「三日です」
びし、とミナが三本の指を立てた。
「少なくとも三日、安静にして過ごすこと。守れなければ休学にして公爵邸へ戻らせると、公爵閣下からきついお達しです」
「いや~~~ん……」
例の広々した寮の寝室で、ベッドに寝かされているエカテリーナは泣き声を出したが、ミナの表情は全く変わらない。もともと無表情だが。
「無理ないです。朝はあんなにお元気だったのに、倒れるなんて。朝どころか直前まで、閣下と普通にお話しされてたそうじゃないですか。もう大丈夫なんて言ったって、信用されるわけないです」
「本当に大丈夫ですのに……」
「三日、部屋から出ないでください。でないとあたしが閣下にお手討ちにされそうなんで」
「まさか……」
「閣下の長剣の腕前はなかなかのもんです。人の首くらいちゃんと落とせます」
ちゃんと、って。
脱力して、エカテリーナは目を閉じた。
正直、まだ頭がぐらぐらする。ゲーム世界の『自分』であったはずのヒロインが『他人』として行動しているのを見たとたん、頭と身体が乖離してしまった。なんで今更こんなことに。
(前世でプレイしたゲームでは、フローラとしてこの世界を体験していたけど)
ヒロインの名はフローラ・チェルニー。生まれは平民だが、唯一の肉親だった母親を亡くした時、母親と親しかったチェルニー男爵夫妻が養女として彼女を引き取ってくれた。その後、審査で強い魔力を持っていることが判明し、魔法学園への入学が認められる──という設定。
社畜と悪役令嬢の融合はすっかり完了したと思っていたけど、思えばずっと公爵邸で勉強ばかりしていたのだった。環境が変わるとまだ不安定ということか。
(お兄様のお言い付け通り、あらためて環境に馴染むための時間をとったほうが無難かもしれませんわね)
アレクセイにはずいぶん心配をかけてしまった。
(あ、やばい! 思い出しちゃう!)
エカテリーナが倒れた時、すぐに気付いて駆け寄ってくれたらしい。
そして、即座に抱き上げて、医務室へ運ぼうとしてくれたらしい。
エカテリーナが意識を取り戻した時──。
(お兄様に! お姫様抱っこ! してもらってた!)
一瞬、状況がわからなかったが、見上げてみるとすぐ近くにアレクセイの秀麗な顔があったのだ。
『お兄様……?』
『エカテリーナ! 気が付いたか──』
あの時、アレクセイは泣き出しそうに切ない顔をした。
そして、エカテリーナの額に頰を押し当てて、ひしと抱きしめた。
(あああ思い出しただけで鼻血出そう! 腕がー、胸がー、肩がー、温かかった!)
両手で顔を覆ってじたばたするエカテリーナであった。
『お兄様、わたくし歩けますわ。下ろしてくださいまし』
『駄目だ』
お姫様抱っこはちょっと憧れだったが、実際してもらうと体重が気になって恥ずかしい。
しかし頼みは即座に却下された。
『お前に何かあれば、私も生きていられない。お前が私の生命なんだ……』
(死んだー! お兄様、妹はあなたの言葉に撃ち抜かれて死にましたー!)
萌え死んだ後は何も言えずに医務室まで運んでもらった。人一人の重さをものともせずに歩き切るのだからすごいが、そういえば皇国の上級貴族男子は、甲冑を着て戦場を駆け巡ることができるかを基準に鍛えられるのだった。乙女ゲームにはそんな脳筋な設定は出てこなかったが、生まれ変わってからの知識ではそうだ。
医務室のベッドに横になって、アレクセイにもう学舎に戻ってくださいと頼むと、少し寂しそうにこう言われた。
『今日は、手を握っていてほしいと言ってくれないのか』
かっこいい大型犬がぺたんと耳を倒してしょげてる姿がダブるんですが。ついさっき視線ひとつで全校生徒を威圧したあなたはどこ行った。
(ツボった! 自分の萌えツボ発見しました!)
手でもなんでも握っててくださいお願いします、とか口走りそうになったが、そこにミナが到着したのだった。
それで付き添い役はミナに代わって、アレクセイは自分のクラスに戻っていった。
そうでなかったら危なかった。アレクセイの中では、妹にはしばらく学園を休学させて公爵邸で静養させることが決定事項になっていたからだ。言葉の端々からそれが感じられたので、エカテリーナは対抗策を講じた。ミナに頼み込んで、寮の自室へ連れ帰ってもらったのだ。
自室は当然、女子寮であって、男子禁制。公爵の権力とは別の次元で絶対の掟である。無理矢理踏み込んで連れ帰ることはできない。
なお、寮へは自分で歩いて戻ろうとしたが、なんとミナに抱き上げられ、メイドにお姫様抱っこされて帰る羽目になった。お嬢様を軽々と抱っこしてスタスタ歩くメイド。強い。うちの美人メイドが強すぎる件。
「ごめんなさいね、ミナ。お兄様、お怒りになったのではなくて?」
「そうですね、最初は。でもお言い付け通り『お嬢様は学園を離れるのが悲しいってずっと泣いてます』って言ったら、公爵閣下が滅茶苦茶落ち込んで怒るどころじゃなくなりましたんで」
「そ、そう……」
ごめんなさい。シスコンにつけ込んでごめんなさいお兄様。
でも、平民落ちの破滅フラグ回避だけなら休学はむしろ妙手でも、皇国滅亡フラグがどうなるかわからないので、学園を離れるわけにはいかないんです。
エカテリーナはお兄様のために、皇国滅亡フラグを折ってみせます!
そんなわけで、入学していきなり三日休んだエカテリーナは、四日目に初めてクラスへ登校することになった。
教室に入ると、クラスメイトたちがうっと息を吞んで一斉に視線を向けてくる。アレクセイがエスコートしているせいだろう。入学式で全校生徒を威圧した姿は皆よく覚えているに違いない。さらに、ミナが鞄を持って付き従っている。実家ではほとんどの生徒がメイドにかしずかれているはずだが、校内に連れてこられるのは、寮で特別室に入っている者だけだ。
「エカテリーナ・ユールノヴァの席は」
アレクセイに尋ねられた近くの生徒がおずおずと指差した席にエカテリーナは導かれ、ミナが音もなく引いた椅子に座らされた。
「では、私は自分のクラスに戻るが……少しでも不調があれば先生に申し出るんだよ。お前は決して丈夫ではないんだ、もう少し自覚を持って、身体を大事にしなさい」
「はい、お兄様。お言い付けの通りにいたしますわ」
しおらしく答えると、アレクセイはそれでも心配そうに妹の髪を撫で、鋭い目でクラスを一瞥した。いかにも、妹に何かあったらただではおかん、と言いたげだ。
エカテリーナは笑顔が引きつりそうになるのを感じる。
「お帰りをお待ちしております」
鞄を渡してミナがそう言うと、まだ心配そうな顔をしつつも、アレクセイはミナを連れて教室から去っていった。
……さて。
さりげなく、周囲の様子をうかがってみる。
うん。
ドン引きしてますね!
そらそーだ。こんな面倒臭そうな奴、近寄りたくないよね。
特別感ひけらかしまくりだもんね。
突然倒れられたら困るしね。何か責任問われる羽目になったらたまったもんじゃないよね。
三日経ってたら、女子はすでにグループとか出来つつあるだろうし。
いやー……参ったなー、はっはっは。
はあ。
とりあえずこれだけは、とエカテリーナは隣の席に顔を向けた。
「あの……お隣の方。わたくし、エカテリーナ・ユールノヴァと申しますの。どうぞ、およろしくね」
すると隣の席の少女は少し驚いたように目を見張り、慎ましやかに会釈した。
「ご挨拶ありがとうございます。私は、フローラ・チェルニーです」
だよね。
ゲームでもエカテリーナはヒロインの隣の席だったよ。挨拶したら、いきなりガチ切れされるんだけどね。