第二章 もう一回罵ってください!1



 何かの音とだれかの声が聞こえて、サヤカは重いまぶたを開け、目をます。見えたのは、臙脂色えんじいろ天蓋てんがい。他の調度品も、自分の部屋には到底とうていない高価そうなものだ。

 むくりと上半身を起こす。そこは昨夜さくや、ジルに案内されて眠りについた部屋だった。

「……夢オチじゃなかったかー」

 寝起きでも冷静にそう判断できたのは、自分の部屋とかけ離れた調度品の数々が置かれていたからだった。サヤカの自室なら、聖騎士せいきし達のポスターやグッズであふれかえっているはず。

 サヤカは枕をいて、もう一度ベッドにす。

 どうやら自分は本当に、『星の聖騎士2』の世界に召喚しょうかんされたらしい。

 あこがれの聖騎士の敵――彼らから星の力を奪う悪役令嬢れいじょうとして。

 プレイするのが楽しみで前情報もネタバレも見ないようにしていたため、何をしたら正解なのか、右も左もわからない。ジルと名乗る美青年に召喚され、彼に憧れの聖騎士達の星の力を奪うよう頼まれ――いや、なかおどされてここに連れてこられた。

「よりにもよって、『敵』って……なんてことしてくれたのよ『2』のシナリオライター……! 絶対許さないから……!」

 いつもならこれだけ打ちひしがれていたら、聖騎士グッズでいやされるところなのだが。

「あのもちもちな聖騎士ぬいぐるみも、コンビニをめぐってそろえたクリアファイルも、色んな人と交換こうかんしてやっとコンプしたアクキーも、ここにはないなんて! ――ううん、でも!」

 がばりと起き上がる。お小遣こづかいをやりくりして集めたグッズはここには一つもない。だが。

「本物の聖騎士達がここにはいる! 会える二次元! 落ち込む必要がどこにあるの!?」

 自分でも本当に緊張感がないなと頭のはしで思いながらも、サヤカはベッドから下りた。その目の前に、整った口元が見え、それが動いて上品な声が聞こえてきた。

「おはようございます。よく眠れたようで何よりです、サヤカさま」

 顔を上げて、ジルのどこか生温なまぬるみを数秒見つめる。

「顔がまぶしい……って――」

 その顔は彫刻ちょうこくのように整っているが、彼は生きた人間だ。ジルがいることを寝ぼけた頭でやっと理解して、サヤカは勢いよくベッドに戻る。別にずかしい格好かっこうで寝ているわけではないが、寝起きを見られるのはやっぱり恥ずかしい。今まで散々ひとごとを言い散らしていたし。むしろそっちが恥ずかしい。

「何勝手に入ってきてんのよー!? 心臓しんぞうに悪いでしょ、寝起きにその顔は!」

「まだ起きていらっしゃらないようでしたので、さすがにそろそろ起こそうかと。一応、声も掛けましたし、ノックもしましたよ」

 そういえば、何か物音が聞こえて目を覚ましたんだった。呼ばれたような気もする。

「わ、わかった、起きるし着替えるから、ちょっと外出てて!」

「ええ、ですから彼女を紹介しょうかいしようと思いまして。――ステラ」

「え!? ちょっと待って誰かいるのー!?」

 サヤカはあわてて、せめてかみを整えようとしたが、すでに彼女はジルの後ろにひかえていた。

 メイドドレスをまとった女性が、その場でうやうやしく頭を下げていた。

「初めまして、サヤカさま。私、メイドのステラと申します。おじょうさまのお世話係をさせていただきます。以後、よろしくお願いいたします」

 長い茶髪ちょうはつをまとめた、青いひとみを持った二十歳はたちぐらいの女性。笑顔は上品だが愛嬌あいきょうもあり、親しみやすさを感じる。そして何より、美人だった。

「な、なんて美少女……! メイドドレスも可愛かわいい~!」

「ふふっ、おめいただき、ありがとうございます」

 ステラは照れた笑みを浮かべる。対して自分の姿は完全に寝起きで、恥ずかしさを思い出した。そういえばあの独り言もステラに聞かれていたのだろうか。

「あの、着替えるので……ちょっと二人とも、出ててもらっていいですか……」

「でしたら、お手伝いします」

「いやいや一人でできるんで! そんな高貴な生まれじゃないんで私!」

 ステラを手で制していると、背を向けたジルがステラに声を掛ける。

「ステラ。サヤカさまの準備が整ったら、食堂に行くついでに屋敷やしき内を案内しておけ」

「かしこまりました」

 ジルはステラの返答を背中で聞き、部屋を出て行った。



 サヤカは今日も制服を着ようかと思ったが、ステラがこれなら一人でも着られるからと、赤いドレスとくつを一式持って来てくれた。着てみると、膝丈ひざたけで腕周りもゆとりがあり、案外動きやすい。

「どうぞこちらへ、サヤカお嬢さま」

 部屋を出てステラに案内されていると、彼女から食欲をくすぐるにおいがすることに気付く。

「パンの、匂い……?」

「先ほどパンを焼いていたので。一階をご案内したら、すぐにお食事の準備をいたします」

「そう言われるとおなか減ってきたかも。お願いします」

「ふふっ、はい」

 ステラは上品で愛嬌のある笑顔をサヤカに向ける。女のサヤカでもきゅんとする笑顔だ。

(可愛い……! こんな女の子になりたかった! ううん今からでも……いや無理か)

 早々にお上品なお嬢さまをあきらめているサヤカの前で、ステラはあるドアを開く。すると草花の匂いの乗った風が吹き込んできた。よく手入れされた庭園だ。

「こちらは中庭になります。今日はいいお天気ですし、お昼はこちらでし上がりますか?」

「うん! そうす――」

 サヤカが笑顔でうなずいたその時だった。頭上から、ザバ、という水音が聞こえてきた。

「きゃっ!」

 前を歩いていたステラの短い悲鳴が聞こえ、彼女を見ると、上半身がびっしょりと水でれていた。ステラはすぐにサヤカに駆け寄ってきた。

「お嬢さま! ご無事ですか?」

「う、うん、私は平気。ていうか、何なのこの水!?」

 雨のはずはない。頭上を見ると、二階の窓からジルがからのバケツを出していた。明らかに、彼がステラに水をかけたとわかる。彼はしまったという顔すらせず、二階の窓からひょいと飛び降りてきた。驚いたが、ステラを心配する様子もないジルに、サヤカは詰め寄った。

「ちょっと、うっかりでも謝りなよ!」

「大丈夫ですよお嬢さま。ただのお水ですから。お嬢さまが濡れなくてよかった」

「美少女の笑顔プライスレス……! ん?」

 ふと、ステラの服装に違和感いわかんを持つ。何かが、さっきと変わっている。

「あの、ステラ……」

「はい?」

 サヤカの視線に気付き、ステラは自分の胸元むなもとを見下ろす。その場にいる全員の視線が、そこへ向かっていた。

 むねが、しぼんでいる。

 サヤカはぽかんとそれを見つめていたが、ハッとわれに返る。ステラは胸を見つめてうつむき、だまり込んでいた。そんな彼女の心境を察し、サヤカは彼女のかたを持った。

「ステラ、わかるよ! 私もあんまんを食べるたびにこれを胸に詰めたらって――」

「離れてください、サヤカさま」

 背後からきびしい声がして、ジルがサヤカの肩を持って身体からだを引き寄せた。

「あんたがやったんでしょー!? 乙女おとめのこの切ない気持ちがあんたにわかるっていうの!?」

「俺にはわかりませんが、こいつにもわからないでしょう。こいつは女ではありませんから」

「……へ?」

 ジルはふところから一通の手紙を取り出した。

「確かに姿はそっくりだが、先ほどステラから手紙が来た。昨夜さくやこちらへ向かう途中、男に声を掛けられ、俺の命令で、屋敷は危険きけんだから帰るように言われてその通りにした、と書いてある。サインも間違いなく彼女のものだ」

「えっ、じゃあ……この人は、誰なの?」

 胸が萎んでいる彼女を見てそうつぶやき、サヤカははたと自分の発言を思い返す。

「っていうか、何? 私コンプレックスさらし損なの!? 待って恥ずかしくて死にそう!」

 サヤカが真顔でになっているのを放って、ジルは相手に近づく。今まで動かなかったステラの姿をした者は一歩下がり――背を向けて走り出した。

「え、あっ……逃げたー!?」

「サヤカさまは屋敷の中に! 出てきてはいけませんよ!」

 ジルはサヤカにそう言って即座に追いかけた。下手へたに動くとジルの邪魔じゃまになるかもしれない。言われた通り屋敷の中に入ったが、外が気になる。

 ジルが戻ってくるのをそわそわと待っていると、キン、と甲高かんだかい、金属がこすれるような音が聞こえてきた。

「何の音……?」

 外に出ようかと思ったが、出ていってジルに怒られるのも怖い。そういえば中庭から、二階にバルコニーが見えたことを思い出し、そこへ走る。

 音がするほうへ向かいバルコニーから見下ろす。裏庭のような場所でジルが剣を構え、ステラの姿をした誰かは、ナイフのような短剣を持って応戦していた。

 二つの剣がぶつかりあい、火花が散る。

「ジル……!」

 こっそり様子をうかがうだけのつもりだったが、思わず彼を呼んでいた。二人の視線がサヤカを見上げたが、その一方の視線がけわしくなる。

「出てくるなと言いましたよね?」

「い、一応ここも屋敷の中だもん……!」

 ジルに怒りを込めた笑顔を向けられ、小さく反論する。ジルの横顔にはあまり余裕がない。誰かを呼ぼうにも、屋敷にはジルとサヤカ、そしてこの侵入者しんにゅうしゃ以外の者はいないようだった。

 サヤカとジルを交互こうごに見て、彼はため息をく。ステラの時とは声音こわねが変わっている。

「ねえ。もう攻撃するつもりがないなら、僕はげるけど、いい?」

「それは、困るな」

 実際ジルは、彼との距離を測りかねているようだった。彼は苛立いらだちをあらわにし、片手で短剣をもてあそぶ。

「じゃあ動けなくして逃げるよ。君、下手へたうでが立つみたいだから、相手するの面倒くさいし」

(ん? この声……)

 まだ少年のおさなさを残したその声に、サヤカは聞き覚えがあった。

「お前には用がある。こっちとしても、お前を逃がすわけにはいかないんだ」

 ジルの言葉に、彼は面倒くさそうな顔をしつつ、緊張感のない声を発した。

「じゃあ、ちょっと待って。この格好かっこう、動きにくいんだよね」

 そう言って彼は自分の髪をつかむ。ブラウンの髪の下から、真珠しんじゅに似た色の髪がふわっと広がった。メイド服をぐと、その下には細い身体からだにフィットする服と、短剣をせるベルトをいていた。濡れたメイド服で顔をくと、日に焼けた褐色かっしょくはだが現れる。

「ぷは。久しぶりに変装へんそうしたから、顔が疲れちゃった」

 化粧けしょうを落としたその顔に、サヤカは見覚えがあった。くりっとした大きな目に、んだ海のような青い瞳。まだ幼さが少し残る、十代なかばほどの美少年がそこにいた。

「え、うそ……まさか……!」

「そっちから来てくれるとは好都合こうつごうだ」

 ジルはちらりとサヤカを見てから、彼の名を呼ぶ。

「――蟹座かにざつかさどる聖騎士、キャンサー」

 キャンサーは目をみはる。女装はバレたが、その正体に気付かれるとまでは思っていなかったのだろう。

「どうして、僕がわかっ――」

「キャンサー!? ホントに!? ホントにキャンサーちゃん!?」

 サヤカの大声に、キャンサーのかたがびくっと飛び上がった。そしてサヤカをにらんでくる。

「うるさいな! びっくりさせないでよ!」

「大きくなってるー! だからわかんなかったんだ! ああでも成長しても超絶可愛い――」

「サヤカさま」

 しっかりひびく声でジルがそう呼びかけ、綺麗な笑顔でこちらを見上げてくる。

「ちょっと静かにして、下がっていてくださいね」

「……はい。ごめんなさい」

 言葉よりも目で「うるさい」と怒られた。サヤカは一気に興奮がめ、大人おとなしく口を閉ざし、自主的にその場に正座した。キャンサーが睨むより百倍怖い。

 とはいえやはり気になり、サヤカはおそおそ欄干らんかんの間から、もう一度キャンサーを見下ろす。

 キャンサーは成長している。だが、一番変わっているのは身体ではなかった。

「私が知ってるキャンサーは……もっと、優しくて、怖がりな子だったはず。それに……」

 サヤカの言葉が聞こえたのか、キャンサーがこちらをきつく睨んできた。しかしまばたきの後、彼はあざけりの笑みを浮かべた。

「誰のこと言ってるのか、わかんないんだけど。それより、僕を殺すの? それとも僕が君を殺していいの?」

 短剣を弄びながら、ジルにそうたずねるキャンサーの姿は、ボロボロと言っても過言かごんではなかった。綺麗な造作の顔ではあるが、ふわふわだった髪にはつやがなく、大きな目は血走り、目の下にはクマがある。手袋を脱いだ手には生傷がたくさんついていた。

 キャンサーだとすぐにわからなかったのは、成長していたからではない。彼の姿や言動の数々が、ゲームで知っていた彼と合致がっちしなかったからだ。

「殺す……って……」

 キャンサーはジルに一歩近づく。ジルは剣を構えたままだったが、キャンサーは気にせず、薄く笑いながらさらに距離を詰めた。ジルが一歩でもみ込めばられてしまうのに、彼はおくしもしない。

「僕の短剣も届く距離になっちゃうけど、いいの?」

「お前こそ、なぜ近づいてくる?」

 笑いながら、キャンサーはシャツのボタンをはずし、胸元むなもとを開ける。その日に焼けた素肌すはだにサヤカは赤くなり、目をらそうか、それともガン見しようか一瞬迷ったが、彼の肌にある物を見て、呆然ぼうぜんと見つめることしかできなくなった。

「そんなもの向けられたところで、全然怖くないから」

 キャンサーの胸元から腹部、見える場所には、無数の傷痕きずあとがあった。まだ治りかけのものもあるのか、血がにじんだ包帯ほうたいかれていた。

おどしじゃ僕はつかまえられないよ。痛みなんて、ちっとも怖くない」

 にこっと微笑み、そう言ってまた一歩、キャンサーはジルに近づく。そしてキャンサーはジルの剣をにぎり、自分のほうへ引き寄せた。剣を握り締めた手から、血が流れている。そのあざやかな赤に、サヤカはゾッとした。

「何、してるの……?」

 サヤカの知っているキャンサーは、こんなことをする少年ではなかった。

 最年少で、騎士にしては少し大人しく、泣き虫で怖がりな少年。だが天使のような笑顔で、周囲をなごやかにさせる。人なら誰もが持つ恐怖心きょうふしんをよく知っているからこそ、弱い人々を守れる、誰よりも心優しい騎士――それがキャンサーだった。

 そのはずなのに。

「ほら、殺すなら早く殺せばぁ?」

 剣のやいばを伝い、ジルの手もキャンサーの血で濡れた。

「や、やめてよ……! 何してんの!?」

 サヤカが思わず身を乗り出してさけぶと、キャンサーがサヤカをあおいで笑った。サヤカの知らない、くらい笑み。

「顔がさおだよ? 大丈夫ですかぁ、お嬢さま?」

「あなたはそんな子じゃなかったでしょ!? 血だって、怖かったはず……!」

 サヤカの言葉を聞き、キャンサーの目に、怒りだけではない険が混じる。

「……お前が、僕の何を知ってるんだよ」

 瞳に剣呑けんのんな色をたたえたまま、キャンサーは口元だけで笑った。

「僕にはもう怖いものなんかないんだ。死ぬことすらね」

「怖くない……? あなたが?」

「君も僕を臆病おくびょうだって言うのか? 僕は強くなった。そんなこと、もう言わせない」

「そう、みたいね……」

 彼が言っていることは、きっと事実だ。先ほどから、キャンサーは驚きはしても、怖がったりはしていない。痛みすら恐れず、まるで感じていないようだった。――それが悲しくて、サヤカの胸の奥が痛む。

「だから私はこんなに……失望してるんだ……」

「失、望……?」

 そんな言葉は予想もしていなかったらしい。キャンサーは限界まで目をみはっていた。その中で、瞳が大きく揺れている。

 キャンサーの目にさらに強い怒りがき上がる。

「何で、失望なんか……っ! 僕は強くなったのに、どうしてそんなこと言われなきゃいけないんだよ! 僕は恐怖を克服こくふくして、強くなったのに!」

 かすれるほどのキャンサーの怒声どせいが、サヤカにはむなしく聞こえる。

 正座していたサヤカは、手摺てすりを持ってゆっくり立ち上がり、キャンサーを見下ろした。

「こんな展開、私は許さない……!」



※次回:2019年2月20日(水)・17時更新予定

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