第一幕 悪役令嬢は好かれなくても気にしない その2



 主君に剣を向けられているのに、ベルゼビュートもキースもすずしい顔だ。それはそうだ、アイリーンなど、クロードが本気になればいつしゆんで消し炭にできるに違いない。

 それでもアイリーンのきようにかけてこれだけは言わなければならない。

「確かにわたくしにも至らない点はあったでしょう。それは認めます。でもだからってあんな仕打ちを受けて、一生めそめそ泣いていろとでも? じようだんではありませんわ。あんなゴミくずおとこのためにわたくしは人生を一秒たりとも無駄にする気はありません」

「……ゴミ屑。ずいぶん手厳しくなるんだな」

「ええ。女はこいを積み上げるものです。わたくしは、あなたを愛すると決めました。さあ、愛をはぐくみましょう」

けんきつけてか?」

 冷めた目のクロードに、アイリーンはできる限り美しく微笑ほほえんだ。

「愛していると言い続ければ、その内本当になるらしいですわ。ためしてみません?」

「なるほど」

 少しもよくようのない声で応じたあと、クロードが手をばしてきた。思わず剣を胸に抱いたアイリーンのかたから落ちたかみを、そっと長い指がすくい、赤いひとみあやしくすがめられる。

「つまり君は、魔王を口説きにきたと?」

「くどっ……」

 かあっとほおが赤らんだ。男性に対するめんえきのなさのせいだ。前世は乙女おとめゲームがお友達で、今世は婚約者こそいたが箱入りのおじようさまとして育ち、セドリックとは悲しいほど何もなかった。

 しかしうろたえるなんて弱みをさらすことはできない。およごしのまま、れいな無表情に向けて不敵に笑う。

「え、ええ。そ、そういうことになりますわね」

「……。声がふるえてるような気がするのは気のせいか」

「き、気のせいです」

「口説けるほど男慣れしてるように見えな」

「わたくしをだれだと思っていらっしゃるの、殿方を口説くなんて朝飯前のひやくせんれんです!!」

 力いっぱい言い切っても、クロードは無表情だった。ただ頭のてっぺんから足の先まで、しげしげとながめられる。

 いつも通りしようもドレスもかんぺきなはずだ。魔王の城にいどみにきたので軽装ではあるが、こうしやくれいじようとしてずかしくないと自負できる。でもどうしてだかとつぜんに恥ずかしくなって、アイリーンは身じろぎした。

(や、やたらと美形な人が目の前にいるときんちようが……あ、髪! ぼさぼさじゃ──)

 いまごろ気づいた。くつどろよごれているし、どこかにひっかけたのかドレスのレースはほつれ、全体的によれよれだ。森の中を突っ切ってきたのだから仕方がない。とはいえこれはゆゆしき事態だ。

 この時代、完璧な装いこそが女性のいくさしようぞくであり、ぼうぎよ力なのだから。

「きゅ……求婚しにきたのに、お見苦しい格好で失礼しました。もう一度、出直しますわ」

「出直す必要はない」

 クロードがぱちんと指を鳴らした。魔物でもやってくるのかと身構えたが、ふわっと優しい風があしもとから吹き上がり、アイリーンの周囲を光をまき散らしながらう。靴の泥が取れ、ほつれたレースが編みこまれたように戻り、木の枝にひっかけたが修復され、綺麗になっていく。ぼさぼさの髪の毛もていねいにとかしなおされたように風といつしよにうしろに流れ、心なしかろうも軽くなった。

(……ほうだわ)

 ぱちりとまばたいたアイリーンにそっけなくクロードは告げる。

「これで二度とこなくていいだろう。帰れ」

「……。わたくし、この服、宝物にしますわ」

「は?」

「だって魔法がかかったドレスなんですもの! てき!」

 目をかがやかせてくるりと回ると、おしのび用のワンピースのすそが広がった。同時に、びんけてあった花のつぼみが開く。これも魔法だろうか。目を輝かせてたなの上の花瓶をぎようしたが、一輪つぼみが開いただけで、それ以上の変化はない。

 不思議で、アイリーンは無表情のクロードにたずねる。

「今、花がいたのも魔法ですか?」

 クロードは何も答えない。そのななめうしろから、キースが意味深に笑った。

「やはり女性がいらっしゃると部屋がはなやかでいいですねえ。魔物に囲まれてばっかりだとクロード様の美意識や常識がゆがむのではないかと心配してたんですよ」

「そう、思い出しましたわ! 道中のカラスのことです」

「……僕は帰れと言っているんだが、聞いていないのか」

「聞いていますがお断りしているだけです。それであのカラスなんですけれども、あれはクロード様の部下なんでしょう?」

 みような顔をしているクロードの目の前、アイリーンはおうちした。

「この森に入った者に対して警告するのはいいとは思いますが、あざけるのは下品です。部下の行動はクロード様の品位にかかわります。ていぞくしゆうぶんを元にしたぼう中傷はひかえるよう教育しておいてくださいませ」

「なぜ君にそんなことを言われなければいけない?」

こんやく者が品のない方ではわたくしが恥ずかしいからです」

「そもそも僕は君の婚約者になった覚えはないんだが」

「それと、ベルゼビュート様の格好が破廉恥です。品がありませんわ」

 ベルゼビュートが目を白黒させ、キースが腹をかかえてばくしようした。

 ベルゼビュートは上半身は長いベストを羽織っただけではだの露出が多い、いわゆる東国風の格好だ。ゲームで見ていた時は何とも思わなかったが、この国でわざわざ肌を見せるなんて常識外れだ。大体、今は真冬である。見ていて寒い。

「きちんとしたものを仕立てましょう。あとはれい作法も学んでいただかないと」

「おい、人間のむすめ。どうして俺がそんなことをせねばならない」

「クロード様のかたうでなのでしょう。魔物だろうがなんだろうがおおやけの場に出て行けるよう、きちんとしていただかないと困ります」

「……。片腕」

 ベルゼビュートが心なしかはずんだ声を出した。これは簡単にあやつれそうだ。

「キース様は……同じ服をずいぶん長く着回してらっしゃる感じですわね。物持ちのよさは好ましいですが、しようは困りますわ。きちんとした公の場に出られる衣装はおあり?」

「あー、数年前に仕立てたのがありますねえ。というのもですね、アイリーン様、聞いてくださいよ。私、高官のはずなんですが、クロード様の味方しすぎて給料ゼロなんですよ! はらい明細に額面あるのにおかしいと思いません?」

「まあ」

 横領だろうか。顔をしかめたあとで、アイリーンは考えこむ。

「……わかりました。となると、クロード様にもお金はないんですのね?」

 突然、花瓶に活けてある花がいつせいに散る。それを見た従者二人の反応は早かった。

「クロード様、傷つかなくていいですからね。私めは、十分人生楽しいですからね」

「王よ、そもそも金銭が必要ならば我々がうばってくる」

「二人ともだまれ。──わかっただろう、僕にとついでも君になんの利益もない」

「あら、そんな小さなこと気になさらないで。わたくし、クロード様を養うくらいのしようはありましてよ? なんなら、魔物として飼って差し上げてもいいくらいです」

 たん、窓の外でらくらいが発生した。もうおどろかず、あらあらとアイリーンは笑う。

 無表情のままクロードがうなるような声を上げた。

「……どうしてそうなる。口説きにきたんじゃないのか」

「口説くよりそちらの方がわたくしの性に合います」

 ラスボスを飼う。いい展開ではないかと、ほくほくアイリーンは微笑む。

 クロードが冷ややかにそれを見返した。

「口説く方がまだましだとわからない君の感性はおかしい」

め言葉として受け取っておきますわ。というわけでわたくしとけつこんという名前のけいやくいたしましょう。うんとうなずいてくださるだけで、みなさまに快適な生活と幸福がおとずれます」

「うわあ、新手の宗教かんゆうっぽいですねえ」

「クロード様。わたくしへの見返りは、あなたの愛だけで十分です。それがどんなに難しいことなのか、わたくしはどこかのゴミ屑男のおかげで思い知りました」

 クロードが顔を上げた。ほんの少しだが、感情が出ている気がする。

 頷かせてしまえばこっちのものだと、アイリーンはクロードにめ寄った。

「あなたはやさしい人です。自分が人間をにくみ切れないせいで魔物達がきゆうくつな思いをしていることにも、心を痛めてらっしゃったりしません?」

「……」

「わたくしはわたくしをじよくした連中なんて頭から魔物に食べられてしまえばいいと思いますけれど、あなたの場合はそう願えば現実になってしまう。それはどれだけの重責で、かつとうでしょう。──そのゆうわくえられるあなたの強さを、尊敬します」

 クロードのどうようが、初めて表情に出た。どうもくしたひとみの中に映りこんで、アイリーンはあくみをかべる。

「わたくしと結婚してくだされば、わたくしはあなたもあなたの大事な魔物も守ります。一人で背負わせたりしませんわ。これでもこうになるはずだった人間ですから、心得ています」

 クロードがとうとつに無表情にもどってしまう。まるで感情を押し殺したみたいに。

 まばたいたしゆんかん、アイリーンの眼前にクロードのれいな顔があった。



「もう帰れ」



 それは言葉ではなくじゆもんだった。

 とんと額を人差し指でつかれ、よろめいた瞬間ふわりと体が浮いた──と思ったら、次の瞬間、ぽすんとこしから落下し、やわらかいものに受け止められた。

 ベッドの上だ。とつぜん現れた自分のしんしつを何度もまばたきしてわたし、ほぞをかんだ。魔法で強制そうかんされたのだ。

「……やられたわ。もうひと押しだったのかしら……それともはずした?」

 今一つ反応がつかめない人だ。たんたんとしていると思ったら、あっさり動揺したり、すぐ冷静に戻ったり。今回、ただの一度だって笑わなかった。

 白のカーテンのすきから差しこむ朝日に目を細めて、アイリーンは考えこむ。

おどしじみてたのがよくなかったかしら。まあヒロインはあんなこと言わないものね……でも瞬間移動させられるのって、だいぶ好感度上がった時に起こるパターンだったはず)

 ヒロインにかれていくのがこわくてわざときよを置こうとしたりするときに、クロードは瞬間移動を使って物理的に距離を置く。

 その行動から推測すると、初日から結構いい線をいったのではないだろうか。

「まだ時間はあるし、明日はひかえめにいってみるべきかしら? アプローチも変えて……」

「失礼します、アイリーン様。アイリーン様……お目覚めですか?」

 寝室をこうするじよに、アイリーンは声を上げた。

「起きているわ。何か用?」

だん様がアイリーン様にお話があるそうです。もういい加減、立ち直れと」

 そういえば、今の自分はこんやくのショックで部屋に引きこもっている設定だった。

(でも昨日の今日で立ち直れとか、相変わらずあのお父様は……)

 アイリーンの時は当然だと思っていたが、なかなかこくな気がする。前世のおくが戻るなんてしようげき的な出来事がなかったら、つう切りえられない。

 だがそれはそれだ。たんそくしたアイリーンはベッドから下りて、寝室のとびらを開ける。

「わかったわ。お父様に何かごめいわくをかけていないといいのだけれど」

「旦那様はいつも通りでいらっしゃいます。ですが、セドリック様との婚約破棄の件で色々支障が出たようで……その件についてかと思います」

「そう」

 そっけなくアイリーンは応じた。ならお説教も仕方のないことだと、気を取り直す。

いやなことはさっさとすませましょう。たくをするから──いえ」

 ほうがかかった服を見て、アイリーンはげんな顔をした侍女に首をる。

「このままで行くわ。あとで朝食を持ってきてちょうだい」






 りよく名残なごりがそよ風になってあしもとを流れていく。

 どさりとに腰を落として、クロードはまぶたを閉じ、こめかみに指を押し当てた。

「なんなんだ、彼女は」

「あれ、強制転移させちゃったんですか? まさかとんでもないところに送ったり」

「してない。ちゃんと彼女の部屋に送り届けた」

 目の前から消えたれいじようがきちんと自室のベッドに落ちたのをまぶたの裏でかくにんする。何やらぶつぶつ言っている光景がえたが、聞かないことにした。千里眼は便利だが音まで聞こうとすると神経を使うし、なによりあくしゆな力だと自覚している。

 目を開いたクロードの前に、キースがお茶をれ直してくれた。

「ならいいですけどねえ。いやー、朝っぱらからにぎやかでしたね」

「王がわざわざ送り届けずとも、俺が窓からしきめがけてほうり投げてやったのに」

「それは死にますって」

「あれは殺しても死なない女だ」

 真顔で断言したベルゼビュートに、キースは苦笑いを浮かべる。

 クロードも否定はできなかった。

「あれはまたくるのでは? どうされる、王」

きるまで放っておけばいい」

「あのおじようさんが飽きるより、クロード様がどうにかなる方が早い気がしますがねぇ……」

おう様、魔王様! 伝令! こうていノ使イ、クル!」

 真っ黒なカラスがテラスでばたばたと羽ばたきながら鳴く。おやおやとキースが笑った。

「今日はお客さんが多いですね」

もの達に門の内側に入るように伝えろ。結界を張る」

 クロードの言葉を聞いてカラスはすぐさまばたばたと飛び去っていった。それを見ながら、ベルゼビュートが進み出る。

「王。追い返すのであれば、俺が向かう」

「だめですよ。不戦条約があります。あなた方が魔王様のためとはいえ暴力を振るえば、それだけまたうるさく言われますよ、色々ね」

 キースのちようしようまじりのたしなめに、ベルゼビュートは舌打ちした。

「本当に人間はおろかだ。王が命じない限り我らは人間をおそわない」

「そういえばクロード様、アイリーン様はどうして城に入れてあげたんです?」

「自分の足で僕に会いにきたからだ」

 だから、話くらい聞いてやろうと思った。それだけ。

(用件はくだらなかったが。ああ、でも……)

 ──あなたの強さを、尊敬します。

(だめだ、気を許すな。……魔物にまだ、なりたくないなら)

 再度目を閉じる。この城とその周囲にある森を囲うさくにまで、意識のはんを広げた。

 だれもこの城にはたどり着けない。たどり着かせない。

 ここは、魔王の城なのだから。






 ルドルフ・ローレン・ドートリシュといえば、エルメイア皇国一の切れ者さいしようとして有名な人物だ。だが、一見して彼がそうだとわかる者はいないだろう。

 初対面の人は、全員が全員、あんなおだやかでたよりなさそうな人が──と言うにちがいない。

「ああ、アイリーン。よくきたね。朝早くからごめんね、今しか時間がなくて」

 しよさいに入るなり、にこにこ父親が手招きする。こくたんしつ机の前にある応接ソファに、アイリーンは腰を下ろして、父親が向かいに座るのを待った。

「セドリック様の件は残念だったね」

「申し訳ございません、お父様」

 セドリックとのこんやくは政略結婚──政治的け引きにかかわることだった。ドートリシュこうしやく家をよりばんじやくにするための大事な一手だったはずだ。しかも婚約破棄に関するしゆうぶんは、宰相である父親の周囲にもえいきようが出ているだろう。

 ──この父親に影響があるかどうかはさておき。

「仕方がないよね。お前は明らかにセドリック様の好みからはずれていっていたから」

 悲しそうに告げられて、アイリーンは真顔になる。そしてもう一度謝った。

「……本当に申し訳ございませんでした」

「それでも、ドートリシュの名前があればもつかと思っていたんだけれどもね。いやはや若者の愛は強い。お前も『セドリック様がわかってくれるからいいの』がくちぐせで」

「本当に本当に申し訳ございませんでした」

「さすがに落ちこんでいるのかと思っていたんだけどね。引きこもっていると聞いたし」

 ふう、と父親はそこでめ息をついた。

「なのに思ったよりお前が元気で、お父様はがっかりだ……」

 心底残念そうに言われて、アイリーンはほおを引きつらせた。

(相変わらずのドS! むすめが婚約破棄されたっていうのに!)

 やさしい父親は他人の不幸を見るのが大好きという、非常にやつかいな性格の持ち主である。それは家族でも例外ではない。むしろ家族の方が、愛をもってかくさない分、ひどい。

 わからない問題があると言えば喜んで横で観察され、何かに負けてくやしがっていれば楽しげに敗因をぶんせきされる。おかげでアイリーンはなみたいていの中傷とせつひざをつかないたくましさを手に入れたが、泣くよりも解決策を提示し、落ちこむよりも戦うことを選ぶかわいげのない性格に育ってしまった。

 そう考えると、セドリックにふられた原因はこの父親にあるような気がしないでもない。

「お父様はもう、いつお前がフラれるかと毎日毎日楽しみにしていたのに」

「……わたくしがフラれると毎日毎日確信を得てらしたんですね」

「これ以上はあまりないなっていうくらい、みじめなフラれ方をしたのに……ああ、なんて可哀かわいそうなんだ、アイリーン……泣きれるお前はきっと世界一可愛かわいかっただろうに……!」

「そういうもうそうをして楽しんでらしたんですね?」

「なのにお前ときたら、すっかり元気そうで。使用人達が止めるからあきらめたんだけど……やっぱり部屋にとつげきすればよかった」

 ゆうしゆうな使用人達に感謝しながら、アイリーンはできるだけ平常心をもって答える。

「わたくし、すっぱりセドリック様のことは忘れることにいたしましたから」

「そうかい。まあ、それがいいね。まさかあそこまでおろかだとは思わなかった」

 うすみをかべて、ルドルフがあっさり切り捨てた。そのちゆうちよのなさに、娘ながらぞっとする。

「でもアイリーン。かといってお前の立場が正当化されるわけでも、家のめいが回復するわけでもないんだよ」

「……わかっております。ドートリシュ公爵家にはじをかかせたことは、反省しています」

「じゃあ、本題に入ろう」

 にこやかに父親が指を組んだ。楽しそうだ。

 つまり、アイリーンにとっておもしろくない話が今から始まる。背筋を正した。

「お前、事業をち上げようとしていたね。薬の開発とはんばい、あとはんのための運送業、道路の整備のための土木業」

「? はい。ドートリシュ公爵領を産地とすることで原材料をおさえ、流通をふうし利益を上げる形にすればいいと、お兄様に教えていただいて……」

 ドートリシュ公爵領は広く豊かだ。だがその豊かさは平均値であり、土地が広い分、地方と格差が生じている。そのため、豊かではない地域──要は土地があるだけのだだっ広い田舎いなかだ──を豊かにすべく、兄達はその土地に生息する植物の活用方法を考えたり、特産物を作ることで領民の生活水準を上げるべくふんとうしている。そこへアイリーンも一枚ませてもらった。

 こうしやくれいじよう、しかも皇太子の婚約者が商売だ。当然、批判は出た。だが薬の開発は公共性が高いというくつで周囲をだまらせた。あつかいの難しい薬品より先に、せつけんなんこう、消毒液といった気軽に使える安いものを市民にきゆうさせることで利益も見こめた。

 実はエルメイア皇室の財政は見た目ほど豊かではない。だからせめて自分がとつぐ際にばくだいな持参金を持てるよう、セドリックのために──とそこまで思い出して頭を切りえた。

「お父様にもりようかいいただけたはずですが、それがどうかなさいましたか」

「それらはすべてセドリック様に引きがれることになった。公共事業になったと言いえてもいい」

「は……?」

 ぽかんとしたアイリーンに、皮肉な笑みを浮かべて、ルドルフが告げた。

「お前、事業のために設立した商会をセドリック様との共同名義にしていたね。薬というのは毒物でもある。国のかんかつにおくのがとうだと言われたら反論できないだろう?」

 流通の確保、販売路から薬のしよほうせんまで準備し、試薬の評判は上々だった。つまり。

「売り上げだけ横取りですか!?」

 がくぜんとしたアイリーンの声に、ルドルフは楽しそうに笑った。

「リリア様がお前に任せっぱなしではいけないと進言なさったらしくてね。セドリック様がやる気になられたそうだ。セドリック様も商売をすることでしよみん目線や金銭感覚を学べるかもしれないし、ま、よいことだよね」

「いえいえいえいえ、横取りですよね!? いいところだけとっていったってお話では!?」

「これはお前の落ち度だよ、アイリーン」

 やわらかく言われて、はっとアイリーンは口をつぐんだ。父親の目が笑っていない。

「本来なら一方的なこんやくというのは、皇族相手でも批判されるべきことだよ? なのに婚約破棄されて当然という空気のせいで、うちはしやりようもなし、事業の資金もとられただけ」

「い、いたらなくてすみません……!」

「本当にお前は母様そっくりで男を見る目がないうえに、可愛いのにこびも売れないなんて」

 非難のひびきがまったくない、ただの事実のてきにぐうの音も出ない。

 もんしているアイリーンに、ルドルフはうれしそうに目を細めている。それが愛だとわかっているがもう少ししゆくしてほしい。

「しかもね」

「まだあるんですか」

「あるんだよそれが」

 半ばにらみ返すように父親を見ていると、ルドルフはぶんちんの下に重ねてあったふうしよの束から一つだけ、すでに開封されているものを差し出した。

「招待状を昨日、いただいたんだよ。二ヶ月後の夜会だ」

「夜会? 今のわたくしにですか」

 夜会は集団見合い、結婚相手を探す場所だ。婚約破棄されたアイリーンは当分自粛するのがつうで、招待する側も外聞の悪い娘を呼びたくないと声をかけなくなるものだ。

「一体どこの空気が読めない鹿からのおさそいですか」

「セドリック様とリリア様からだ」

 めまいがした。

「あ、手紙も入ってるよ。リリア様から直筆の。ないしよですけど婚約発表もかねるので、ぜひおでくださいっていう。私も呼ばれてる。大物だね、リリア様は」

「……そう、ですわね……わたくしも、見習いたいですわ……」

「この夜会ではお前からゆずり受けた事業を元に、セドリック様が新しい政策をおするらしい。同時にお前は婚約破棄の書面にみなの前でサインしろ、とのご命令だ」

 ──つまりもう一度、おおやけの場でセドリックにふられろ、ということだ。婚約破棄の書面へのサインなど、内々にすませられる。それをわざわざ公の行事にするなんて。

(……どうしても、わたくしをやりこめたいのね。それとも、自分達ががいしやだから本気でそれが正しいと思っている?)

 あり得そうで笑えない。

「さらに、事業じようしようだくのサインもして欲しいそうだ。公にこうべを垂れることによってお前の悪評を少しでもおさめてやろうという、だそうだよ」

 すべての感情を押し殺して、アイリーンはかたから息をき出した。

「……つまり、欠席したらセドリック様の慈悲をはねつけたことになり、出席したら会社を乗っ取られ公衆の面前で再度の婚約破棄をされる。どちらにしてもいい笑いものですわね」

「それで、お前はどうする?」

 普通に考えればせんたくは断るの一たくだ。サインだけ送りつければ形式上は問題ないし、時間もにしない。欠席してなげいてみせれば周囲の同情もひけるかもしれない。──だが、しかし。

「出席致します。けんを売られたら買ってたたき返す主義なので」

 あれだけたんを切っておいて、いまさらしおらしくしてもしょうがない。同情もまとめてばしてやると、アイリーンは微笑ほほえむ。ルドルフが満足そうにうなずいた。

「いいねえ。それでこそドートリシュこうしやく家のむすめだ。ここまで馬鹿にされて尻尾しつぽ巻いてげるような娘なら、公爵家からじよせきして下町にでもほうり出してやろうかと思ったよ」

 この父親なら泣き真似まねをしながらやりかねない。ほおを引きつらせつつ、あいづちを返す。

「常識知らずとお父様も悪く言われるかもしれませんが」

だいじようだよ。ちゃんとアイリーンのかげ口をたくさん聞いてうんうん頷いて謝罪して、あとからリストに名前を書くよ」

「なんのリストか聞きませんが、お父様がよろしいのならそれで」

「じゃあ夜会までに、ドートリシュ家が受けた損失を取り返すだけの利益もあげてね」

 なんでもないことのように言われて、まゆをひそめた。

「さらっととんでもない要求をつきつけないでください。利益って、また新しい会社でも起ち上げろと? わたくしはお兄様達ほど優秀ではありませんのよ。しかも二ヶ月でなんて」

「それは自分で考えなさい。こうにもなれず、きずもののままですごす娘などお父様は持った覚えはないよ」

 にこりと笑う父親の目が本気だ。

 ふと背筋が寒くなった。夜会で欠席を選び、家と自分のめいを回復しようとしなければ、本気でこの父親は、公爵令嬢としてのアイリーンを切り捨てるのかもしれない。

 セドリックは皇太子だ。アイリーンはいずれこうていになる人間からうとまれた。どこかで巻き返せなければ、疵物のれいじようとしていずれドートリシュ公爵家のお荷物になる。

(確か、ゲームでも平民に落ちる展開があったような……うっすらとしか覚えてないけど)

 みように今、何かの不幸フラグをかいしたのかもしれないと思うとほっとする。それに、父親の要求をこなすアテがないわけではない。ドートリシュ公爵家の力も今なら使える。

 そもそも、おうを飼うのにお金は必要だろう。

(あとはクロード様ね……それもかんしよくが悪かったわけではないし。なせばなる、よ)

 腹はくくった。その分、今夜はよくねむれそうだった。



 ──が、その夜。夜中に飛び起きたアイリーンはさけぶ。

「夜会に出席の方が下町に放り出されるフラグじゃないの! なんなの、このおくの取りもどし方のおくれ感は!! 神様のいやがらせ!?」

 真っ暗なてんじように向かってえたアイリーンに答えてくれる親切な神様は、当然、いない。



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