第二章 元勇者は腕が鈍っている 2

 朝食後──

 シオンはアルシェラと二人で、屋敷の地下室にいた。

 五メートル四方の空間で、部屋の四隅には魔石を加工して作った柱が立っている。

 そして部屋の床には──大きな魔法陣があった。

 精緻かつ複雑な紋様が、床一面に所狭しと描かれている。

 元々はただの物置として使われていた場所だが、シオンがそこを儀式場に改造した。

「よし」

 魔法陣の調整と確認を終えた後、シオンはアルシェラに声をかける。

「では、そろそろ儀式を始めるぞ」

「はい」

 アルシェラは静かにうなずき、魔法陣の中央に移動する。

 これから行う儀式は──けんぞく契約の儀式である。

 メイド達四人は、シオンの血を体内に取り入れ、契約を交わすことによってシオンの眷属となっている。

 血液と共に魔力を摂取し、魔力波長をシオンと似せることによって、エナジードレインの影響を受けなくしていた。

「本当に、シオン様はすごいですね」

 アルシェラはしみじみとつぶやいた。

「魔王の呪いという未知の現象に関しても、こうして打開策を編みだしてしまうのですから」

「……打開策と呼べる代物でもない。けんぞく化によって、一時的に呪いをしているに過ぎない。だからこうして──定期的に血液を与え続ける必要がある」

 魔王の呪い。

 シオンは研究を続けているが、いまだに明確な打開策や解呪の方法は判明していない。

 周囲全ての生命をむしばむ呪いは、しかし呪いを受けた張本人であるシオンにだけは害を及ぼさない──ならば、対象をシオンに近づけることができれば、その者は呪いの影響を受けなくなるのではないか。

 そんな考察の下に研究し実践した、メイド達の眷属化。

 結論から言ってしまえば──それは成功した。

 シオンの血を受けて眷属となったメイド達は、エナジードレインの影響は一切受けなくなった。

 しかしまだ、完璧とは程遠い。

 眷属の状態を維持するためには、定期的に血液を与え続けなければならない。

 今日は、アルシェラに血液を与える日だった。

「血を用いた眷属化も、お前達高位魔族だからこそ、かろうじて耐えられるものだ。並の魔族や人間では……血を受けた瞬間、肉体が内側から崩壊し、絶命するだろう」

「ですが……植物では成功したのでは? この屋敷の庭の植物などは、エナジードレインの影響外にあるようですが」

「庭の植物は、また話が変わる。一度全て枯れ果てたが、僕の血を土に混ぜることによって、どうにか適応し、再生しただけだ」

 二年前──

 シオンがこの屋敷に住み始めてから、程なく周囲の植物は全て枯れ果てた。生命力を根こそぎに奪い取られ、死した土だけが残った。

 しかし研究の一環として大地に血を与えてみたところ、この近辺の土にシオンの魔力が宿り、眷属に近い状態になった。

 以来、この一帯の土から新たに生まれる生命には、エナジードレインは影響しない。

 シオンという脅威に対し、土壌が適応できたということなのだろう。

 おかげで、アルシェラの育てるやナギの育てる野菜も、普通の環境と同じように育っている。

「……このアプローチで研究と実験を重ねれば、ごく普通の人間でもエナジードレインに適応させることができるかもしれない。もっとも、成功するまでどれだけの人間が犠牲になるかわからないけどな」

 少なく見積もっても数千、下手すれば数万人の命を犠牲とした人体実験が必要となるだろう。

 土や植物が相手だからこそできた実験であり、人間で試すべきではない。

 人間と一緒に暮らすために人間を犠牲にしたのでは、本末転倒もいいところだ。

 結局は──振り出し。

 この二年、どれだけ研究を続けても、この呪いを解く方法はいまだに皆目見当もつかない。

「そうですか。でも、よかったです」

「よかった?」

「私が高位魔族であるおかげで、こうしてけんぞくとなり、シオン様と共に生きられるのですから。この身に宿るいまいましいまでに膨大な力を、これほどうれしく思ったことはありません」

「アルシェラ……」

 不安や苦悩が顔に出てしまったのだろうか。励ますようなアルシェラの言葉に、シオンは照れくさくなって顔をらした。

「んんっ。雑談がすぎたな。そろそろ始めよう」

「はい」

 うなずくと、魔法陣の中央にいたアルシェラは、その場で膝を折った。目の前に立つシオンにひざまずく形となる。

「──天に渦巻く鎖、共食いの蛇、一にして全なる瑠璃の円環──」

 目を閉じ、呪文の詠唱を始める。足下の魔法陣に淡い光が宿った。

 普段、ほとんどの魔術を詠唱を破棄して発動するシオンだが、この儀式だけはそうもいかない。

 己で一から生み出した完全オリジナルの儀式であり──魔王の呪いをだます、超高難度の術式であるから。

「──東のとおえ。西のどうこく。天地を結ぶ二条のいかずち。十二の魔鏡、雌雄一体の。光奪う黄昏たそがれに我は願う、約定たがわぬ永久の契りを──」

 詠唱を終えると、手に持ったナイフで己の指先を切りつけた。

 プッ、と皮膚が裂け、血が漏れる。

 一滴の血が床に落ちる。赤いしずくは紋様に染み渡り、魔法陣に赤い輝きが宿った。

 これで儀式の準備は整った。

 あとは相手が血液を摂取すれば、それで契約の儀は完了となる。

「失礼します──れろ」

 跪いたアルシェラは恭しく頭を下げてから──口を開けて舌を出した。

 わざとらしく舌を伸ばしたその顔は、淑女然とした普段の態度がうそのように、下品でありいんわいであった。

 ぺろり、と。

 伸ばした舌で、指先の血をめ上げる。

「ううっ」

 傷口を舐められたことで、シオンはぴくりと体を震わす。何度も死闘を経験し、痛みやには慣れているはずなのに──どうしてか、アルシェラの舌には妙な反応をしてしまった。

「れろ、れろぉ……むちゅっ……ちゅぱっ……あぁんっ」

 赤い舌が指の先をしつようねぶり回す。血が垂れる指先だけではなく、指全体を丹念に舐め上げ、指と指の間までも、舌で激しく責め立てた。

「お、おい、アル──っ!?」

 はむん、と。

 注意する寸前に──根元まで一気にくわえ込まれた。

 指先が、熱い感触に包まれる。口の中では舌先が踊り狂い、止めどない官能的な刺激を与えてきた。

「んっ、んっ……はあ、はあ、シオン、様ぁ……あむぅっ」

「う、ううっ、あっ」

 しびれるような刺激に、シオンは思わず声を上げてしまう。ザラついた舌が敏感な部分を、何度も何度も丹念にげる。

 しかもアルシェラは、上目遣いでずっとこちらを見つめてくる。熱っぽいまなしに見つめられると、身動きが取れなくなってしまう。

 やがて彼女は口をすぼめ、舌を回転させなら先端をしゃぶる。そして思い切り吸う。激しい吸引にシオンは腰が抜けそうになる。

「んはぁ……んっ、んっ、んっ……じゅるっ、じゅぽっ」

「う……あ、あ……」

「んっ、んっ、んっ……じゅぽじゅぽっ……じゅるるるる──っ!」

「はうぅっ…………い、いい加減にしろ!」

 舌と口の動きが最高潮に達する直前に、シオンは慌てて手を引き抜いた。

 指先と唇の間に垂れるのは唾液だけ。

 持ち前の再生力により、血はとっくに止まっている。

「なんなんだ、さっきから!?」

「はあ、はあ……も、申し訳ございません。シオン様の血液を、一滴でも多く取り入れねばと思いまして……」

「……前も説明したと思うが、この儀式に量は関係ないぞ」

「そ、それはわかっているのですが……つい、我慢できなくなってしまいまして。まるで──シオン様自身をしゃぶっているような気分になってしまったと言いますか……」

「僕自身……?」

 顔を赤らめて恥ずかしそうに言うアルシェラ。その言葉が匂わせた意味は、シオンにはよくわからなかった。

「はあ。まあいい。とにかく儀式は成功だ」

 変なめられ方をしたせいで気づかなかったが、すでに魔法陣の輝きは消えている。儀式は成功したらしい。

「アルシェラ。調子はどうだ?」

「問題ありません。シオン様の魔力を、確かに体の内に感じます。体内に入ったシオン様が、ゆっくりと私の奥にたどり着いて混じっていく……ああ、体の芯が燃えるようです……まるで、この身がシオン様と一体になったかのような……!」

「……そ、それならいいが」

 感想はいまいち参考にならなかったが、感じる魔力波長は確かに変異している。きっと問題はないのだろう。

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