第二章 元勇者は腕が鈍っている 1
悪夢が日常だった。
二年前──魔王討伐後。
王都に帰還したシオンにとって、悪夢こそが日常だった。
魔界の奥地にあった魔王城よりも──非道な
──「いくら魔王を倒したといっても、本人があれでは……」「おいっ、いつまであんなのを城に置いておくんだ!」「ああ……なんだか、今日は体調が悪い気がするわ。きっとあの子供が近くにいるからよ」「手足を封呪の
嫌悪、憎悪、嫉妬、
魔王を倒して世界を救った少年を待ち受けていたのは、笑顔で自分を送り出してくれた者達による、壮絶な手のひら返しだった。
(ああ、そうか)
王都の
呪いをどうにか封じ込めようと、何重にも展開された封印結界の中で、シオンは両手を杭で壁に縫い付けられていた。
(生まれが悪く、家族もいない……孤児である僕に、王族達が優しくしてくれたのは──僕が、使える
利用価値があったから。
魔王を倒してくれそうだったから。
だから彼らはシオンを
そして今は──使えなくなったから迫害している。
──「宮廷魔術師達の封印結界でも完全にはエナジードレインを押さえ込むことはできないのだろう!? 陛下のお体に障ったらどうするつもりだ!」「もうっ、お願いだからとっとと追い出してよ! 私、あんな化け物が近くに住んでるなんて、頭がおかしくなりそう!」「……すまない、シオン。わかってくれ。我々はきみのためを思って言ってるんだ」「これはお前のためなんだ。お前だって……陛下や民を苦しめるような
王都から締め出された後は、死んでるように生きた。
できる限り人里を避けて、流浪の旅を続けた。
何度も死のうと思ったけれど、呪われた体はどんな致命傷でもすぐに再生してしまう。
肉を裂こうが骨を砕こうが血を流そうが、なんの意味もなかった。
死にたくても死ねない、不死の化け物──そのくせ、まるで普通の人間のように腹は減るし、喉は渇くし、夜には眠くなる。
シオンは──眠ることがなにより怖かった。
次に目覚めたときに自我を失った化け物に成り果てているのではないか──そんな恐怖が、心を縛り付けて締め上げる。
なにより──目を閉じれば、王都で浴びせられた罵声や、忌むべき化け物を見るような瞳が
自分は、なんのために戦っていたのか。
倒すべきは──魔王ではなく人間だったのではないか。
孤独な思考は闇に染まり、心は夜ごとに黒く濁っていく。心が
眠ることがなによりも怖かった。
でも。
今は──
「──お目覚めですか、坊ちゃま?」
目を覚ますと、すぐ横に褐色の美女が寝ていた。
イブリスである。
昨日の添い寝当番であった彼女は、
「お、おはよう、イブリス」
「おはようございます……って、なに照れてんですか?」
顔を赤らめたシオンに、イブリスが苦笑気味に告げる。
「まったく……もう何回もこうやって夜を共にしてんですから、いい加減に慣れてくださいよ。そう毎度赤い顔されると、こっちまで恥ずかしくなってくんですけど?」
「て、照れてなどいない!」
必死に否定を叫びながら、上体を起こすシオン。
本当は照れている。朝起きたらすぐ横に
気を取り直し、一つ
「しかし……珍しい日もあったものだな。イブリスが僕よりも早く起きているなんて」
「あー。なんか今日は、たまたま目覚めがよかったみたいですね」
イブリスは体を起こし、んーっ、と伸びをした。胸を反らしたことで胸部が寝間着を押し上げる。
「さてさて。そんじゃ起きるとしますか。今日の食事当番は誰だったかなー」
「……イブリスは、なにもしてこないんだな」
ベッドから降りようとする彼女に、ぽつりとシオンは言った。
「はい? なにもしてこないって?」
「いや、その……アルシェラやフェイナが添い寝当番のときは、ベッドから降りるまでに
とにかくスキンシップが激しい彼女達が相手だと、ベッドから降りるまでが一騒動で、朝から精神的に疲弊してしまうことが多い。その点イブリスは、寝るときも起きるときも比較的さばさばとしている。
別に、どっちがいい悪いという話ではなく、なんとなく思ったことを口に出しただけだったのだが、
「……あれあれー?」
にたぁり、と。
イブリスは口角を
「もしかして……不服なんですかぁ、坊ちゃま? 私が、エロいことなーんもしてくれないから」
ベッドから降りかけていた彼女は、くるりと身を
「え……なっ」
「なんだなんだ。真面目そうな顔して、やっぱり中身は男なんですねー」
硬直してしまうシオンに近づき、耳元で
「この、スケベ」
「──っ」
ぞくりと背筋が震えた。
言いようのない恥辱が、全身を支配するようだった。
「して欲しいことがあるなら、なんでも言ってくれていいんですよ? どうします? とりあえず、おっぱいでも
「……や、やめろ、バカ! そんな、はしたない
「あっはっは。そうですか、すみませーん」
けらけらと笑いながら、イブリスは離れていく。
緊張から解放されたシオンは、深々と息を吐く。
(くそぉ……またからかわれた。なんで僕は、いつもこう、メイド達のいいようにされてしまうんだ……)
頭の中は、からかわれた悔しさや自分自身の
世界を憎むのが馬鹿らしくなるほどに騒々しく、己を
そんな毎日が、今のシオンの日常であった。