「はぁ……はぁ……!」
森の中を一人の少女が必死に走っていた。
ただ、少女の着ている誰が見ても上質だと分かる淡い白色のドレスは、走るのに適していない。
それだけでなく、まるで陽光をそのまま切り抜いたような美しい金髪も、走っている最中に汚れ、今はその輝きも失っている。
「……」
そんな少女の背後を、フードで顔を隠した数人が追いかけていた。
「くっ……!」
足場の悪い森の中を、少女は裸足で駆けていた。
「あっ!?」
だが、走るのに適さない服と、森という環境から、木の根に躓いてこけてしまった。
その隙を謎の集団が逃すはずもなく、すぐに少女の周りを取り囲んだ。
もはや逃げ場がないことを悟った少女だが、翡翠の瞳を鋭くさせ、集団を睨みつける。
「貴方たち! 私がアルセリア王国の第一王女と知っての狼藉!?」
少女の強気な態度に謎の集団は顔を見合わせると嘲笑した。
「は、はははは! 知っているさ、レクシア・フォン・アルセリア」
「ならどうして……」
「どうして? おかしなことを言う。身に覚えがあるだろう? どうして襲われるのか……」
「そ、それは……」
少女────レクシアは襲撃者の言葉に思わず言葉を詰まらせた。
「邪魔なんだよ。薄汚い血が混ざったお前は!」
「私の血は汚くなんかない……!」
「口答えするんじゃねぇ!」
「きゃあっ!」
毅然と訴えるレクシアに、謎の集団の一人が魔法で土の塊を創り出し、撃ち放った。
レクシアは咄嗟に地面を転がるが、魔法の威力が高く、その衝撃で予想以上のダメージを受けた。
「う、うぅ……」
「手間かけさせるんじゃねぇよ。最初から大人しく死んでりゃいいモノを……」
「お前の護衛も不憫だよなぁ? お前なんかを護衛した結果、俺たちに襲われることになってよぉ」
「お前を逃がそうと必死だったが、今頃あの騎士どもも死んでんじゃねぇか?」
痛みで蹲るレクシアに、謎の集団は次々と不愉快な言葉を投げかけた。
レクシアは第一王女であるが、現国王と妾の────奴隷との間に生まれた子供だった。
さらに言えば、その母親は『人間』ではない。
容姿の優れた『エルフ』の中でもさらに優秀な、『ハイエルフ』だったのだ。
そんなハイエルフの奴隷に一目ぼれした国王はそのまま妾として寵愛し、やがてレクシアが生まれた。
だが、レクシアを産んですぐ、母親は亡くなった。
国王は大変悲しみ、レクシアを大切に育てた。
────しかし、ある日事件が起きた。
元々高い魔力を保有する『ハイエルフ』と人間のハーフであるレクシアは、その優れた容姿と魔力量をしっかり受け継いでおり、ある日、その魔力が暴走した。
その結果、近くにいた第一王子が大ケガをしてしまったのだ。
幸い後遺症なども残らず、綺麗に治癒したのだが……レクシアは、第一王子の母親である妃や、第一王子の派閥である貴族たちから疎まれる結果となった。
元々の生まれなどもあり、国王の目が届かない場所で様々な嫌がらせを受けてきたのだ。
「う……うああ……」
自分を産んでくれた母親にも感謝しているし、父親を恨んでもいない。
だが周囲はそんなレクシアを容赦なく攻撃してくるのだ。
たとえ王族であったとしても、境遇によっては不運に変わる。
そんなどうしようもない現実を前に、必死に今まで生きてきたレクシアだったが、こうして殺されそうになった今、自分の人生を振り返って思わず涙がこぼれた。
もし自分が、もっと普通の人生を歩んでいたら……そう、考えてしまった。
「さて、無駄話をして魔物に襲われてもつまらねぇ。とっとと死ね」
自分がとても惨めで、どうしようもないこの状況に声を押し殺して泣くレクシア。
そんな彼女に謎の集団の一人は容赦なく魔法を放とうとした────その時だった。
「グオォォォォ!」
「なっ!? ゴブリン・ジェネラルだと!?」
突然、謎の集団に魔物が襲い掛かった。
まるで爬虫類のような金色の瞳と焦げ茶色の肌。
盛り上がった筋肉と成人男性と変わらぬその身長、そしてその身に纏う上質な鎧はとても威圧感があった。
大きな鷲鼻から鼻息を噴出させると、自身の身長ほどもある巨大な剣を大きく薙いだ。
その一撃はすさまじく、咄嗟にゴブリン・ジェネラルに魔法を放とうとした謎の集団は、巨大な剣を前に肉塊へと変貌した。
「ひっ!?」
今まさに自分を殺そうとしていた者たちが、一瞬で殺された。
その事実にレクシアの表情は恐怖に染まり、急いで逃げようとするが足に力が入らなかった。
レクシアが動けない間に、ゴブリン・ジェネラルは圧倒的な力をもって謎の集団を全滅させた。
辺り一面に大量の血と肉片が飛び散り、ゴブリン・ジェネラルは返り血まみれだった。
────抗うことのできない絶対的存在。
それを前に、レクシアの体は意思に反して生きることを諦めた。
どれだけ逃げようとしても、少しも体が言うことを聞かないのだ。
謎の集団の殺戮を終えたゴブリン・ジェネラルは、恐怖と絶望に染まるレクシアの方に視線を向けた。
鋭い視線に射すくめられ、遂に意思までもが、生きることを諦めた。
「あ……」
呆然とするレクシアに、ゴブリン・ジェネラルは悠然と近づく。
そしてレクシアの目前に来ると、その巨大な剣を振り上げた。
「ガアアアアアアアア!」
何の苦しみもなく、ここで死ぬのだろう。
生きることを諦めた意識の中、他人事のように振り上げられた剣を見ていた時だった。
「だああああああああああああっ!」
「グガア!?」
突如、ゴブリン・ジェネラルに向かって何かが飛来した。
だが、ゴブリン・ジェネラルはその飛来物がぶつかる直前に察知すると、振り上げていた巨大な剣で防いだのだ。
しかし、攻撃はそれだけではなかった。
飛来物を防いだ巨大な剣に、さらなる衝撃が襲い掛かった。
その衝撃はすさまじく、強靭な肉体を持つゴブリン・ジェネラルでさえ耐え切れず大きく吹き飛ばされる。
新たな乱入者にゴブリン・ジェネラルは体勢を立て直すと怒りの籠った視線を向けた。
「グゥゥ……ガアアアアッ!」
ゴブリン・ジェネラルの視線につられ、同じ方向をレクシアが向くと────。
「────大丈夫か!?」
艶やかな黒髪と、夜空を思わせる瞳。上品でどこか異国の雰囲気を漂わせる青年が焦った様子で駆け寄ってくるのが分かった。
絶望的な状況であるのには変わらないが、レクシアは何故かその青年の姿を見た瞬間、ちょっとした安心感を覚えた。
そしてその安心感からか、レクシアの緊張の糸が切れ、その場で気絶してしまうのだった。