第二章 はじめての魔法授業 2
そのとき教室の扉が開いて、先生と覚しきスーツ姿の女性が入ってきた。メガネをかけて髪を結った、なかなかの美人だ。
「はーい。みなさん席に着いて……」
俺と目が合った瞬間、眉をひそめる。
「ああ……そういえば、転校生がいたのですね」
なんか先生にも歓迎されていない感じがするな……。
隣にいる雅が、こそっと耳打ちする。
「あれがうちの担任の
「だから、分かんねえよ。まあ、とにかく穏便にだな……」
「夕顔瀬さん! あなたも早く席に着きなさい」
雅はニヤニヤした顔のまま、「はーい」と答えて着席する。
って、俺は?
俺は一人、ぽつんと教室の真ん中に突っ立っている。しかし滝沢先生は気に留める様子もない。仕方なく、俺は控えめに手を挙げた。
「あの、先生?」
すると先生は、目をつり上げて俺を
「伝統と格式を誇る我が銀星学園……歴代の魔王を輩出し、魔王学園と呼ばれる本校に、下級魔族ですらない人間
教室の中が一気にざわついた。
「うそ……やっぱりあの
「でも魔王候補なんでしょ?」
「そんなの間違いに決まってるって」
「でも、昨日ゲルトをぶっ飛ばしたって言ってる
「バカ、そんなのリゼル先輩がやったに決まってんだろ」
そんな
ここはガマンだ。確かにみんなから見れば、俺は明らかな異物だ。拒否反応が起こるのも無理はない。時間をかけて、理解してもらうしかない。
「あの、先生。俺はどこに座ったらいいんでしょうか?」
すると先生は、ちっと舌打ちをした。
「人間なら立っていればいいでしょうに……生意気な」
先生は指をパチンと鳴らした。
するとチョークが自動的に動き、黒板に魔術式をずらっと書き出した。
すげえ、魔法みたい。っつーか魔法か。
「この魔術式を解きなさい。もし正解出来たなら、座ることを許しましょう」
なんだこれ?
やたら複雑で、意味が分からない。
昨日覚えた魔術式でも使われていた部分が一部あるが、意味が読み取れない。かなり高度な魔術式のようだ。
黒板を睨む俺を、くすくすという笑いが包む。
「見て、困ってるわ」
「ふふふ、先生も人が悪いわね」
「大体、普通の魔術式だって、人間に理解出来るはずがないぜ」
……察するに、これは意地悪な問題のようだ。それも解くのが困難な。
まして、入学したての俺に解けるはずがない。
「仕方がないな……」
俺は胸の『
──頼む。この式の意味を理解したい。
『解析……一部欠損と間違いがあると推測。補完処理を開始』
一瞬のタイムラグの後、俺の頭の中に大量の情報が流れ込んだ。そしてこの魔術式の意図に気付いたとき、俺の
「こいつは……ヤバいな」
先生は俺を見下すように、
「ヤバいって、なにが? 分からないの? だったら──」
「先生、何でこんな危険なものを公開してるんですか」
「へ?」
先生の表情が固まった。
「確かにいくつか公式が抜けてる。でも、第二節に風のエレメントを足して、第八節をネストして第十節とループするようにして、ケテルとケセドにパスを通すように──」
「ちょ、ちょっと! あなた、これが何だか分かってるの!?」
「はい。これは世界を破壊するための術式です」
「な……」
教室にざわめきが走った。
「未完成ですし、仮に完成しても膨大な魔力が必要で、おおよそ現実的ではないのは分かります。知的実験のようなものですが、それでも悪用される可能性も──」
「だ、だ、黙りなさい!!」
先生は顔を真っ赤にして叫んだ。
「これは未解決魔術式よ!? 優秀な魔術学者が長年研究をしているけど、まだ誰も解いた人はいない! もし解決したら、魔界技術賞もの──いえ、勲章が出るわ。適当なことを……」
魔術式を眺める先生の顔色が、みるみる青ざめてゆく。
「いえ……そんな、でも確かに、第二節に風のエレメントを足すと……いや、こんなことって……」
はっと我に返ると、先生は自らの手で黒板消しをつかみ、魔術式を消した。
「み、み、みなさん! 今見たこと、聞いたことは忘れること! いいですね!!」
俺は、先生を安心させるように補足した。
「大丈夫ですよ。修正点は、あと二十二カ所ありますから。今のだけで解析は無理だと思います。でも、今後はあまり大っぴらにしない方が良いですね」
「……っ!?」
先生が
「あの、ところで……俺の席なんですけど──」
「みんな
突然、一人の男子生徒が立ち上がった。
「こいつはただの人間だ! そんな奴に魔術式が分かるはずがない! 未解決魔術式なのをいいことに、でまかせを言ってるだけだ!」
「いや、それより俺の席……」
男子生徒は俺をびしっと指さした。
「
ああもう、気に入らないのならせめて無視してくれ。なぜマウントを取ろうとしてくるんだよ。
「……魔法を見せれば、席を用意してくれるのか?」
男子生徒は、バカにしたようにフンと鼻を鳴らした。
「好きなだけ用意してやる。安心しろ」
「いや、一つでいいけど……」
仕方ないな……まあ、昨日魔法を覚えておいて良かった。
三条は手を広げると、まるで特撮ヒーローのような派手なアクションで腕を前に突き出した。
「まずこの俺が見本を見せてやる! 『
俺と三条の中間のあたりで、炎が上がった。
「おおっ!」
と、教室がざわめく。
しかし、その時にはもう炎は消えていた。
「……」
イメージ的には、料理とかの映像でフライパンが一瞬燃え上がるカッコいい調理シーン。あれみたいな感じだった。
思わず俺は沈黙。必死になって考えた。
……本当に、あれでいいのか?
見たところ三条はドヤ顔してるし、教室のみんなも特に渋い顔はしていない。
とすると、あんなもんで良いのだ。
「よし……じゃあ、俺の番だな」
手の平を三条に向けて伸ばす。
昨日、リゼル先輩に癒やしてもらったから、魔力は十分に残っている。これなら、昨日ゲルトを吹っ飛ばしたくらいの威力なら問題ない。あれの半分……いや、四分の一……いやいや、十分の一くらい?
──いや、待てよ?
みんな貴族だし、今まで勉強もしていたんだろうから、きっと俺より
……もしかしたら、三条はわざと威力を弱くしてたとか?
あんなもんで良いのかと思って、魔法を出したら「そんなショボいの認めねえ!」とか言われるとか! そういう作戦なのかも!?
ああっ! 何だか、急に不安になってきた!!
教室で席に座りたいだけなのに、何でこんな大変なんだ!?
「やっぱ、昨日と同じくらいだ!」
そう決めると、手の平から魔法陣が広がった……けど、何だか、昨日よりも大きくないか?
「なっ!?」
「なによあれ!?」
おいおい! 俺の体よりも大きいんだけど!? この魔法陣!!
──ええい、ままよ!
「『
次の瞬間、一年D組の教室内に炎の嵐が吹き荒れた。
床も壁も天井も炎で
「きゃぁあああああああああああああああああああああっ!?」
「うわぁあああ! た、助けてくれぇええええええええええええええ!!」
教室は
その直後、教室の壁や天井、床に魔法陣が浮かび上がり、炎が消えてゆく。
スプリンクラーならぬ、魔法相殺安全術式が発動し、魔法の効果を止めたのだ。
恐らく
全員、
やべえ……やべえよ、これ……。絶対怒られるだろ。
「あはははははは! ずいぶんハデにやったじゃん! ゴゴゴゴーってなって、ボアアアアって燃えて、もうサイコーっ!! あははははははは!!」
雅だけが、脳天気にゲラゲラと笑っていた。
「お前の気楽さがうらやましいよ……」
ひまわりのような雅の笑顔を見ても、明るい気分になれなかった。
これは職員室に呼び出し間違いなし……停学とかになったら、どうしよう。
床にへたり込んで、震えるまなざしで俺を見上げる滝沢先生に、何と言って謝ったら良いのか、しばらく悩んだ。