな、ローニンとヴァンダルよ。それに盲目の巫女、お前もだ。あまり神々をけしかけるな」

「そういう意図はないのですが、ごめいわくをおかけしたことは謝ります」

 深々と頭を下げるルナマリア。素直な女性だった。

 ルナマリアは顔を上げるとレウスに問うた。

「それでレウス様はどうお考えなのです。ウィル様は旅をし、より多くのものを見たほうがいいと思うのですが」

「その件については何度もウィルと話し合った。我はウィルの意志を尊重する」

「それでは──」

 旅立ちの許可をくれるのですね。というルナマリアの言葉をさえぎるのは三人の神々。

「ちょいと待ちな、巫女さんよ。主神のレウスはいいと言っても俺たち三人が認めねえよ」

けんしん様……」

の女神にじゆつの神もだ。ウィルは俺たちの可愛い息子なんだ。可愛い子供には旅をさせろなんて言葉もあるが、俺たちはその言葉がきらいでね」

「ですが、ウィル様は外の世界を見たがっています」

「見せないのも親心だよ。悪意に満ちた世界だ」

「その中にも美しい善意の種もいています」

「それを見る前に悪に染まっちまうかもな。下界は誘惑が多い」

「私が防ぎます」

「なるほど、身をもって防いでくれるのか。ならばどうだ、俺たち三人の試練を解決できたら、ウィルの旅立ちを許す、というのは」

「試練でございますか?」

「ああ、それぞれが難題を出すから、それをお前たちふたりが解決するんだ」

「私とウィル様が……」

 ルナマリアは「私たちの初めての共同作業」と小さくつぶやいたような気もするが、周囲のものはそれを無視するとルナマリアは大きくうなずいた。

「いいでしょう。その勝負お受けします」

「いいのか? 負けたら二度とウィルに近寄らせないぞ」

「ならば私はそれだけのだったというだけ。それに私にはビジョンが見えました」

「ビジョン?」

「ウィル様と世界を旅する映像です。昨日、神託と共に見ました。私たちはきっとこの試練に打ち勝ち、共に旅をするでしょう」

「なるほどね、自信たっぷりなわけだ」

 ローニンはみするようにルナマリアを見つめると、次いで視線を魔術の神ヴァンダルにやった。

「おい、じじい、まずはお前からだ。長生きして得たざかしいいやがらせをしてやれ」

くそガキが。老人に敬意を持て。……ふん、だがまあいい、可愛いウィルを外の世界にやるわけにはいかないからな、全力をくすぞ」

 いつものように毒づくとヴァンダルは最初の試練を用意した。

 ヴァンダルはコップをふたつ用意すると、指先から水を召喚し、コップに注ぐ。

「これはなんなのですか?」

 ルナマリアがたずねると、ヴァンダルは当然のように「水だ」と答える。

「ただの水……なのですね」

「そうみたいだね」

 と答える僕。だけどあのヴァンダルが水を用意するだけとは思えない。その水でなにかしなければならないだろう。

 そう思っていると案の定、ヴァンダルは無理難題をきつけてくる。

「この水をいつてきもこぼさずに山のふもとにあるいつぽんすぎまで行って戻ってこい。そうだな、時間は一時間」

「それは短すぎない?」

だんのお前ならば三〇分も掛かるまい」

「そうだけど、今日はルナマリアもいるし……」

 もうもくの巫女に軽く視線をやるが、彼女は軽くまゆいからせる。

「ウィル様は普段からこのように集中力を養っているのですね。だいじようです。私も似たようなトレーニングをしています。きっと同じ時間で帰って参ります」

 物言わぬ視線で決意を燃やすので、それ以上のことは言えない。

 それに試練を受けるのは決定こうだ。達成が困難だからもっと優しいものにしてくれ、と願い出ることはできない。

 もはや父親たちの難題をこなすしかないのだ。

 そう思った僕はだまってコップをつかむと山の麓へ向かった。少しおくれてルナマリアもそれにならうが、やはり彼女の動作は少したどたどしかった。

 僕はコップの水を一滴もこぼすことなく、ゆうゆうと歩く。普段より良い姿勢で歩くため、はたから見てもかっこよく見えるらしい。山の動物たちが「決まってるよ、ウィル」とめてくれる。

 その都度、礼を言い、微笑ほほえむが、顔は笑っていても心は笑っていない。なぜならばこの速度では間に合わないからだ。

 かなり速く歩いているように見えるが、それは常人から見てだ。ルナマリアなどはコップを持って歩いた速度記録樹立です、と、軽くはしゃいでいたが、僕は心配だ。

 普段はこの三倍というか、ほぼ走る速度で移動している。三〇分も掛からずに一本杉のところまで往復している。

 無論、その速度でも水を一滴もこぼさない。

 今も一滴もこぼしていないが、この速度では一時間で往復は不可能である。

 そう思った僕は立ち止まると、コップを切り株の上に置いた。ルナマリアにもそうするようにせまる。

 急にコップを置くように指示されたルナマリアはさらにおどろくが、僕の指示に従ってくれた。

「私はウィル様に身も心もささげた巫女。どのような命令にも従います」

 たおやかに微笑む顔は素敵であったが、彼女にこのままでは間に合わないことを教えると、さすがに表情をくもらせた。

「ど、どうしましょう」

 と軽くあわてる。

「速度を三倍にするしかないね」

「でも、現状でも水をこぼしそうになるのに、それは無理かと」

「無理を通さないとヴァンダルの試練には打ち勝てない」

「分かりました。ですが、無策でいどむのは下策かと」

「うん、それは分かっている。僕にはちゃんと策があるんだ」

 僕はにこりと微笑むと、ルナマリアに耳打ちをする。

 彼女は「ふむふむ」と聞いてくれた。彼女の耳に顔を寄せたとき、とても良いにおいがした。



 一方、そのころ、山頂にて。


 ヴァンダルはじゆつ特有のぼうを深々とかぶり、ちんもくしていた。

 その間も刻々と砂時計の砂が落ちるが、その光景を見てローニンは皮肉を言う。

「それにしても魔術の神ヴァンダルはようしやないな。試練とはいえ、あんな厳しい要求をするなんて」

 めずらしくミリアも同意する。

「そうね。手心がない。あんな不可能な条件を押しつけられたウィルが可哀かわいそう。帰ってきたらおっぱいで包み込んで良い子良い子してあげないと」

「……つーか、うちのウィルをマザコンにする気か」

「そうよ」

 悪びれずにそくとうするミリア。

 そんなふたりのやり取りを鼻で笑うヴァンダル。

「なにがおかしいのよ」

「いや、お前たちがウィルのことを信じていないようだったのでな」

「そんなことないわ」

「ならばどうしてそのように心配する。ウィルならばこの試練を見事に乗りえるだろう」

「ウィルひとりならばな。あいつの身体能力、バランス能力なら三〇分もからずもどってくるよ。だが、あのルナマリアというむすめいつしよなら話は別だ」

「おんぶしてもれるものは揺れるしね」

「おぬしらはウィルが戻ってこられないと思っているのか?」

「残念ながら」

 と続けるふたりに、ヴァンダルは大きな笑いをらす。

「ふぉふぉっふぉ、やはりふたりは見る目がないな」

「むかつくじじいね。こんな難しい試練を用意しておいて」

「たしかに難事ではあるが、ウィルならば必ず解決すると思って用意した。──事実、解決するだろう」

 ヴァンダルはそう言うと、つえで遠方をさす。

 その杖の先を見ると、なんと小走りで走るウィルとルナマリアの姿が見えた。

「あ、あれは可愛かわいいウィル!」

「な、ウィルたち、あの速度で走ってきたのか? ウィルはともかく、ルナマリアのじようちゃんは水をこぼしているんじゃ?」

 しかし、遠目からは水がこぼれている様子はない。

「もう、全部こぼれているんじゃ?」

 その可能性を疑うミリアであるが、そのようなこともなかった。

 かたで息をしながらやってきた彼女たちは、ヴァンダルが用意した机の前にそうっとコップを置く。そこには並々と水が注がれて──いなかった!?

 なんとコップの中にあったのは水ではない物体だった。

「な、これってもしかして氷?」

 気が付いたミリアがさけぶと、ウィルはこくりとうなずく。

「液体の水で運ぶとこぼすおそれがあったので、ほうで氷にしました」

「たしかに氷ならこぼしようがないけど、これってありなの?」

 ミリアは恐る恐るヴァンダルを見るが、老人の表情は普段と同じだった。その口調も。

 彼はたんたんとした口調で、

「無論、ありじゃ」

 と断言した。

「ありなのか」

 ローニンは驚く。

 ヴァンダルは説明する。

「ありに決まっているだろう。わしはコップに水を入れて運べ、と言った。水を氷にしてはいけない、とは言っていない。出て行くときは液体、わしの手に戻るときも液体で、一滴も減っていなければなんの問題もない」

 ウィルはコップを地面に置き、その周りに小さなほのおを作る。氷をかいとうするようだ。ほんの数分で氷が水になる。それをヴァンダルにわたすと、ヴァンダルは口を付ける。

「いいだ。温度を心得ている。さすがは我が子ウィル」

 にこりと笑うと、ヴァンダルは「合格じゃ」とウィルの頭をでる。うれしそうに老人の手を受け入れるウィル。

 このように魔術の神の試練をとつしたウィル。ミリアとローニンは心配していたようだが、ヴァンダルは一切の心配をしていなかった。

 ウィルならばそのによって必ず解決すると信じていた。ある意味これはサービス問題だったのである。

 無論、ヴァンダルとてウィルとはなれるのはつらいが、それと同じくらいウィルには勉強をしてほしい、という気持ちがあった。

 この広い世界に飛び出て学んでほしいのだ。

 自分のもとでも多くのことを学べるが、実際に世に出てその身で学ぶことには大きな価値があるだろう。

 山に閉じもり、本に囲まれて暮らしているヴァンダルとて、そのくらいのことは承知していた。

 最高の息子であり、最強のであるウィルには自分よりも大きな存在になってほしかった。

 それがヴァンダルのいつわらざる気持ちである。

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