第一章/永彩学園と怪盗レイン(1)

   #1

 まだ肌寒い四月初旬の朝。

 通学、通勤ラッシュ真っ只中の電車内は制服とスーツの人々で埋め尽くされていて、暇潰しにスマホを取り出そうという気にもなれない。

 それでも、俺──つみらいがどこかワクワクと前向きな気持ちで身体を揺られているのには、大きく二つの理由があった。

 一つに、今日が入学式という特別な日だから。

 俺はつい先月まで中学生だったピカピカの高校一年生だ。今までは近所の学校に通っていたため、ラッシュ時の電車に乗るのはほぼ初体験。俗世の常識を知らないお嬢様じゃないけど、何となく物珍しさというか非日常感らしきものがある。

 そしてもう一つに、これから通うことになるえいさい学園が全寮制の高校だから。

 今日だけの辛抱だと思えば、ぎゅうぎゅうの満員電車だってそう悪いものじゃない。

(……っと。確かこの駅、だったよな)

 受験の際にも来ているものの、念入りに表示を確認してから電車を降りる。

 永彩学園の最寄り駅。改札を抜けると、人の波はきっぱり二手に分かれていた。多数派になるのは圧倒的に左手側だ。そこそこ規模の大きなビジネス街と、私立高校や大学なんかもあったはず。街全体がとっくに目覚めて活気づいているのが見て取れる。

「ん……」

 そこへ吸い込まれていく人々の背中を見送ってから、俺は逆サイドへ足を向けた。

 風景としては似たようなものだけれど、明らかに人通りの少ない右手側──それもそのはず、この先にある施設なんて永彩学園くらいのものだからだ。よって、周りには同じ制服を着た高校生らしき少年少女の姿をちらほらと見かける。

(駅から来てるってことは、みんな新入生……なのかな)

 内心で独り言ちる。

 新生活の荷物は予め送っているものの、晴れて寮の部屋が使えるようになるのは今日からだ。わざわざ電車を使っている以上、俺と同じ一年生である可能性が高い。

 もしかしたら春休みの間だけ帰省していた上級生かもしれないけど……まあ、どちらにしてもこれからは同じ学校に通う仲間だ。親近感というか連帯感というか、そういった感情が早くも芽生え始めているのは間違いない。

 特に、永彩学園はだから──と。

 そんなことを考えながら青信号のT字路に差し掛かろうとした、その時だった。

「…………へ?」

 呆然と零れたのは俺自身の声。

 ただ、そんなものはきっと世界の誰にも届かなかったことだろう──何しろ、だ。突如として唸るような轟音が辺り一帯に鳴り響いたかと思えば、今まさに俺が渡ろうとしていたT字路に一台のバイクが超高速で突っ込んできたんだから。

 明らかに法を逸した速度、ゴテゴテに改造された車体、お手本みたいな信号無視。

 精神的な衝撃と物理的な風圧で俺の歩みが止まる中、件の爆走バイクは〝赤〟を示していた信号機にぶち当たり、恐ろしい破砕音と共に停止する。


「な、なんだ……事故?」「とんでもない勢いだったぞ、おい」「暴走族ってやつ? 朝っぱらから迷惑な話だな」「族って。一人じゃん」「え、えっと、早く救急車を呼んであげた方が……」「救急車っていうか、あれ……生きてんのか?」


 周囲から戸惑い交じりのざわめきが上がる。

 当然の話だ。朝も早くから暴走バイクが信号機に突っ込む様を目撃したら誰だってそうなる。運転手の身を案じればいいのか、見なかったことにして立ち去ればいいのか、素直に通報すればいいのか。想定外のハプニングに咄嗟の一歩が踏み出せない。

「むっ……!?」

 そんな状況で怪訝な呟きを零したのは、もちろん俺……じゃない。

 いつの間にか俺のすぐ後ろにいた、同じ制服の男子生徒。今日から学友になるのだろう真面目そうなメガネの彼は、何かに気付いたように大きく声を張り上げた。

「諸君、気を付けろ! あの男は単なる暴走族ではない──〝才能所持者ホルダー〟だッ!!」

 ……刹那。

 俺たちの視線の先で、何の前触れもなく唐突に

「チッ……んだよ、ガキ共。許可もなく見てンじゃねぇ……目障りだ」

 黒のジャケットに身を包んだ、いかにも凶悪な風貌の男。

 彼はライターの類を使うでも火炎瓶を放るでもなく、ただ無造作に手のひらから灼熱の炎を吐き出している。もちろん幻覚なんかじゃない。その証拠に、渦を巻きながら広がる業火はステンレス製の信号機をとっくに灰へと変えている。

「ッ……」

 ──この世界には《才能クラウン》と呼ばれる代物モノがある。

 約三十年前から観測されるようになった異能の力。物理法則を完全に無視し、馬鹿げた結果をもたらす夢のような力。現在では若年層の1%ほど、日本全体では五十万人ほどが何らかの《才能》に目覚めた才能所持者であるとされている。

 世界の発展を大きく推し進めた《才能》。

 でも、もちろん──というと世知辛いけれど、それをに使う人間だっている。

 まさに今、目の前で炎を撒き散らしている煤けた髪の男のように。

「クソが。人がせっかく朝のドライブを楽しんでたってのに、邪魔くせぇ信号は生えてるわガキ共は不愉快だわ……萎えるな。いっそ、全部灰にしちまうかァ?」

 イライラとした口調で八つ当たり気味の呪詛を垂れ流す男。衝突事故で使い物にならなくなった改造バイクに炎が移り、ガソリンか何かに引火したのかとんでもない高さの火柱が上がる。炎の向こうから放たれているのは明確な殺意だ。

「くっ……!」

 隣に進み出てきたメガネの男子生徒が悔しげに拳を握っている。

「何だあの傲慢で自分勝手な男は……このいわみずまこと、もう我慢の限界だ。だが、迂闊にヤツを刺激すればむしろ被害が広がりかねん……!」

 下唇を噛む少年。さりげなく名乗られたような気がするけれど、こんな状況じゃ覚えられない。立ち位置が立ち位置なので「……確かにな」と相槌だけ返しつつ、一方で〝珍しいな〟という感覚を抱く。それは、少年の熱い正義感に対して……ではない。

 この世界には、確かに《才能》と呼ばれる代物がある──。

 物理法則を軽々と無視する《才能》は、見ての通り非常に強力だ。だけど、十年前や二十年前ならともかく、今の時代にこうして白昼堂々と《才能》を振りかざして悪事を働く人間なんて滅多に見かけることはない。

 何故なら……と。

 そんな俺の思考を遮るような形で、燃え盛るT字路にが現れた。

「──いちじょうひか、臨場しました。これより、才能犯罪者クリミナルの緊急確保に移ります!」

「!」

 凛、と辺り一帯に澄み渡る声。

 釣られて視線を動かした瞬間、俺の世界から〝それ〟以外の何もかもが消し飛んだ。


 それは、とても──とてつもなく美しい少女だった。


 見る者の視線を奪うキラキラとしたストレートロングの金糸。表情と共に厳しくも優しくも装いを変える、透き通るような碧の瞳。物腰柔らかな雰囲気を漂わせながら、世の中にはびこる悪を決して許さない高潔な気品も併せ持つ。思春期男子にとっての、いや、全宇宙の老若男女にとっての理想をこれでもかと詰め込んだような少女。

(ほ、本物だ……本物の、だ!)

 メガネの少年には悪いけど、彼と違ってこちらは名乗られるまでもない。

 何しろ一条光凛とは、この世で最も美しい四字熟語(俺調べ)に他ならないのだから。

「……あァ?」

 格好こそ俺たちと同じ永彩学園の制服でも、彼女──とその後ろに控えているもう一人の少女──が周りの人間とは明らかに違う空気を纏っていることくらい理解できたのだろう。物理的に炎上中の男が鬱陶しそうに眉を顰める。

「テメェは……どっかで見た顔だな。さては有名な捕獲者ハンターサマってとこかァ?」

「否定はしません。投降する気があるのなら、今すぐ《才能》を解除してください」

「……チッ……」

 再度、わざとらしい舌打ちの音が響く。

〝捕獲者〟──それは、才能犯罪者を根絶やしにするべく生まれた正義の存在だ。各々が強力な《才能》を持っているのはもちろん、あらゆる悪事に罰を与える《裁判ジャッジ》という力を有している。正しく真犯人を突き止めることさえできれば一方的に彼らを無力化・拘束してしまう正義の刃。それこそが捕獲者であり《裁判》である。

 ただ、

「《才能》を解除しろ、ねェ? ……だ、クソが」

 ちりっ、と赤黒い炎が肌を焼いた。

 直火で熱せられたアスファルトが季節外れの陽炎を生じさせる中、開き直ったのかあるいは何か秘策があるのか、煤けた髪の男はニヤニヤと口元を歪める。

「おい女ァ……《裁判》を扱える捕獲者はテメェだけだな。後ろのは捕獲助手サポーターか」

「……何が言いたいんですか?」

「ハッ。この俺の《才能》を舐めるなよ──《合炎奇炎レクイエム》。こいつは、俺にとって邪魔なモンだけを燃やし尽くす地獄の業火だ。テメェが《裁判》を起動するより早く、ここから半径100mを焼け野原に変えられる」

「…………」

「テメェが俺を挑発したせいで、哀れなガキ共は全員まとめてあの世行きだ。……それが嫌ならさっさと《裁判》の力を放棄しろ、今すぐだ」

 強烈な殺意が全方位を貫く。

 到着したばかりの一条さんがどこまで把握しているかは分からないけど、この近くには永彩の生徒だけで十数人が集まっている。たまたま居合わせた通行人や近所の住人も含めれば平気で百は超えるだろう。天秤に掛けるにはあまりに重い。

 押し黙る一条さんの姿を見て、男は勝ち誇ったように口端を上げる。

「呑み込みが早いのだけは褒めてやる。これに懲りたら、捕獲者如きが俺の前に──」

 ……調子よく紡がれていた言葉は、そこでピタリと止まった。

 どこか虚ろな表情で棒立ちになる男。突然の異変にギャラリーが首を傾げる中、それまで口を噤んでいた一条さんの声が静かに響く。

「──《絶対条例エンペラー》」

 押し黙っていた、わけではない。

 一条さんは許可を取っていただけだ。宿した《才能》があまりにも強力だからこそ、事前にお伺いを立てていただけ。彼女が才能犯罪者を前に臆するなんて有り得ない。

 腰の辺りまで広がった流麗な金糸が熱風を受けてふわりと揺れる。

「もう一度言います。今すぐ《才能》を解除してください」

「……、はい」

「ありがとうございます。それと……こんな《才能》を持っているなら、消火用の道具くらいは常備していますよね? 燃え広がる前に炎を消してください」

「……、はい」

 さっきまでの反抗的な態度とは一変して従順に言うことを聞く男。

 ごうごうと燃え上がっていた炎があっという間に収まっていくのを確認しながら、一条さんは洗練された仕草でそっと右手を耳元へ添える。

「本部──改めて要請します。捕獲者・一条光凛の権限で、殿堂才能コアクラン《裁判》の短縮使用ショートカット許可を。……はい、大丈夫です。騒ぎは無事に収まっていますから」

 誰もが見惚れるような笑みを零して。

「──《裁判》」

 スマホ型の端末を顔の前に翳した一条さんは、短くそんな言葉を口にする。

【コアクラウン01《裁判》:短縮使用──〝有罪〟。罪状確定、現行犯逮捕】

【該当の才能犯罪者を無力化、拘束します】

「「「……お、おぉおおおおおおおおお!!!」」」

 解決を示す電子音が鳴り響くのと同時、地鳴りのようなざわめきが空間を支配した。

 きっと、哀れな男以外は誰もが知っていた──一条さん。一条光凛は確かに永彩学園の生徒だけど、それ以前に現役バリバリの捕獲者だ。それも、並の捕獲者じゃない。相手の行動を操る《絶対条例》の《才能》に目覚めた、当代最強クラスの捕獲者。男がどれほどの悪党だったとしても、百戦錬磨の彼女に敵うわけがない。

 一瞬で悪を成敗した一条さんは、そっと胸を撫で下ろしてから辺りを見回している。

「到着が遅れてすみません。怪我をされている方はいませんか?」

「あ、あの……捕獲者様! 焼かれたわけじゃないんですが、うちのお婆が腰を抜かしちまって……!」

「任せてください! お家までご一緒させていただきます」

「そこまでしてくださるんですか!? いや、ですが《才能》の副作用なんかは……」

「それを管理するのも捕獲者のお仕事ですから。今は遠慮なく頼ってください」

 嫌な顔一つせず、それどころか気を遣わせることすらせずに、一条さんは助けを求める住民の元へ駆けていく。機転、身軽さ、天使の如き笑顔。何もかもが完璧だ。

「お、おおお! あれが、あれこそが! この岩清水誠が目指す捕獲者の姿か!!」

 喝采を上げるメガネ。気付けば周りの連中も奮い立っていて、散らばった瓦礫を片付けるなり交通整理を行うなり、一条さんをお手本にして各々で動き始める。

 かくいう俺も、念のため消防に連絡を入れながら──

「……かっけぇ」

 一言、堪え切れずに素直な内心を零してしまう。

 けれど、まあそれもそのはず。みんなが奮起するのも当たり前だ。

 何せ、永彩学園とは──俺たちがこれから三年間を過ごす学校とは、他でもない。

 この国で唯一の、捕獲者養成機関なのだから。

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