第二章 もう一回罵ってください!3
◆◆◆
(あれ……私……どうしたんだっけ……?)
やっと夢から
「じゃあどこよここ!?」
今までいた世界とは明らかに違う。地平線が見えるほど、広大な草原。
「ジ、ジルー? いないのー?」
呼びかけるが、返事はない。辺りを見回すと、サヤカの背後には、真っ白な
「あれ……ここって……」
サヤカはこの景色に見覚えがあった。
「もしかして、
『星の聖騎士』のゲームの
聖騎士が主人公の聖女から星の力を与えられる際、ここへ来て、星座と
りするが、星座に認められた者が、契約を結べるというイベントだ。
ここへ来る前、キャンサーが倒れたのを見た。その後自分も意識がなくなったように思う。
「もしかして、キャンサーもここにいる……?」
辺りを見回すと、離れた場所に彼が横たわっているのが見えた。
「キャンサー!」
彼の
「ひいっ! びっくりしたぁ!」
サヤカの
「確か、蟹座のカルキノス……?」
カルキノス――この巨蟹の名前だ。
蟹座の
「あれ、でも、どうしてこんなに真っ黒なの……?」
たしかゲームで見た時は、
「キャンサー! ねえ! 大丈夫なの!? この子こんなことになってるけど!?」
蟹の脚の間から呼びかけるが、返事がない。
蟹のカルキノスはキャンサーの前から
「あ、
キャンサーに手を出すな、という空気がひしひしと伝わってくる。
ふと、カルキノスを見てサヤカはあることを思いついた。一度カルキノスの前から離れるが、追ってはこなかった。
「やるしかないのよサヤカ。運動部じゃないし、できるかわかんないけど……!」
全速力でカルキノスに向かって走り、八本の脚の間から
キャンサーにぶつかりつつ、サヤカは彼を
「キャンサー! 起きて!」
背後ではカルキノスがこちらを振り返る気配がしていた。キャンサーならカルキノスを止められると期待しているのだが、もし意思
「……あれ? 僕、何でここに? ていうか、何でサヤカさまがここに?」
「それは私が聞きたいっての! ていうかあの子どうにかしてー!」
頭を振っていたキャンサーが、自分達にかかる影の正体を見上げ、大きく目を開けた。
「何この岩――じゃない、カルキィ!? 何でこんなに真っ黒なの!?」
「そんな愛称つけてたんだ」
「だって、僕を認めてくれた子ですよ? カルキィ!」
キャンサーが
「待ってキャンサー!」
「っえほ、けほ! サ、サヤカさま……」
「あああ、ごめんなさい! 咄嗟に掴んじゃって……」
「もう一回……!」
「な! ん! で! よ! それより、あの黒いの、変じゃない!?」
なぜか笑顔のキャンサーに
「苦しんでる……。何で!? どうして、君がこんな姿になってるの……!?」
「いつからこうなの? 星の力を与えられた時はこんな風じゃなかったでしょ?」
「そうです。
カルキノスの変化に、キャンサーは気付いていなかった。
(もしかして、キャンサーの性格が変わったことに関係してるのかな……?)
カルキノスがキャンサーを見ている様子はない。ハサミを鳴らし、サヤカを
「カルキィ。この人は大丈夫だよ。……君と、同じだから」
「え。この子にまで踏ませてるの?」
「違いますよ! そういうことじゃなくて……」
キャンサーはサヤカから目を
(そんなに
キャンサーはカルキノスの前に出る。後ろ姿しか見えないが、白い
「この人は――弱い僕を、認めてくれた人だから」
キャンサーはサヤカには聞こえないぐらいの小声で、カルキノスに何かを
今までサヤカを威嚇するように巨大なハサミを動かしていたカルキノスがハサミを止める。そしてキャンサーの頭上を越えて、サヤカにハサミを伸ばしてきた。攻撃するような素早さではなく、ゆっくりと。カルキノスは何かをサヤカに求めている気がした。
「何? どうして欲しいの……?」
黒い泥のようなものが、表面に小さな山を作りながら蠢いている。
「……あれ? キャンサー、見て」
呼びかけると、
サヤカが触れた部分から、黒い泥のようなものが消え、本来の鮮やかな紫色に戻っていく。驚いた顔でキャンサーが振り返ってくる。サヤカも何が起こっているのかわからず、目を丸くしてキャンサーを見つめる。
「これ、サヤカさまが……?」
「私は何もしてないけど、何か、あの……
サヤカとキャンサーが目を合わせているその間に、不意にカルキノスの姿が消えた。
「カルキィ!?」
キャンサーと慌てて探す。あんなに大きな蟹が移動したらすぐにわかるはずだが、音もなくその
ふと下からカサカサと音がして、サヤカは足元を見下ろす。そこには手のひらサイズの紫色の蟹がいた。小さくなってはいるが、その姿は間違いなくカルキノスだ。
「「すごい縮んでない!? 何で!?」」
キャンサーと
「キャンサー。どうして小さくなったのか、カルキノスもわからないの?」
「そう、みたいです……。でも、もう苦しんでないみたい。よくわかんないけど、サヤカさまが泥を消してくれたおかげみたいです」
キャンサーはホッとした表情でサヤカに笑いかけた。そう言われても、サヤカが何かしたわけではない。触れたらなぜか黒い泥が消えたのだ。
「カルキノスがそう言ってるの?」
「僕らは感覚を共有している感じなんです。だから僕もわかります。あなたのおかげだって」
「何かしたつもりは、全然ないんだけど……そっか。なら、よかった」
サヤカがそっと指を差し出すと、小さなカルキノスはハサミでサヤカの指を
「痛――く、なかった。可愛いかも……」
そのまま持ち上げて手のひらに乗せると、カルキノスは大人しくサヤカの手のひらに座った。
「知らなかった……蟹、可愛い……!」
よく見れば目がくりくりしている。
キャンサーは目を細めて微笑み、カルキノスを指先で
「カルキィは、サヤカさまの
「? どういうこと?」
首を傾げていると、手のひらの上でカルキノスが立ち上がる。そして一度キャンサーと向かい合ってから、サヤカの手のひらに吸い込まれるように消えていった。
「えっ、消えっ……入っ……ええ!? どういうこと!? カルキノスどこ行ったの!?」
手のひらとキャンサーを
「カルキィは認めた相手じゃないと、自分から触れないんです。僕と同じで
キャンサーの
「でもそれ、キャンサーから星の力がなくなったってことじゃない? それは……いいの?」
聖騎士達は皆、聖騎士になるために
キャンサーは目を閉ざし、サヤカに頷く。瞼を開いた時、彼は心からの笑みを浮かべていた。
「いいんです。カルキィが選んだことですし、僕も納得してます。ちょっと寂しいだけ。それに僕は
「そんなこと言わないの!」
キャンサーの両頬をペチンと軽く叩き、サヤカは彼の顔を覗き込む。
「サヤカさま……?」
「私もさっきはああ言ったけど、それはあなたが間違ってたから。本当のあなたは、カルキノスに認められた立派な騎士でしょ? そんな風に言わないで。私だって、誰よりも優しくて、弱い人々の心を守ろうとするあなたの姿に、
キャンサーは弱くなんかなかった。
普通、怖いと思ったら、自分を守ってしまうものなのに。
――サヤカは、そうした。他人より自分を守ってしまったことがあった。
「本当に、すごいと思ったの。私も、あなたみたいになりたいって思った」
キャンサーの目に涙が浮かんだ。彼の青い瞳は、海の
「僕は臆病な自分が
頬を包むサヤカの手を確かめるように、キャンサーは手を重ねてきた。
「こんな僕でも……いいんでしょうか」
「私はそんなあなただから、憧れたの」
サヤカがそう言うと、キャンサーは頬を
(……天使かな……?)
聖騎士だけど。こんなに近くでこんな笑顔を向けられたら、サヤカのダメな心が
「――サヤカさま」
キャンサーがサヤカの手を離して、呼びかけてきた。慌てて目を開けたその時には、彼はサヤカの前で片足をついて
彼の真剣な目に、吸い込まれそうになる。
「僕は聖騎士でも最弱です。ですが、あなただけは必ず僕がお守りすると約束します」
キャンサーは手のひらをサヤカに差し出してきた。ドキドキしながらサヤカがその手に自分の手を重ねる。キャンサーは
「あなたに、僕の
先ほどのような音を立てるキスではなく、そっと触れるキスをしてから、キャンサーはサヤカの手を抱き締めるようにぎゅっと握った。
「……ありがとう」
キャンサーの目元で何かが光った気がしたが、それを確認する前に、サヤカは気を失った。
※次回:2019年2月22日(金)・17時更新予定