第一章 自殺は他殺より神を困らせる ⑦
コンサートホールのようなその空間に、息遣いは五つばかり。それを真っ先に感じ取ったトーナは、取り囲む殺気に目を向けていき、敵の位置を見定める。
「待ち構えてたってわけね。小賢しいことしてくれるじゃん」
やがて物陰に隠れていた敵が飛び出してきた。数は五匹。森で返り討ちにした連中と同じように、薄汚れた布を着て小斧を持ち、真っ黒な瞳に敵意を宿して吼えている。
人間とは明らかに違う、そしてファンタジー小説に登場するドワーフとも似つかわしくない、野蛮な怪物だ。
「ルンさん、逃げて!」
トーナが叫んで、飛びかかってきたドワーフに銃口を向ける。狭い場所では居るだけで邪魔ということだろう。それを察したルンも、踵を返す。
「っ!」
そうは問屋が卸さないとばかり、ドワーフが立ち塞がった。数は二匹。仲良く錆びついた小斧を振りかざし、牙を剥いて威嚇する。
「邪魔だ!」
ルンはドワーフの顔面に前蹴りを繰り出した。身長一三〇センチそこそこの小人相手に繰り出した一撃は、ドワーフの前歯を砕いて、ずんぐりした身体を後方へ弾き飛ばした。
「せいっ!」
もう一匹が振り下ろしてきた手斧を躱すと、今度は足を払うように下段蹴りを振るう。敏捷性を持たないらしいドワーフはその場に倒れて頭を打ちつけ、そこへさらにルンは顔面を思いきり踏みつけた。
鼻が潰れたドワーフが意識を手放したのを認めると、ルンはトーナの方へ振り返った。ドワーフに背負い投げを極めて、地面に叩きつけたところへ、こめかみを至近距離から撃ち抜いて止めを刺す姿に、思わず見入ってしまった。
「マジでジョン・ウィックみたいじゃん」
「でしょ~?」
どや顔のトーナに、ルンはただ頷く。
「ていうか、ルンさんも普通に強いね。素手で勝てるってヤバくない?」
感心した様子のトーナは、そう言いながらルンの足下で気絶するドワーフに銃口を向け、引き金を引く。
「やっぱ神様から特典もらってるでしょ」
「いや、もらってないよ……」
そう言いつつ、思い当たることがあった。
「倫理制限の解除って、そういうことか」
特典がほしいとせがんだ時に神が告げたフレーズ。生前世界の倫理観ではまず実行不可能なことをやってのける、心理的抵抗感の排除。それが、倫理制限の解除というものなのだろう。
それがあるからこそ、トーナは銃を振り回し、チンピラとはいえ顔色一つ変えることなく殺そうとしたし、こんな化け物が相手とはいえ、真っ当な社会人だったルンが易々と暴力を振るえたわけだ。
「どうかした?」
「いや、何でも。まぁとにかく、これが俺の実力ってことで」
「う~ん、胡散臭いなぁ」
訝しげなトーナが、前蹴りを食らって奥に倒れていたドワーフの眉間を撃ち抜く。静寂が訪れた洞窟に、まもなく咆哮が降り注いだ。
「真打ち登場か?」
天井を仰いだルンは、大穴から飛び降りる巨大な影を認め、そして絶句した。
地上に降り立ち、地面を揺らした巨漢は、三メートル強の長身から、ルンとトーナを見下ろす。二〇〇キロを軽く超えそうな巨体。分厚い筋肉を全身に纏って、大木のような両手で巨大な斧を持ち、岩をも噛み砕いてしまいそうな牙を剥いて、重低音を喉から鳴り響かせる。
子分として従えていたドワーフと比べて三倍以上の背丈と体格を持ったその怪物が、二等団員達を蹴散らしたペルグランデだということは、考えるまでもなかった。
「ルンさん、下がってて」
トーナが告げると、ルンは大人しく入口まで下がっていく。倫理観を捨てさせられた今の状態でも、こんな化け物と張り合えると勘違いできるほど、身の程知らずではない。
「グアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
咆哮とともに、ペルグランデが大斧を振るう。砂埃を巻き上げる一薙ぎ。衝撃と風圧に顔を背ける。
「トーナちゃん⁉」
前へ向き直ると、そこにトーナの姿はなかった。ペルグランデが振り抜いた大斧の刃。その上に乗ったトーナは、銃口を大きな頭に向けて、引き金を絞った。
「オオオオオオオオオオオオオオオオッ!」
乾いた銃声が三つ、空間に響く。こめかみと左目に銃弾を撃ち込まれたペルグランデは悲鳴を上げ、暴れ悶える。
ペルグランデが大斧を振り上げようとしたその時、トーナは刃を踏みつけて跳躍した。ペルグランデより数メートル高い位置で、弧を描くように宙を舞う。やがてその禿げた頭の真上に至ると、空中で逆立ちするかのような姿勢から拳銃を斜めに構え、脳天に照星を合わせる。
「とっとと失せろ、ベイビー!」
決めゼリフとともに、発砲。六発。一瞬にして叩き込まれた鉛が頭蓋を砕き、脳を潰す。
「ゥオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」
その咆哮は断末魔に変わり、頭を抱え、そして力なく前のめりに崩れる。
反対側に着地したトーナが、銃口の硝煙を吹き飛ばす。仕留めたという確信の通り、ペルグランデは既に息絶えていた。
「もう漫画のキャラじゃん! 主人公じゃん!」
メチャクチャな大立ち回りを目の当たりにしたルンは、興奮気味に声を上げた。振り抜いた斧に乗っての銃撃に、空中ムーンサルト。童心を掻き立てる大立ち回りだった。
「いや~、それほどでもあるよ!」
トーナもまんざらではないらしく、どや顔で応じた。
「今の、前からできたの?」
「そんなわけないじゃん。神様に強化してもらったんだよね~。『エージェント・スミスと戦っても勝てるくらい強くなりたい』って頼んだから、まぁこんなもんじゃない?」
それは強化し過ぎではないか。あまりの贔屓っぷりに、変な笑いが漏れた。
「それと、この子のおかげ」
トーナが言うと、それを合図としたかのように、カーバンクルがスカートポケットから顔を出した。額の宝石が黄色く輝いているのを認めると、トーナが疑問に答えてくれた。
「ハンナさんから魔法石をもらって、食べさせてあげたんだ。この子、魔法石を食べると魔法が使えるようになるんだって。多分、瞬間移動みたいな魔法を使ったのかな?」
それで大斧の刃の上に乗れた、というわけか。最悪の事態に備えて離脱する手段として与えてくれたのだろう。腕を伝って肩に駆け登ったカーバンクルも、異議はないとばかりに得意気な表情で、尖った耳を柔らかく踊らせている。
洞窟内に二人以外の気配はなく、ついさっきまでの騒々しさが嘘のように静まり返っていた。近くには鳥もいないのか、鳴き声も聞こえてこない。
「とりあえず、これで一件落着かな。後はクラウ達を待つだけか……」
帰りたいのはヤマヤマだが、ペルグランデを討ち取った証拠が手元になくては話にならない。クラウが来るまであと数時間、ここで待機していなければならない。
「ルンさん、あれ何かな?」
トーナが関心を向けたのは、広場の奥にある小さな穴だ。ペルグランデでは到底入れそうにない、人間が入るのが精々な穴の奥は真っ暗で、それなりに奥まっているのが認められた。
「宝物とかあったりして。ちょっと見てみようか」
冗談めかしてそう言いつつ、興味本位で向かっていく。
「……っ」
手前まで来たところで、ルンは足を止めた。すぐ後ろをついてきていたトーナも、漂ってきた臭いに足を止め、肩に乗っているカーバンクルも白い毛を逆立たせている。
生臭さに鉄の臭いが混ざった腐臭。それが一般的に「死臭」と呼ばれるものだと察するのに、時間はかからなかった。
「トーナちゃんは離れてて」
口を手で覆いながら言って、ルンは穴を覗き込む。