バイト少年と女神の誘惑 3
椅子に座っている先輩が、俺をじっとりと見ている――いつもクールな先輩に、少し冷たいニュアンスで見られると、なぜだかゾクゾクとしてしまう。
「海原、時々岸川先生と屋上でお弁当を食べてるのに?」
それは俺にとって死の宣告――もとい、心臓が凍りつくほど驚かされる発言だった。
「せ、先輩。もしかして……見てたのか?」
先輩はこくりと頷く。屋上で弁当を食べるとき誰かが来たりしたことはないが、同じ学校の先輩が、何かの理由で屋上の様子を見てしまうことが絶対にないとは言えない。
しかし、そうなると問題になってくるのは、なぜ俺と岸川先生のことを知っていて、あえて知らないふりをして聞いてきていたのかということだ。
「先生と二人きりでそういうのって、みんなに知られたら大変なことにならない?」
考えうる限り、一番悪い想像が現実として突きつけられる。
俺と先生のことについて、先輩が良く思っていない。
俺たちの間にやましいことは何もないと説明して、分かってもらうしかない。例えクールビューティと言えど、誠意を持って話せば分かってくれるはず――。
「
「おっ……だ、だからその、おっぱいって言うのは、公共の場では……っ」
「バックヤードなら誰も聞いてないから、別にいい。海原は、おっぱいなの?」
「それだと、好きすぎておっぱいそのものになってるみたいだな……だ、だから。お、おっぱいを前提にして人のことを判断してるわけじゃない。偶然、胸の大きい先生たちと知り合っただけで、最初から胸に引きつけられたわけじゃないんだ」
「……ふうん」
先輩が足と腕を同時に組む――ただならぬ迫力。俺の言うことが疑わしいと、全身からオーラを発して威圧してきている。
「偶然で大きい胸の女の人ばかりと知り合うの? おっぱいの星の下に生まれたの?」
「先輩、お願いだからおっぱい発言は控えめに……」
「どうして? 好きなのに?」
恥ずかしいからやめてほしいと正直に言うのも情けなさすぎる。子供の頃にも踏んだことのない
それに先輩は、自分のことを棚に上げている。水泳部なのに学年で一番胸が大きいという二律背反。人は矛盾したものにこそ惹かれるのかもしれない、と先輩の腕に乗っている二つの果実に一瞬視線を送る。
「っ……ほ、ほら。おっぱいなら何でもいいんじゃない。欲しいの?」
「こ、これ以上誤解されるような発言は、控えていただけないでしょうか……」
「敬語がいらっとするから、だめ」
俺は先輩に何かしただろうか――いや、岸川先生とのことで不信感を抱いているというのは分かるのだが、それは誤解だ。
自分の胸に手を当てて、まるで俺に差し出すみたいにしていた先輩は、しばらくする恥ずかしくなってきたようで、俺の視線から胸をガードする。
「み、見てないですよ……じゃない。見てないぞ」
「……海原が何もないって思ってるだけで、岸川先生が海原を気にかけてるのは、やっぱり何か理由があるんじゃない?」
「何か……というと、やっぱり俺の食生活の九割が、ジャンクフードで構成されていたから、心配してくれたことが……せ、先輩?」
先輩が驚いたように俺を見る。唇が動いているが、声が出ていない。衝撃を受けすぎて唇が震えているのだ、ふるふると。
「……海原、しっかりしてそうなのに、そんなふうだったの?」
「お、俺も反省はしてるんだけど。他のことはできても、料理はなかなか……一人暮らししてるんだから、それくらいやれって話だよな……」
自分で作った料理を食べても大して美味しくはない。一人暮らしで自炊をしている人は多いし、俺も甘えたことを言ってると自覚している。
分かってはいても、一人でテーブルに座って食事をすることを、無意識に避けるようになっていた。部屋で勉強をしながらカップラーメンでも啜った方が、気持ちとしては楽になる。寂しがり屋だとか、そういうことではないと思いたい。
「……お弁当、ほとんど毎日先生に作ってもらってるとか?」
「い、いや、そこまでは……だいたい購買か、学校行く途中に買ってるよ」
「そう……お弁当はまだなの? おっぱいに乗せて食べさせてもらったりは?」
「弁当箱が載るとしても、さすがに安定はしなさそうだな……先輩、先生たちの胸が大きいからって、何でもバストに結びつけるのは良くないと……先輩?」
ツンとした空気を出していた先輩が、いつしか微笑んでいる。
どの辺りで感情の変化が起こったのか――じっと先輩の顔を見ていれば気づけたのかもしれないが、情けないことに、俺は先輩の顔を長い間直視できない。
「お弁当だけなら、そんなに進んでないってことにしてもいい」
「し、してもいいというか、本当にそういう方面には進んでないから」
「海原、大人ぶってるけど結構初心だから、分かってないだけだったりしない?」
「そ、そういう先輩はどうなんだ……俺のこと初心とか言うけど、自分は進んでるのか?」
「……私は私、海原は海原」
「言い訳にしても弱いと思うんだが……あ、そろそろ行った方が良さそうだな」
先輩の休憩時間を、俺と話すだけで終わらせてはいけない。俺はカゴに入れた補充用のホットスナックを持って、バックヤードから出ようとする。
「……行ってらっしゃい」
「え……あ、ああ。先輩もごゆっくり」
先輩は組んでいた膝を元に戻して座り直すと、小さく手を振る。
どうやら、誤解はある程度解けたようだ。岸川先生のこともさることながら、杜山先生の家にやむを得ず泊まったことを知られたら、また先輩との頭脳戦――もとい、先輩に理解を得るための努力が必要になりそうだが。