第一章 元勇者は一人では眠れない 6

『聖剣メルトール』。

 はるか昔、まだ神々が地上にいた頃、神々が人間に与えたとされる武具──古代の神々の恩恵により規格外の威力を発揮する秘宝は、俗に聖剣と呼ばれる。

 ロガーナ王国には、代々伝わる三つの聖剣がある。質量をらう『聖剣ザグラム』、流れをつかさどる『聖剣リッター』。

 そして──距離を掌握する『聖剣メルトール』。

 別名『間合い殺し』とも呼ばれる剣で、この剣を所有した者にとって、距離という概念は意味をなくす。

 要するに──視界の全てが間合いとなる。

 所有者が斬りたいと願いながら剣を振れば、斬撃は空間を跳躍して対象へと向かう。

 たとえるならば、一枚の風景画に、筆で一本線を引くようなもの。

 三次元的な空間を──二次元的に切り裂く剣。

 この世界から奥行きを根こそぎに奪う剣は、視界の全てを単なる平面のように切りつけることが可能となる。

「がははっ! どうだよ、クソガキ! 聖剣の威力はよ!? って、もう聞こえちゃいねえか。がははは!」

『メルトール』を片手に持ったまま、ガーレルは高らかに笑った。剣に巻き付いていた布はがれち、精緻な紋様が描かれた刀身と、華美な装飾が施されたつばが現れる。

 美しく神々しい。

 聖の字を冠するに相応ふさわしい、聖剣本来の姿であった。

「たまんねえなあ、おい。この剣さえありゃあ、俺は無敵だぜ!」

 美しい刀身を、なにかにかれたような危うい瞳で眺めるガーレル。

 彼の仲間であった『』の一味を殺したのも、この聖剣だった。

 もう、いらないと思ったから。

 この剣さえあれば、自分には仲間などいらない。

 全ての手柄を、あらゆる戦果を、独り占めできる。

 もはや恐れるものなど、なにもない──

「どうだ、お姉ちゃん達! てめえらのチビ主人は、無様に死んじまったぜ? 同じ目に遭いたくなきゃ、大人しく俺のメイドになりな!」

 恐怖を忘れた瞳で、この世全てを掌握したかのような尊大な態度で、ガーレルはメイド達へと声をかけるが──

「──ひぃっ!?」

 気づけば、ガーレルは地面に尻もちをついていた。戦慄が全身を駆け抜け、心臓を直接わしづかみにされたかのような錯覚を抱いた。

 恐怖が。

 いまだかつて味わったこともない圧倒的な恐怖が、彼の体を地面に縫い付けた。二度と手放さぬと決めた聖剣も、気づけば地面に落としてしまっている。

「あ、ああ……」

 パクパクと魚のように口を開閉させ、異形へと変貌した四人の女性をがくぜんと見つめる。彼女達から吹き出す魔力は、あまりに巨大で、あまりにまがまがしく、ただそこにたたずむだけで世界を汚すような邪悪さがあった。

「貴様ぁ……よくも、よくも、シオン様を……!」

 しとやかな微笑をたたえていたメイドは──悪神の形相となる。頭からはにも似たじれた角が生え、腰からはからすを思わせる漆黒の翼が広がる。空間をゆがますほどの膨大な魔力が、殺気と共にらされる。

「フーッ、フーッ……!」

 明るく笑っていたメイドは──ろうごとどうもうな眼光を放つ。頭からは犬やおおかみを思わせる耳が、でんからは大きな尻尾が生える。身に着けていた手袋は破け、鋭い爪が現れる。口元からのぞく大きな牙の隙間からは、荒々しい呼気が漏れ出していた。

「……ぶっ殺す」

 だるそうにしていたメイドは──永久凍土のごとき冷たい殺気を漏らす。灰色の髪は立ち上る魔力に流されて膨れ上がり、それまで髪に隠れていた耳は、先端が長く伸びてとがった。

「下郎が……! 己の罪を地獄で悔いろ……!」

 りんぜんたたずんでいたメイドは──凶猛な鬼気を身にまとう。頭からは二本の角が生えた。前髪を分けて伸びたそれは、根元は黒く、せんたんに行くにつれて血のように鮮烈な朱色に染まる。体を半身に構え、腰にいた太刀をつかんでこいぐちを切る。

 四者四様──否、四者四妖とでも表現すべきか。

 それぞれがまるで異なる異形へと変貌した四人のメイド達──

(な、なんだ、こいつらは……!? ま、魔族なのか……?)

 未知の恐怖におびえるガーレル。

 彼女らのまがまがしくも神々しい姿に、以前耳にした情報を思い出す。

(確か……うわさで聞いたことがある。二年前に死んだ魔王には──『四天女王レデイストピア』と呼ばれる、最強最悪の、四人の側近がいたって)

 淫魔サキユバスを統べるべく生まれ落ちた、淫魔の女王──『大〓婦バビロン

 太陽をらったかの如くまばゆい体毛を持つ伝説のじんろう──『金狼マーナガルム

 神を呪い、暗黒の闇にちた森の精──『闇森精ダークエルフ

 東方諸国家を支配し、もうりようの頂点に座す一族──『鬼』

 それぞれが伝説級の超高位魔族。

 悪名高き四人の女魔族は『四天女王レデイストピア』と呼ばれ、魔王と共に人間達の間で恐れられていた。

「ひ、ひぃい……な、なんで……魔王の側近が、こんなところに……」

 四人の暴虐的な魔力に触れたガーレルには、もはや戦意など欠片かけらも残っていなかった。恐怖に支配された顔は、一気に10歳ほど老け込んだようにも見える。

 しかしそんな彼を見ても、四人のメイド達の怒りは収まらない。

 腰を抜かした敵を前に、暴れ狂う殺気のままに攻撃を仕掛ける──その、寸前だった。


「落ち着け、お前達」


 声が。

 幼い少年の声が響いて、四人のメイドは動きを止めた。

「騒ぐほどのことじゃない。ただ──首をねられただけのことだ」

 響き渡る声に、ガーレルは慌てて周囲を見渡す。

「バカな……なんで、あのガキの声が──ひっ。うわあああ!」

 すでに恐怖のドン底にいた彼を、さらなる恐怖が襲った。

 いた。

 さっき自分が殺した少年──シオンと呼ばれた少年がいた。その声は、まぎれもなく少年の口から発せられている。

 ただし。

 地面に転がっている少年の、生首についた口から──

「やれやれ……油断したな」

 頭だけとなった少年は、しかし平然と言葉を紡ぐ。

「いくら『聖剣メルトール』の攻撃とは言え、あの程度をよけられないとはな。この二年、戦いから遠ざかっていたせいで、感覚がすっかりと鈍っていたらしい。それに」

 になってからというもの。

 どうも危機感や防御意識が薄くなっている。

 と。

 独り言のように言葉を紡ぐ、シオンの頭部。その横にはいつしか、少年の体が立っていた。首のない体は、ひょい、と頭部を持ち上げる。

 レンガを積むような気軽さで、首の切断面に頭部を乗せると──瞬く間に、頭部と胴体がつながった。細い首には傷一つ残っていない。

 首筋をでながら、シオンはメイド達へと視線を向ける。

「この通り、僕は大丈夫だ。だからお前達も怒りを収めろ。この程度、僕にとってはかすり傷ですらない」

「シオン様があの程度の賊に傷つけられるとは思っておりません。しかし、あの者はシオン様に向かって攻撃を繰り出し、あまつさえ……白く美しくきめ細かい至高の柔肌にやいばを入れた……! これは万死に値する重罪です!」

「私ら、主人に牙を向けられて黙ってられるほど大人じゃないんだよねー」

「はん。私は坊ちゃまとは関係なく、あの人間が調子こいてるのがムカつくだけだ」

「主人に弓を引かれたとあっては、忠臣として黙っているわけにはいきませぬ」

「シオン様。我らはあなたを傷つける者を許しません。ですから、どうかこうして……醜態をさらすことをお許しください」

「……勘違いするなよ、アルシェラ。それに、他の三人もだ」

 シオンは言う。

「僕はお前達の本来の姿を、醜いと思ったことは一度だってない。むしろ、美しいとさえ思う」

「シオン様……」

「だが、怒りに任せて力を振るおうとするお前らは……あんまり感心できなくて、えと……だから、なんというか、その……」

 しどろもどろになりながら、かすかにほおを赤らめつつ、シオンは言う。


「ぼ、僕は……笑ってるお前達の方が好きだ」


 メイド達は一様に言葉を失う。

「くそっ、言わせるな、こんなこと……」

 恥ずかしそうに頭をくシオン。

 メイド達はあつに取られたように沈黙していたが──やがて、パッ、と。

 周囲を満たしていた殺気や魔力がれいさっぱりせる。

 異形へと変貌していた四人の女は、一瞬で元の人間の姿へと戻った。

「す、すす、好き……? シオン様が、私のことを好き、って……!? やだ、そんな……ああ……ダメ……私、もう立っていられません……」

「えっへっへー、やーん、もうっ、シー様かわいいっ! そっかそっかー、そんなに私のことが大好きなのかー」

「た、倒れるな、アルシェラ! フェイナはくっつくな!」

「はーあ。くっだらねー茶番でしたね。んじゃ、私はちょっと横になって休みます」

「くっ……おかた様……今のお言葉、私のような未熟者にはもったいのうございます」

「寝るな、イブリス! ナギは泣くな!」

 ぎゃーぎゃー、と。

 騒がしいやり取りをメイド達と済ませ、シオンは深く息を吐く。

「まったく……こいつらは、いつもいつも……」

 るようにつぶやいてから。

 腰を抜かしているガーレルの方へと、歩を進めた。

「待たせたな」

 淡々と言うシオンを、恐怖に震えた瞳が見上げてくる。

「な、な、なんなんだよ、お前は……? な、なにもん、なんだ?」

「化け物だよ」

 シオンは言った。

 その声には、ひどく寂しい響きがあった。

「二年前、魔王を倒したときに──僕は呪われた。死にたくても死ねない、不死身の化け物……そんな勇者の成れの果てが、僕だ」

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