三章 こんにちは花邑家 その2

 悩みというのは、大抵が金か人間関係である。

 それは大多数の人がそう言っているし、何よりアンケートやら統計などでそうであることが明確にされている。

 ゲームをやっていてもそう思うだろう。特にエロゲに関していえば、主人公達の悩みの大半はどうすれば美少女達と仲良くなれるか、である。恋愛ゲームなのだから当たり前なのだが。そして面白いことに紳士諸君エロゲプレイヤーも金と人間に頭を悩ませることになる。

 そもそもエロゲというのはとても高いのだ。一本のソフトに一万円近く払うことはざらで、普通のリーマンの小遣いならば、あまり多く買うことが出来ない。断腸の思いでしゆしやせんたくしなければならない。

 買う商品を決めたら今度は人の悩みだ。エロゲの初回盤を買うときは、タペストリーやら、クリアファイルセットやらの店舗特典がついてくることがある。しかしその店舗特典はヒロインせいぞろいではなく、ただ一人のヒロインがピックアップされたグッズがついてくることが多い。

 つまりゲーム未プレイ状態で、一人のヒロインがピックアップされたグッズを選ばなければならない。無論全部買うことは出来るが、しがないサラリーマンが一万円近いゲームを、ヒロイン分店舗特典分買うことは非常につらい。俺たち紳士はゲーム発売前から自分にとって一番になりそうなヒロインを選ばなければならない。

 またゲームを始めても人間関係に頭を悩ませる。そう、誰から攻略するかである。パッケージに並べられた様々な美少女を見比べ、攻略順を決める。なんてぜいたくな悩みだろうか。たまに超絶地雷があって、他のヒロインに行けなくなるほどのトラウマを植え付けることもあるが。まあそういうのは大体神ゲーなのだが。

 さて、ゲーム内で明かされることはなかったが、瀧音幸助は主人公以上に色々な悩みを抱えていただろう。その生い立ちもそうだし、特殊じみた能力だってそうだ。そして新たな家庭での人間関係でも大きな悩みを抱えていた事は間違いない。

「あの……」

「……」

 じっとこちらを見たまま微動だにしない彼女。毬乃さんの娘とあって髪や目の色は同じだ。しかし毬乃さんほど社交性はない。まあ無口で無表情キャラなのはゲームからだったのではあるが。てか毬乃さん。仕事なのは分かるが急に二人きりにしないでほしい。

 どうしようか悩んでいると、不意に花邑はつみは口を開く。

「……あなたの境遇は聞き及んでいるわ」

「は、はい」

「…………」

「え、えと……はつみさん?」

「…………」

 彼女は何も言わず、ただただ不機嫌? そうな顔で俺をじっと見つめる。

 多分だが、これが瀧音幸助がゲームで花邑家に居候しなかった理由の一因であろう。

 彼は花邑はつみに耐えられなかったのだ。もちろん美魔女毬乃さんの娘であることもあり、彼女は非常に美人ではあるが、何を考えているかさっぱり分からないし、根暗だし、どう話しかけて良いかも分からない。対して瀧音幸助ははたから見れば『うぇーい』キャラだ。内心は多分相当病んでいたんだろうが。

 結論は瀧音幸助と花邑はつみは水と油である。そりゃあ彼が寮生活を選択するのも仕方が無いか。

 もし俺がここがマジエクの世界であることを知らなければ、ゲームの瀧音と同じく寮生活を選んだかもしれない。もちろん美人親子につられて、一緒に生活する可能性も否定は出来ない。だが、俺はマジエク自体を知っている変態紳士だ。

「はつみさん、これからよろしくお願いします。いきなりぶしつけで申し訳ないのですが、魔法書、強いて言えば空間魔法に関する本を出来れば貸していただきたいのですが」

 この家は花邑毬乃というツクヨミの魔女と、花邑はつみという教授がいるのだ。魔法書があるのは当たり前で、二人の研究施設もある。そしてエンチャントの施設もあることは確認済みだ。無論学園にもエンチャント施設はある。だけど学園は利用時間があるし、寮には門限もある。

 確かに居心地は悪いかもしれない。けれどここには魔法使いにとって最高の環境がある。それなのになぜわざわざ出る必要があるのか。利用できる物は利用すべきだ。とはいえあまり迷惑にならないようにだが。

「……こっち」

 はつみさんはそう言ってくるりと身を翻すと廊下を歩きだす。

 彼女に連れてこられたのは、一般家庭にはないだろう大きな書庫だった。

「この辺り」

 案内されたのは書庫の一角だった。数多あまたの魔法書が並ぶ中、よく分からない魔法具のような物が間に置かれていたり、装丁されていない紙束としか言えないような物もあった。

「勝手に見ていいんですか? 研究データとかあるんじゃ?」

 俺は知っている。彼女の研究対象が少々特殊な魔法であり、いずれゲーム主人公に伝授されることを。

 ここには研究において重要な書物が交じっている可能性がある。もしそのあたりにおいてある紙束なんかが重要な統計データだったり、研究内容であったら……それを簡単に他者に見せて良いのだろうか。

「……あなたは私の研究を知っているの?」

「お亡くなりになった父親の研究を引き継いでいる、ですよね?」

 そういうと、はつみは頷いた。

 ゲーム内では詳しく語られなかったが、彼女の父は殺されているらしい。公式サイトの開発者ブログで、『設定とかすごく考えてたんですけど、大人の都合で全カットされましたw』となっていたため、俺も詳しいことは分からないが。

「本当に重要な物はここにはないわ」

 と言われて俺は頷いた。

「ありがとうございます、では俺は少しここで読書させて貰います」

 と彼女に背を向け歩き出す。

 本来ならばより親密になるためにも彼女と会話すべきなのかもしれない。でも彼女と話しても盛り上がる未来は見えないし、彼女も俺と話していることはつらいだろう。相性悪そうだし。

 俺は棚からいくつか本を取り出し、テーブルの上に置く。そして、読書しながら魔力操作の練習をするため、第三の手と第四の手を使い、苦労しながらも表紙をめくる。数日の実験で確定した事実ではあるが、面積が大きければ大きい程必要な魔力も増大し、長さが伸びれば伸びる程、繊細な動きが難しい。ただ毎日練習しているうちに、少しずつではあるがだんだんと器用に動かせるようになっている。

 数ページ読んだころだろうか。ドサドサと多くの荷物が置かれる音がしたのは。振り向くとはつみさんが大きな荷物をいくつか置いていた。

「……気にしなくて良い」

 何をしに来たのだろうか。はつみさんが気になりながらも読書を続ける。しかし、一向に、はつみさんが出て行く気配がない。

 俺は本から視線を外しはつみさんを見ると、なぜか彼女はコーヒーをれていた。彼女と目が合うと、スッと立ち上がりこちらに近づいてくる。

「ん」

「あ、ありがとうございます」

 俺が受け取ると、彼女は小さく頷いて荷物を置いたところに戻る。そしてあろう事かそこで仕事らしき事を始めてしまった。

 ……なぜ彼女はここで仕事を始めたのだろうか。

「あ、美味おいしい」

 普通のコーヒーとは少し違った独特の香りがするそれは、酸味が少なめで苦みが強く濃厚で後味がくっきり残る。そんな癖の強さがあるため、コーヒーの苦みが苦手な人は間違いなく大嫌いになるであろう。しかしコーヒー好きで酸味が少ない方が良いと言う人なら、間違いなく絶品と手放しで喜んでくれるはずだ。

 ちらりとはつみさんを見つめる。彼女は紙に向かって、黙々と何かを書いているようだった。コーヒーの話はまた後にしておこう。

 俺は第三の手で持っていた本をめくった。


 それから何時間経過したころだろうか、はつみさんが立ち上がってこちらに近づいてきたのは。

「ご飯を食べに行きましょう」

 スマホを見てみればもうとっくに昼を過ぎており、会社や学校ならば昼休みが終わりそうな時間だった。

「もしかして待たせてました?」

「いえ。この時間帯に行くと、混んでないことが多いから」

 どうやら外食予定らしい。そういえば花邑家では家政婦を雇っていないのだろうか。想像よりも小さい家だったが、それでも三人で住むにはとてもとても広い。多忙そうな毬乃さんのこともあるし、片付けとか料理をしてくれる人が居てもおかしくないと思うのだが。

「良ければ帰りにこの辺りを案内しようと思うのだけれど」

 と言われ、俺は何も考えずに首を振る。

「ああ、それは毬乃さんに……教えて貰ったので大丈夫です」

 と口にした瞬間、僅かではあるが、彼女の表情が変化した。それは本当に小さくて、もしかしたら見間違いだったかもしれない。

「そう、なら行きましょう」

 彼女に連れてきて貰った店は、徒歩五分くらいの所にある小さなカフェだった。そこはさほど広くなく、数席のテーブルと数人が座れるカウンター席しかなかった。

 俺とはつみさんは空いているテーブル席に着席すると、メニューを見つめる。

「はつみさんのオススメはありますか?」

「……全部美味しい。強いて言うなら、ブラッドホーンラビットのからあげ」

 もしかしたら引きつった笑いをしているかもしれない。

 記憶が正しければブラッドホーンラビットはモンスターである。でもオススメされたし、興味がないわけではない。

「じゃあそれにしてみます」

 と二人同じ商品を注文し料理が来るのを待つ。そしてすぐさま沈黙が訪れた。

 何を話せば良いのだろうか。書庫だったら本を読むことでお茶を濁す事が出来るが、今は対面に座っているし、本を読むなんて失礼なことはしたくない。なにか共通の話題になりそうなことでも振ってみようか。

「ええっと、はつみさんはツクヨミ魔法学園を卒業したんですよね。学園ってどうでしたか? 周りの人たちの雰囲気とか、やっぱりエリートぞろいなんですか?」

 そういうと彼女は俺から目をそらす。

「……すごい人はいっぱい居た……でも私は学園に友達がほとんど居なかった」

「は、ははは」

 空気がさらに重くなった気がする。確かに彼女ならありそうだと、言われてから思った。

「ただ、学力と強さを求めているなら、最高の環境。それだけは確信を持って言える」

「勉強、頑張ります」

 と適当に話を振っていると料理が運ばれてきた。空気は冷めていたが料理は温かかった。

 食事をしながら話を続け、今度は授業形態についての話に移り変わる。

「え、それじゃあ順位を上げれば上げる程、色々な授業が受けられるって事なんですね?」

「うん。まずは基本科目と魔法基礎科目を午前中に。また習得度が十分に達した人から、追加で授業を午後に受けることもできる」

 なるほど、とうなずく。そこはゲームとほとんど同じだ。ゲームではステータスをあげていれば受けられる授業が増えていった。こちらでも自分の能力を上げれば受けられる授業が増える。受ける授業が増えれば増える程、魔法について詳しくなっていけるだろう。

 しかし授業によって得られるものが、ゲーム内の授業コマンドで得られるものと同等ならば、授業を受ける価値はあまりないかもしれない。特に瀧音幸助に関しては。

「そうなんですね……ちなみに追加の授業って攻撃魔法のことが多めだったりしませんか?」

「……そうね。高ランクの攻撃魔法を教えてもらえたりした」

 うん。やはりだ。それらは多分使いこなせない。詳しく言えば使えるんだろうけど、威力がかんばしくないだろうから無駄だ。まあ成績なんて気にしなくていい、卒業できれば良いか。その時間を別の鍛練やダンジョン攻略に当てようではないか。

 と、頭の中でしばらくのスケジュールを簡単に作成する。入学後しばらくは基礎体力と魔力強化、そして遠距離の対策が主な行動になるだろう。あれ、今と変わらない?

「……私が教えてもいいわ」

 と、はつみさんに言われる。一体何のことだと頭をひねったが、魔法の追加授業の事であるとすぐに察した。

「はつみさんには話しておきます。実は俺、体質で大抵の魔法をうまく使えないんです。だから応用の魔法を教えていただいても、使いこなせるかは分かりません」

 と言うと「そっか」と悲しそうに呟く。あれだけ進んでいた食事の手も止まり、ぼうっと目の前の料理を見つめていた。

「それより、はつみさんにはこの体質のことで相談したいことがあって……良ければそちらで付き合ってくれないかな、と思ってるんですけど」

 そういうとはつみさんはがばっと顔を上げる。そしてしゅびっと親指を立てた。

「任せて」

 無口で何考えているかは分からないけれど、悪い人ではないんだろう。なんて、漠然とそう思った。

 モンスターの肉は筆舌に尽くしがたいほどうまかった。

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