第一章 自殺は他殺より神を困らせる ⑥
「脊髄損傷で半身不随。リハビリ頑張ったけど結局ダメで、車イス使わないとどうしようもなかったんだ」
「それで、自殺を……?」
「うん。お父さんもお母さんも事故で死んじゃったし、夢も叶わなくなっちゃったしね。ハンガーに首かけるの、結構苦労したよ」
そう自虐めいた笑みを浮かべるトーナに、ルンは返す言葉を見つけられなかった。
「ルンさんも、やっぱり自殺なの?」
トーナの自殺を察したからだろう。やはり同類なのかと、ルンに首を傾げて訊いた。
「そうだよ。トーナちゃんほど考えずに勢いでやっちゃったけど」
「へぇ~。サラリーマンって色々大変なんだね」
色々と察してくれたらしく、トーナはそう言った。
「やっぱブラック企業だったの?」
「ブラックではないと思うけど、まぁ忙しかったよ。大手だったし」
「そうなの? どこ?」
「帝国生命。聞いたことくらいあるでしょ?」
「勝ち組じゃん! いやでも、保険はオワコンらしいし、やっぱ売るのって大変なの?」
「金融系は何でも売るの大変だよ。あと、保険がオワコンとか言ってる人達は、保険の役割とかよく分かってないと思うよ」
ルンは咳払いとともに語り出した。
「保険が必要ないのは、株とか不動産みたいな資産を何億も持ってる人だけで、大抵はそんな大金持ってないから、重い病気や事故に遭ったりした時に、お金の工面で苦労することになるんだよ。家族を遺して死んじゃったりしたら、遺族の将来にも影響する。そういう時に保険に入ってると、お金の面での苦労や心配はなくなるから、落ち着いて人生設計の見直しもできるってわけ」
「なるほどねぇ」
「保険をオワコン扱いしてる人って、大抵資産形成の手段で評価してると思うんだけど、保険って本来は資産形成のための商品じゃないからね。病気や事故、それに死んだりして、悲しんだり不安を抱える人を助けるためにあるんだよ。どこのインフルエンサーが浅知恵で言ってるのか知らないけど、少なくとも他人の人生に興味持たないような無責任な人達に、そんな扱い受ける筋合いはないね」
若干早口になりつつ言い切ったルンに、トーナはうんうんと頷いて、
「ルンさん、保険の仕事好きだったんだね。ほんと、何で死んじゃったの?」
咎めているというより、純粋な疑問としての問いかけ。ルンは熱心に語ってしまったことを内心反省しつつ、
「サラリーマンやってると、勢いに乗りたくなることもあるんだよ」
苦笑を見せてはぐらかした。
5
洞窟近くの森に着いた頃には、日がすっかり暮れていた。
馬車をその場に残して、ルンとトーナは森へ入った。夜だというのに月明かりが明るく照らし、木々の葉もしっかり見えるくらいには視界がはっきりしている。
「この世界の月って、あたし達の世界より綺麗だよね」
拳銃を手に先行するトーナが呟いた。
「田舎だとこんなもんだよ?」
「ルンさん、田舎出身なの?」
「うん。そこそこド田舎」
「そこそこド田舎……?」
イマイチ感覚が掴めないトーナに補足する。
「最寄り駅まで車で三〇分くらいかかる」
「あ~、ド田舎だわ」
感心したように呟いたトーナは、そこで足を止めた。
「どうかした?」
「しっ! 奥に何かいる」
声を潜めて姿勢を低くし、拳銃を構える。
次の瞬間、風を切る音とともに、矢が飛んできた。
「うわっ⁉」
月明かりに照らされた矢じりは、尻もちをついたルンの頭蓋を貫くことはなかった。
奥の繁みから呻き声が響き、何かが地面に倒れる音が届く。と同時に、獣が唸っているかのような声が、四方から聞こえてきた。
「囲まれてるね。ルンさん、伏せてて」
そう言うと、トーナは拳銃を両手で構え、前方に向けて三度発砲した。それに応じるように咆哮が前後左右から聞こえてきて、ルンにも分かるほどの勢いで気配が迫ってくる。
トーナが踵を返し、引き金を絞る。銃声とともに咆哮が断末魔に変わり、迫ってきていた足音も途絶える。そこにカタルシスを得る間もなく、トーナは続けざまに拳銃を持った右手を引っ込め、脇に抱えるような姿勢で左に銃口を向け、同じように三度速射する。そこへ背後から小さな影が飛び掛かるが、ひらりと躱して銃口を斜めに構え、至近距離から腹に二発叩き込む。
アクションスター顔負けのCARシステムを目の前で見せつけられ、唖然とする。そうする間に右手から迫ってきていた残る二体も弾き飛ばし、周囲を取り囲んでいた殺意は一つ残らず沈黙した。
「良い旅をな!」
銃口から燻る硝煙をふっと吹いて飛ばし、決めゼリフで締める。会心のどや顔に、起き上がったルンはもしやと訊ねた。
「洋画とか結構好き?」
「大好き! ターミネーターのメインテーマが子守歌だったくらい!」
あのメインテーマでどうやったら眠れるのやら。
「それでアクション俳優みたいな撃ち方してるわけか」
「かっこいいでしょ?」
得意顔のトーナに頷きつつ、辺りを見回す。
襲撃をかけてきた敵の死体は、視認できる限りで三つ。茂みの向こうにはもっと転がっていることだろう。
ルンは近くに倒れている死体に目をやった。脳天を撃ち抜かれて息絶えるそれは、人型の外見ではあるものの、明らかに人間ではない。見開いた目には真っ黒な眼球が填め込まれていて、あんぐりと開けた口にはびっしりと牙を生やしている。肌の色は青白く、口周りには刺々しいひげを蓄え、右手に持った錆だらけの小斧と汚れた薄着も相俟って、さながら童話に登場する悪鬼を児童向けの補正なしで具現化したような風体だ。
ファンタジー世界の常連なだけに、ルンもよく知る種族だが、やはりこの世界の彼らはそんなイメージとは程遠い種族のようだ。
「絵に描いたような怪物だね」
トーナが死体を見下ろして言った。
「でも、これのでかい版が相手なんだよね? 大したことないんじゃない?」
ドワーフの身長は目算で男子小学生くらい。この大型版となると、精々成人男性くらいの背丈だろう。
装弾数無限で壊れることのない拳銃にアクションスター顔負けの大立ち回りができるトーナなら、その程度の相手に後れをとることもあるまい。
「行こう。クラウ達が来る前に片づけないと」
クラウ率いる討伐隊は、夜が更けた頃に奇襲をかける手筈となっている。そのための偵察が本来の任務であり、危険と判断したら奇襲の日取りを変更し、討伐隊とともに退却する算段となっているのだが、ルンとトーナの本意は討伐隊より先にドワーフを殲滅してしまうことにあった。
二等団員が勝てない相手を倒したという実績に、多額の報奨金。それに何より、単なる偵察で終わるのは面白くない、などという、いつもなら考えもしない理由でクラウに嘘をつき、偵察という名の殲滅戦に乗り出したのだった。
「ルンさん、あれ」
森を進み、足の裏が痛み始めたところで、ようやく二人は洞窟に辿り着いた。
絶壁に空いた大穴は、人間どころか大型トラックでも難なく通れるほどの幅と高さだ。その奥は天井に穴でも空いているのか、月明かりが入り込んで仄かに照らされている。
「正面から行く?」
罠を警戒しての問いかけに、トーナは即首肯する。
「あたしが先に行くから、ルンさんは後ろからついてきて」
「了解。罠が仕掛けられてるかもしれないから、気をつけて」
姿勢を低くしたトーナが洞窟へ駆け込み、ルンもそれに続く。
洞窟の奥は広い空洞だった。天井の大穴からは満月が見下ろし、月明かりが円形に開かれた空間を満遍なく照らす。