第一章 第三話

 さけくさい着物をえた緋蝶は、ちゆうぼうで料理の手伝いをしていた。

 客をもてなすための着物を汚してしまったので、裏方の仕事をあてがわれたのだ。

(それにしても、さっきは助かったわ。あのままだったら一年はただ働きだった。そんな事になったら、兄さんを見付けるひまもお金も用意できなかったわ。……さっきの人はいったいだれだろう。助けてもらったのに、お礼を言いそびれちゃったな)

「緋蝶。いますか?」

 考えていると、東雲が足早に厨房に入ってきた。

「何か足りないものでもございましたか? わざわざ来られなくても言って頂ければ……」

 頭を下げると、近づいてきた東雲にみぎうでつかまれた。

「急いで来てください」

 東雲の顔付きが深刻だった。まさか……とさあっと青ざめる。

(やっぱりお酒をこぼしたのがばれたのかな? どうしよう、弁償なんてできないのに)

「あの、さっきのお酒は……」

 あたふたとしながら話しかけると、東雲はさっとこちらに顔を向けた。

「そうじゃありません。あなたにお客様です」

「わたしにですか? いったい誰が……?」

「私にもよくわからないんです。ただ、とても重要な用件らしくて。とにかく急いで」

 お酒の事以外で何かしでかした覚えはない。わけがわからなかったが、東雲に手を引かれて、厨房を出た。連れて行かれたのは、客をもてなす特別な部屋だ。そうの時以外は絶対に入ってはならないと言われている。驚いていると、東雲が戸を開けた。

 中にいたのは、燃えるような赤い髪とげ茶の瞳を持つ男だ。見慣れない風体に驚いたものの、彼も東雲と同じだろうと気づく。年のころは二十代後半で、がっしりとしたたいに男らしい顔立ち。たんぱつでよく日に焼けている。どうやら武官のようで、黒い直垂をまとって大きな刀を持っていた。迫力があるするどい目で見つめられて、どきっとする。

「彼女がそうか?」

 東雲がうなずいた。うながされておずおず部屋に入ると、東雲が戸を閉める。

「うちで働く緋蝶とは彼女の事ですが、いったい何事ですか。だいだいの護衛隊長が緋蝶を訪ねてくるなんて。あなたの仕事は大内裏の警護のはず。彼女が何かしたのですか?」

 東雲が背中でかばってくれているのがわかった。

(大内裏の護衛隊長? そんな方がいったいわたしに何の用なの?)

 聞きたかったが、相手はちがいなく貴族で、無礼な真似まねでもしようものなら、おちになりかねない。だからじっと様子を見守った。男が一度息を整えて、手で座るよう促す。

「身構えないで。悪い話ではないので。……いや、見方によっては悪い話かもしれませんが」

 どういう意味なのかわからなかった。東雲にも促されたので、男の正面に座る。

「改めてごあいさつ申し上げます。私はえんと申します。大内裏からしずていの命令で参りました」

 苑紫は目上を相手にしているように、手をついてこうべを垂れた。その様子に思わず目を白黒させる。どうして貴族である彼が、平民の自分に敬意をはらうのかまったくわからない。

「雫花帝って、主上のお名前ですよね……?」

 思いもよらない名が出てきて、混乱していた。東雲が小さく頷く。

「正確には、雫花帝とは代々のじよていが受けぐ位の名です。竜神様が初代の女帝にその名をさずけたとか。国と女帝を花に見立てて、竜神様が降らせるめぐみの雨のしずくでどちらも美しくかせようという意味が込められているそうです。現在の雫花帝は三代目でやまぶき様とおつしやいます」

 小声で教えてくれた東雲と一度目を見合わせて、苑紫に顔を向けた。

「そんなお方が、いったいわたしに何のご用が……」

 言葉を選びながら話していると、がらっと戸が開いた。入ってきた人を見て、目を見開く。

「あ、さっきの……」

 酒をこぼしたのを、自分が飲んだと言って庇ってくれた暁だった。

 暁はまゆを寄せ、苑紫に目をやる。

「こいつなのか?」

「暁、ことづかいに気をつけろ。〝女帝候補〟なんだ。敬意を払うように」

 苑紫にぴしゃりと言われても、暁はむっとした顔のままだ。東雲が目を見開いた。

「女帝候補とはどういう事ですか?」

 苑紫がこちらに向き直る。

「東雲、いまから説明するから、一緒に聞いてくれ。……緋蝶様、失礼しました。実は雫花帝のご命令で、あなたをむかえに来たのです。とつぜんおどろかれるでしょうが、あなたにはらいとうぐうとして大内裏に上がって頂く事になりました」

 苑紫が何を言っているのか、さっぱりわからなかった。

「……花蕾東宮って、いったい……?」

 苑紫が男らしい顔で、ゆっくりと頷いた。

「花蕾東宮とは次期女帝となる方の位です。これも竜神様が名付けられたそうで、まだ女帝になる為の成長をげているちゆう、つまり花でいうならつぼみだからという意味だとうかがっています」

 聞き慣れない言葉ばかりだ。きんちようしているせいもあってか、自分の中で消化するのにいつぱいだった。苑紫がじっとこちらを見つめた。

「つまり、あなたはおぎの皇女です。これからは大内裏で暮らして頂く事になります」

 苑紫が話しているのは、よその国の言葉ではないかと疑うほど、まったく理解ができなかった。苑紫の言葉を一つ一つぎんして、どうにか飲み込んだ。

(わたしがお世継ぎの皇女!? いやいや、そんなはずないわ。いったいどういう事なの……!?)

 あまりの事に驚きすぎて、息まで止まりそうになった。



 緋蝶は何度も深呼吸して、気持ちを落ちつかせようとした。きっと何かの間違いかじようだんだと思っていたが、ぎようぎようしく頭を下げた苑紫や、何か考え込んでいる東雲、そして戸の近くで腕組みして立っている暁は、とても自分をからかっているようには見えない。

(わたしが花蕾東宮ってどういう事? みんな本気っぽいんだけど……。いやいや、だいじよう、きっと話せば間違いだってわかってもらえるはず)

 混乱しながら考えていると、最初にちんもくを破ったのは東雲だった。

「緋蝶が花蕾東宮とはどういう事ですか」

「言葉の通りだ。緋蝶様は皇族の一員で、花蕾東宮になる資格をお持ちだ。そして私もお前も、そちらにいる暁も、緋蝶様の為に竜神様から選ばれたのだ」

 苑紫の言葉を聞いて、東雲が眉根を寄せる。

「待ってください。私は雫花帝の後宮に入るのではないのですか?」

 苑紫が東雲にひざを向けた。

「こたび竜神様に選ばれた私達が仕えるのは、次期女帝となる花蕾東宮だ。現在の雫花帝である主上は、二十二年前に選ばれた夫君を数年前にくし……」

 苑紫がちらりと暁に目を向けた。

「続けろ。俺にかまうな」

 暁のひと言で、苑紫はこちらを向いた。

「……数年前に夫君を亡くし、お子様は男の子のみ。女のお子様はいらっしゃらない。この国に女帝が必要なのは、たみなら誰でも知っているはずだ」

 質問していいのか迷ったが、自分にいま何が起きているのかあくする為にも、勇気を出した。

「お話し中、申し訳ありません。あとぎがいないから、主上はまた新たな夫君を選ばれるのではないのですか?」

「いいえ、緋蝶様。主上はもう夫君選びはなされません。新たな女帝候補を教育し、雫花帝としてようりつする為にわれわれは集められたのです」

 驚いたのは自分だけではなかったようで、東雲も息をんでいる。苑紫が話を続けた。

「ですが現在皇族にひめはいらっしゃらず、跡継ぎをどうするかが最大の問題でした。しかしりゆうじん様のごせんたくにより一人だけ皇族の姫がいらっしゃる事がわかったのです。主上には妹君がおられました。二十年前に大内裏に勤めていた武官とこいに落ち、け落ちされたのです」

 大内裏の事はほとんど知らないので、そんな事があったのかと思わず目を見開いた。

「竜神様は、もうその妹君は亡くなったと仰ったそうです。ですが、このしきで働く緋蝶という少女が妹君のむすめだと告げられたそうなのです。……緋蝶様、母上のお名前は撫子なでしこ様ですね」

 苑紫に見つめられて、首をった。

「いいえ。母の名はもえです。母は確かに亡くなっていますが、お話を伺う限りでは人違いだと思います。母はい物が上手で着物の仕立てをしていました。気さくで元気がよくて、とても皇族だなんて思えません。父はくつの職人で、気弱で武官なんか務まる人ではなかったです」

 どう考えても自分が知っている母は、苑紫が話しているような人物ではない。

 何とか誤解を解かないとと、必死にうつたえた。苑紫がやや困ったような表情になる。

「ですが、竜神様のご宣託に間違いがあるはずがありません」

 東雲が片手を挙げて、苑紫の言葉を止めた。

「ではもし竜神様の宣託が正しければ、緋蝶は本当に将来、雫花帝になるのですか?」

「それはまだわからない。雫花帝になるためには、竜神様が出される試練を乗りえて、女帝としてふさわしいと認めて頂かねばならないのだ。その為にも、まずは緋蝶様に大内裏においで頂き、主上と直接お話をして頂かねば」

 話を聞きながら、頭の中を必死で整理する。

「……大内裏に行くなんてとんでもありません、まるで雲の上に行けと言われているような気がします。主上にお目にかかるなんて、おそれ多くてとても……」

「ですが主上のご命令ですのでいつしよに来て頂かなければ。……暁からもお願いして」

 戸にもたれてうでを組んでいた暁が、あからさまにめいわくそうな顔をした。

いやがっているんだから、無理に連れて行かなくてもいいんじゃないか」

「何を言っているんだ。新たな雫花帝を擁立できなければ竜神様のおいかりを買う。そうなればこの国がどうなるか……」

 暁は苑紫ににらまれても、堂々としていた。

「日照りが起こって、民が死ぬっていうのか。……竜神は民の命をひとじちにとって、好き放題にしているだけだ。みんなが恐れて言う事を聞くから、余計に調子に乗るんだ」

 暁の目つきが恐ろしいほどするどくなった。とんでもなく不敬な言葉だが、苑紫はもう何も言わなかった。息をついてこちらに向き直る。

だいだいにおいでください。これは主上の命令です。断る事は許されません」

 厳しい声だった。どうすればいいのかと目を泳がせていると、東雲がこちらに顔を向けた。

「緋蝶。主上と直接話をしてはどうですか?」

「そんな……だって、ひとちがいですよ。それに恐れ多いです」

「人違いだと言うなら、直接そう訴えた方がいいでしょう。ここで断ったら、雫花帝の命令にそむいたとして緋蝶の命が危ないです。私も一緒に行きますから」

 東雲が手をにぎってくれた。大きな温かい手に勇気をもらえた気がした。

(東雲様が一緒ならきっと大丈夫だわ。ここでいくら違うと言っても信じてくれなそうだし)

「……わかりました」

 うなずくと、東雲が勇気づけるようにかたたたいてくれた。

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