第一章/永彩学園と怪盗レイン(2)
#2
「あー……静かにしろ、お前ら。授業を始めるぞ」
担任教師の声が気怠げに響くと同時、クラスメイトたちが一斉に居住まいを正す。
今朝の興奮はまだ冷めないままだけど、そんな中でも永彩学園の入学式は恙なく行われた。内容は学長のありがたい演説、入学後の心構え、学内設備の説明などなど。
次いで俺を含めた新入生一同が各々のクラスへ移動して。
たった今、ガイダンスと銘打たれた初回の授業がいよいよ始まったところだった。
「まずは前置きから話そう。……今朝、ちょっとした騒ぎがあったのはお前らも知ってるな? 直接巻き込まれた
教壇に立つ俺たちの担任(やたら寝不足気味で髪がボサボサでワイルドな雰囲気のイケメンだ)が、誰にともなく眠たげな視線を巡らせる。もちろん、この永彩学園に入学しているからには、彼らクラスメイトも一人残らず才能所持者なんだろう。
さておき、暴走バイク男の炎上事件。
解決した張本人である一条さんが同じクラスにいるわけじゃないけど、俺は現場に立ち会っているし、岩なんとかいうメガネの彼も近くにいた。入学式の挨拶でも軽く触れられていたから、他のみんなも大まかな事情は知っているはずだ。
「あれな。──珍しい、って思っただろ?」
気怠げながら静かな迫力を伴う眼光が俺たちを射る。
「その感覚は正常だ。今の時代、ああいう命知らずな馬鹿は滅多にいねぇ……ただ、少し前までは《才能》を手にした悪党どもが世界の秩序を乱してた。それを撲滅した、とは言わねえまでも、珍しいと思える程度に抑制し続けてるのが〝捕獲者〟だ」
とん、っと教卓に突いた右手に体重を乗せる担任。
今の話にもあった通り、かつては──《才能》が観測され始めた当初は才能犯罪者たちが我が物顔で世界を支配していたらしい。何もかもが規格外な《才能》は並大抵の武力じゃ鎮圧できないし、既存の法律じゃ裁けない。記憶を操れる殺人鬼をどう疑う? 瞬間移動する強盗をどう防ぐ? 才能犯罪は一瞬にして社会問題になった。
そこで生まれたのが捕獲者だ。
彼らは強大な〝正義の力〟を操って、当時の才能犯罪者たちから秩序を奪い返した。
「で、その正義の力ってのが……
担任教師の声が滔々と流れるように響く。
「イメージとしちゃ〝制裁機能付きの絶対的な正誤判定システム〟みたいなもんか。どんな《才能》にも干渉されることなく、指名した相手が有罪なのか無罪なのか確定的な答えを教えてくれる。有罪なら罪の度合いも暴き立てた挙句に無力化までしてくれる。イカサマだらけの世の中で絶対に騙せない最強の閻魔様、ってわけだな」
「「「……ごくり……」」」
「だから、現代の才能犯罪者は真っ向から暴れたりしねえ。現行犯なら《裁判》一発で片が付いちまうから、連中は知恵を働かせて捕獲者から隠れる。証拠を消す。死力を尽くして《裁判》から逃れようとする。……才能犯罪の現場において、捕獲者は警察にして探偵にして裁判官だ。戦闘能力も重要だが、それ以上に〝嗅覚〟が求められる」
ふと、一条さんに制圧された炎使いの姿を脳裏に描く。
あれ自体は計画的な悪事じゃなかったと思うけれど……言われてみれば、彼は周囲一帯を人質に取ることで一条さんの《裁判》を封じようとしていた。それは、紛れもなく《裁判》の強さの証明だ。捕獲者と才能犯罪者は対等じゃない。個々のパワーバランスで言うなら圧倒的に捕獲者有利、というのが今の世界の常識だ。
(才能犯罪者が集まった〝悪の組織〟的なものは毎日のように作られてるらしいけど、その大半は数日で壊滅してる……って話だからな)
もちろん、世界が平和なのは喜ばしいことなのだけれど。
とある秘密を抱えている俺は、暗澹たる気持ちでこっそりと溜め息を吐いてしまう。
「まあ、前置きとしてはこんなところか」
そんな俺を他所に、授業は新たなフェイズに突入したらしい。
「《裁判》は確かに強力だが、使えるのは一つの事件につき一回限り。才能犯罪者に欺かれて無実の相手に《裁判》を下しちまったらその時点で〝迷宮入り〟確定だ。だから、まずは各々の《才能》を駆使して真犯人に辿り着く必要がある。……おい、
そこで先生が、不意にとある生徒の名を呼んだ。
ついさっき自己紹介のターンがあっただけだからまだクラス全員の顔と名前が一致するわけじゃないけど、彼なら分かる。虎石
「へ……? な、何っすかセンセ? オレ、別に居眠りとかしてないっすけど……」
「実例を基に話したい。お前の《才能》を見せてくれないか?」
「! い、いいんすか、そんな目立つ役やっても!」
「いいからやれ、授業中だ」
嘆息交じりに首を振る担任に促され、虎石は「はいっす!」とノリノリで席を立つ。そのまま軽やかな身のこなしで教卓の隣まで駆け寄って、
「それじゃ、センセの許可も出たことだし──見てろよみんな、大注目だ!」
懐から二枚の硬貨を取り出した。……どうして十円玉が裸でポケットに入っているのかは謎だけど、もしかしたら〝こんなこともあろうかと〟というやつかもしれない。無駄に準備のいい虎石は、鈍い銅色に輝く小銭を天高く掲げる。
「オレの《才能》は《
振りかぶって、投擲。
「「「!?」」」
虎石の指先から離れた片方の十円玉は、教室内のざわめきを切り裂きながら真っ直ぐに飛翔した。そのまま緩やかに速度を落としつつ、後ろの壁に衝突する……と思いきや、途中でぐいっと何かに引き寄せられるように向きを変え、辿った経路を逆走する。
「へへっ……どんなもんよ!」
そして、わずか数秒後には、虎石銀磁の右手にしっかりと握られていた。
「今オレが設定したのは〝離れれば離れるほど強烈な引力が働く〟って仕様だ。近いと何も起こらないから、こんなブーメランだって思いのままってわけ!」
「わぁ……凄いです、凄い《才能》です!」
「だろ!? オレの《磁由磁在》なら何にだって手が届く──捕獲者として、どんな才能犯罪者も逃がさねぇ! どぉおおおおおよ!?」
クラスメイトから上がった称賛の声に気を良くし、虎石はノリノリで咆哮する。
「けどな、今のは序の口なんだぜ? 何しろ〝磁力〟ってのは単なる比喩でしかない。軌道をきっちり描いてやれば、こんな面白いコトだってできるんだ!」
再びぶん投げられる可哀想な十円玉。
銅色の円形は先ほどと同じように真っ直ぐ飛んでいたものの、やがて中途半端な位置でヒュンッと鋭角に進路を変えた。次いでヒュンッ、さらにヒュンッと、まるでピンボールでもやっているかの如く複雑怪奇な軌道で上空を暴れ回る。
これが正確に操作できているなら確かに強力な《才能》だけど──
「へいへいへぇい! こいつがオレの最終奥義……になる予定の大技! 色んな力を細かく設定することで自由な軌道を走り回る! そして、弱点は!」
「弱点は!?」
「計算が難しすぎてろくに操れないことだけだぁ!」
──やっぱり、制御できていなかった。
途端に教室中から悲鳴のような声が聞こえ、誰もが隅の方へ避難したり頭を庇ったりし始める。もちろん俺もその一人だ。地震の際の作法に倣って机の下に身を隠す。
「わ、悪いみんな! すぐに《才能》を止めるから……いやでも、これだけ勢いが付いてたら今止めても逆に危ないような──」
「──やれやれ、それならデモンストレーションはお終いだ」
そこで、相変わらず気怠げな溜め息と共に呟いたのは我らが担任の先生だった。同時にヒュンヒュンうるさかった十円玉の音が止み、恐る恐る机から顔を出してみる──そこでは、既に全てが片付いていた。ボサボサ髪のイケメン教師がデジタル黒板に右手を触れさせていて、その黒板に例の十円玉がピタリと吸い付いている。
「「「お、おおお~……!!」」」
どこからともなく歓声が上がった。
……永彩学園は日本初の捕獲者養成機関だ。当然、教師陣にも力が入っている。
かつて熟練の捕獲者だった1─A担任・
「見ただろう、お前ら。この通り《才能》ってやつは人それぞれだ。だから、厳密に言えば〝上下〟なんてモノはねえ……《磁由磁在》を使えるのは虎石だけで、それを横から妨害できるのは俺だけだ。同様に、お前らの《才能》もお前らにしか扱えない」
静かに染み渡っていくダンディな声。
実際、その通りだ。この世界に全く同じ《才能》なんて一つとして存在しない。バイク男の《合炎奇炎》然り、一条さんの《絶対条例》然り。便利さや強さ、規模の大小といった指標はあるにせよ、結局それをどう使うかは才能所持者次第と言っていい。
「だからこそ──模索しろ、活かせ、使いこなせ、使い倒せ」
ぐるりと教室内を見渡して。
次いで、現役時代の風格を思わせる不敵な笑みを口元に湛えて。
「永彩学園は、俺たち教員は、お前らが飛翔するための踏み台になってやる」
──聞き慣れたチャイムの音と共に、元・捕獲者である担任教師は授業を締めた。