第二章 『港町の事件』2

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 ──神聖ユーティリア王国。

 この西大陸の全土に覇を唱える、世界で最も栄えた国であり、全天教の総本山だ。

 ふたりが訪れたこのティルア市は、ユーティリア大陸東の海に面した港町だ。王国内においては海洋貿易の中心を担っており、数少ない国外への窓口のひとつでもある。

 ここより南に位置する商都と並び称される商業の町。面積そのものはそこまで広くないが、忙しく行き交う人々の活気は、王都や聖都にも引けを取らなかった。

 出立から八日目の朝。

 大陸の中心部から始まり、ほぼ真東へ針路を取っていたふたりにとって、ティルア市が最初の大きな目的地であった。──海を見たかった、という理由で。

 ワーツとは到着したところで別れている。

 彼はここから、船に乗って王国最北の地まで向かうという。

「──もし立ち寄ることがおありでしたら、ぜひご歓待させてください」

 そんな風に彼は言った。

 旅の方針の決定権を持つエイネが、「ワーツさんの研究、ちょっと興味あるな」と言っていたから、いずれ訪ねることもあるだろう。ラミ自身、興味をかれないと言えばうそだ。

 ──片獣フリツカー

 あらゆる生命が命数を持つのと同じく、惑星ほしそのものにも命数が存在する。

 惑星命数は、この巨大な星を運営するめいの流れ──つまり星命流という目に見えない無色のエネルギーとして星の内部を通っており、そのちらつきが獣の形を取って出現したものを片獣と呼んでいるのだ。

 一説には、死にひんした星そのものが、なんとしても生き永らえようとするための抵抗、地上の環境を原始状態にまで回帰させようとする防衛機構の暴走と言われている。

 いわば星による命数術の発現形態の一種、というのが主流の見方だった。

「多いもんな最近。どんどん増えてく一方っていうか」

「それは今、ここでしなきゃダメな話?」

 ぼやくようにこぼしたラミを、不機嫌を隠さずに振り向いたエイネがにらみつける。

 現在、ふたりは港まで出てきていた。

 気の済むまで海を眺めよう、というラミの発案に、エイネが乗った形である。

 きらきらと光を反射して輝く水平線、ときおり通りかかる蒸気船──全てが新鮮な光景だ。潮の香りも、波を運んでくる風の爽やかさも、初めて体験する星の恵みだった。

「誘ってくれたと思ったら、これだもん。もっとちゃんと楽しもうよ、ラミ」

「……お前のほうが気を抜きすぎなんだと思うけど。いや、オレの気合いが入りすぎなのかなあ……? ていうか別に、楽しんでないわけでもないんだけど……」

 首をかしげるラミ。

 旅に出て、戦いになったのは昨日が初めてだ。いくら報告が増えたからと言って、そう頻繁に片獣と巡り合うわけもない。

 やはりの旅、そういう命数に導かれているんだ、と決意を新たにしたものだが──当のエイネ聖下がこの様子では、なんとも。

「これじゃ、それこそ旅行してるのと変わんないじゃん?」

 少女の乙女心を一向に解さない青年の言葉に、エイネはむくれる一方だ。

「その何が悪いのさー!」

「いまいち、こう、世界を救う旅って感じ? に欠けるというか」

「何、それ?」

「何とかれると、……困るけど」

 答えながら、ラミは遠く、水平線の向こうに目を向ける。

 もちろんはる彼方かなたにある東の大陸が、それで見えるわけでもないけれど。大海の広さに触れたからだろうか、自分はまったく世界を知らないのだと突きつけられた気分になる。

 それは、けれど悪い気持ちではなかった。

 むしろ心地いい。当然のことが、当然なのだと自覚を与えてもらったような。

「……広いな、本当に。それにれいだ」

「そうだね。うん、見られてよかったよ。連れてきてくれてありがと、ラミ」

 思わず語彙が貧困になってしまうが、エイネはちやすことなくうなずいて微笑ほほえんだ。

 まだまだ世界には、自分たちの知らないもの、届かないものがたくさんあふれている。

 ふたりにはそれがうれしかった。

 守護十三騎ラウンドキヤンドルになったから、それでなんだということだろう。神子になったエイネですらそれは変わらない。その程度で、世界の広さを知ることなんてできないのだ。

 第一、ラミはその地位に辿たどくために、青春の長い時間を訓練に明け暮れて過ごしてきた。その意味では、むしろ普通より知識と経験に欠けていると言ってもいい。

 であるなら、なるほどこの旅は、神子と騎士が守るべき世界を見るための過程なのか。

「あんまり青くないんだな、海って。アウリの命火のほうがよっぽどあおい」

「綺麗な色をしていたからね、あの子の命火は。色だけなら海より鮮やかだった」

 エイネにとっては実の妹であり、ラミにとってはもうひとりの幼馴染みである少女。

 彼女もまた、ふたりに倣う形で命数術の訓練をしていた。姉と並んで才能豊かな彼女の命火は、目をみはるほど美しい群青色だ。それを、なんとなく思い浮かべる。

 故郷で待つ彼女のためにも、この旅を成功させなければならない。

 ──だからといって、変に気を張っていても意味がない。むしろ逆効果だ。

 エイネはきっと、そう言いたかったのだろう。

「よし、それなら今日は思いっきり観光を楽しむとするか! さっき宿で聞いたんだけどさ、この街の教会は海が見える場所に建ってるらしいぜ。上の階を借りれば海も街も一望できそうだ」

 人の多い街なら当然、そこにある全天教の教会も大きい。

 それを知っているラミは、気を取り直すようにしてエイネに提案する。

「あはは、調子が出てきたね。ていうか、なんだかんだ言って調べてるじゃない」

「そりゃ一応はな。だけどこの旅の行き先は、あくまでエイネが決めるんだぜ? オレが行きたいところに行くわけじゃない」

「だけどラミ。そこへ私を連れて行くのは君の仕事だよ。案内、お願いね?」

「もちろん。──聖下のおぼすままに」

 まあ、教会に顔を出しては、ちょっとした騒ぎになってしまいかねないが。

 ふたりとも名前が通っているし、エイネに至っては顔も通っている。あまり大ごとにはしたくないのだが、果たして気を遣ってもらえるものだろうか。

 街を歩く程度ならともかく、教会の関係者には驚かれてしまうかもしれない。

「……ちょっと早いけど昼にするか。通りを観光がてら、なんか美味おいしそうなお店も捜し歩いてみよう」

「だね。この街の人たちが、どんな暮らしをしてるのかは見ときたいところだし」

 少し考えてから言ったラミに、エイネが頷きを返す。

 ティルア市は通商の要点ではあるものの、別に観光地というわけではない。それくらいならいっそ、普段通りの住人たちの生活を覗き見るほうが、エイネの好みには合う。

 では、と港から離れようとしたところだった。

 エイネの目の前で、急にラミが立ち止まったのだ。

「どうしたの?」

「──見られてる気配がした」ラミは鋭く言う。「隠れてるみたいだけど、かなりさんだ。たぶん……子ども。外の人間が油断してるところをスリの狙いにしたってとこかな」

「……なんでわかるのさ」

 命数術を使えばエイネにもわかる。

 だがラミは術を使っていない。それに答えていわく、

「いや、驚いてもらったとこ申し訳ないけどさ。……隠れてるとこ見えただけ」

「だけど視線には気づいたんでしょ。充分すごいと思うけど」

「野生の獣よりずっとわかりやすいしね」

 なんでもないことのように、結構なことを言いながら。

 ラミはエイネに訊ねた。

「どうする? 通りの向こうの右手側に見える、建物の間の路地のほうなんだけど」

「それはもちろん」エイネは笑った。「──挨拶しようかな」

「ああ、エイネならそう言うと、オレは思ってたよ。……結構タチ悪いよな」

「どういう意味かなー?」

 背後に発生した強力なプレッシャーを意図的に無視しつつ。

 ラミは、なんにも気づいていない振りをしながら通りを渡っていった。

 その後ろを、苦笑するエイネがついて行く。

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