【大増量試し読み】お姉さん先生は男子高生に餌づけしたい。1巻

インテリヤクザの試験期間 4

 状況を変えようと決意しても、簡単にチャンスがあるわけじゃない。そう思っていたのだが。

 翌日の朝、少し早めに教室にやってくると、三分の一くらいの生徒がすでに登校していた。人数が少ないほど怯えられやすいのだが、やはり愛嬌を振りまいたりすることもできず、自分の席に座る。

「ごめーん、一限の数学の課題ってやってある?」

「うそっ、やってないの? うちの方が見せてもらおうと思ってたのに」

 隣の席の女子と友達の、切羽詰まったやりとりが聞こえてくる。この二人はいつも持ちつ持たれつという感じで課題を見せあっているのだが、今日は連絡が上手くいってなかったようだ。昨夜メールをすれば事故は避けられただろう。

「じゃあ、他に誰か……あっ……」

「……や、やばいよ、うちらが邪魔なんかしたら、海原くん怒っちゃうし……」

 助けを求められて怒ったことなど一切ない――と、多少理不尽に感じたので、目に力が入ってしまう。

「「ひぃっ……!」」

 そこまでか、と思うほど引かれる――ここでいつもの俺なら、無理に怒ってなどいないと誤解を解こうとせず、無言で英単語帳でもめくっているところだ。その行動すらも不機嫌でやっていると思われるので、苛立ちを募らせるばかりだった。

 しかし今日は、少しだけ。

 俺がクラスで浮いていることへの引け目も、一方的に怖がられることへの不満も、何もかも一度忘れる。

「……なあ」

「は、はいっ……」

「な、なんでしょう……?」

「数学の課題なら……見せてもいいぞ。後でちゃんと、自分でも解くならな」

 普通に話そうとするだけで、声に無駄な力が入って、二人を怯えさせてしまう。

純とは普通に話せても、それはあいつの人懐っこさが異常なだけで、それ以外のクラスメイトとはまともに話すことすら難しい。

 内心の動揺に反して、おそらく俺の顔は怖くなっていくばかりだ――このままでは遠慮されてそれで終わりになってしまう。

「……いや、やっぱり今のはなしだ。課題を見せるが、後のことは自由にしてくれ。とりあえず一限目を乗り切れれば問題はないだろ」

 俺は先生でも何でもないので、頭の硬いことばかり言っていても仕方がない。

 それでも「他の子に見せてもらうから大丈夫」という話になるだろうと、半ば諦めていた。一度で何かが変わるなんてありえない、継続は力なので、少しずつ――。

「あ、あの……見せてくれるんですか? ノート……」

「うそっ、海原くんのノートが見れるの? 学年でも二位とか取ってる人の?」

「二位まで上がったのは一年の時に一度きりだから、今はそこまででもない」

「うちらより全然凄いよ、二人そろって安定の二百番台だもん」

「ちょっ……そ、そういうことを大きい声で言わないでよ、まだみんな来てないからいいけど……ご、ごめんね海原くん、私たちみたいのが迷惑かけて……」

「迷惑ってことはない。そこまで身構えなくていいんじゃないか」

「そうそう、海原って話してみるとそんなに怖くないからさ」

 そろそろ来てくれるかと思っていたが、まさに丁度いいタイミングだった。純が話に入ってくれたおかげで、場の空気が和らぐ。

「困ったことがあったら、焼きそばパン一個で何でも聞いてくれるし」

「俺はそんなに安くないぞ……で、純も課題をやってないのか。昨日帰って勉強してたんじゃなかったのか?」

「それが、親父が買ってきたゲームを妹と一緒にやる羽目になってさ。そんなわけで、俺もノートを見せてもらえると寿命が伸びるんだけど?」

「まあ、好きにしてくれ……後で自分でも解いておけよ、試験範囲に入るぞ」

 三人がうわ、という顔をする――純も女子二人とそこまで大差ない成績なので、もうちょっと危機感を持つべきではないかと思いはする。

「……あ、あの、海原くん、ここの式は……」

「ノート見せてもらっても分からないって致命的すぎない? 我ながら駄目だわ、うちら……はぁ~、海原くんの頭脳が欲しい……」

「俺もそれは常日頃から考えてるんだけど、なかなかボディチェンジはできそうにないんだよな。俺が海原で海原が俺でみたいな」

「最悪だなそれは……ここの展開が飛んでて分からないのか。全部書いてると試験で間に合わなくなるから省略してるが、ここはこういうことだ」

「うわ、すご……何これ、魔法? 授業でこんなこと言ってた?」

「言ってたような言ってなかったような言ってたような……」

「海原、なんかテクニック使ってるだろ? 俺にも教えろよ、テクニシャン。それとも数学の魔術師って言った方がいいか?」

「そんなに余裕でいいのか? もうすぐ先生が来る時間だぞ」

 最初は茶化すようなことばかり言っていた三人だが、そろそろ急ぐべきだと気づいたのか、俺の説明にちゃんと耳を傾けてくれる。

「お、おい……インテリ……海原が、何かやってるぞ」

「何かやってるって、勉強教えてるだけだろ」

「……海原くん、いつもとちょっと違くない? なんていうか、雰囲気が……」

「う、うん……なんか違うね。あんなに喋ってるところ、初めて見るよね……」

 何か話をされてるようだが、すぐにイメージが改善するわけでもないから、千里の道も一歩からというところだろう。


――海原くんがいつも一人で勉強しているなんて、勿体無いと思います。だって、こんなに教えるのが上手なんですから。


 石川先輩の言葉が思い出される。自分が教えるのが上手いかどうかはわからないが、純も、初めてまともに話す女子二人も礼を言ってくれた。

「あ、ありがとう、海原くん……教え方、めっちゃ分かりやすかった」

「ほんとにほんとに。いつも適当にごまかしてたところが、今日はしっくりきたっていうか、見事にハマっちゃったっていうか、海原くんの形にされちゃったっていうか」

「その言い方には問題があるが、分かったなら良かったな」

「「うん!」」

 何だこいつら、やたらと仲がいいな――と思いつつ、二人が席に戻っていくのを何とはなしに見ていると、純が肩に手を置いてきた。

「いや、海原が朝からナンパに勤しむとはな……次からは俺も仲間に入れてくれよな!」

「勉強を見るのをナンパとは言わないんじゃないか?」

「何言ってんだよ……まず女子の勉強を見るっていうだけでコミュ力半端ないだろ。俺にどうやったか教えて欲しいのですが?」

「……毎日宿題をやっておけばいいんじゃないか?」

 純はそれはできないと言わんばかりの表情に変わり、すごすごと退散していった。

 やがて担任の先生が入ってきて、ホームルーム前の挨拶が始まる。

 そして着席したあと、俺はふと、さっき勉強を教えた二人の顔について、見覚えがあることに気がつく。

あの二人、話したことはなかったが、気合を入れて記憶のページをめくってみると、なんとか関連する情報を探し当てることができた。

 俺があの二人を見たことがあるのは、去年の文化祭まで遡る。

 吹奏楽部の助っ人として、飛び入りで参加したときのこと。あの二人は、クラリネットとテナーサックスを担当していた。

つまり彼女たちは、杜山先生率いる吹奏楽部の部員だった。

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