第二章 もう一回罵ってください!5



「えっと、何がわかったの?」

 ジルのまつげふるえ、まぶたが開く。彼の銀のひとみがサヤカを見た時には、ジルの表情からは安堵あんどが消え、いつも通りの表情になっていた。

「あなたは、三年前の聖騎士せいきしとテュポンとの大戦はごぞんじなんですよね?」

「もっちろん!」

 ゲームの中の話とは言え、大事なクライマックスだ。だれのルートでもしっかり覚えている。自信満々なサヤカに、ジルはあきれもいかりもしなかったが、正解とも言えない顔をした。

「その様子だと……『のろい』のことはご存じないのですね。――いや、当然か。これは口外こうがいされていいことではないしな……」

 後半の言葉はジルのひとごとのようだったので、サヤカは前半の気になる単語をり返す。

「呪い……?」

「俺も大戦の場にはいませんでしたから、すべてを知っているわけではありません。ですが、テュポンは聖騎士達に倒される直前、彼ら全員に『呪いをかけた』と言ったそうです。聖騎士達全員が口をそろえて報告したので、事実なのでしょう」

「そんなの、知らない……」

 ゲームではテュポンを倒して、平和になった世界で彼らと幸せになるというシナリオだった。呪いなんて不穏ふおんなものはえがかれていなかった。

 ふと、サヤカのむねに疑問がいた。

(……ん? でも何で、ジルがそんなこと知ってるんだろ?)

 その報告の現場にジルはいたのか、それとも又聞またぎきだろうか。どちらにしろ先ほどの「口外されていいことではない」という言葉からも、この話が重大な秘密であることがうかがえた。

 思わずサヤカはおそおそる、ジルに向かって挙手きょしゅする。

「あ、あの……それ、私が聞いていい話……?」

「あなただからこそ知らなければいけない話だと判断したので、話しているんです」

 ジルの真剣な眼差まなざしに、心臓しんぞうがどくんと脈打みゃくうった。

 この時のジルの眼差しには、サヤカをだまそうという意図は感じられなかった。サヤカに伝えなければいけないのだという、強い意志だけがあった。

(こんな顔をする人が……何で、聖騎士の力を奪おうとするの……?)

 どうして自分がそんなことを知らなければいけないのか。そんな思いもあったが、サヤカはその言葉の続きを聞きたいと思った。

 一度ぎゅっと手をにぎってから、サヤカは口を開いた。

「その呪いって、何?」

「わからなかったんですよ」

「……へ?」

 気合を入れてたずねたのに、その答えに思わず間抜けな声が出た。しかしジルはサヤカの声にみも浮かべなかった。

「どれだけ聖騎士や彼らの周辺を調べても、何が呪いで、呪いがどんなものか、わからなかったんです。呪いなどなかったと、その時はそう思いました。ですが……」

 ジルの視線が、キャンサーに向かう。すうすうと深い寝息を立てている彼は、少し成長しているが、ゲームに出ていた彼だ。

「大戦後から、聖騎士達の様子がおかしくなっていきました。最初はテュポンという人類の敵を倒したというおごりや、富や名声がそうさせているのだろうと、そう思いました。彼らはそれだけの偉業いぎょうを成した。驕って当然だと思う者も少なくなかった」

「聖騎士達はそんなことで驕ったりするような人達じゃない!」

「そんなこと、わからないでしょう。彼らも人間ですから」

「だって、そうじゃなきゃ聖騎士として認められないはずだもん!」

 サヤカの反論に、ジルはもっと言い返してくるかと思ったが、意外にもうなずいた。

「……そう、かもしれませんね。あなたの言う通り、驕っていたわけではなかったようです。原因は別にあった」

 うなずいて足元を見たまま、彼は目を伏せて続けた。

「彼らは富も名声も有り余るほどあった。ですが彼らの多くは、まだ戦いを求めていた。キャンサーは恐怖きょうふ克服こくふくしたと言って戦い続け、レオも危険な戦いを求めるようになりました」

 サヤカがここへ来て会ったキャンサーとレオはその通りの人物だった。

「でも……三年前のキャンサーは戦いを怖がってたでしょ? レオも、戦いに刺激しげきなんて求めてなかった。二人とも、誰かを守りたくて戦ってたはず」

「ええ、その通りです」

 今度は言いよどむこともなく、ジルは断言した。彼が聖騎士達を認めるような言葉を口にするのは初めてで、サヤカは少し驚いた。

 サヤカの反応に気付くことはなかったのか、ジルは顔を上げた。

「星座と聖騎士の契約は、正座が騎士を認めなくては星の力をさずけられないんです」

「うん。キャンサーとカルキノスもそうだったみたいね」

 カルキノスはキャンサーを守ろうとし、キャンサーもカルキノスに愛称を付け、大事にしている様子だった。彼らはたがいを認め合った仲なのだろう。

「契約した星座と聖騎士は、強く結びついている。……これを、俺は見落としていたんだ」

 ジルは顔をおおい、くやしげにつぶやく。こんな反応も初めてだ。目を丸くするサヤカに気付いたジルは、あわてたように無表情になる。見てはいけないものだったのかと、サヤカも慌てる。

「えっと……星座と聖騎士が結びついてると、どうなるの?」

 ジルは両手を挙げ、両の指を組み合わせた。

「聖騎士と深くつながった星座が、呪われていたとしたら?」

 サヤカはきっちりと組まれたジルの両手を見つめる。真っ黒によごれたカルキノス。うまく説明できないが、あの姿のカルキノスからは、怪物かいぶつのような嫌悪感けんおかんと恐怖があった。そんなカルキノスに、キャンサーが影響えいきょうされていたとしたら。

「星座が呪われていたから、その影響で聖騎士達もゆがんだ、ってこと……?」

 ジルは組んだ指をほどいてうなずいた。

「サヤカが見てきたものを聞いて、俺はそう思いました。呪われた星座に同調して、彼らの性格は自滅じめつするよう歪んでいく。それがテュポンが報復にのこした呪いだとすれば、合点がてんがいく」

「……よかった」

 サヤカは自然とそう呟いていた。その言葉を聞いて、ジルが首をかしげる。

「よかった? 呪われていて、ですか?」

「ううん、あこがれた人達が、みずからあんな性格になったんじゃないってわかって、よかった」

 そう言ってから、サヤカは気付く。ジルも先ほど「よかった」と言った気がした。

(もしかして、ジルも私と同じ心境しんきょうだった……? あれ? でもジルは、聖騎士達を倒したいって言ってたし……じゃあ違う? ジルこそ、呪われててよかったってこと? でも、聖騎士達が呪われたことを喜んでるわけじゃないし……)

 彼は「聖騎士から星の力を奪い、彼らを倒してほしい」と言った。しかし、今の話を聞いていると、本当に聖騎士を倒してほしいのか疑問だ。

 彼の目的がわからない。悪い人なのか……本当は、いい人なのかも、今は判断できない。

 そんなことを思いながらジルの綺麗きれいな顔を見つめていると、突然彼の目が、サヤカをにらんできた。何故かその目にははっきりとした怒りがある。

「……あなたはどこまで能天気なんですか」

「え!? 私!?」

 なぜか怒りの矛先ほこさきがサヤカになっている。理由はわからないが、とりあえず怒られているので座り直して背筋せすじを伸ばす。

 はー、と大きなため息を吐いて、ジルは怒りに呆れを混ぜた顔になる。

「あなたはその呪われた星座を、聖騎士から奪ったんですよ?」

「奪ったっていうか……来てくれたっていうか……うん、そうね?」

 反応のにぶいサヤカに、ジルは唐突とうおつに綺麗な笑みを浮かべ、そして笑顔とり合わない、吐き捨てるような声で言った。

「バカなんですか?」

「おおーっと、今まで絶対に何回も思っていたであろうことをついに言ったなー!?」

「あなたには危機感ききかんがなさすぎる。呪いをそのままあなたが受けた可能性もあるんですよ!?」

「いやだって、何ともないし元気なんだもん! だいたい、あの黒い泥みたいなのが呪いだっていうなら、消えちゃったんじゃないの? カルキノスは綺麗になってたし……」

「そう簡単に消えるものだとは思えないから、こうして――」

 ジルはそこまで言って、不意に言葉を止めた。自分でも驚いたように、口元に手を当てる。

 その反応に、サヤカは首を傾げ、言葉の続きを考える。

 こうして――「心配している」?

(だとしたら、何か……こんなにぴんぴんしてて申し訳ないような……)

 ジルが心配しているような体調の変化はない。それでも心配してくれたのなら、申し訳ないのと同時に、少しうれしかった。

 サヤカがこっそり微笑むと、ジルは視線をはずしたまま、疲れたようなため息をついた。

「……もういいです。本当に、何ともないんですね?」

「うん。何ともない。何かあったら怖いから言うってば。今のところ、私がこの世界で頼れるのはあなたしかいないみたいだし。悲しいことに」

 少し意外そうな顔をしてから、ジルはうなずく。

「……まあ、召喚しょうかんした責任は持ちますよ」

「ありがとうございます」

 もう何度目かわからないジルの呆れ顔に、サヤカは正座したまま深々と頭を下げる。一体どちらがあるじなのだろうか。実際、ジルに助けてもらわなければ、サヤカはこの世界に来た時点でどうなっていたかわからない。今のところ、ジルの言う通りにするしかなさそうだ。

(美形に使われるっていうひびきは、悪くない……。あれ? 待てよ?)

「ねえ。最初に、聖騎士達の力を奪って、『倒してほしい』って言ってたけど、それって具体的にはどういうこと? 星の力を奪えば、それでいいの?」

 もし殺せと言われたらどうしよう。それはできないが、ジルはそこまでのことを望んでいない気がした。もしも殺すことが目的なら、すでにキャンサーを殺しているだろう。

「……ええ、まあ、そうですね」

 彼にしては歯切れが悪いが、必ずしも傷つける必要はないらしい。

「じゃあ望むところ!」

 ジルがサヤカに視線を戻し、目をみはる。

「は?」

「だって私が星の力を奪えば、聖騎士達の歪みは治るってことでしょ!? じゃあやるやる! むしろそんなのやらない選択肢せんたくしは私にはない!」

「……もしも俺が、やっぱり結構ですと言ったら?」

「何でよ!? 私が馬鹿ばかだから!? これでも勉強はしてるんだけど!?」

 ゲームするために、とは一応言わなかった。言っても通じなかっただろうが。

「あっ! でも待って。星の力を奪うってことは、聖騎士が怪物を倒せなくなるってこと? 今はまた怪物が現れてるし、どうしよう……」

 サヤカはジルを見つめ。自分の顔を指さす。

「私戦えたりしない?」

「あなたには戦いの心得があるんですか?」

「ありません……。私の世界……っていうか、私の国は、今は戦争もないぐらい平和なの」

「それは……いい国ですね」

 その言葉がいやみに聞こえなくて、サヤカは驚いた。事実、ジルは少しばかり驚きの目をしており、真摯しんしにそう言っていた。そして納得したとばかりにうなずく。

「なるほど。あなたに緊張感がない理由もわかりました。いえ、そんなことを言ったら同郷どうきょうの方に失礼ですね。きっとあなたに緊張感がないだけですし」

 今度ははっきりと嫌みだとわかったが、自分でも多少自覚があるせいで言い返せない。なので認めておく。

「ええそうよ。私には緊張感がないけど、今のこの状況じょうきょうで星の力がないとまずいっていうのはわかるの! ……実際問題、どうするべきなの……?」

 サヤカが意見を求めてジルを見たが、彼はふいと顔を逸らすだけだった。その仕草が、怒っているのではなく、返答に迷っているように見えたのは、サヤカの気のせいだろうか。

(この人の目的って、何なんだろ? 悪い人って言い切るには、何か引っかかるし……)

 その疑問を口にしようとしたが、彼の横顔を見ると、言葉が出なかった。笑みを消し、無表情でいる。しかし、その横顔はどこか、思い詰めているような――自分を責めているような、そんな苦しげな表情だった。

(そんな顔、あなたには似合わない)

 見ているサヤカも苦しくなるような表情に、必死に話題を変えようと考えをめぐらせる。

「――あ、そうだ! ねえ、ジル! 本物のステラはどうなったの!?」

 虚空こくうを睨んで何かを考えていたジルだったが、サヤカの声を聞くとふと表情を戻してこちらを見た。笑顔ではないが、サヤカはホッとする。

「あなたには世話係が必要なさそうですし、そのまま帰らせましたよ」

「あ、そうなんだ。帰らせたって、他に仕事があるの?」

「ええ、心配はいりません。優秀な人材ですから」

 彼女の仕事がなくなったわけではないようで安心した。

「でも手紙がうそだとは思わなかったの? キャンサーの変装へんそう完璧かんぺきだったみたいだし」

「ええ、俺もどちらが本物か、迷いました。だから水を掛けたんです。こいつが女装する際は胸にパンを詰めるという情報があったので」

「どこで知ったの、そんなしょうもない情報……そしてそれが正しかったんだ……?」

 そこまで小さな情報を正確に掴めるなんて、一体どういう情報もうなのだろうか。気になったが、ジルが立ち上がり、サヤカは質問する機会をのがした。

「……とにかく、やると言ったからには、あなたには力を奪う役目をまっとうしてもらいます」

 その言葉は、サヤカではなく、ジル自身に言い聞かせている気がした。サヤカが何か答える前に、彼はドアに向かう。

「そういえば、朝食もまだでしたね。用意します。――サヤカ?」

 ジルはすでにドアを開けていたが、サヤカはまだその場に座っていた。

「……な、何でもない。先に行ってて」

 サヤカがうつむいたまま首を振るが、ジルは短い距離をけ寄ってきた。

「サヤカ……!」

 のぞき込んでくる顔は心配だけではなく、どこか不安そうでもあった。その表情に、余計に今の状態を言えなくなり、サヤカは口を閉ざす。

「何かあったら言うと言ったのはあなただ。どこかおかしいんですか?」

 言えない。こんなことを言ったら、何をされるか――わかっているから言えない。

 サヤカが正座したひざの上で手を握り締めて視線を逸らしていると、不意にジルの顔から表情が消えた。――バレた。

 ジルは人差し指をサヤカに向けた。蒼くなって身を引くが、彼の指は容赦ようしゃなくせまってくる。

「ちょ、待っ……セクハラ! セクハラですそれは! ねえジル聞いてる!? やめ――」 

 つん。

 ジルの指先がサヤカの足にれた瞬間しゅんかん、サヤカの苦悶くもんさけび声が広い屋敷にひびき渡った。

「これは、つらい……! レオ、ごめん……っ!」

しびれが収まったらさっさと食堂へ来てくださいね。食事の用意をしておきます」

 ちょっと怒った――しかし笑いも含んでいる声でそう言って、ジルはサヤカを置いて部屋を出て行った。その声と足音を聞き、サヤカは床に転がってもだえながらも微笑む。

(よかった。ちょっと、笑ってた)

 あの綺麗な顔には、やっぱり笑顔が似合う。

(そういえば、いつの間にか私のこと呼び捨てになってたな。……こっちのほうが、いいかも)



※次回:2019年2月26日(火)・17時更新予定

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