第一章 第三話
客をもてなす
(それにしても、さっきは助かったわ。あのままだったら一年はただ働きだった。そんな事になったら、兄さんを見付ける
「緋蝶。いますか?」
考えていると、東雲が足早に厨房に入ってきた。
「何か足りないものでもございましたか? わざわざ来られなくても言って頂ければ……」
頭を下げると、近づいてきた東雲に
「急いで来てください」
東雲の顔付きが深刻だった。まさか……とさあっと青ざめる。
(やっぱりお酒をこぼしたのがばれたのかな? どうしよう、弁償なんてできないのに)
「あの、さっきのお酒は……」
あたふたとしながら話しかけると、東雲はさっとこちらに顔を向けた。
「そうじゃありません。あなたにお客様です」
「わたしにですか? いったい誰が……?」
「私にもよくわからないんです。ただ、とても重要な用件らしくて。とにかく急いで」
お酒の事以外で何かしでかした覚えはない。わけがわからなかったが、東雲に手を引かれて、厨房を出た。連れて行かれたのは、客をもてなす特別な部屋だ。
中にいたのは、燃えるような赤い髪と
「彼女がそうか?」
東雲が
「うちで働く緋蝶とは彼女の事ですが、いったい何事ですか。
東雲が背中で
(大内裏の護衛隊長? そんな方がいったいわたしに何の用なの?)
聞きたかったが、相手は
「身構えないで。悪い話ではないので。……いや、見方によっては悪い話かもしれませんが」
どういう意味なのかわからなかった。東雲にも促されたので、男の正面に座る。
「改めてご
苑紫は目上を相手にしているように、手をついて
「雫花帝って、主上のお名前ですよね……?」
思いもよらない名が出てきて、混乱していた。東雲が小さく頷く。
「正確には、雫花帝とは代々の
小声で教えてくれた東雲と一度目を見合わせて、苑紫に顔を向けた。
「そんなお方が、いったいわたしに何のご用が……」
言葉を選びながら話していると、がらっと戸が開いた。入ってきた人を見て、目を見開く。
「あ、さっきの……」
酒をこぼしたのを、自分が飲んだと言って庇ってくれた暁だった。
暁は
「こいつなのか?」
「暁、
苑紫にぴしゃりと言われても、暁はむっとした顔のままだ。東雲が目を見開いた。
「女帝候補とはどういう事ですか?」
苑紫がこちらに向き直る。
「東雲、いまから説明するから、一緒に聞いてくれ。……緋蝶様、失礼しました。実は雫花帝のご命令で、あなたを
苑紫が何を言っているのか、さっぱりわからなかった。
「……花蕾東宮って、いったい……?」
苑紫が男らしい顔で、ゆっくりと頷いた。
「花蕾東宮とは次期女帝となる方の位です。これも竜神様が名付けられたそうで、まだ女帝になる為の成長を
聞き慣れない言葉ばかりだ。
「つまり、あなたはお
苑紫が話しているのは、よその国の言葉ではないかと疑うほど、まったく理解ができなかった。苑紫の言葉を一つ一つ
(わたしがお世継ぎの皇女!? いやいや、そんなはずないわ。いったいどういう事なの……!?)
あまりの事に驚きすぎて、息まで止まりそうになった。
緋蝶は何度も深呼吸して、気持ちを落ちつかせようとした。きっと何かの間違いか
(わたしが花蕾東宮ってどういう事? みんな本気っぽいんだけど……。いやいや、
混乱しながら考えていると、最初に
「緋蝶が花蕾東宮とはどういう事ですか」
「言葉の通りだ。緋蝶様は皇族の一員で、花蕾東宮になる資格をお持ちだ。そして私もお前も、そちらにいる暁も、緋蝶様の為に竜神様から選ばれたのだ」
苑紫の言葉を聞いて、東雲が眉根を寄せる。
「待ってください。私は雫花帝の後宮に入るのではないのですか?」
苑紫が東雲に
「こたび竜神様に選ばれた私達が仕えるのは、次期女帝となる花蕾東宮だ。現在の雫花帝である主上は、二十二年前に選ばれた夫君を数年前に
苑紫がちらりと暁に目を向けた。
「続けろ。俺にかまうな」
暁のひと言で、苑紫はこちらを向いた。
「……数年前に夫君を亡くし、お子様は男の子のみ。女のお子様はいらっしゃらない。この国に女帝が必要なのは、
質問していいのか迷ったが、自分にいま何が起きているのか
「お話し中、申し訳ありません。
「いいえ、緋蝶様。主上はもう夫君選びはなされません。新たな女帝候補を教育し、雫花帝として
驚いたのは自分だけではなかったようで、東雲も息を
「ですが現在皇族に
大内裏の事はほとんど知らないので、そんな事があったのかと思わず目を見開いた。
「竜神様は、もうその妹君は亡くなったと仰ったそうです。ですが、この
苑紫に見つめられて、首を
「いいえ。母の名は
どう考えても自分が知っている母は、苑紫が話しているような人物ではない。
何とか誤解を解かないとと、必死に
「ですが、竜神様のご宣託に間違いがあるはずがありません」
東雲が片手を挙げて、苑紫の言葉を止めた。
「ではもし竜神様の宣託が正しければ、緋蝶は本当に将来、雫花帝になるのですか?」
「それはまだわからない。雫花帝になる
話を聞きながら、頭の中を必死で整理する。
「……大内裏に行くなんてとんでもありません、まるで雲の上に行けと言われているような気がします。主上にお目にかかるなんて、
「ですが主上のご命令ですので
戸にもたれて
「
「何を言っているんだ。新たな雫花帝を擁立できなければ竜神様のお
暁は苑紫に
「日照りが起こって、民が死ぬっていうのか。……竜神は民の命を
暁の目つきが恐ろしい
「
厳しい声だった。どうすればいいのかと目を泳がせていると、東雲がこちらに顔を向けた。
「緋蝶。主上と直接話をしてはどうですか?」
「そんな……だって、
「人違いだと言うなら、直接そう訴えた方がいいでしょう。ここで断ったら、雫花帝の命令に
東雲が手を
(東雲様が一緒ならきっと大丈夫だわ。ここでいくら違うと言っても信じてくれなそうだし)
「……わかりました」